“生きる”という実感を呼び覚ます、稲葉浩志『enIV』の核心
このライブ映像を観終えたあと、胸の奥に残るのは静かな熱だ。それは興奮ではなく「いまをどう生きたいか」という問いの余韻。
派手な奇跡ではなく、日々の積み重ねで掴む力強さ。2024年、60歳を迎えた稲葉浩志がステージで示したのは、まさにその姿だった。
『Koshi Inaba LIVE 2024 ~enIV~』は、ライブを“観る”時間ではない。生きる力を取り戻す時間だ。迷いも不安も抱えたまま、それでも前へ進む。その背中に、自分の“いま”が重なる。
だからこそ、この映像は観るたびに心を整えてくれる。派手さより、一瞬の息づかいと、ふっとこぼれる稲葉浩志の笑顔。客席へ向けた視線や小さな頷きまでがリアルで、胸の緊張がほどけ「もう少し頑張ってみよう」と自然に背中を押してくれる。
稲葉浩志が歩んできた“いま”の延長線上に、あなたの“いま”がある。映像に触れた瞬間、そのつながりをきっと感じられるはずだ。
つまり、これはただのライブ映像ではない。人生のリズムを取り戻すための一枚。
観るたびに、少しずつ前へ進みたくなる。その感覚を、ぜひあなたの手で確かめてほしい。
Release:2025.08.27
メンバー
ドラム:シェーン・ガラース
ベース:徳永暁人
ギター:Duran
キーボード:サム・ポマンティ
ツアースケジュール:2024年
06/22 (土)/23(日)
Aichi Sky Expo ホールA (愛知県)
06/29 (土)/30 (日)
有明アリーナ (東京都)
07/06 (土)/07 (日)
大阪城ホール (大阪府)
07/13 (土)/14 (日)
マリンメッセ福岡 B館 (福岡県)
07/20 (土)/21 (日)
Kアリーナ横浜 (神奈川県)
-このKアリーナ横浜公演を全曲完全収録
07/27 (土)
グランディ・21 セキスイハイムスーパーアリーナ (宮城県)
08/05 (月)
札幌文化芸術劇場hitaru 劇場 (北海道)
08/07 (水)
函館市民会館 大ホール (北海道)
08/13 (火)/14 (水)
津山文化センター (岡山県)
08/17 (土)/18 (日)
広島県立総合体育館 広島グリーンアリーナ (広島県)

※本記事では、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 ~enⅣ~』について、各楽曲の歌詞の一部を引用しながら、映像(カメラワーク・編集・照明・ステージング等)の表現やメッセージも考察します。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。演出の核心に触れる詳細な記述は避け、体験の質に焦点を当てて紹介しています。
表現される感情
- 『NOW』レビュー|開幕で“買う理由”が確定する
- 『マイミライ』レビュー|骨太の鼓動で“未来”が立ち上がる
- 『BANTAM』レビュー|ベースが鳴らす“等身大の闘い”
- 『Wonderland』レビュー|映像で深まる余韻
- 『念書』レビュー|檻を突き破る体験が観客を飲み込んでいく
- 『GO』レビュー|切なくも力強い鼓動で満たされていく
- 『Golden Road』レビュー|映像で体感する黄金のステージ
- 『ブラックホール』レビュー|ステージに広がる内面の宇宙
- 『Chateau Blanc』レビュー|白い城で体験する官能と解放
- 『我が魂の羅針』レビュー|炎に浮かぶ声
- 『VIVA!』レビュー|〈1秒ごとに尊いライフ〉を体現するライブ映像
- 『あの命この命』レビュー|映像でしか味わえない余白の質感
- 『空夢』レビュー|虚しさの先に灯る“少しずつ”の希望
- 『oh my love』レビュー|包まれる愛が、駆け抜ける熱に変わる
- 『Stray Hearts』レビュー|迷い歩く心が、光に包まれるとき
- 『Sẽno de Revolution』レビュー|「せーの」で始まる革命
- 『CHAIN』レビュー|背中を押すのではなく、肩を組むロックナンバー
- 『羽』レビュー|映像に刻まれる、背中に翼が広がる瞬間
- 『YELLOW』レビュー|黄金色の光に包まれた、解放と優しさの瞬間
- 『Starchaser』レビュー|“星を追う者”の輝き
- 『気分はI am All Yours』レビュー|息と光のあいだに
- 『遠くまで』レビュー|それでも、歩き出す力をくれる
- 『Okay』レビュー|終わりを抱きしめる光、Kアリーナの夜に。
- 『DOCUMENTARY ~Surviving enIV~』レビュー|“一人の人”としての稲葉浩志に出会う
- この映像が伝えてくれた体験と思い
『NOW』レビュー|開幕で“買う理由”が確定する
イントロの数秒をループしたSEが重く響き渡り、マグマのような赤い照明がフロアを染め上げる。そこへバラード的に切なく鳴らされるピアノと、鋭く刻まれるギターのカッティング音が重なり、さらに観客の手拍子が音の層に加わった瞬間、会場の空気が一段上がる。
開幕から待たされるのではなく、こちらが音へ歩み寄っていく感覚だ。
稲葉浩志は、視線を奪う装いとともに颯爽と登場。その歌声の“伸び”が空間を押し広げ、場の緊張を一気に解放する。
誰にも絶対奪わせない
この声が消え去るまで歌う
言葉が決意を説明するのではなく、声そのものが決意として鳴り響く。
“いまを選び続ける”というテーマが、ライブ冒頭の数分で身体に深く刻まれていく。

