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心に棲む“感情のモンスター”に寄り添うアルバム
それぞれの楽曲が“感情”という名のモンスターをそっと抱きしめるように、聴く人の心の奥深くへと、静かに、確かに浸透していく。
どの曲も、「生きること」のリアルな瞬間を、鋭く、そして繊細にすくい上げている。痛みや焦り、不安や喜び─言葉にならなかった感情が、音楽によって少しずつその輪郭をあらわにしていく。
逃げ出したくなる夜。誰かと本気で向き合いたい朝。ふと足を止めてしまう昼下がり。『MONSTER』は、そんな日常の一コマにそっと寄り添い、心の奥で見失いかけていた“自分”を取り戻す力を与えてくれる。
うまく言葉にできなかった気持ちが、音になって目の前に現れる。その瞬間、あなた自身の感情がはじめて“あなたのもの”になる。
あなたの中の“モンスター”が動き出したとき、ぜひこのアルバムを手に取ってほしい。きっと、まだ出会ったことのない“本当のあなた”が、その音の中に息づいている。
Release : 2006.06.28

※本記事では、B’zのアルバム『MONSTER』に収録された各楽曲について、歌詞の一部を引用しながら、その表現やメッセージについて考察しています。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。
表現される感情
【やる気がある】×「ALL-OUT ATTACK」
何かに挑むとき、迷いや不安があっても「進まなきゃ」と自分を奮い立たせる瞬間がある。「ALL-OUT ATTACK」は、そんな覚悟の瞬間に寄り添う一曲だ。
静けさと爆発力を併せ持つロックナンバー。イントロでは抑え込まれたようなテンションが漂い、やがてギターの疾走感と力強いリズムがリスナーを飲み込んでいく。
タイトルの“ALL-OUT ATTACK”は「総攻撃」や「全力の突撃」を意味し、繰り返される「セメナキャイケナイ」というフレーズが、行動を促す強いメッセージを放っている。
特筆すべきは、そんな激しいメッセージが込められたサビの中に、優しさと爆発力が同時に宿っていることだ。「ふるさとの優しい雨」といったフレーズに込められた情景描写が、張り詰めた緊張感の中に一瞬の安らぎをもたらし、感情の振れ幅を一気に広げる。
その上で、「ALL-OUT ATTACK」の掛け声が炸裂することで、聴き手の胸を撃ち抜くような情熱のうねりが生まれている。
傷つきながらも進むしかない現実、その中で自分の存在意義を見出そうとする“個”の姿が、エネルギッシュなサウンドの中に切実に描かれている。
迷いを断ち切る一曲。『ALL-OUT ATTACK』が叫ぶ“セメナキャイケナイ”
「今日は何曜日か思いだせない」この一行から始まるAメロは、リスナーを一気に“現実の疲労感”へと引き込んでいく。
今日は何曜日か思いだせない
あくびしてる間に吹きとばされる
青春の日々 人生の機微
止まりたくても止まれない
そんな非力を痛いほど感じて
走る日々 揺れるキミ
混沌とした現実の中で自分を見失いそうになりながらも、それでも走り続けるしかないという焦燥と無力感。
走り続けるしかない自分を「非力」と表現することで、切実な焦燥感が伝わってくる。
「揺れるキミ」は、そんな日々の中で見え隠れする自身の心の迷い、あるいはそんな自分を見守る誰かの存在が重ねられているようにも感じられ、聴く人の心に静かに刺さる。
Bメロでは、それまでの焦燥や葛藤に満ちたAメロから一転し、心を落ち着かせて“自分の歩んできた道”と向き合おうとする姿勢が表現されている。
Close your eyes はるかきた道
No more sighs どこへ行く
迷いの中でも積み重ねてきた日々に目を向けることで、自分の足跡を確かめようとするような、内省的で温かみのある視点が感じられる。
そして「No more sighs どこへ行く」というフレーズには、「もうため息はつかない」という決意が込められている。過去を悔やむのではなく、前を向いて歩き出そうとする意志の表れだ。
ため息(sighs)は諦めや停滞の象徴であり、それを手放した先に「どこへ行く?」という問いを自らに投げかけていく。
サビでは、優しさと覚悟が交差していく。
ふるさとの優しい雨
強く握りかえす やわらかい手
セメナキャイケナイ (ALL-OUT ATTACK)
キメナキャイケナイ (ALL-OUT ATTACK)
そんな時が来るきっと否応なく
ヤンナキャイケナイ (ALL-OUT ATTACK)
トバナキャイケナイ (ALL-OUT ATTACK)
失ってもyeah
生まれてきた意味を知るために
激しいロックサウンドの中で突然差し込まれる、静かな情景描写。ここに表れているのは、自分を育ててくれた場所や人への郷愁、そして確かなぬくもり。
たとえ前に進むことが苦しくても、過去にあった優しさや絆が、今の自分を支えているという事実が、そっと語られている。
そして続く「セメナキャイケナイ」「キメナキャイケナイ」というフレーズは、現実が容赦なく突きつけてくる“決断”や“行動”の必要性を象徴している。
否応なく訪れる“その時”に、迷っている暇はない。たとえ何かを失ったとしても、それでも進まなければいけないのは「生まれてきた意味を知るため」─この最後の一行が、すべてを貫く核となる。
サビは、ただのエネルギー爆発ではなく、過去のぬくもりと、未来への決意を同時に抱えた“人間らしさ”の叫びであり、この感情の振れ幅の大きさが聴く者の心を強く揺さぶる。
まとめ
「ALL-OUT ATTACK」は、ただ前向きな応援歌ではない。
焦り、迷い、無力感──誰もが抱えるそんな感情に寄り添いながら、最後には「それでも進め」と静かに、けれど確かに背中を押してくれる一曲だ。
攻めなきゃいけないとき、決めなきゃいけないとき。そんな瞬間にこそ、この曲は真価を発揮する。B’zの音と言葉が、あなたの中の“止まりたくても止まれない何か”を、そっと支えてくれるはずだ。

