稲葉浩志 1st Album「マグマ」|内向的な自分を持て余している人のための”腹の底が熱くなる一枚”
UnsplashのJonatan Pieが撮影した写真
飲み込んできた感情は、消えていない。腹の底で、マグマになっている。
1997年1月29日。B’zの絶頂期のまっただ中で、稲葉浩志は、初のソロアルバム『マグマ』を発表した。
シングルなし。タイアップなし。それでも、オリコン週間チャートで2週連続の1位。初動62万枚を超えるミリオンセラー——タイアップ曲を持たないアルバムでのミリオン達成は、当時の日本の音楽史上、初めてのことだった。
でも、この作品のすごさは、数字ではない。
ステージで何万人を沸かせるボーカリストが、ここで歌ったのは——だれにも怒らず、いい顔をして、本音を飲み込んで生きる、ひとりの男の内側だった。
嫉妬。苛立ち。空虚。眠れない夜。悲劇にもなれない不運。そして、それでも消えない熱。
飲み込んだ感情は、消えてなくならない。腹の底に沈んで、静かに温度を上げていく——そのマグマが、15曲をかけて、どう動きだすのか。
感情の火を消して生きる1曲目から、目を覚ます最後の曲まで。このアルバムは、ひとりの男が感情を取り戻していく物語として聴くことができる。
当ブログではその15曲すべてを、1曲ずつ、感情のカテゴリーとともにレビューしていく。
上手にやり過ごすことばかり、うまくなっていく毎日に——心当たりのある人にこそ、届いてほしい一枚だ。
Release:1997.01.29
※本記事では、稲葉浩志のアルバム『マグマ』に収録された各楽曲について、歌詞の一部を引用しながら、その表現やメッセージについて考察しています。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。
表現される感情
【悲観的】×『冷血』
重たいベースが、どく、どく、と脈を打つ。心臓の鼓動に、よく似ている。
その上で、エレクトリックピアノが、暗いメロディをともす。深夜のジャズバーの隅で鳴っているような、湿って、煙る音色だ。
ドラムは手数を最小限に絞って、リズムの骨組みだけを、静かに置いていく。
音数は少ない。それなのに、音圧は重い。
そこへ——”yeah……”という稲葉浩志のシャウトが、闇の底から飛び込んでくる。
まだ歌ではない。言葉ですらない。それでもこの声ひとつで、空気が一変する。
開始数秒で、B’zのステージからは想像もつかない場所へ、一気に引き込まれる。
実はこの曲、他の収録曲がすべて出揃ったあとで、「アルバムの1曲目はこんな曲でいきたい」と、最後に書き下ろされたものだという。
つまり、この没入感は偶然ではない。稲葉浩志が自ら設計した、『マグマ』という作品の”入り口”なのだ。
ここから先は、ふだん見せない領域——2分15秒の短編が、そう予告している。
熱を消して生きる「つじつまの合わない人」に、自分の顔が重なっていく
この曲の主人公は、開口一番、こう言い放つ。
きみはきみの 思うように 生きろ
ぼくはぼくの したいように したい
命令形の、突き放しだ。
きみはきみ、ぼくはぼく。一見、自立した大人の宣言のようで、その実、他人と関わることを最初から降りている。
続けて主人公は、”自由”という言葉すら自分に都合よく定義しながら、その処世術を並べはじめる。
人づきあいは、悪い。それでも敵は作らない。だれに対しても感じよく振る舞い、肝心なところでは、すっと身をかわす。
注目したいのは、そのなかの「だれにも怒らず」という一節だ。”だれも怒らせず”、ではない。
この主人公は、他人の機嫌を取っているのではない。怒りという熱が生まれる手前で、感情の火を、自分で消してしまっているのだろう。
血が冷たいのではない。冷やしている。曲名の『冷血』とは、その生き方の体温のことだ。
ほいほい 捨てながら
ここまで歩いてきた
なくしたものに 気づかず
お尻も 汚したままで
サビでは、「ほいほい」というフレーズが、乾いた歌声で大きく響く。
大事なものが、この掛け声ひとつで、あっさりと捨てられていく。そのためらいのなさが、ぞくっとするほど怖い。