『マイミライ』レビュー|骨太の鼓動で“未来”が立ち上がる
DURANのギターフレーズに観客の手拍子が重なり、そこへ稲葉浩志のボーカルが絡むAメロは、音と人の呼吸が交差する“生の手触り”に満ちている。
別にきらいじゃないけれど 若干疲れるかも
軽やかなフレーズを笑顔で歌い切る姿は、余裕と遊び心がにじむ。そして直後、照明とサウンドが爆ぜるように広がり、視界は一気に開けていく。
サビでは、力強さと艶っぽさを同時に纏ったパフォーマンスが炸裂する。
泣けるほどハードにきたえて Hey Hey
このフレーズでのパフォーマンスは、力強さと艶っぽさが同居し、ライブならではの熱気となって観客に突き刺さる。
この曲のサウンド面の主役は、シェーン・ガラースのドラムが作る地鳴りの土台。骨太なリズムで体幹を作り、ライブの重心をグッと下へ下げる。
マイミライが美味しかろが不味かろが
この全身で味わいます
ぐらつく世界でふんばる知恵
血が出ても手に入れます
歌詞の核はとても明快だ。未来を他人に委ねず、自分の手で選び取る宣言が軸にあり、成功も失敗もまるごと受け止めて味わう覚悟が貫かれている。
“鍛錬と自身への厳しい選択が生み出すマイミライ”を稲葉浩志は、その歌声と身体で実体化し、観る者に刻み込んでいく。

『BANTAM』レビュー|ベースが鳴らす“等身大の闘い”
『マイミライ』から切れ目なく雪崩れ込み、ライブのギアがもう一段上がっていく。ここで主役に躍り出るのは、徳永暁人のベースだ。骨太な低音が曲全体の重心を支え、確かな存在感を放つ。
演奏は骨太だが、ただ荒々しいわけではない。サム・ポマンティのキーボードがきらりと光を差し込み、DURANのギターがエッジを与えることで、音に奥行きと立体感が生まれる。稲葉浩志の声は常にセンターに据えられ、言葉のひとつひとつが輪郭を持って迫ってくる。
映像ならではの見どころも際立つ。天井カメラに向かってステージに横たわる稲葉浩志の姿は圧巻。さらにフロアには小型のニワトリ“バンタム”のシルエットが投影され、その背で暴れるように動く彼の姿が、歌詞の反骨と自尊を視覚化する。
そして迎える曲の終盤。
まだ錆びてないなら(まだ錆びてないなら)
千回でも繰り返せ 繰り返せ yeah
歌い切ったあとに放たれる最後の“yeah”のシャウトが、会場全体を震わせる。理屈抜きに血が沸き、観る者の体まで前に押し出される感覚だ。
『BANTAM』は、等身大で闘う覚悟を突きつける楽曲。その意志が、映像とパフォーマンスによって立体的に描かれることで、“等身大の闘い”が観る者自身にも同期していく没入感を生み出している。

『Wonderland』レビュー|映像で深まる余韻
楽曲冒頭、稲葉浩志の穏やかなMCが観客をやさしくほぐし、そのまましっとりとした音の流れへと導いていく。
歌詞が描くのは、臆病さや思い上がりへの自己反省、そして“勇気があれば世界をひっくり返せる”という価値観の転換だ。説得力ある歌声とともに言葉の重みが鮮やかに響き、ステージ演出と重なり合いながらリスナーを楽曲世界に没入させる。
DURANのギターソロは、静かな進行の中に鮮やかな彩りを添える。ライブならではのアレンジをまとった美しいトーンが、感情を一気に引き上げ、観る者の胸を揺さぶる。
そしてラスト、稲葉浩志はギターを抱え、弾き語りで楽曲を締めくくる。静謐な余韻が会場全体に広がり、その響きは映像を通して深く心に刻まれる。
そして彼がアコースティックギターで最後に紡ぐフレーズ――
僕がいつか捨てた ガラクタを磨いて
ぴかぴかのそいつを抱いて
君はただ笑ってる フツーに笑ってる
バンドが音を引き、照明も静かに落ち着いた空気の中で、その弾き語りは、観客一人ひとりに語りかけるように響く。派手な装飾を削ぎ落とした歌声とギターの音色が、言葉そのものをより鮮明に浮かび上がらせる。
「ガラクタ」が「ぴかぴか」に変わるように、欠けたものや弱ささえも抱きしめながら日常へ還っていく――そんな普遍的な温かさが、最後の「フツーに笑ってる」という一行で鮮やかに示される。
ライブの熱気を超えて、静かな余韻はいつまでも消えない。繰り返し観るたびに新しい感情を呼び起こすこの瞬間こそ、“Wonderland”の核心と言えるだろう。

『念書』レビュー|檻を突き破る体験が観客を飲み込んでいく
ドラムのタイトな刻みが鳴った瞬間、空気が震え、背筋が伸びる。
『念書』は、聴き慣れたはずのフレーズを、視界と鼓動で塗り替えてくる。映像の中の稲葉浩志は、熱と色を帯び、その声が胸の奥まで一直線に突き刺さる。
スクリーンには、PVを想起させる“檻”の映像。格子が視界を覆い、歌詞の〈恐れ〉と〈停滞〉が現実の壁のように立ち上がる。
会場に響くサウンドは、錆びついた金具が外れ、長く閉ざされていた扉が開く音のようだ。その解放感は眩しい光の洪水となり、観る者を容赦なく包み込む。
特筆すべきはサビの熱。
今から自分がやることを
未来において
絶対後悔いたしません
この宣言は聴き手を力強く巻き込み、場の意志をひとつに束ねる。音源を超える張りと押し出しがあり、語尾の細部にまで確かな意志が刻まれている。
そしてラスト。
どんな結果にも目を背けない
誓ったら ただ 今を生きるのみ…
ポストコーラスで繰り返されるこのフレーズは、稲葉浩志のシャウトと照明、そしてサウンドが一体となって観客を圧倒する。
音源で聴いても十分に強い言葉だが、映像を通すことで“いまの稲葉浩志”の肉体と完全にシンクロし、さらに鮮烈に突き刺さってくる。
気づけばこちらも“念書に署名させられるような感覚に包まれ、ライブ映像でしか体感できない迫力を思い知らされる。その瞬間は、まさに“決意の記録”として心に深く刻まれる。