【ウキウキする】×「SPLASH!」
42nd Single
Release:2006.06.07
夏の空、乾いた地面に、一気に水しぶきを浴びせるような衝撃―それが、B’zの「SPLASH!」という楽曲だ。
“Splash”とは、英語で「水がはねる音」や「しぶき」を意味する言葉。何かが勢いよくぶつかり、飛び散る瞬間のエネルギーを表すこの単語には、ただ爽快なだけではない、命のほとばしりや感情の爆発といった深いニュアンスが宿っている。
B’zの42枚目のシングルとして2006年にリリースされた「SPLASH!」は、そのタイトルのとおり、本能と衝動がしぶきのように飛び散る、エネルギッシュかつ挑発的な一曲だ。
冒頭から耳を引くのは、松本孝弘による鋭く切れ味のあるカッティング・ギター。リズミカルで跳ねるようなそのフレーズに、稲葉浩志のスピード感あふれるボーカルがスリリングに絡み合い、まるで感情の波が次々と押し寄せるような高揚感を生み出している。
ギターソロはあえて排されているものの、その分バンド全体のアンサンブルが際立ち、肉体的な躍動感を最大限に高めた構成となっている。
「SPLASH!」が描く、生と性の境界線
「次から次へとしぶきをあげては飛び込む真夏の欲情チルドレン」という一行で幕を開けるAメロは、まさに“Splash”というタイトルを体現するような衝動と躍動感に満ちている。
次から次へとしぶきをあげては飛び込む真夏の欲情チルドレン
さがすは御緑
心を決めたらうだるような暑さの中 今日を運命の日としよう
Yeah, here l go
夏の衝動に身をまかせて飛び込んでいく若者たちの姿が、生き生きと描かれている。
欲望のままに動く彼らの中に、「御緑」という言葉がそっと差し込まれ、ただの快楽ではなく、誰かとの深いつながりを求める気持ちがにじむ。
カッティングギターと鋭いボーカルが熱気をまといながら、今日という日を特別なものへと変えていく。
Bメロでは、「性と生がまじわる」という直球の表現を通じて、人間の根源的な衝動があらわになる。
まじわりあう性と生(ネバネバ絡み合う精)
哲学なんてFade away(観念では物足りない)
手ざわりがほしいんだろう
哲学や観念では埋められない、“手ざわり”のある実感を求める叫びは、ただの性愛ではなく、「生きていることを確かめたい」という本能的な欲望として響く。刺激的な言葉の裏にあるのは、命のリアルに迫ろうとする強い意志だ。
サビに込められた想いは、激しい衝動の中にある、どうしようもなく純粋な「つながり」への願いだ。
愛しい人よいかないで誰にも目をそらさないで
愛のタネで生命の花咲かせて (Its a new day)
ムキ身のままでまっすぐDive
息をぴったり重ねてJive
あなたの中でビュンビュンほとばしる
ミ・ヤ・ビなSplash!
それはただの欲望ではなく、誰かと真っ直ぐに向き合いたいという切実な想いだ。
「愛のタネで生命の花咲かせて」という言葉が描くのは、愛と性が未来へとつながっていく営み。そこに添えられた「It’s a new day」の一言が、その一瞬を穏やかに照らし、新しい始まりとして昇華させる。
「ムキ身のままでまっすぐDive」「息をぴったり重ねてJive」―飾りのない心と体で飛び込み、呼吸すらも重ねていくような、深い一体感が描かれる。
“Jive”は、アメリカ発祥のダンススタイルのひとつで、スウィングジャズやロカビリーといった軽快な音楽に合わせて踊るペアダンスを指す。この曲では、その息の合ったステップのように、ふたりのリズムがぴたりと重なる感覚を象徴する言葉として用いられている。
そして訪れる「ミ・ヤ・ビなSplash!」。そのクライマックスは、激しい衝動の頂点を、あえて“雅”という美意識で包み込む。飛び散る衝動の中に潜むいのちの余韻、濡れた熱情の中に立ちのぼる美しさ―このフレーズには、楽曲が放つ官能の美しさが凝縮されている。
まとめ
「SPLASH!」は、欲望、愛、そして生命のきらめきを、しぶきのように一瞬で焼き付ける。大胆でありながらどこか品のあるその表現は、B’zだからこそ描けた、真夏の生命讃歌だ。
心も体も解き放たれるようなこの一曲は、夏の日差しのように鮮やかで、どこかやさしい。「SPLASH!」に飛び込めば、きっとあなたの中にも新しい夏が訪れるはずだ。
……でもビュンビュンしてネバネバしてぬるぬるして……ねぇ、これホントに水の話!?

【希望に満ちた】×「ゆるぎないものひとつ」
41st Single
Release:2006.04.12
心がふと立ち止まる日がある。
うまく笑えなかった一日。言いたいことが言えなかった後悔。
自分自身にがっかりして、眠れない時間をただやり過ごす。そんな時、ふと耳に届いた一曲が、言葉よりも深く心に触れることがある。
B’zの「ゆるぎないものひとつ」は、まさにそんな“迷いの中に灯る確信”のような楽曲だ。
2006年に公開された劇場版アニメ『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌』の主題歌として話題を呼んだこの楽曲は、リスナーの心に寄り添う“人生の応援歌”として、今も多くのファンに愛されている。
アコースティックギターの温もりと、松本孝弘による情熱的なギターソロ。そして、稲葉浩志の歌声が抱える痛みと祈り。
この曲は、聴くたびに、私たち自身の「マイライフ」を見つめ直すきっかけをくれる。
たったひとつの確信が、人生を照らす|B’z『ゆるぎないものひとつ』の力
Aメロは、心の揺らぎと不器用さをそのまま映し出す、B’zならではの誠実な幕開けだ。
笑いながら別れて
胸の奥は妙にブルー 言いたいことは言えず
あなたの前じゃいつでも
心と言葉がウラハラになっちゃう
「言いたいことは言えず」という一行に、どれだけの後悔と無力さが詰まっているか。
相手の前ではつい取り繕ってしまい、本当の気持ちを飲み込んでしまう。
自分でもどうしようもない“素直になれなさ”の苦しさ。誰かを大切に思うほど、気持ちは複雑になる。
そんな心の機微と弱さを真っすぐに描いている。
Bメロには、変われないまま繰り返す毎日への苛立ちと、自分への嫌悪感が込められている。
何も始まらないで今日が終り
カラスは歌いながら森へ帰る
自分がイヤで 眠れない
こんなこと何べんくりかえすの?
何もできないまま今日が終わる。その虚しさがじわりと染みてくる。そんな日常の終わりと静けさ。
ただ過ぎていく毎日、進めない自分。それを繰り返してしまう現実への怒りと情けなさがにじむ。
このBメロは、何かを変えたいのに、何も変えられないもどかしさを突きつける。痛いほどリアルな心の声が、そのままリスナーの胸に刺さるパートだ。
サビでは、迷いも不安もすべて受け入れたうえで、それでも「ゆるぎないものひとつ」を信じて生きていくという強い意志が描かれている。
ゆるぎないものひとつ抱きしめたいよ
誰もがそれを笑ったとしても
燃えさかる想いだけを伝えましょう
いのちの証しが欲しいなら(this is my life)
うたおうマイライフ
他人の評価ではなく、自分だけが知っている“確かな想い”を抱きしめること。「誰もがそれを笑ったとしても」というフレーズには、孤独の中でも信じ抜く勇気がにじむ。
「this is my life」という言葉が象徴するのは、自分の人生に自分で意味を与えるという覚悟。きっと生まれたことに意味なんてない。意味を持たせるために生きる。この曲は、そんな人生の本質に真っ向から向き合っている。
このサビは、誰かの理想になるためではなく、“自分で自分を受け入れる力”を与えてくれる。迷ったとき、傷ついたとき、自分の中にある“ひとつの確信”を思い出させてくれる。
ブリッジパートでは、逃げずに生きるという選択こそが、魂を強くしていくことが描かれている。
どこかに逃げたりかくれたりしないでいいよね
魂よもっと強くあれ
これまでの不安や迷いを経たうえで、それでも前を向きたいという小さな決意。これは強がりではない。弱さも抱えたまま、自分の人生をまっすぐ生きようとする姿勢そのものだ。
ブリッジは、この曲全体が積み上げてきた感情の頂点にあたるパート。逃げずに、自分の心に正直に向き合うこと。それが“ゆるぎないもの”を見つけるための第一歩なのだろう。
まとめ
B’zの「ゆるぎないものひとつ」は、迷いや自己嫌悪、言葉にできなかった想いを経て、
それでも自分だけの“確かなもの”を信じて生きていく決意を描いた一曲だ。
誰かの期待ではなく、自分の想いに正直に。他人と比べることなく、自分の人生を“うたう”ように歩んでいく。
心が揺らいだとき、自信を失ったとき、この曲を手元に置いて、もう一度、自分の“マイライフ”に耳を傾けてほしい。
“ゆるぎないもの”は、きっとあなたの中にも、すでにある。