視線の先には、「きれいな夢」だけがある。汚れたお尻も、なくしたものも、ぜんぶ背中側だ。気づかないのではなく、見ようとしていない。
捨ててきたものと、見ている夢。そのつじつまは、いつまでも合わないままだ。
それでも歌は、これからも、ずっと、ずっと——と、開き直りとも宣言ともつかない調子で、言い切ってしまう。
改心も、成長も、この曲には用意されていない。主人公は、冷えた体温のまま、”ずっとずっと”の中に取り残される。
サウンドも、それに徹している。サビで歌声は力強さを増し、ドラムも強くなる——ただし、少しだけ。
この曲は、最後まで爆発しないのだ。
主人公が怒りを消して生きているように、アレンジもまた、決して怒らない。消された熱は、脈打つベースの中でうごめいたまま、アウトロの”yeah……”というシャウトとともに、深淵へ沈んでいく。
地下に溜まったこの熱の行方は——アルバムの題名が、もう答えている。
『冷血』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、だれにも怒らず、どこでも上手くやれてしまう人だと思う。
角を立てず、いい顔をして、大事な場面はするりとかわす。それで日々は回っているのに、何かを取りこぼしている気がしている人。
『冷血』は、そんな聴き手に説教をしない。上手にやり過ごしてきた日々を、2分15秒だけ、静かになぞってみせる。
フェードアウトのあと、胸に残るかすかな冷たさは、たぶん、自分自身の体温だ。
そして、この冷たい入り口の先で、消された熱がどう噴き出していくのか——それを確かめる旅が、『マグマ』というアルバムだ。
【神経が高ぶる】×『くちびる』/
歌うように伸びていくギターのフレーズが、『冷血』の張りつめた空気を切り裂く。かげりのあるロックサウンドが、視界いっぱいに広がっていく。
2分15秒の”入り口”を抜けた先で、最初に鳴るのがこの曲だ。
歌われるのは、恋。ただし、甘い恋ではない。
臆病なくせに、頭の中では誰よりも大胆——そんな男の、火が出るほどの欲望だ。
恋とは、「僕のハダカ」をあばいてほしいという欲望
Aメロで、サウンドはすっと落ち着く。その静けさの中、稲葉浩志の色気のある歌声が、ふたりの人物を描きはじめる。
Woman 目と目を合わせられない 僕を見て
Oh,woman とてもいやらしいたくらみを育て歓ぶ
しなやかに駆け生きる動物のように罪など知らない
そばにいるだけで見る見る力抜けてゆく
ひとりは、想い人の顔を、まっすぐ見られない男。目が合いそうになると、先にそらしてしまう。それなのに、同じ空間にいるだけで、体からは力が抜けていく。
もうひとりは、その一部始終を、見逃さない女性。男が目を泳がせるたび、彼女の中で、小さなたくらみがひとつ増える。どこまで近づいたら、この人は困るだろう。どんな一言で、どんな顔をするだろう。
それを試しては、歓んでいる。罪の意識は、どこにもない。動物がしなやかに駆けるように、彼女にとっては、それが自然に生きるということだからだろう。
遊ぶ側と、遊ばれる側。勝負は、最初からついている。
サビへ向かって、想いは膨らんでいく。
その直前——”Ah..”という吐息が、サウンドの前面に、堂々と押し出される。
言葉になる前の欲望が、先に声になって漏れてしまった——そう思わせる、ぞくりとするほど色っぽいワンブレスだ。
耳元で息を吸いこんで——飛び込むように、サビが弾ける。
あなたのくちびるなら骨までとろけてもいい
火が出るほど狂うほどに 肌と肌すりあわせて夢の中
エネルギー全開のサウンドと、力強い歌声が、欲望に確かな熱を与えて鳴り響く。
思い出してほしい。『冷血』は、最後まで爆発しない曲だった。
その次の曲が、サビで堂々と噴き出す。1曲目で自ら消したはずの熱が、欲望というかたちで、早くも再点火しているのだ。
「火が出るほど」——アルバム『マグマ』で最初に灯る”火”が、このサビにある。
間奏のギターソロは、その胸のざわつきを、そのまま音にしたようだ。
続くブリッジでは、じれったさが極まっていく。何が、あなたの心を動かすのか。それすら、分からない。そわそわしているうちに、「大事なとこ」は、いつの間にか握られている。