『GO』レビュー|切なくも力強い鼓動で満たされていく
『GO』は、哀愁を芯に持ったロックバラードだ。DURANのワウがうねるリフが景色の輪郭を描き、その裏で稲葉浩志のテレキャスターがストロークで中域を支えていく。エレキを抱えた稲葉浩志の姿は新鮮で、とにかくよく似合っている。
ステージのライトは色数を絞り、過剰な演出を排しているからこそ、サビのメッセージがまっすぐに観客へ届く。
歌が見つめているのは「不安を消す」ことではない。明日の形は分からず、薄暗い未来のスクリーンがちらつく──それでも、いま抱きしめた確かさで進んでいく。その意志が熱を帯びて胸に伝わってくる。
宿る切なさは、ライブではむしろ燃料になる。その反転の瞬間が、このテイク最大の快感だ。哀愁のメロディにハードロックの骨格が噛み合い、切なさと力強さが同時に胸を満たしていく。
明日という日がどうなろうと かまわないほどに
強く確かに抱いて 抱いて
かすかなぬくもりひとつ残さず
その胸の奥で燃やし尽くしたらゆけ ゆけ…
不安を抱えたまま、それでも歩幅は広がっていく─サビで歌われるメッセージが与えてくれる勇気を、全身で確かに受け取れるはずだ。

『Golden Road』レビュー|映像で体感する黄金のステージ
金色のライトに照らされたステージ。その光を浴びてに浮かび上がる観客のシルエットは、まるで“輝く道”そのもの。映像で観ても、その幻想的な美しさに心を奪われる。
この曲で際立つのは、歌詞と演出のシンクロ。稲葉浩志がセンターステージからランウェイへと歩み出す姿は、「信じた道なら行けばいい」というメッセージをそのまま視覚化したよう。観客へ近づく動作自体が希望の共有になり、ステージと客席の距離を一気に縮めていく。
サウンド面では、デュランのギターが、骨太なバンドアンサンブルの中に“揺らぎ”を加え、楽曲を2024年の現在形へとアップデートしている。2014年に生まれた曲とは思えないほど、瑞々しさと力強さが同居する。その鮮度を感じられるのは、やはりライブだからこそだ。
信じた道なら行けばいい
涙がぼろぼろこぼれても
たとえその途中でぶっ倒れても
そこで命が燃え尽きても
信じた道だけ行くために
僕らは生まれて来たんだろう
輝く瞬間を知るために
暗闇を駆けぬけてゆくんだよ
サビで歌われるこのメッセージは、映像で観るとさらに胸を打つ。金色の光に包まれて歌い切る姿は、自分自身の歩むべき道を重ね合わせたくなるほどリアルだ。
『Golden Road』は、迷いながらも自分の道を信じて進む勇気を与えてくれる曲。映像で映し出される光景は、音源だけでは届かない“歩む姿”の感動を鮮やかに映し出している。

『ブラックホール』レビュー|ステージに広がる内面の宇宙
『ブラックホール』は、映像で体感してこそ、その真の姿が鮮明に浮かび上がる楽曲だ。
音源を超えて、バンドの生演奏と稲葉浩志の全身からあふれる表現が共鳴し、観客を深い闇へと引きずり込む。光も音も抗えず吸い込まれる“ブラックホール”そのもののパフォーマンスだ。
曲の前には稲葉がほっこりとしたMCを披露し、人柄がにじむ温かさで観客の心を緩ませる。演奏が始まるとサムのオルガン風キーボードが讃美歌のように空間を満たし、稲葉浩志の独唱へとつながっていく。
暗闇を見つめ、自身の内面と対峙するように歌う姿は、歌詞のテーマをそのまま体現しているかのようであり、寄りのカメラがその緊張感を逃さず捉えている。
独唱が終わると同時に、バンド全体の音が一気に解き放たれる。漆黒のステージに白い光が走り、観客は宇宙空間へと引きずり込まれていく。
アウトロのジャムセッションに入ると、バンド全体の音が荒々しく膨張し、稲葉浩志のシャウトと照明の明滅が加わる。
暗闇をずっと見つめた
穴があくほど
囁きが聞こえて
答えなど探すなという
暗闇は自分の中
それを抱きしめた
うずき出すこころ
制御を振り切ったかのように高まっていくエネルギーは、まるでサビの歌詞を具現化したかのようで、胸の奥に溜め込んだ感情が一斉に解き放たれる瞬間を目撃しているように感じられる。
だからこそ、この一曲は“内側へ潜る言葉”と“外側から襲う音像”が交わる瞬間を刻むからこそ、映像で体感してほしい。見終えたあと、自身の心に宿る暗闇は恐れではなく、“手触りのある自分”として残るはずだ。

『Chateau Blanc』レビュー|白い城で体験する官能と解放
『Chateau Blanc』は、鍵をかけた“白い城”で始まる、二人だけの密やかな儀式の歌だ。
ライブ映像では、この物語が鮮やかな“手触り”に変わる。歌い出しとともにランウェイを進む稲葉浩志。青白い光に包まれた『Chateau Blanc』へ、観客を導くように招き入れていく。
寄りのカメラが捉えるのは、口元の動きや息づかい、そして柔らかな笑顔。その瞬間ごとに、観客一人ひとりへ向けた“招待”を映し出している。
バンドの響きは、曲全体に危うさと艶やかな色気をまとわせる。バンドメンバーの揺れる体、楽しげな表情――その姿は会場の空気をやさしくほどき、同時に『Chateau Blanc』が宿す“解放の歓び”を浮かび上がらせる。
そしてクライマックス。
僕ら今
怖くない寂しくもない
無風の海に浮かんで
熱に浮かれ祈りも忘れ
真理の渦へとダイブ
「ダイヴ」と歌い切る瞬間、稲葉浩志の声の張りと白い照明の閃光が重なり合い、ステージがひとつの渦となって観客を呑み込む。まさに“白い城”の中で体験する儀式そのものだ。
『Chateau Blanc』は、現実を遮断し、心と体を解き放つための歌だ。ライブ映像はその世界観を視覚と聴覚に鮮やかに刻み込み、観る者を同じ“ダイヴ”へと誘う。
ぜひ、この瞬間を体感してほしい。