【遊び心のある】×「恋のサマーセッション」
なんてことのない空間で、なんてことのないしぐさが、夏という季節に封じ込められて、今もふとよみがえる。
軽快なレゲエ調のサウンドにのせて描かれるのは、真夏の恋の高揚感と、その終わりにふと訪れる切なさ。
「恋のサマーセッション」は、そんな青春の一瞬を切り取ったような一曲だ。
タイトルの「サマーセッション」は、「夏期講習」という意味で、短くて熱く、学びに満ちた時間を象徴しているのだろう。
夏という限られた季節の中で、恋に戸惑いながらも夢中になっていく物語は、B’zらしい深みと余韻を残すラブストーリーに仕上がっている。
B’zが鳴らす、レゲエ風ラブソングの鮮やかな冒険作
イントロから鳴り響くのは、軽やかなギターのカッティングと、陽気なブラスサウンド。そして注目すべきは、イントロ直後にいきなり飛び込んでくるサビの一節。
本来クライマックスであるはずのこのフレーズが最初に現れることで、恋の高揚と夏の終わりが同時に押し寄せるような感情が一気に立ち上がる。
はじける鼓動 胸に感じて
去りゆく夏見つめていたい
爽やかさの中に切なさを忍ばせた、B’zならではの夏のラブソングがここから始まる。
Aメロで描かれるのは、なんでもないようでいて、忘れられないふたりの始まり一場面。
歌にあわせておどける
キミの手を握ったCDショップ
エアコン効きすぎてるねって
はおってたボクのデニムのシャツ
どれも特別なことではないけれど、その空気感すべてが、初々しい恋の始まりを物語っている。
Bメロでは、ふたりで過ごした時間の余韻が「やわらかい香り」として描かれる。
今日になってもやわらかい香りが
残っているよ My babe
ここで歌われる「やわらかい香り」は、単なる匂いではない。ふたりで過ごした時間のぬくもりや、胸の高鳴りを象徴する記憶の断片だ。香りという“感覚”を通して、恋の余韻が静かに蘇る。
感情が静かに深まるこの一節があることで、続くサビの高まりがより鮮やかに響いてくる。
サビでは、好きという気持ちの爆発と、それに伴う不安や戸惑いを正直に描きながら、それでも目の前の季節をしっかり見つめたいという願いが込められている。
おぼれてく (ダイスキナンダ)
どっぷり快感の海に
なんか恐い(ドウスリャイイノ)
学べや恋の夏期講習
はじける鼓動胸に感じて
去りゆく夏見つめていたい
ブラスサウンドが重なり、夏の陽気さと心地よさを全身で浴びるようなサウンドが広がる。
恋に迷いながら向き合う姿を“夏の特別授業”になぞらえた言葉が印象的で、そんな手探りの時間こそが、この曲の「サマーセッション」を象徴しているのだろう。
感情のピークと過ぎゆく季節が重なり、刹那的な青春のまぶしさが余韻を残していく。
まとめ
たったひと夏の出来事が、いつまでも心に残るのは、そこに戸惑いも、喜びも、学びもあったからだ。
「恋のサマーセッション」は、陽気なレゲエサウンドの裏側に、そんな揺れ動く心の風景をそっと描き出している。
はじけるような鼓動と、去りゆく季節を見つめながら―あなたは、あの夏にどんな恋をしていましたか?

【憂慮する】×「ケムリの世界」
ふとしたニュースにモヤモヤしたり、誰かの発言にイラッとしたり。「なんでこんな世の中なんだろう」って、思ったことはないだろうか?
B’zの「ケムリの世界」は、そんな感情にスッと寄り添いながら、“このモヤモヤした社会を作っているのは一体誰なのか?” “本当に自分は無関係でいられるのか?”—そんな問いを鋭く投げかけてくるロックナンバーだ。
責任を誰かに押しつけたくなる気持ち、うやむやになっていく“ケムリ”のような現実。その全部を見透かしたうえで、「それでも自分のことは自分で引き受けよう」と背中を押してくれる。
リズムの加速とともに燃え上がるようなシャウトに、気づけば自分自身も“この世界”の一部であることを思い知らされるはずだ。
社会派ロック。『ケムリの世界』が切り裂く日常のノイズ
A〜Bメロにかけて描かれているのは、個人の悪ではなく、それを生み出してしまう“社会の歪み”に目を向ける視点だ。
悪いやつ?もちろん悪いでもそれを作るのは
歪んでる社会ですって気づいてみたけど
この社会=ボクたち!
「この社会=ボクたち!」。この一言は、それまで他人事のように感じていた社会の問題を、ぐっと自分ごととして引き寄せてくる。
聴き手の“無関心”や“責任逃れ”を突きつけるように問いかけながら、社会と個人のつながりを生々しく浮かび上がらせるパートだ。
サビでは、「まわりまわって誰のせい?」というフレーズが象徴するように、現代社会の“責任の所在の曖昧さ”が浮き彫りになる。
まわりまわって誰のせい?焦点はぼやけてく
全部自分がやったんだよと叫べるおシゴトしましょう
それが何よりステキ
責任の矛先はあちこちに飛び火し、気づけば何が問題だったのかすら分からなくなる。「焦点はぼやけてく」という言葉が、その曖昧な空気感をズバリ言い当てている。
でもこの曲は、そこで終わらない。「全部自分がやったんだよ」と胸を張って言える仕事をしよう—そんな前向きなメッセージが、まっすぐに響いてくる。
逃げずに、誇りを持って生きる。それこそが「一番ステキ」なんだと、ポップな言葉で背中を押してくれるサビだ。
ブリッジでは、責任がふわふわと漂いながら誰にも届かずに消えていく現実を、ユーモラスで脱力感のある言葉づかいで表現している。
えっちらおっちら 責任は
ウヤムヤケムリのセカイ
みんなで責任を押しつけ合い、たらい回しにしているうちに、気づけば何も残らず、誰も責任を取らないまま、すべてが煙のように消えていく。
一見すると言葉遊びのように聞こえるけれど、その描写は驚くほどリアルだ。だからこそ、このブリッジは、“他人ごとにしてしまいがちな現実”を、ユーモラスに、でも鋭く突いてくる。
まとめ
誰かのせいにすれば、少しだけ楽になれる。でもそのたびに、自分の心が小さくなっていく気がする。
「ケムリの世界」は、そんな弱さや曖昧さをそっと見つめながら、それでも、自分の足で立っていたいと願う心に寄り添ってくれる。
全部自分がやったんだよ。
そう言える日が、きっと一番かっこいい。そんな未来を信じたくなる、3分間のロックンロールだ。この曲と今の自分の気持ちを重ねながら、何度でも向き合ってみてほしい。