そのもどかしさを、稲葉浩志の歌声が、見事に表現していく。じっとしていられない気持ちのまま、曲は最後のサビへなだれ込んでいく。
そして、この曲の作詞でいちばん唸るのが、願いの言葉の変化だ。
1度目のサビは、骨まで「とろけてもいい」。2度目は、この身「ほろぼしてもいい」。
どちらも、”〜てもいい”。すべてを差し出しているようでいて、実はまだ、決定権を自分の側に残した言い方だ。
それが、最後のサビで一変する。
僕のインチキもイカサマも ひとつ残らずあばいて
愚かなウソのアリ地獄から そっと手をとり連れ出してくれ
あなたのくちびるで 綺麗に生まれかわらせて
すべてを写す その鏡で僕のハダカを今宵 のぞかせてくれ
「〜てもいい」が、「〜てくれ」に変わる。”されてもいい”と受け身に構えていた男が、最後には”してくれ”と、自分から頼みこんでいる。
かっこつける余裕は、もう、どこにもない。剥き出しの懇願だ。
そしてこの告白の瞬間、音が、すっと引く。
最小限のリズムと、ギターのストロークだけ。いちばん恥ずかしい台詞を、この曲は、いちばん静かな音で歌わせる。
「あばいてくれ」と願うところで、アレンジまでもが、裸になっているようだ。
そこから、ダウンミュートを効かせたギターと、徐々に強く打ち込まれるドラムが、緊張感をじりじりと引き上げていく。歌声も、力強さを増していく。
最高潮に達したところで——「連れ出してくれ」と叫び、欲望は、一気に解き放たれる。
そして最後、「のぞかせてくれ」。そう歌い終えたあとに広がるのは、ジャジーなアウトロだ。
ギターのカッティング、静かなリズム、重たいベース。その上を、稲葉浩志のハミングが、低く漂っていく。
返事は、聴こえない。——その熱が、夜の音の中に、ゆっくりと溶けていく。
大人の夜の余韻だけを残して、曲はフェードアウトしていく。
『くちびる』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、好きな人の前でほど、上手に嘘をついてしまう人だと思う。
よく思われたくて、飾って、はぐらかして。それでいて心のどこかで、ぜんぶ見抜いてくれないかと願っている。
『くちびる』は、その矛盾を責めない。恋とは「あばいてほしい」という願いなのだと、火が出るほどの熱で歌い切ってしまう。
勇気を出して素の自分を見せよう、という正論は、この曲のどこにもない。
さらけ出せないまま、それでも見抜いてほしいと願ってしまう。この歌は最初から最後まで、そういう人の側に立って鳴っている。
だから、飾ることに疲れた夜にこそ、ぜひ聴いてほしいロックナンバーだ。
【精力的】×『そのswitchを押せ』
イントロは、ない。再生した瞬間、抑えたハスキーな歌声が、いきなり飛び込んでくる。開口一番、歌われるのは弱音だ。
泣いているから、気づいてほしい。たそがれているから、あったかい声をかけてほしい——応援歌なら、まず励ましの言葉を置くはずの場所で、この曲は主人公に思いきり甘えさせる。
そしてもうひとつ。タイトルは『そのswitchを押せ』と命令形なのに、歌の中の声は「その Switch を押してみたらどう?」と、あくまで提案形で誘ってくる。
甘えを見抜いて、甘えを許して、それから背中を押してくる。綺麗事は言わない代わりに、決して責めない。
落ち込んだ夜のプレイリストに入れておくべき、人間味だらけの応援歌だ。
弱さをぜんぶ許してから、「押してみたらどう?」と誘ってくる
歌の中には、ふたつの声がいる。まずAメロで聞こえてくるのは、こんな声だ。
流れおちゆく涙に だれか気づいておくれ
窓辺でたそがれてるから あったかい声をかけてくれ
泣くなら、部屋の隅でもいい。でもこの人は、わざわざ窓辺を選ぶ。いちばん絵になる場所で、だれかが気づいてくれるのを待っている。
しかも「あったかい声をかけてくれ」と、かけてほしい声の温度まで指定している。
悲しいというより、悲しんでいる自分を見てほしい。主演も演出も自分の、夕暮れのひとり芝居のように感じられる。
その甘えた声に、サビが答える。
何もそんなにうれしそうに 傷口ひろげなくてもよかろうに
少しなら休んでもいいから その Switch を押してみたらどう?