『我が魂の羅針』レビュー|炎に浮かぶ声
炎が立ち上るステージ、その中心に稲葉浩志。会場の熱と緊張が一点に集まる。
サムの優しいピアノが最初の呼吸を整え、心を静かに落ち着かせてくれる。そこにデュランのギターが重なり、言葉の余白を旋律で継いで曲全体を深めていく。
サビでは、伸びやかな高音と繊細なファルセットが溶け合い、感情を押し上げるのではなく、静かに、そして力強く観客の心を満たしていく。
歌う『我が魂の羅針』は、東西南北を示す道具ではない。
季節はいともたやすく
世界を変えてしまい
息を呑む物語は
この胸の中そっと燃えるよ
僕らだけが駆け抜けた道程(みち)は
鮮やかに香るよ
今も君は我が魂の羅針
この羅針が示すのは“方向”ではなく“つながり”、 “場所”ではなく“ぬくもり”だろう。
だからこそ、この曲をぜひライブ映像で体験してほしい。
画面の向こうで積み重なる“声・記憶・ぬくもり”の温度が、こちら側の日常に静かに染み込み、観終わるころには、不思議と気持ちが落ち着き、胸の奥にやさしい熱が灯っている。——映像の空気ごと、その“つながり”の手ざわりがきっと伝わってくるはずだ。

『VIVA!』レビュー|〈1秒ごとに尊いライフ〉を体現するライブ映像
『我が魂の羅針』の張りつめた空気がほどけた直後に始まる『VIVA!』。
曲前のMCでは会場に笑いが広がり、場内の空気がふっと軽くなる。その余韻を受けて、シェーンのドラムと観客のクラップが重なり、雰囲気は一気に祝祭モードへ。
その言葉どおり〈VIVA!=歓びの叫び〉が、会場全体を鮮やかに染めていく。
稲葉浩志はアコギをかき鳴らしながらランウェイの先端へと進む。一方、反対側のランウェイには徳永暁人とデュランも歩み出していく。
サビではカラフルなライトが客席を包み込み、観客の腕がいっせいに上がる。その熱気は映像越しにも伝わり、思わず体が前へ引き寄せられるような高揚感がある。
トンネルを潜り抜け
僕らは僕らの
歓びを掴み取るだけ
流れる汗も眩しく
1秒ごとに尊いライフ
心の声はいつも聞こえる
いつ何が起ころうともVIVA!
終わらない
このライブの一瞬一瞬が「1秒ごとに尊いライフ」という言葉をそのまま映し出している。
だからこそ『VIVA!』は、映像を手に取るすべての人に“いまを祝う歓び”を呼び覚まし、その胸を熱く震わせてくれるはずだ。

『あの命この命』レビュー|映像でしか味わえない余白の質感
なぜ人は、一つの命には涙を流しながら、無数の命の犠牲には目を背けてしまうのか。救われる命と奪われる命、”守るための加害”という現実——数字では測れない重みの前で、聴き手は思わず立ち止まってしまう。
ライブ映像では、ランウェイ先端の弾き語りから始まる。照明は必要最小限、演出的な効果は徹底して排され、派手さを捨てた瞬間に、言葉の輪郭が立ち上がる。
マイクが息遣いまで拾い上げ、観客との距離を一気に近く感じさせるここで作られる“静けさ”そのものが、曲のテーマに直結している。
サビを越えると、Aメロからデュランのギターがそっと重なり、徳永のベースが低域を支える。やがてシェーンのシンプルな8ビートが鼓動のように刻まれ、サムのピアノが静かに色を添える。
どの音も出しゃばらず、主役は終始、稲葉浩志の声と歌詞のメッセージ。その重なりは、歌詞が「社会」から「当事者」へと移っていく流れに重なって伝わってくる。
36時間の手術の末に
最新の医学に救われた
一つの小さなその命に
誰もが涙を流してた
翌日 ある町に朝早く
最新のバクダンが落っこちて
あっけなく吹き飛んだ多くの命を
誰もが知らないまま時が過ぎる
歌詞は「最新の医学」と「最新のバクダン」という同じ言葉を反復し、文明の二面性を浮かび上がらせる。
繰り返されるサビと「ぬくもり」という言葉は、答えを示すのではなく祈りを持続させ、会場には張り詰めた静けさが広がっていくようだ。
この曲の肝は“余白の質感”だろう。ライブ映像だからこそ、会場全体を包み込むその呼吸と息遣いを細部まで感じることができる。
何もかも 消えてゆく せめてあのぬくもりよ永遠に
答えを出さない問いを歌い続ける——だからこそ、この曲は今もなお、時を越えて人の心に響き続けている。

『空夢』レビュー|虚しさの先に灯る“少しずつ”の希望
サムのピアノが静かに鳴り始め、稲葉浩志がアコースティックギターを抱えて歌い出す。
スクリーンには歌詞で描かれる“夢”を思わせる映像が映し出され、会場全体がその世界観に染まっていく。
サビに入るとバンドが加わり、サウンドが一気に広がる。否定の言葉からにじみ出るわずかな希望は、ライブの熱を帯びることでより強く胸に突き刺さる。
そして迎えるラスサビ。稲葉の声はさらに熱を帯び、叫びとなってアリーナを揺らす。
こんな空しい夢ならなにも見ない方がマシです
こんな哀しい夢なら暗闇をさまよう方がマシです
少しずつでいい
新しい自分になってみたいよ oh
その一節は観る者の心を震わせ、会場をひとつにしていく。
アウトロではデュランのギターソロが長く響き渡る。余白を活かしたフレーズが胸に沁み込み、曲全体の余韻を最大限に引き延ばす。「終わってほしくない」と願わずにはいられない時間が、そこで確かに流れている。
やがて音は再びサムのピアノへと収束し、静かに幕を閉じる。壮大さの中に“祈り”のような余韻を残すエンディングが、観る者を深い感情へと導いていく。
歌詞が描くのは、叶わぬ夢から目覚めたときの虚しさ。しかし、その底に残る小さな希望は、ライブでは確かな光となって観客を包み込む。
自分自身の“少しずつ”を肌で感じることができるバラードだ。
夢と現実の狭間で揺れる切なさを描きながら、前へ進む勇気を与えてくれる。「空夢」は、そんな自分自身の“少しずつ”を確かめられる特別なバラードだ。