【希望に満ちた】×「衝動 ~MONSTER MiX~」
40th Single
Release:2006.01.25
『MONSTER』に収録されたこの楽曲は、同年にリリースされたシングルのリミックスバージョン。
「僕にも 誰かを 愛せると—」稲葉浩志が叫ぶように歌い上げるこのフレーズは、聴く者の心にまっすぐ突き刺さる。誰かを求める本能的な感情と、それを突き動かすエネルギーを、言葉と音で鮮やかに描き出している。
オープニングテーマとして起用されたアニメ『名探偵コナン』を通じて、多くのリスナーの耳にその衝撃が刻まれた。
松本孝弘のアグレッシブなギターが全編を駆け抜け、間奏では咆哮するようなソロが感情のボルテージを一気に引き上げる。その音に乗せて、稲葉のボーカルは“孤独を越えて誰かを愛したい”という切実な願いをシャウトに変える。
聴くたびに、自分の奥底に眠る“誰かを愛したい衝動”を呼び覚ましてくれるロックナンバーだ。
稲葉浩志のシャウトが刺さる—「誰かを愛せる」ことへの願い
眠れない長い夜、青白い光に照らされた静かな部屋。Aメロでは、そんな孤独と静寂の中でふと湧き上がる、破壊的な感情を描いている。
長い夜に目覚めて 青白い部屋の中
不意に大事な何かを 傷つけたくなる(暗闇のfreedom)
理性の届かない場所で揺れる感情を象徴するように添えられた「暗闇のfreedom」という言葉が、夜にこそ目を覚ます“危うくもリアルな自由”を暗示している。
Bメロでは、声には出せない「気づいてほしい」という静かな祈りを描いている。
扉の前で 立ちつくす
ちっぽけな 背中に気づいてほしい
「ちっぽけな 背中」という表現に滲むのは、不器用な孤独と、誰かの優しさに触れたいという切実な願い。激しい衝動の裏側にある、そんなか細く揺れる心の影が、この楽曲に深い余韻を与えている。
サビには、「衝動」という言葉に新しい意味が宿っている。
僕にも 誰かを 愛せると
その手を 重ねて 知らせて
あなたのぬくもりがくれる衝動
Aメロ・Bメロで描かれてきた“壊したくなるほどの孤独”が、ここで初めて救いの光に触れる。
「僕にも 誰かを 愛せると」—それは、ずっと胸の中にしまい込んでいた自己否定を、ほんの少しだけ越えてみようとする言葉。
自分にも誰かを愛する資格があるのかもしれない。そんな願いを、そっと重ねられた“あなたの手”が肯定してくれる。
そして迎える「衝動」のシャウト。稲葉浩志が感情を振り絞るように全力で叫ぶこの一言は、聴く者の胸を激しく揺さぶる叫びだ。
破壊ではなく、人のぬくもりに触れたことで生まれる、やさしくも力強い“前へ進もうとするエネルギー”。
痛みや迷いを抱えたままでも、誰かを愛したい。愛されたい。そんな心の奥の本音が、音とともに爆発するように解き放たれている。
ブリッジでは、力強く語りかけるようにこの言葉が放たれ、聴く者の時間が一瞬、止まる。
誰もが 無限の可能性を
抱きしめて 生まれてきたんでしょう? ねえ。
「ねえ。」という呼びかけには、強さよりもやさしさがある。「信じていいんだよ」と言われているような、無防備な心にそっと触れる声だ。
ここで歌われているのは、生まれたときに誰もが持っていたはずの“可能性”への原点回帰。心がすり減って、自分なんて…と思ってしまう夜にも、確かにあったはずの“生きる力”を思い出させてくれる。
呼びかけるような確かな声で放たれるこの一節は、激しさの中にあって、最も優しく真実味のあるメッセージとして胸に残る。
まとめ
破壊したくなるほどの夜も、誰かの手に触れたとき、進むための衝動に変わる。
「衝動 ~MONSTER MiX~」は、そんな人間の揺れ動く感情を、B’zらしい熱と繊細さで描ききった一曲だ。
ただ激しいだけじゃない。その激しさの奥には、「誰かを愛したい」「前に進みたい」という、まっすぐな願いが燃えている。
心を動かすのは、いつだって理屈じゃなく、衝動だ。

【思いにふける】×「無言のPromise」
誰かに伝えたい気持ちがあるのに、それを言葉にできないときがある。忙しさに追われたり、どこか気恥ずかしかったりして、「また今度でいいか」と伝えるタイミングを逃してしまう。
けれど心の奥底では、いつかちゃんと向き合いたいと願っている。そんな誰しもが抱える“心の奥の約束”を、B’zはそっとこの曲に託したのだろう。
ピアノとアコースティックギターが織りなすシンプルなアレンジに、稲葉浩志の柔らかな歌声が寄り添い、“言葉にしない愛”を丁寧に描いていく。
静かに、でも確かに心に届くこの一曲が、あなたの“伝えそびれた想い”にそっと寄り添ってくれるかもしれない。
あなたが言えなかった言葉に、そっと音を添える
A〜Bメロは、主人公の心の奥にある原風景を丁寧に描き出している。
やさしいママの 手をひいて
公園を歩く 小さなTシャツ
淡い木漏れ日 朝のは鳴く
これらはすべて、語らずとも伝わっていたぬくもりの象徴なのだろう。
このパートに明確なストーリー展開はない。しかし、それがかえって効果的に働いている。風景の断片だけで構成されているからこそ、聴く者それぞれが自身の記憶や経験を重ねやすい。
音数も少なく、アレンジも控えめなこの序盤は、静かに、しかし確かに“伝えたいけれど伝えられなかった想い”の輪郭を浮かび上がらせていく。
サビでは、過去の思い出を振り返りながらも、伝えられなかった想いに胸をつまらせる主人公の姿が描かれている。
遠き日々想い 胸はつまるけど
何も変わらない
いつになってもいい 言葉を届けよう
それは無言の promise
愛すべき人は 今でも待っている
過ぎてしまった時間を思い出すとき、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。あのとき言えなかった言葉、伝えそびれた想い。
それでも「何も変わらない」と歌う声には、ずっと変わらず心に在り続けた気持ちが滲んでいる。
「いつになってもいい 言葉を届けよう」─その一節に込められているのは、今からでも想いを届けたいという、静かな祈りのような決意。
「無言のPromise」とは、言葉にしなくても伝わっていると信じたい気持ちと、言葉にしなければ届かないかもしれないという不安。そのあいだで揺れる想いを、そっと胸に抱きしめるような、静かで深い愛のかたちなのだろう。
そして「愛すべき人は 今でも待っている」という一節が、その約束がまだ間に合うこと、想いはきっと届くことをそっと教えてくれる。
ブリッジパートは、無言」というテーマを音楽的・言語的に最も象徴的に表したパートであり、言葉を超えて想いが届く可能性を、静かに、しかし深く提示している。
Ang ulap ay laging nagiba ng itsura
(雲はゆるやかに形を変え)
May masarap na hangin na dumadaan
(やさしい風は草原をなでながら過ぎてゆき)
At ang lagi kong maalala ay ikaw
(私はあなたのことを思い出す)
楽曲の中盤、突如として挿入されるタガログ語のナレーション。
このブリッジが持つ最大の魅力は、“説明しすぎない感情”にある。母国語ではない言葉で語られることにより、意味よりも響きと空気感が先に届き、聴き手に想像の余白を残す。
ラスサビでは、これまでの静かなアレンジに変化が訪れる。エレキギターが加わり、音の厚みと共に楽曲全体の感情のボルテージが一気に高まる。それはまるで、ずっと胸の内に秘めていた想いが、ついにこらえきれず言葉になったような瞬間だ。
歌詞が幕を閉じたあと、曲を締めくくるように始まるのが、エレキギターによるアウトロソロ。これまで言葉にできなかった想いを一気に吐き出すような、情熱と哀しみが交差する旋律で構成されている。
このギターソロは、まさに“無言のPromise”─言葉ではなく音で想いを伝えるという、この曲のテーマを象徴する場面だろう。
まとめ
人はみな、伝えたいのに伝えられなかった言葉をひとつやふたつ、胸の奥にしまっている。「無言のPromise」は、その言葉に“今からでも遅くない”と語りかけてくれる楽曲だ。
過去を思い出しながらも、未来に向けて歩き出す力をくれる。そんなバラードに出会えたこと自体が、ひとつの希望かもしれない。
派手な演出や強い言葉に頼ることなく、記憶や感情の奥深くに触れてくるこの一曲。ふと立ち止まりたくなったとき、自分のなかに残っている「届けそびれた気持ち」と向き合いたいとき、そっと耳を傾けてみてほしい。