「あったかい声」を求めたのに、返ってきたのは、かわいそうに、でも、甘えるな、でもない、不思議な距離の声だ。
なかでも「うれしそうに 傷口ひろげなくてもよかろうに」の一行が、たまらなく鋭い。
落ち込みには、快感が混ざる。傷を見せれば、優しくしてもらえる。不調をおおげさに知らせて、まわりの同情を逃げ道にしてしまう——そんな甘えの仕組みを、この曲は知り尽くしている。
それでいて、責めはしない。
少しなら休んでもいい。後ろに戻っても見のがす。人並みの甘えぐせも許す。そして「勇気がたまったところで」——押してみたらどう?と誘ってくる。
順番が、優しい。押せと言う前に、まず全部許す。
勇気は”出せ”と迫るものではなく、”たまる”まで待つものとして扱われている。世の応援歌との違いは、この順番にあると感じる。
サウンドも、ふたつの声を描き分けている。
Aメロは、細かく刻まれるリズムと、かげりのあるギターの上で、独白のように静かに歌われる。
それがサビで一変する。コーラスの効いた力強い歌声が飛び込み、キーボードと力強いドラムが明るく鳴って、疾走感が一気に立ち上がる。
暗から明へ。まるでアレンジそのものが、スイッチを切り替えるように。
間奏では、ワウの効いたギターがうねる。押したい、でも押せない。その足踏みのもどかしさを、音が代わりに引き受けていく。
そしてこの曲の哲学は、ラスサビで言い切られる。
正しいとか間違いとかじゃなくて 動かしがたい場面があって
自分がいて何かを感じてる、そう 自由に感じてみればいい
紙一重の選択が幾重にもかさなって
幸せにつながってゆくよ その Switch を押してみたらどう?
正しいか、間違いか。動けなくなっている人は、たいていこの物差しを握りしめている。
その物差しを、この歌はあっさり手放させる。あるのは、動かしがたい場面と、そこで何かを感じている自分だけ。なら、自由に感じればいい。
しかも、その直前のブリッジで、僕らはすでに「見えない無数のボタンを押してきた」と歌われている。
では、”次のひとつ”は、何のスイッチなのか。
歌は最後まで、その中身を言わない。言う必要がないからだ。タイトルの「その Switch」という指差しは、聴き手に向いている。
送りかけてやめた連絡。言いかけて飲み込んだ本音。始める前にたたんだ計画——何のことかは、あなたがいちばんよく知っている。
曲にできるのは、指を差すところまで。押すのは、いつだって自分の指だ。
3分半、「押してみたらどう?」と誘い続けた声が、曲の最後の最後で、こう叫ぶ。
ねえどう?押せよ!やれよ!!
提案形が、命令形に変わる瞬間だ。その声に、もう優しさの衣はない。ぐっと背中を押す、力のこもった声だけがある。
そして「やれよ!!」のあと、曲はドラムとベースだけになって、フェードアウトしていく。
言うべきことは、ぜんぶ言った。あとはあなたが歩くだけ——そう言い残すように、歩き出すためのビートだけが、最後まで鳴っている。
『そのswitchを押せ』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、落ち込んだとき、つい人に言いたくなってしまう人だと思う。
弱音を書きかけて、消して、また書いて。同情されると少しほっとして、そんな自分が、あとから嫌になる。
『そのswitchを押せ』は、その甘えを笑わない。ぜんぶ許したうえで、勇気がたまるのを待ってくれて、最後にほんの少しだけ、力強く背中を叩いてくれる。
優しいだけの応援歌に飽きた人にこそ、この曲を聴いてほしいと思う。
【ふさぎこむ】×『波』
アコースティックギターが、水面のさざめきのように鳴り、そこへシンセの音が、水に差し込む光のようにすっと伸びていく。
冒頭の数秒で、視界いっぱいに、静かな海が広がる。
やがて聞こえてくる歌声は、エコーで輪郭がにじんでいる。目を閉じると、波打ち際に立っているのか、もう水の中にいるのか、わからなくなってしまいそうだ。
『マグマ』でも指折りに美しい音——なのに、ここで歌われるのは、道の前で立ち止まったまま、動けずにいる心だ。
美しさと、動けなさ。そのふたつが同居している——それが『波』。
眠れない夜、部屋を暗くして浮かびたい、深く静かなバラードだ。
「安らぎも不安も消えることはない」——揺れたままで、生きていく
夕暮れの海辺に、ふたりがいる。歌は、こんな絵から始まる。
朱い朱い海に くらげのようにとろけてゆく太陽
君がすぐにどこかに行かないように手を握ろう