『oh my love』レビュー|包まれる愛が、駆け抜ける熱に変わる
MCが終わり、観客への呼びかけとコール&レスポンスから『oh my love』が始まる。
静かに立ち上がる演奏は〈焦ることなんかない〉という歌詞の通り、急がずに呼吸を合わせる時間をつくり、会場は自然に後半戦へと切り替わっていく。
サビの「oh my love」は、まず観客に委ねられる。会場いっぱいに声が広がり、その“君”という言葉は、観客それぞれの“大切な人”と重なっていく。
やがて稲葉浩志の「oh my love」という歌声が響くと、優しさと力強さを併せ持つ歌声が会場を貫き、同じ言葉に多彩な感情が宿る。
いつか君に届けばいい
胸いっぱいのmy love
必死に誰かを守りたいなら
聞こえてくるよoh my love
ほら飛び立って行け
最後のサビを歌い終えると、〈ほら飛び立って行け〉の一節そのままに、稲葉浩志がランウェイへと駆け出す。
演奏はスピードを増し、シェーンのドラムが背骨のように曲を押し進め、メンバーの「フッフー」というコーラスが楽しげに重なる。
さまざまなテンションで繰り返される「oh my love」と歌う稲葉浩志に視線と声援が重なり、クライマックスへと向かう。
曲のラスト、「Thank you!」と呼びかける稲葉に、観客の声が全力で返ってくる。その往復こそが、ライブでしか味わえない『oh my love』の真価だ。
この曲は、包まれる愛が駆け抜ける熱へと変わる瞬間を描いている。MC明けの呼吸合わせからアウトロの解放まで、そのすべてが観客と一体になって完成する。
ぜひライブ映像で、この感動を体験してほしい。

『Stray Hearts』レビュー|迷い歩く心が、光に包まれるとき
『oh my love』で包まれた優しい空気を断ち切るように、会場の温度が一気に変わる。低くうねるバンドのセッションに続き、デュランの鋭いギターソロが響き渡り、緊張感はさらに高まっていく。
ステージが赤い照明に染まる中、稲葉浩志が姿を現し、イントロが鳴り響く。
そのサウンドに合わせ、観客の体は自然と揺れ始める。
サビに入った瞬間、照明は真っ白に切り替わる。赤に揺れていた迷いの空気が、一気に『Stray Hearts』というタイトルが示す“迷い歩く心”を映し出す。
その光は、答えを探し続ける心にそっと差し込み、希望のように会場全体へ広がっていった。
教えてあとどのくらい
迷える心抱え歩く
My baby, don’t you
My baby, don’t you sigh?
夢中でもがいてる
稲葉浩志は力強く手を伸ばし、その指先を震わせるように宙を掴む。その仕草と表情が歌詞と重なり、問いかける言葉は観客の胸を鋭く突き動かす。
原曲の哀愁を残しながらも、ステージでは重厚なギターと音圧が加わり、楽曲は力強いロックへと姿を変えている。
間奏では観客から自然に「Wow〜」の大合唱が起こる。アリーナ全体が太いコーラスで包まれ、稲葉浩志の伸ばした手と観客の声がひとつに重なる。その一体感こそ、この曲がライブで“完成”する瞬間だ。
『Stray Hearts』は、哀愁を帯びた旋律に炎のような熱を宿し、迷い歩く心を力強く解き放つ。その瞬間の熱を、ぜひ手に取って体感してほしい

オレの場合は母ちゃんから“ねえ、あとどのくらい実家にいるの?”って言われるんだよな。
『Sẽno de Revolution』レビュー|「せーの」で始まる革命
ここでMCが入る。一番遠くの観客席にまで呼びかける気遣いが、相変わらず素晴らしい。
バンドのメンバー紹介は、演奏を挟まない素のトークで、メンバーそれぞれのキャラクターがリラックスした雰囲気が会場を包み込む。
そんな親近感の流れを一気に切り替えるように、「まだ元気ありますか!?」の問いかけが飛ぶ。会場に声を求める「Hey!」のシャウトが重なり、横浜の巨大空間の温度は一段と上がる。そして――「Yokohama Revolution!」。そのひと言が号令となり、イントロが鳴り響いた瞬間、手拍子が会場を満たしていく。
2002年『志庵』で生まれた曲を2025年の質感へとアップデートし、サウンドそのものが“情報社会への懐疑”と“自分の感覚を信じ抜く意志”を鳴らし切っている。
サビでは、稲葉浩志の歌声が原曲よりもオクターブ高く突き抜け、鋭さを増したその響きに観客の声が重なって、巨大な空間全体が揺さぶられる。
革命はジワジワとじゃなくてパッと一瞬に
革命は外側からじゃなくて内からえぐるように!
この言葉どおり、合唱はただの声の重なりではなく、一人ひとりが内側から声を解き放つ感覚へと変わり、歌詞の「一瞬」「内から」というメッセージが現実に立ち上がっていく。
圧巻なのはステージ上の動きだ。稲葉浩志は二本のランウェイを駆け巡り、両手を突き上げて観客を鼓舞する。サビのたびにカラフルな光が炸裂し、胸の奥にある感情が一斉に外へと解き放たれていく。
映像に焼き付いた「せーので Revolution!」の大合唱は、観る者の喉まで震わせるようなエネルギーに満ちている。
稲葉浩志が「せーの」と叫ぶたび、観客ひとりひとりが自分の声を重ねる歌。“内側からの革命”を体感し、熱狂へと変わる瞬間が刻まれている。