【怒り】×「MONSTER」
タイトルナンバー「MONSTER」は、ただのハードロックではない。うねるギターリフ、重厚なストリングス、そして稲葉浩志の鋭いシャウト。そのすべてが、心の奥底に棲みつく“怪物”を暴き出すような衝撃を放っている。
一聴して感じるのは圧倒的なエネルギー。しかしその熱量の奥には、誰しもが抱える弱さや矛盾と向き合うためのメッセージが宿っている。
この記事では、そんな「MONSTER」で描かれる世界観を掘り下げながら、B’zという“怪物”がこの楽曲で何を伝えようとしたのかを紐解いていく。
あなたの中にもきっといる“MONSTER”。その存在とどう向き合うかを、音楽を通して問いかける一曲だ。
「MONSTER」とはどんな存在か? 心に棲みつく“怪物”を描いた異色のロックナンバー
A〜Bメロで表現されるのは、「優越感」という形を借りて、心の奥に芽生える“怪物”の胎動だ。
オイラの武器(ウェポン)の方が アイツのよりゃでかい
ってチンケな勝利にしか 快感見い出せないME
生まれたての野生のeyes その光は綺麗
世間を知るほどに心に芽ぶくEGO
誰の思うツボ?
自己肯定感の拠り所を「相手より上かどうか」に置いてしまう危うさ。
ここで歌われる「武器」とは、能力・ステータス・容姿・肩書きなどだろう。わずかに他人より優れているというだけの「武器」がなにになるのか。そういうものにすがる時点で、勝利の本質を欠いているのだろう。
周囲の価値観に翻弄され、他人の目を気にして行動するうちに、やがて本心すら見失ってしまってしまう。 そうやって育ってしまった“MONSTER”こそが、この曲の核にある存在だ。
サビでは、欲望に振り回される苦しみから、自己受容への一歩を踏み出す心の転換点が描かれている。
燃える欲望 どうにもこうにもならない
心に宿る 変幻自在のMONSTER
握ったこぶしを 降りまわせど空を切る
黙って 目を閉じ 見つめりゃいい
ハルカナル自由
ハルカナル勝利
怒り、嫉妬、羨望、虚栄心、承認欲求、焦燥や苛立ち。それらはまさに「変幻自在のMONSTER」だ。日々その姿を変えながら、自分の内側で暴れ出し、ときに自分でも制御できなくなる。
「握ったこぶしを 降りまわせど空を切る」という一節は、欲望と必死に戦えば戦うほど、むなしさだけが残るという不毛さを描いているのだろう。
つまり「MONSTER」とは倒すものではなく、受け入れることで共に生きていく存在だ。
「ハルカナル」という言葉には、今すぐには届かないけれど、たしかにそこにある希望が宿っている。欲望に振り回されるのでも、否定して押し込めるのでもなく、それらを見つめ、受け入れ、付き合っていく覚悟。
その先にしか、本当の意味での“自由”も“勝利”もないのだと、このサビは静かに語りかけてくる。
まとめ
自分の中に潜む“欲望”や“葛藤”という名の怪物と、どう向き合い、どう共に生きていくかを問いかける一曲だ。
力強いシャウトと重厚なサウンドの中に込められたのは、感情を否定せず、受け入れることでしかたどり着けない「遥かなる自由」への道筋。
戦うだけでは届かない、自分自身との和解という静かな勝利が、そこには確かにある。
きっと誰の心にも、名もなきMONSTERは棲んでいる。この曲は、そんな心の深い場所にそっと手を差し伸べてくれるはずだ。もし、今のあなたが自分の中の声に耳を傾けたくなったのなら、ぜひこの一曲を聴いてほしい。

【心配する】×「ネテモサメテモ」
ビョーキになる、ハゲちゃう、食べものが危ない。そんな言葉が毎日のように耳に入ってきて、いつのまにか「気をつけなきゃ」と思うのが普通になっている。
本当はそこまで気にしていなかったことまで“必要なこと”として刷り込まれていく。
この「ネテモサメテモ」は、そんな現代の空気をまるごとパッケージしたような一曲だ。イントロのブルースハープと、稲葉浩志の「ネテモサメテモォッ!!」というシャウトで幕を開ける。
粘り気のあるギターリフ、不安定な感情を乗せたボーカル、そして突き刺さるような言葉たち。笑ってしまうくらいユニークで、でもどこかリアル。
この曲には、B’zの遊び心とともに、息苦しい毎日を少しだけ軽くしてくれる、そんなブルースロックの力が込められている。
情報も感情もあふれる毎日に。B’zがブルースで描いた、リアルで不器用な日常
A〜Bメロに描かれているのは、不安を植え付けられ、そのたびに何かを買わされる現代のしくみだ。
ビョーキになるとか ハゲちゃうとか
食いもんがヤバイとか ドロボーとか
くる日もあくる日も 脅されつづけて
無理矢理 危ない暮らしを強いられる
弱気になったとこに はっきり言われるゼ
「いやだったらコレを買いなさい」
ここでの“脅される”という表現は、ただの冗談ではない。あらゆるメディアや社会の雰囲気が、私たちの生活に常に“足りなさ”や“危機感”を植え付けてくる。
それは心にじわじわと響く“見えない圧力”だ。この曲は、そんな社会をただ風刺しているのではなく、不安を抱えながら生きるすべての人に向けて、「それって、ちょっと変じゃない?」とやさしく問いかけているようにも感じられる。
ユーモラスで痛快なリズムの奥にある、そんなメッセージがこの曲の深みを作っている。
サビで描かれているのは、考えることをやめられない、疲れた現代人の姿だ。
ねてもさめても 悩める脳ミソ われら 忙しきヒトの群れ
だれかのものばっか 欲しくなるよな そんな寂しげな回路なんて
とりはずせたら 晴れ晴れ 笑える days
仕事のこと、人間関係のこと、お金、将来―現代を生きる私たちは、常に何かに追われている。さらには本当に必要なわけじゃないのに、SNSや広告で見かけた、誰かの持っているものが無性に欲しくなる。
誰かの持ち物がよく見えて、自分には何かが足りないような気がしてしまう。そんな思考のクセを「寂しげな回路」と表現しているのも絶妙だ。
誰かと比べずに、ただ自分のままで笑える日が来たら、サビのラストには、そんなちいさな希望が、やさしく置かれている。
ブリッジパートで、ふと語られるのは、欲望や不安に振り回される日々、すれ違う気持ち、終わらない思考のループ、その全部をひっくるめて受け入れられたらいいのにという、胸の奥にある本音だ。
いいこと悪いこと この腕を広げて 抱きよせられたなら そりゃいい
「いいこと」だけじゃなく、「悪いこと」も。葛藤も、矛盾も、誰かとの衝突も―それを自分の腕でぎゅっと抱きしめられたら。
そこにあるのは、完璧を求めるでもなく、答えを出すでもなく、ただ「そうなれたら、きっとラクだよなあ」という、ため息まじりのやさしい願望なのだろう。
まとめ
完璧じゃなくていい。比べなくていい。そんな風に、少し肩の力を抜いて笑える日が、きっといずれやってくる。そう思わせてくれる、B’zならではのブルースロックだ。
不安も欲望も、誰だって、なんだかんだと抱えながら生きている。「ネテモサメテモ」は、そんな自分をちょっとだけ笑って許せる一曲だ。