もうすこし動かないで 胸の鼓動静まるまで
「朱い朱い」という繰り返しが、まず耳に残る。一度では言い終えず、寄せる波のようにもう一度戻ってくる言い方だ。
そして、沈む太陽を「くらげ」と呼ぶ。海に溶けて、海の生き物になってしまう太陽。ただの日暮れの景色が、この一語で、忘れられない絵に変わる。
やがて空には幼い闇が降り、星が浮かび、君は群青に吸い込まれるように消えていく。朱から、群青へ。1番の歌詞は、夕暮れの色の移ろいを、そのまま時間の経過として描いていく。
わかっているのは、もう一緒にいてはいけない、ということだけ。その理由は、最後まで語られない。
この歌の主題は、別れの事情ではない。決められないまま揺れている、心の運動そのものだからだろう。
サビで、歌声に力がこもる。
嵐の夜の波のように 見えない何かにおびえて
道の前で 迷い 立ちどまっている
なくすものに はじめて気づいているから
おびえの対象は、具体的な誰かや何かではない。「見えない何か」だ。
進もうと決めた瞬間に、はじめて見えてくるものがある。
つないだ手のぬくもり。ならんで見た夕暮れ。あたりまえに続くと思っていた時間——持っているあいだは、数えたことすらなかったものが、「なくすもの」という名前に変わって、いっせいに輪郭を持ちはじめる。
手の中のものがいちばん鮮明に見えるのは、手放すと決めたときなのだろう。
その重さで、足が止まる。力強いのに、優しくて、切ない。この声の質感に、ピアノの音色がそっと寄り添っていく。
2番の主人公は、もっと極端なことを考えている。すがりたい人も、待ってくれる人も、ぜんぶなくしてしまいたい。ほんとうにひとりきりで、さまよってみたい——。
でも、できない。その勇気のなさを自分で笑って、また嫌になる。落ち込みの渦の描き方が、どこまでも正直だ。
そして2度目のサビが、この曲の思想を言い切る。「寄せてはかえす波のように」、心はいつでも揺れていて、「安らぎも不安も 消えることはない」。
気づけば、この歌詞は繰り返しの言葉だらけだ。朱い朱い。ゆらゆら。寄せてはかえす。——言葉そのものが、行っては戻る、波の運動をしている。
だれかを見つめて生きているかぎり、心は波立つ。揺れは異常ではなく、人と関わって生きていることの、証拠なのだ。
アレンジも、海そのものを作っている。エコーでにじんだ歌声が、水を横へ横へと広げていく。ベースの低い音が、その水に重力を与えて、底のほうへと引いていく。
広がる力と、引く力。ふたつのあいだに挟まれて、聴き手はいつのまにか、水中に浮かんでいる。
2番のサビが終わると、アコースティックギターのソロが、温かな響きでリスナーを包む。
そしてブリッジ。伴奏はピアノとシンセだけになり、その静かな音の上で、「まばたきほどの時に沈む 人を幸せにできる鍵があるという」の一節が、遠くから聞こえてくるように歌われる。
音数を絞った空間に、遠い歌声がぽつんと浮かぶ。曲の中に、美しい余白が生まれる瞬間だ。
その声の遠さは、沈んでいく鍵までの距離のようでもある。まばたきのあいだに、もう手の届かない深さへ——。
そしてラスサビ。
なにもかも愛してみたい 大きくこの腕を広げて
本当は君をまるごと 包んでみたいよ
そして無限の海を潜ってゆきたい
もっと奥へ…
ぜんぶなくしてしまいたい、と歌っていた人が、最後には、なにもかも愛してみたい、と歌っている。
遮断の願いから、抱擁の願いへ。この曲の中でいちばん大きな波は、この両極のあいだの揺れだ。
「潜ってゆきたい」と伸びやかに歌い上げたあと、音はアコースティックギター1本だけになり、そこに「もっと奥へ…」と囁きが落ちる。
音が減るほど、深くなる。囁きが、この曲の最深部で鳴っている。
アウトロは、イントロと同じ音に戻って、フェードアウトしていく。寄せてはかえす波のように、曲は始まりの場所へ戻り、解決しないまま、海だけが続いていく。
思えばこの歌は、最初から最後まで「〜たい」の願望形だけでできていて、実行された行動はひとつもない。それでも、なくしたいが愛したいに変わった——それだけが、この海の中で起きた、確かな出来事だ。
『波』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、決めきれない自分を、責め続けている人だと思う。
進むか、戻るか。言うか、言わないか。心は毎日、寄せては返す。周りはどんどん決めていくのに、自分だけが波打ち際で立ち止まっている気がしてしまう。