『CHAIN』レビュー|背中を押すのではなく、肩を組むロックナンバー
『CHAIN』はライブ終盤を軽やかに彩り、観客の心を解き放つ。ただ熱で押し切るのではなく、肩の力が抜けた遊び心と、包み込むような優しさが響いている。
ステージはサムのキーボードから始まる。稲葉浩志の「Nanana…」に、客席が即座に応える。その瞬間、会場全体が“つながり”の輪になる。
稲葉浩志のシャウトを合図にイントロが点火し、スクリーンではメンバーの顔がモンタージュのように重なり合う。音と映像が呼応し合い、「連鎖」というテーマを鮮やかに浮かび上がらせる。
バンドの推進力は圧巻だ。デュランのカッティングは原曲以上にスピード感を増し、シェーンと徳永暁人のタイトなリズムが軽やかさと力強さを同時に生み出す。サムのシンセは“Chain”を大きく広げ、会場全体を包み込む。
伸びやかな稲葉浩志の声に続き、サビの余白を観客の“na na na”が埋め尽くす。歌詞で掲げられた理念が、現実の声によって鮮やかに完成する瞬間だ。
『CHAIN』は、観る人の背中を押すのではなく、隣で肩を組み、共に進んでくれるロックナンバーだ。
会場全体を包み込む合唱の中で、「みんな、どこかでつながっている」という普遍のメッセージが鮮やかに、このライブ映像に刻まれている。

『羽』レビュー|映像に刻まれる、背中に翼が広がる瞬間
『CHAIN』からノンストップで突入する18曲目『羽』。
サムのキーボードがイントロを鳴らすと、ステージに無数の羽が降り始める。シェーンの深く踏み込むキックが心拍と同期し、稲葉浩志の歌声が観客を少しずつ「空」へ導いていく。
デュランのギター、徳永のベースが重なり、サビへ近づくほど音は膨らみ、胸の奥で期待がせり上がってくる。
サビではスクリーンに巨大な“羽”が映し出され、正面カメラが稲葉浩志の背中と重なる。まるで本当に羽が生えたように見える、圧巻のショットだ。メロディの伸びと同調したステージングが、歌詞の世界を映像として体感させてくれる。
力強いリズムに背中を押され、観客は一人残らずその羽に乗せられていく。ギターソロでひざをつくデュランの姿に、ステージの熱がさらに高まり、残響が会場全体を包み込む。
視線も心も、すべてが上へ、上へと引き上げられる。
クライマックスは稲葉浩志のハイトーン・シャウト。
君を忘れない
君を忘れない
その言葉が夜空を切り裂くように響き、観客の歓声がそれに応える。その瞬間、会場はまるで一枚の大きな羽になったかのようだった。
『羽』は、不安や別れを抱えながらも、それを超えて飛び立つ勇気を与えてくれる歌。このライブ映像では、そのメッセージが音と光と映像で立体的に刻まれる。
ディスクを手にして、この“背中に羽が生える瞬間”をぜひ体験してほしい。再生ボタンを押せば、あなたの心も空へ羽ばたくだろう。

『YELLOW』レビュー|黄金色の光に包まれた、解放と優しさの瞬間
「まだ元気ありますか」その一言で、会場空気が一瞬にして沸点へと跳ね上がる。
DURANのギターが鳴り響き、ステージは“YELLOW”の光に包まれる。
イントロから放たれる疾走感と、稲葉浩志のまっすぐな声。映像の中で、そのすべてが鮮やかに息づいている。
ランウェイをゆっくり歩きながら、下手、上手とステージを行き来する稲葉浩志。観客との距離をひとつひとつ確かめるように、歌の熱を分け合っていく。
サムのキーボードが煌めき、デュランのギターが熱を上げていく間奏。照明は金色に燃え、会場全体が一体となって揺れる。“Yellow Sunshine”という言葉が、視覚と聴覚の両方で焼きつく瞬間だ。
メインステージで膝をつき、立ち上がりながら叫ぶ。
全部チャラに…しなくてもいい
その一瞬の“ため”に、稲葉浩志の生き様が滲む。迷いも、覚悟も、すべてを抱えたまま前へ進む——そのエネルギーこそが、『YELLOW』の真ん中にある。
そしてアウトロ。ステージに横たわる稲葉浩志を、天井のカメラが捉える。
その動きに呼応するように、デュランと徳永もステージに身を預ける。その光景を見て、稲葉がふっと笑う。その笑顔があまりにも自然で、観ているこちらまで幸せになる。
『YELLOW』は、眩しくて、力強くて、少し可笑しくて、最後は優しい。
その全てが『enIV』の終盤を彩る、最高の瞬間として刻まれている。
あの黄金色の光と笑顔を、『Koshi Inaba LIVE 2024 ~enIV~』で、ぜひ体感してほしい。