【感動する】×「Happy Birthday」
「Happy Birthday」は、タイトルから想像されるような定番のバースデーソングとは少し違う。
「おめでとう」という言葉の奥にある、もっと深い気持ち。それを音にしてくれたのが、この「Happy Birthday」なのかもしれない。
「出会えてよかった」と心から思えた誰かを、そっと想いながら聴きたくなる。そんな優しさにあふれているポップバラードだ。
誰かを想って聴くたびに、優しくなれる—B’z「Happy Birthday」という名の贈りもの
Aメロが描くのは、静かだけど確かな「よろこびのはじまり」だ。
空模様なんて 気にもならない
なにしろ 今日は最高の日さ
天気の良し悪しすら気にせずに過ごせるほど、心が晴れやかで満ち足りている感情が表現されている。
「今日は最高の日さ」というフレーズは、恋人にも、友人にも、家族にも向けられるメッセージだ。そんな“祝う側の感情”に寄り添った温かさが含まれている。
Bメロでは、バースデーケーキのろうそくを吹き消すという何気ない場面を通して、「新しい日がはじまる」という前向きなメッセージが描かれている。
願いをこめて その火を吹き消してごらんよ
新しい日がまたはじまる
用意はいいかい
「用意はいいかい」という問いかけは、急かすのではなく、そっと背中を押すような優しさを感じさせてくれる。
ただ祝うだけでなく、人生の節目に静かに寄り添うような包容力が、このBメロには流れている。
サビは、楽曲全体の中でも最もストレートに“祝福の気持ち”を伝えるパートだ。
Happy birthday happy birthday
Happy birthday オメデトウ
Happy birthday to you(今日はサイコー)
繰り返される「Happy birthday」という言葉が、シンプルだからこそまっすぐに届く喜びのエネルギーを放っている。
最後の「今日はサイコー」というひとことが、この曲全体の温度を決定づけている。
難しい言葉は必要ない。ただ、今日が最高の日なんだと笑顔で伝える。そんな飾らない率直さが、心にまっすぐ届くメッセージとなって、聴く人の気持ちを温めてくれる。
感情を飾らずにまっすぐ伝えるこのサビこそが、「Happy Birthday」という曲の中心にある想いを象徴している。
まとめ
誰かを想って、そっとこの曲を流したくなる夜がある。にぎやかな誕生日じゃなくてもいい。ただ「生まれてきてくれてありがとう」と伝えたくなる日が、きっとある。
「Happy Birthday」は、そんな静かな愛しさにそっと寄り添ってくれる一曲だ。
音の隙間に込められた優しさが、きっと今のあなたに届くはずだ。

【精力的】×「ピエロ」
イントロで鳴り響くギターのフレーズは、まるで物語の幕開けを告げるかのように鮮烈で、聴く者の心を一気に物語の中へと引き込んでいく。
「ピエロ」は、疾走感あふれるロックンロールに哀愁が滲むサウンドが重なり合い、最初の一音から最後のギターソロまで、強烈な印象を刻みつける一曲だ。
タイトルの「ピエロ」が意味するのは、ただ滑稽で笑われる存在ではない。たとえ誰かにどう見られようとも、自分の衝動と感情を偽らずに生き抜こうとする、危うくも真っ直ぐな逃亡者の姿である。
歌詞では、愛する人との“逃避行”が描かれている。サビで繰り返される “getaway” は「逃亡」や「脱出」を意味し、追い詰められた末の衝動と決意であることを映し出している。
その深い歌詞世界とエモーショナルなサウンドは、多くのファンの心を掴み、ベストアルバム『ULTRA Treasure』でも上位に選ばれるなど、根強い人気を誇っている。
フェードアウトで終わる構成の中、最後まで鳴りやまないギターソロは、ピエロの心の叫びを代弁するように熱を帯びていく。実際のレコーディングでは、フェードアウト後もジャム・セッションが何分にもわたって続いていたというエピソードもまた、この曲の自由奔放な魂を物語っている。
心の闇と光が交差する、切なく美しい逃避行
A〜Bメロでは、夜明け前、愛する人と一緒にどこか遠くへ逃げようとする中で「もっと近づきたい」というささやかな想いと、すぐ背後に迫る怒りの気配が静かに交差する、息をひそめた逃避の始まりが描かれている。
桃色に 染まりゆく 東雲を追いかけて
疾走するポンコツカー あなたを乗せて
風に舞い 香る髪 もうちょい体寄せ合いたい
あいつは血眼 憎しみ燃やす
〈桃色に 染まりゆく 東雲を追いかけて〉という一節から始まるこの曲は、夜明け前の淡く切ない空気感から物語が始まる。
「東雲(しののめ)」という古語のやわらかな響きが、逃げ出すふたりの情景に、ほのかな静けさと美しさを添えている。
不器用ながらも全力で愛する人を連れ出そうとする主人公の姿。そんな穏やかな情景の中に潜む危うさが、この曲の緊張感とドラマ性を際立たせている。
サビでは、胸の内に溜め込んできた想いが一気にあふれ出していく。
Getaway getaway 地の果てまで
怖いもの全部 吹き飛ばせ
何もかも 新しい瞬間
後ろは振り返らないで
過去のしがらみや、追ってくる影はまだ遠くにある。けれどもう、振り返ることはない。「Getaway」という言葉は、選び取られた逃走であり、痛みの先にある自由への静かな宣言でもある。
それは、すべてを懸けて愛を守ろうとする者の、静かな叫びなのかもしれない。理屈ではなく、ただ感情だけが背中を押す。
逃げるという行為の中の、美しさと強さが確かに宿っているシーンだ。
ブリッジパートでは、「ピエロ」という楽曲全体を包む緊張感と逃避の連続の中での、つかの間の達成感と解放感が凝縮されたような印象的な場面が描かれている。
今この手に入れたんだよ
見たこともない自由 Yeah
ここで語られる「自由」は、誰かにもらったものではなく、自分の衝動と選択で手に入れた、生々しくて不安定なもの。それでも主人公は、たった今この手でつかんだその感覚を、迷いなく肯定している。
最後に放たれる、稲葉浩志の「Yeah」というシャウトには、言葉では語りきれない感情の高ぶりと解放感が込められている。
その叫びに呼応するように、松本孝弘のギターソロが一気に火を吹き、楽曲のテンションは最高潮へと駆け上がっていく。
まるで、心のブレーキがすべて外れたかのように、自由と衝動の爆発が、そのまま音となってリスナーの胸に突き刺さる。
ラスサビは、「ピエロ」という楽曲の物語に決着をつけるような、自覚と決意に満ちたパートだ。
Getaway getaway オレはピエロ
ひたむきで滑稽な 逃亡者
涙は流さないでおくれ
悲しいけど美しいのが life
暗い未来は もう描かない
夢のスピードは もうゆるめない
ラスサビでは、ついに主人公が自らを「ピエロ」と名乗る。その在り方は、常識や正しさとは無縁かもしれないが、自分の感情に正直であろうとする強さに満ちている。
その姿には、悲しみさえも肯定しながら生き抜こうとする覚悟がにじむ。
「涙は流さないでおくれ」という言葉には、自らの結末を悟りながらも、それを美しいものとして受け止めてほしいという切なる願いが込められている。
「悲しいけど美しいのが life」―この一行は、痛みを抱きしめるような静かな肯定だ。
そして最後に歌われる「夢のスピードはもうゆるめない」は、もう戻らないという覚悟であり、たとえ道を外れても、自分の心を裏切らずに生きることの誇りを感じさせる。
“ピエロ”とは、他人には理解されなくても、自分だけの真実を生き抜こうとする人間の、もうひとつの名前なのかもしれない。
まとめ
「ピエロ」は、ただの逃避の歌ではない。
他人には笑われても、自分の想いを信じて走り続ける。そんな不器用な生き方に、静かにエールを送るロックナンバーだ。
この曲が描くのは、完璧じゃなくても必死に生きる姿の美しさだ。だからこそ、ふと立ち止まりたくなったとき、自分を信じきれなくなったときに、この音に触れてほしい。
たとえ誰にも理解されなくても、それでも自分の気持ちにだけは嘘をつきたくない。そんなあなたに、この曲はきっと寄り添ってくれるはずだ。