『波』は、その揺れを直そうとしない。揺れるのは、だれかを見つめて生きている証拠なのだと、美しい海の音の中で言ってくれる。
揺れやすい心を持て余している夜は、この歌に浮かんでみてほしい。無理に岸へ戻らなくていい。そのまま、もっと奥へ——。
【イライラする】×『眠れないのは誰のせい』
ドラムが軽やかにリズムを刻み、その上で、ベースが印象的なリフを鳴らしはじめる。そこへエレキギターが重なって、小気味いいジャズのグルーヴが走り出す。
思わず体が揺れる、クールでおしゃれな音——なのに、歌われているのは、胃に穴があくほどの苛立ちだ。
イライラの歌なのに、踊れる。中身は散々でも、リズムと言い回しが気持ちいい——それが、この曲の入り口である。
そのグルーヴの上を滑る歌声が、また絶品だ。流れるように軽やかで、それでいて、確かな熱を孕んでいる——ジャズを泳ぐ稲葉浩志は、B’zでは聴けない。
眠れない夜に聴くと、悔しいくらい効く。深夜の天井を見つめる人のための、ジャジーなロックナンバーだ。
犯人を知りながら、「誰のせい」と問い続ける夜
眠れない夜、頭の中はこんなことになっている——歌はまず、体の異変から始まる。
やけに痛いと 思ったら 胃に りっぱな穴があいてたんだ
夜中のうちに 虫がわいて 体のあちこちをせめる そりゃ石もたまる
早死にするぞ もしかしてするかも
自分の胃の穴を「りっぱな」と他人事のように感心してみせ、「そりゃ石もたまる」と変に納得し、「早死にするぞ」と脅したそばから、「もしかしてするかも」と弱気になる。
強がりと弱気が、数秒おきに入れ替わる。眠れない夜のひとりごとは、実際、これくらい支離滅裂に回っていくのだろう。
体を壊している犯人には、見当がついている。知らないうちに抑えつけてきた、自分自身の欲だ。
飲み込んだ我慢は、消えてなくならない。腹の中で消化されないまま発酵して、嫌な臭いを放ちはじめる。その腐臭を「なんというオーデコロン!!」と皮肉る自虐までしてみせる。
では、何をそんなに我慢してきたのか。サビで明かされる。
ああ いやだな 他人の幸せを
満面の笑顔見せて 喜んでるボクがいる
せっかちな妖精が ぐるぐるかけめぐる 空は明るくなっても
眠れないのは 誰のせい
嫌いな人にも、どうでもいい人にも、「満面の」笑顔で幸せを喜んでみせる。その演技が、日々、腹の中に沈んでいく。
そして注目したいのが、2番のサビだ。今度は「他人のふしあわせを 涙を流して悲しんでる」——そこにいるのは「ボク」ではなく、「オレサマ」なのである。
喜びを演じるときは、ボク。悲しみを演じるときは、オレサマ。演じる場面ごとに、一人称まで入れ替わる。演技を続けるうちに、自分がすこしずつ分裂していく——その狂いが、呼び名の揺れとして歌詞に書き込まれている。
サウンドは、そんな内心と裏腹に、どこまでも気持ちいい。
サビではコーラスとオルガンが厚みを足し、タンバリンが軽快に鳴る。間奏のギターソロも、おしゃれにスウィングしていく。
眠れないほどの苛立ちを、踊れるグルーヴで聴かせる。歌詞のユーモアと、ジャズの快感——ふたつの中和装置が、この重たい夜を、最後まで心地よく聴かせてしまう。
ただし、よく聴いてほしい。「誰のせい」と歌うとき、その声から、すこしずつ力が抜けていくようだ。
問いを重ねるほど、疲れていく。空が明るくなっても、犯人は見つからない。
いや——見つからないのではない。ほんとうは、最初からわかっているのだ。
ああ いやだな 薬は効かない
あの娘のやわらかい手を握ってもおちつかない
なんか気持ち悪い きっと本当はわかってる
自分の中で あつい戦いが始まってること
薬も効かない。やわらかい手も、効かない。眠れない原因は外のどこにもなくて、自分の中で「あつい戦い」が始まっているからだ。
犯人の名前を、主人公はとっくに知っている。それでも「誰のせい」と問い続けるのは、なぜだろう。
認めたら、続けられなくなるからだ。原因があの愛想笑いだと認めてしまえば、明日、笑顔を作るたびに、自分が自分を壊している音が聞こえてしまう。
だから、犯人捜しは終わらせない。「誰のせい」と問うているあいだだけ、この人は被害者でいられるのだろう。
そしてこの「あつい戦い」に呼応するように、ラスサビから、トランペットが鳴りはじめる。
このアルバムでトランペットが吹かれるのは、この曲だけ。その一枚きりのカードが、夜の熱が沸点に達する場面で切られる。
アウトロ、稲葉浩志の迫力のシャウトが感情を爆発させ、トランペットが華麗にテンションを最高潮まで駆け上げていく——。