『Starchaser』レビュー|“星を追う者”の輝き
ライブは静かに、しかし確かに最高潮を迎える。
稲葉浩志は観客への感謝をまっすぐに伝え、ステージが暗転すると、サムのキーボードが夜空を描くように音を紡ぐ。徳永のベースが低域に重力を与え、デュランのギターが静かに旋律を導いていく。
やがてステージに浮かぶ無数の光の粒が、観客一人ひとりの感情を映し出しているように揺れる。
巨大なKアリーナの空間を満たすのは、宇宙のように広がる映像と、稲葉浩志のまっすぐな声。ここで響くのは派手な決着ではなく、“まだ星を追う”という意思表示だ。
ライブのクライマックスを、包み込むような余韻で締めくくる構成が美しい。
いくつになろうと
負けは辛い
胸も張り裂ける yeah
死にものぐるいの匂いがすれば
チャンスは嗅ぎつけてくれるだろ
この言葉が稲葉浩志の口から発せられる瞬間、ただの歌詞ではなく人生の真実として響く。
直前に語られた感謝のMCと、その誠実な姿勢があってこそ、このフレーズはよりリアルに、観る者の胸を震わせる。
彼が今立っているステージも、観客を魅了する力も、支えるバンドメンバーも、そのすべては努力で掴みとってきた結果だ。「運」という言葉では到底呼べない積み重ねが、“星を追い続ける者”としての説得力を生んでいる。
間奏では、シェーンのドラムが音数を増やし、一気に空気を押し出すようなソロを繰り広げる。その音圧を背に受けて笑みを浮かべる稲葉浩志の姿には、長年培われた確かな信頼が感じられる。
泣くな どんなエンディングだとしても
僕はまだ星追う者のひとり
だからさ let’s go
そう歌いきった稲葉浩志が放つ“let’s go”。その一声には、すべてを照らすような”確かな希望の光”が宿っていた。
ステージから放たれたエネルギーは、観る者それぞれの胸の奥に、もう一度歩き出す勇気を灯していく。
そして稲葉浩志は丁寧に一礼し、ステージを後にする。誠実さが余韻の最終音となり、光が静かに幕を閉じる。
このライブ映像の素晴らしさは、“今も星を追い続ける稲葉浩志”という生き方そのものを感じられることにある。
何度でもこの瞬間に立ち返りたくなる——そう思わせてくれる圧倒的なリアリティを、ぜひその目で体感してほしい。

『気分はI am All Yours』レビュー|息と光のあいだに
アンコール1曲目。
呼びかけ、手拍子、ウェーブ——さまざまな思いをのせて、観客はその始まりを待ちわびている。そしてライトが再び点灯した瞬間、客席の温度が一段上がる。
バンドメンバー、そして稲葉浩志がステージに姿を現した途端、歓声が一気に広がっていく。
「皆さん気分はどうですか?」という穏やかなMCが、客席の空気をやさしくゆるめていく。観客の手拍子のリズムにデュランのギターが寄り添い、イントロは静かに、それでいて確かに期待を高めていく。
この曲は、耳元で語りかけるような“聴覚の恋愛”だ。息づかい、喉の動き、夜更けの気怠さ——その一つひとつの音のディテールが親密さを運ぶ。ステージでは言葉と映像演出が呼応し、歌の体温が伝わってくるように、解像度がさらに研ぎ澄まされていくのが心地よい。
サビに入る瞬間、バンドの音が一斉に広がり、解き放たれたリズムが気持ちよく跳ねる。
そのシンプルな構成が、かえって感情の波を強く押し出していく。
中盤、シェーンのバスドラだけが低く響き、静寂の中から客席が「Hey, wow…」と歌い出す。合唱は波紋のように広がり、会場全体がひとつの呼吸になる。そして稲葉浩志の「1,2,3,4!」の合図で、デュランのギターが夜の空気を切り裂くように走り出す。
その音が胸の奥に火を灯すように、熱を広げていく。
ランウェイを駆け抜けながら歌う稲葉浩志の姿は、アンコールの1曲目とは思えないほどエネルギーに満ちている。その声と笑顔が幸福感となって波のように広がり、ステージの隅々まで光を届けていく。
『気分は I am All Yours』——あなたのために捧げる、という言葉のとおり、その歌は客席のひとりひとりにそっと触れるように、やさしく響く。甘く、やさしく、そして少し切ないその音色が、夜の静けさと溶け合いながら、消えることのない余韻を、その心に残してくれるだろう。

『遠くまで』レビュー|それでも、歩き出す力をくれる
アンコールの2曲目『遠くまで』は、静けさの中から、もう一度歩き出す力を呼び起こしてくれるバラードだ。
サムのピアノが静かに鳴り始める。最小限の照明に照らされたステージで、稲葉浩志の歌声がその旋律に重なった瞬間、暗闇が息づき始める。
1番のサビまでは、ピアノとボーカルだけ。
息づかい、声のかすれ、語尾に残る体温までもが、鮮明に伝わってくる。
遠くまで 僕らはゆける
強い雨も 凍る風も受けながら
目を覚ませば すべてがまぶしい
花の色も 街の声も 涙の理由さえも
悲しむことでも 喜ぶことでも
強くなってゆけるよ ひとつずつ 少しずつ
その言葉が、ただの歌詞ではなく“現象”として目の前に立ち上がる。極限まで削ぎ落とされた演出が、音と声に宿る“意思”だけを際立たせていくようだ。
2番からバンドが加わると、音の景色が動き出す。徳永のベースが足もとを支えるように響き、心の中で“歩くテンポ”がはっきりと刻まれていく。
そしてラスト。演奏が静まり、稲葉浩志のアカペラが会場を包み込む。「遠くまで」と歌いながら、その声は天井を押し上げるように天へと突き抜けていく。
ピアノの余韻からバンドの厚み、そしてアカペラの静寂まで――そのダイナミクスの波が、
“悲しみから強さへ”という歌詞の軌道をそのまま音でなぞっている。
失っても、傷ついても――それでも歩く。
『遠くまで』には、生きることへの確かな確信が詰まっている。その声の“伸び”が、心の中の迷いを少しずつ押しのけていく。“遠くまで”。その一声が、あなたの歩幅をもう一度、静かに整えてくれる。