【当惑する】×「雨だれぶるーず」
まるで空から降ってくる見えない雨だれのように、音は静かに、しかし確実に感情の奥へと染み込んでいく。
オープニングでは、シンセが小気味よく刻むリズムに、稲葉浩志の鋭く立ち上がるボーカルが重なることで楽曲の世界が動き出していく。その切れ味のあるイントロ・フックは、リスナーの耳を一瞬にしてさらっていく。
「雨だれぶるーず」は、B’zの楽曲の中でも特に構成が複雑で、感情のうねりをそのまま音に落とし込んだような一曲だ。
アレンジの変化、間奏の深さ、そして稲葉浩志の圧倒的なボーカル表現。それらが渾然一体となって生み出される世界観は、どこか生々しく、そしてどこか美しい。
不安や疑念、そして知りたくない真実に触れそうになる心の揺れ。疑いながらも目をそらしたいという矛盾した感情が、自由なメロディ展開と共に鮮やかに表現されていくブルースロックだ。
鋭い歌声が切り裂く、疑念と未練のブルース
自由な展開を見せるこの楽曲には、明確なAメロ・Bメロ・サビの区切りはない。しかしあえて従来の形式に当てはめ、それぞれのパートを考察してみたい。
イントロ・フックでは、この曲全体に漂う“晴れきらない心”の空模様が象徴的に描かれている。
雨だれの音 じわりじわり響いて
獣のように うごめく想い
土曜日の午後の空見上げりゃ
Oh, baby 怪しげなグレイにかすむ yeah
内面に広がるざわめきを“雨だれ”に重ねたようなイメージ描写からは、理性では抑えきれない、不安や嫉妬の本能的な兆しがにじみ出ている。
静かな緊張と感情のうごめきが、じわじわと積み重なっていく。まさに、「雨だれぶるーず」の世界観を冒頭から鮮やかに印象づける導入部だ。
Aメロでは、日常の何気ない光景を通して、主人公の心の揺れが静かに描かれていく。
すずしげなまなざしで
僕の入れた珈琲すする
カップにそえた指先は
まちがいなく白く綺麗
タベ誰とどこまで行って どんな楽しいことしてたの?ねぇ
ああ知りたい いや 知りたくない
美しく整った指先、穏やかな表情、ゆったりとした時間のはずなのに、心の奥では不安がじわじわと膨らんでいく。
「誰と、どこで、何をしていたのか」と問い詰めたい衝動と、真実を知ることを恐れる自己防衛の感情がぶつかり合う。そのせめぎ合いこそ、感情が理性を追い越す瞬間の、切実な心の揺らぎだ。
Bメロでは、それまで抑えていた感情が一気に動き出し、疑念が理性を突き破って暴走していく瞬間が描かれている。
あるのかないのか まだはっきりしない
確たる証拠を求めて
始まります 疑惑の大暴走 yeah
心の奥に押し込めていた不安がついに輪郭を持ち始める。はっきりとは見えない、けれど確かに感じてしまう違和感。それを確かめたいという衝動に駆られていく。
言葉にならない不安が、じわじわと理性を押しのけ、疑念だけが先走っていく。感情が静かに暴れ出す、そんな危うい瞬間が切り取られている。
サビは、疑念の先にある混乱・空虚・迷走といった感情が率直に表現されたパートだ。その投げやりな口調と宙を掴むような問いかけに、感情の混乱がにじみ出ている。
何がおきているのか
てんでわかっちゃいねえ
さがしてるものは
どこにあるの
探っても探っても核心には届かず、ただ混乱と空虚だけが広がっていく。何を信じていいのか、どこまでが妄想でどこからが現実なのか、その境界すら見えなくなっている。
言葉にすればするほど、自分が何を知りたいのかさえ曖昧になっていく。そんな焦りと虚しさが、短い問いかけの中に滲んでいる。
メロディは決して激しくはないが、その淡々としたトーンがかえって“どうにもならない感情”を際立たせている。
まとめ
抑えきれない不安、言葉にならない苛立ち、そしてそれでも相手を責めきれない矛盾した心。「雨だれぶるーず」は、そんな誰もが抱える感情を、飾らない言葉とメロディで丁寧にすくい上げたブルースロックだ。
型にとらわれない構成と、感情そのものを映し出すような歌と演奏。B’zの音楽が持つ表現の幅と深みを、この一曲から実感できる。
アルバム『MONSTER』には、他にもロック、バラード、レゲエなど多彩な楽曲が詰め込まれているが、だからこそ、この「雨だれぶるーず」の静かな叫びが際立つ。全体を通して聴くことで、B’zが描こうとした“モンスター”の正体に、より深く触れられるはずだ。

【希望に満ちた】×「明日また陽が昇るなら」
誰かの涙に、そっと寄り添ってくれる音楽がある。
「明日また陽が昇るなら」は、別れや迷いに沈む心に、静かに手を差し伸べてくれる一曲だ。生きていくなかで、いつの間にか揺らいでしまう“つながり”や“希望”を、音と言葉で確かに思い出させてくれる。
この曲が届けてくれるのは、「ひとりじゃない」と感じさせてくれる静かな力だ。
別れと希望をつなぐ“再会の約束”
Aメロでは、夜の静けさの中でふと心に芽生える小さな希望を描いている。
明日また陽が昇るなら
新しい自分になってみよう
そんなこと思い 見上げる
夜空はなんだか まぶしい
確かな未来は見えなくても、それでもやって来る明日に、少しだけでも前を向こうとする決意。
内に沈んだ感情がほんのわずかに外の世界へと向く瞬間。星の光に希望を重ねているのか、それとも誰かとの記憶が胸を照らしているのか。夜空が「まぶしい」と感じられるその心には、変わりたいという思いと、それを支える“何か”が確かに存在している。
Bメロでは、その出会いが心に変化をもたらした瞬間を、ありのままの言葉で綴っている。
今日 君に会えてよかったと思う
もっと優しく なりたくなった
決して劇的な出来事ではない。ただ「会えた」という、それだけのことが、自分を変えたいという気持ちへとつながっていく。
サビでは、離れた相手との再会を信じる気持ちがまっすぐに歌われている。
いつの日にかこの場所で 僕らもう一度 会うんだよ
哀しさや虚しさに 包まれて 生きぬいて
どんな夢でも 追いかけて 素敵な願いを 叶えよう
時間の波の中で 揉まれても 忘れない
胸に刻んだ愛
別れの先にある“再会の約束”。ここで語られる「会う」という未来は、確定したものではなく、あくまで“信じることでつながれる希望”として存在している。
だからこそ、その約束は単なる慰めではなく、生きる力となって響くのだろう。
このパートで楽曲は、それまでのマイナーキーからメジャーキーへと転調する。内にこもっていた感情が、まるで朝の光に包まれるように開け、歌の世界に明るさと希望が差し込む瞬間を感じさせる。音の変化が、そのまま心の変化として聴き手に伝わってくる。
人生には、悲しみやむなしさに覆われるような日々がある。そうした中でも、夢を追い続け、願いを信じて生き抜こうとする姿が、メロディとともに浮かび上がってくる。
ここで歌われる“愛”は、恋愛に限らず、友情や家族、そして人生の中で出会ったすべての大切なつながりを指しているのだろう。
時間の流れに翻弄されても、心に刻まれた大切な記憶や愛が消えることはない。
ブリッジでは、それまで前向きなメッセージを力強く描いてきた楽曲が、一瞬だけ立ち止まる。
なにもかもが いやになったってかまわない
ただ嘆く それだけでもいい
人生には、どうしようもなく投げ出したくなる日がある。何もかもが嫌になる瞬間は、誰にでも訪れる。
この部分にあるのは、強さではなく、弱さを受け入れることの強さ。立ち直る前に、一度ちゃんと沈むこと。涙の奥にある本当の気持ちを否定せずに抱きしめること。
その“余白”があるからこそ、サビで描かれる希望や再会の約束がより現実味を帯び、説得力を持つ。感情を押し殺さずに、そのままの自分でいていい。そう伝えてくれるこのブリッジは、楽曲の中でも特に静かで深い優しさを感じさせてくれる。
まとめ
人生の中で誰かと別れた日、ひとりで涙をこらえた夜、言葉にできない想いを抱えた朝。そんな瞬間に、この曲はきっと力になってくれる。
「明日また陽が昇るなら」─それは、今日をなんとか生きた私たちへの、ごくささやかな贈りものなのかもしれない。
自分のために、そして大切な誰かのために。この歌が、必要としている誰かのもとへ、届きますように。