と、次の瞬間。音はふっと、エレキギターのリフとトランペットだけになり、静かに終わっていく。
沸騰しても、答えは出ない。熱が引いたあとに残るのは、いつもの朝と、眠れなかった事実だけだ。
街は平和なフリをして、ボクは満面の笑顔のフリをする。そのなかで、眠れない体だけが、嘘をつけずにいる。
『眠れないのは誰のせい』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、家に帰ると、どっと疲れが出るタイプの人だと思う。
職場でも、集まりでも、ちゃんと感じよく振る舞える。むしろ、うまくやれてしまう。でも夜、布団の中で今日の自分を再生して、なんだか気持ち悪くなる。
『眠れないのは誰のせい』は、その気持ち悪さに「消化不良」という正確な名前をつけて、ジャズのグルーヴで踊らせて、最後にそっと図星を突いてくる。
「大なり小なり 君も思いあたるでしょう」——この一節にどきりとした人は、きっと、今日もどこかで上手に笑ってきた人だと思う。
次に眠れない夜が来たら、この曲をかけてみてほしい。誰のせいかなんて、わからないままでいい。同じ夜を知っている声が隣で歌ってくれるだけで、天井を見つめる時間は、少しだけやさしくなる。
【孤独】×『Soul Station』
やわらかなオルガンの音色が、ゆっくりと視界を満たしていく。
そこへアコースティックギター、ベース、シンプルな8ビートのドラムが合流して、アルバムでいちばん長いバラードが、静かに動き出す。
6分半の大曲——なのに、ここで歌われるのは、事件でも冒険でもなく、”何も起きない日々”だ。
だれとも口をきかず、変わりたいと思いながら、今日も変われずに終わっていく。その途方もない長さを描くために、この曲は、アルバムでいちばん長い必要があったのだと思う。
1995年頃、パリで生まれた曲だという。駅と線路の歌が異国の街で書かれていた、という事実も、どこか似合っている。
変わりたいのに、今日も何も変わらなかった——そんな夜のいちばん深くで聴いてほしい、魂のバラードだ。
「出発したい」——願うことしかできない夜の、いちばん深い場所
歌は、散らかった部屋から始まる。
手も洗わずTVも消し忘れ 浅い眠りに揺られる
だれとも口をきかない日は よくあるよ
別にたいしたことじゃない
夜の闇は死ぬほど深く
僕にはどうしていいのかわからない
「よくあるよ」「別にたいしたことじゃない」と、まず強がってみせる。
けれど、そのすぐあとに、「夜の闇は死ぬほど深く」——本音が漏れる。平気なフリと、どうしようもなさが、数行のうちに同居している。
そしてこのAメロ、よく聴くと、ドラムが鳴っていない。
アコースティックギターとベースとオルガンだけの、ビートのない音。何もない一日には、鼓動がないのだ。
「どうしていいのかわからない」と歌い終えた瞬間、スネアの一撃が飛び込んで、リズムが戻ってくる。感傷を深めるようなエレキギターのソロが、伸びやかにそれに続く。
止まっていた時間が、音の上で動き出す。この曲は、停滞と衝動の呼吸を、ドラムの出入りで描いていく。
主人公のそばには、彼女がいる。こぎれいなスーツで、朝の坂を駅へと下りていく。
毎日、電車に乗って、行くべき場所へ行く人だ。
その部屋に、僕は残る。君に甘えたまま、ゴールの見えない道の長さに、ため息をつきながら。
同じ駅が、彼女には毎朝の出発点で、僕には、電車の音を聞くだけの場所になっている。
行き先を決められない人間に、改札の先はないのだろう。
なんて退屈な世界にいるんだろう
君に甘えたままで
この心に火はつけられないままで
そしてまた陽が暮れてゆく
線路の向こうに希望は沈みゆく
サビで、歌声は切実さを増す。
そして「火はつけられないままで」のところで、声はふっとファルセットに裏返る。息の多い、いまにも消え入りそうな高い声だ。
点かない火のことを、消えそうな声で歌っている——歌詞と声が、ここでぴったり重なっていく。
陽は、線路の向こうに沈む。電車が行ってしまう方角へ、希望も沈んでいく。
間奏では、今度はアコースティックギターのソロが響き渡る。エレキの感傷とはちがう、美しく澄んだメロディ。
6分半という長さは、こうした言葉にならない時間を、ソロが引き受けることで呼吸しているように感じる。
2番のAメロは、ふたたびドラムの消えた静けさに戻る。
街ではだれかが去り、だれかが来て——自分以外のみんなは、ちゃんと人生を動かしているように見える。