『Okay』レビュー|終わりを抱きしめる光、Kアリーナの夜に。
Kアリーナ横浜の夜。アンコールを駆け抜けたステージに、静かな光がゆっくりと満ちていく。
観客の声援を全身で受け止めた稲葉浩志が「Thank you!」と告げた瞬間、イントロが静かに立ち上がる。会場は一斉に明るく照らされる。眩しさではなく、余韻をやさしく包み込む光だ。
いつかくる“いない世界”を見つめる言葉は、悲しみの宣告ではない。終わりを前提に、いま目の前の人をもう一度、強く抱きしめ直すための視線だ。
Okay いつかくる ボクのいない世界
真っ暗で静かな無限の空
Okay それならば もう少しだけアナタを
長く強く抱きしめてもいいよね そうだよね
終わりを謳うほどに、より濃くなっていく空気がアリーナの空気を包み込む。稲葉浩志の声が言葉に輪郭を与えるたび、“いま”という瞬間がいっそう確かになる。不在の予感が、かえって“ここ”を鮮やかに照らしている。
サビではもちろん、間奏でも客席から「Okay!」の声が返ってくる。その声が演奏と溶け合い、広いアリーナに穏やかな一体感が広がっていく。
今まで人類の歴史の中で死んだことのない人間はいない。100年後には、今地球上にいる全ての人間は入れ替わっていく。そんな限りある儚い時間の中で、“Okay”というたった一言が、まるでこの瞬間だけは永遠だと証明するように響いている。
稲葉浩志の声と観客の声が重なり合うたび、「終わりがあるから 誰もが切なく輝ける」という歌詞が、現実の情景として立ち上がっていく。
演奏が終わると、5人がステージ先端の中央に集まり、肩を並べる。
横一線に並んだその姿は、まるで映画のエンドロールに浮かぶ最後の一枚の静止画のようだ。
ゆっくりと頭を下げるたび、光が背中をやわらかく照らし、客席からの拍手が波のように押し寄せる。
その余韻の中で、ひとり、またひとりとステージを降りていく。
そして最後に稲葉浩志が中央へ戻り、静かな声で言葉を残す。
何度でも再生できる映像なのに、終わりの瞬間に胸が締めつけられるのは、
このエピローグに“終わり”と“余白”が美しく共存しているからだ。
だからこそ、このライブ映像を、あの夜へ帰るための“扉”として手元に置いてほしい。再生ボタンを押すたびに、あの光と呼吸と「Okay」の声が、もう一度、自分の心をそっと抱きしめてくれる。

『DOCUMENTARY ~Surviving enIV~』レビュー|“一人の人”としての稲葉浩志に出会う
稲葉浩志というアーティストの“現場”を、これほどまでに丁寧に描いた映像があっただろうか。約145分におよぶこのドキュメンタリーは、ツアーの華やかさの裏にある、静かで精密な日々を記録した作品だ。
眩しいスポットライトの反対側で、稲葉浩志は日々のルーティンを積み重ねている。声を整え、身体を守り、ひとつの夜を完璧にするための準備。そのプロセスは、派手な演出ではなく丁寧に積み上げられた“仕事”そのものとして映し出される。
ここで描かれるのは、才能ではなく設計と継続。ストイックという言葉では収まりきらない、職人としての姿と緊張感が画面のすみずみに漂う。稲葉浩志という人の凄さは、むしろその“静けさ”の中にある。
このドキュメンタリーを観ると、ライブ本編(Kアリーナ横浜)がまったく違って見える。一本のライブは、無数の努力の積み重ねの結果だとわかるからだ。
曲間の呼吸、声のトーン、ステージ上の小さな動作。そのすべてに文脈が生まれ、映像が二度目の生命を持つ。本編とドキュメンタリーは相互に補完し合う構造で、観る順序を問わず体験が深まるはずだ。
この作品は、稲葉浩志を偶像ではなく、一人の人として映している。むしろ親近感が生まれる。完璧さの裏にある“人間らしさ”が、観る者に静かな共感を呼び起こす。
もちろん、稲葉浩志が背負う期待とは比べものにならないかもしれない。それでも、私たちが日々の中で重ねている努力や選択の本質は、きっと同じだ。
『DOCUMENTARY ~Surviving enIV~』は、プロフェッショナルの仕事と緊張の美しさを静かに伝える作品だ。ライブ本編の感動をもう一段深め、稲葉浩志という人をより身近に感じさせてくれる。
観る順番はどちらでもいい。ドキュメンタリーから入っても、ライブから入っても、体験はひとつにつながる。観終えたとき、あなたの中の“ライブの記憶”はきっと更新されているはずだ。

この映像が伝えてくれた体験と思い
『Koshi Inaba LIVE 2024 ~enⅣ~』にあるのは、完璧に整った“エンターテインメント”ではない。
むしろ、60歳を迎えた稲葉浩志が、ひとりの表現者として「どう生きるか」と向き合う“現在地”の記録だ。その誠実さが、観る者の心にまっすぐ響いてくる。
彼の歌声には、若さの勢いではなく、年月を重ねた人だけが持つ厚みと呼吸がある。
ステージで笑ったり、息を整えたり、観客と視線を交わすその一瞬一瞬に、「いまを生きるって、こういうことかもしれない」と感じた。
この映像から私が励まされたのは、音楽そのものではなく、全力の“いま”を選び続ける姿勢だ。そのリアルな呼吸が、作品全体を確かに貫いている。
何度も観返したくなるのは、単に好きな曲が並んでいるからではない。観るたびに、自分自身の「いま」を確かめ直せる気がするからだ。
このライブ映像は、音楽の枠を超えて、“自分の人生をもう一度見つめ直す”きっかけをくれる作品だと思う。
そう感じられたこと自体が、きっとこの作品から受け取った、いちばん大きなギフトだ。

※本記事の記述は、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 ~enⅣ~』の収録映像に基づく参照・必要最小限の引用を含みます。引用は日本国著作権法第32条に基づき、出典を明示した正当な範囲で行います。著作権は各権利者に帰属します。なお、著作権保護の観点から歌詞の全文掲載や大量抜粋、映像の静止画キャプチャ(スクリーンショット)・画像化の掲載は一切行いません。