【思いにふける】×「OCEAN ~2006 MiX~」
39th Single
Release:2005.08.10
果てしない想いを抱いて、僕らは波を越えてゆく。
「OCEAN ~2006 MiX~」は、ただのバラードではない。心の奥深くまで染み渡るようなメロディと、海のように揺れ動く感情を映し出した歌詞。そこに、重厚なギターとドラム、そしてオーケストラの壮大さが重なり合い、聴く者の胸を激しく揺さぶる。
音の波が感情をすくい上げるような、繊細かつ雄大なパワーバラードがここにある。
ドラマ『海猿』の主題歌としてリリースされたシングル「OCEAN」。『MONSTER』に収録された「~2006 MiX~」では、ギターとドラムを中心にサウンドの厚みが増し、よりダイナミックで情熱的なアレンジへと生まれ変わった。
深く揺さぶる歌詞と、力強く包み込むサウンドが交差するこの一曲は、アルバムの締めくくりにふさわしい“感情のクライマックス”となっている。
壮大で優しい、心の航海へ
― B’z『OCEAN ~2006 MiX~』が描く、ラストにふさわしい感情のクライマックス ―
Aメロが映し出すのは、日常と感情の境界がにじむようなひとときだ。
ふりそそぐ陽を浴びて 汚れなく君は笑い
何もかも知りたくて 僕はただ走り出す
ピアノと控えめなオーケストラだけが響く、静かで澄んだサウンド。バンドサウンドがないぶん『君』の笑顔やその場の明るさが、いっそう鮮明に浮かび上がってくる。
飾り気のないその笑顔を見て、ただ“もっと知りたい”という衝動が湧いてくる。
特別な出来事じゃない。感情を声高に語るのではなく、ほんの些細な瞬間に芽生える、確かな胸のざわめきが、このAメロには息づいている。
Bメロでは、迷いや不安を抱えながらも、波を越えて進もうとする、踏み出す前の静かな覚悟が描かれている。
ゆっくり沖を進んでゆく 白く光る船のように
どんな風ものみこんで ひとつずつ波を 越えたいよ
ここで加わるのが、アコースティックギターの柔らかなサウンド。ピアノとストリングスの静けさの中に、ほんの少し温もりが差し込むように鳴り始める。
歌詞に登場する、ゆっくりと沖へ進む白く光る船。その航路は未来への希望を感じさせる一方で、簡単には進めない道のりであることも静かに伝えている。
そして「越えたいよ」という言葉に呼応するように、サウンドは徐々にバンドアンサンブルへと移り変わり、感情の高まりとともに音の景色も大きく広がっていく。
そして、静かに高まってきた感情とサウンドが、サビで一気に放たれる。
果てない想いを 君に捧げよう
握りしめた この手は はなさない 嵐の中でも
新しい旅へと ともに出ていこう
胸ふるわす 僕らが見てるのは どこまでも広がるOCEAN
その音の広がりは、まるで視界いっぱいに「OCEAN」が押し寄せてくるようなスケール感を生み出している。サウンドはピークに達し、感情が“言葉”だけでなく“音”としても溢れ出していく。
困難に向き合いながらも前に進もうとする強い意志。その思いが結実するのが、最後の一行。ここで楽曲は、感情のクライマックスにたどり着く。
「OCEAN」という言葉は、この瞬間にはじめて、未来や希望、そして、ふたりで描くビジョンとして響き出す。同時にサウンドも最も壮大に広がり、ストリングスやギターが波のように重なりながら、感情を力強く後押ししていく。
このサビは、すべてを受け入れて進もうとする、そんな愛と覚悟の宣言だ。その静かで確かな強さは、聴く者の心にも「誰かと共に歩き出す勇気」をそっと灯してくれるだろう。
まとめ
日常の中でふと芽生えた感情が、やがて迷いへと揺れ、すれ違いを経て、前へ進む覚悟へと変わっていく。そんな心の動きを、ピアノの静けさとオーケストラの包容力が丁寧にすくい上げている。
多彩な楽曲が揃うアルバム『MONSTER』の中で、「OCEAN ~2006 MiX~」は感情の終着点としてラストに配置されている。
ドラマティックに重なるギターとストリングスは、まるで波のようにアルバム全体の余韻を優しく包み込む。
アルバムを通して響いてきた感情のすべてを、『OCEAN』がひとつに束ねて、物語として完成させている。
聴き終えたあとに残るのは、静かな決意と、大きな海のような余白。そしてその余白には、まだ知らなかった感情や景色が、静かに流れ込んでくる。
あの日感じた、うまく言えなかった想いに、少しだけ言葉の輪郭を与えてくれるはずだ。

このアルバムを通して感じたこと
B’zの『MONSTER』を通して感じたのは、人の中に棲む“感情のモンスター”を、こんなにもリアルに描けるんだという驚きと共感だった。
怒りや焦り、愛しさや切なさ。激しいロックも、静かなバラードも、すべてが“生きている自分”を映し出してくれる。
『MONSTER』というタイトルの通り、私たち一人ひとりの中にいる“見たくない感情”さえも受け入れてくれるような包容力がある。
聴き終えたとき、不思議と心が軽くなって、「それでも大丈夫」と思える自分がいた。
このアルバムは、感情に揺れるすべての人に寄り添う、自分と向き合うための1枚だと思う。
だからこそ、感情に押し流されそうなときや、自分を見失いそうなときほど、この『MONSTER』を、ぜひ手に取ってみてほしい。
きっとあなたの中に眠っていた、“本当の声”が静かに聴こえてくるはずだ。

※本記事において引用している歌詞は、すべて松本孝弘/稲葉浩志によるB’zのアルバム『MONSTER』に収録された楽曲からの一部抜粋です。著作権は各著作権者に帰属しており、当サイトは正当な引用のもとでこれを掲載しています。著作権に配慮して歌詞全文の掲載は行っておりません。