それなのに、いまの自分がどう動けばいいのかだけは、学校のどの教科書にも載っていなかった。途方に暮れた問いが、静けさの中に、ぽつんと置かれる。
「でてるの」と歌い終えた、その直後——激しいドラムのフィルが、叩き込まれる。
あたらしい人を知ったと 君は言い放ち ベッドで背を向け
だれも乗らない電車の音だけが聞こえる
この曲でいちばん現実が刺さる瞬間に、いちばん激しいリズムが戻ってくる。
言い放つ。背を向ける。描写は即物的で、感傷の入り込む隙がない。そして部屋に残るのは、夜を走る、だれも乗らない電車の音。
乗られなかった機会が、空車のまま通り過ぎていく音だ。
なんてくだらない世界にしてしまったんだろう
君をだいなしにしてまで
死にかけている僕のたった一つの魂は
違う景色を見たいと もがいてる
まっ赤に溶けて注がれる場所求め
出発したいと願ってる きっと…
yeah どこかさい果ての場所へ
1度目のサビと、聴き比べてほしい。「なんて退屈な世界にいるんだろう」が、「なんてくだらない世界にしてしまったんだろう」に変わっている。
“いる”は、被害者の言葉だ。退屈な世界に、たまたま置かれてしまった人の言い方。
“してしまった”は、加害者の言葉である。この世界をくだらなくしたのは自分で、君をだいなしにしたのも自分だと、初めて認める言い方だ。
その自覚の底から、ようやく本当の願いが顔を出す。火のつけられなかった心が、「まっ赤に溶けて注がれる場所」を求めている。
凍えていた魂が、灼けた色を夢見ている——アルバムの題名が指す風景に、歌詞がもっとも近づく一節だ。
それでも語尾は、「願ってる きっと…」と、最後まで断言できないのだけれど。
サビが「どこかさい果ての場所へ」と歌い終わると、この曲は、不思議な結末に入っていく。
「誰も救えない」——囁くような声で、そう歌われる。
「どんな神様にも救えない」。繰り返すうちに、声は少しずつ力を増していく——救いは、外からは来ない。
そして「誰の言葉も届かない」の繰り返しが、この曲でもっとも高いテンションで、叫ぶように歌われていくのだ。
おかしな話だと思わないだろうか。いちばん絶望的な言葉が、いちばん熱く歌われている。
でも、これで合っているのだと思う。
誰の言葉も届かないということは、自分を動かせるのは、自分だけだということ。死にかけていたはずの魂が、その事実を叫んでいるこの瞬間が、この曲でいちばん生きている。
「まっ赤に溶けて注がれる場所」を求めていた魂は、さい果てのどこかへ行けたわけではない。
けれど、思い出してほしい。さっきまで、点かない火のことを消えそうな声で歌っていた人が、いまは、曲の最高温度で叫んでいる。
探していた場所より先に、声のほうが溶けはじめているのだ。冷えきっていた魂が熱を取り戻していく音を、この結末は聴かせてくれる。
シャウトの声が聞こえるなか、曲は静かにフェードアウトしていく。出発できたのかどうかは、歌われないまま。
『Soul Station』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、変わらない毎日を、ほんとうは自分のせいだと知っている人だと思う。
環境のせい、時代のせい、だれかのせい——そう言ってみても、心のどこかでわかっている。この退屈を作ったのは、自分だと。
『Soul Station』は、その自覚を責めない。6分半かけて、いちばん深い孤独の底まで一緒に降りて、そこでそっと教えてくれる。誰にも救えないということは、自分でなら、救えるということだと。
人生が停滞していると感じる夜にこそ、この曲を最後まで聴いてほしい。叫びながら遠ざかっていく、あの声——あれは、駅に残った人の声ではないと思う。
【悲しい】×『arizona』
ドラムのフィルが鳴って、幕が上がる。
続いて聴こえてくるのは、”シャラララ……”という、稲葉浩志自身の優しいコーラスだ。ロックナンバーなのに、風が吹き抜けていくような、広くて気持ちのいい入り口である。
この曲は、稲葉浩志が実際に、アリゾナをひとりで旅した体験から生まれた。
だから、音の視界が広い。ところが——その大きな景色の中で歌われるのは、意外なほど個人的な、内側の痛みなのだ。
荒野を走りながら、思い出すのは、あの人のこと。スケールの大きな景色と、消えない小さな痛み。そのアンバランスごと聴かせる曲だ。
遠くへ行きたくなった日に、そして、遠くまで来たのに忘れられない何かがある日に——聴いてほしいロードソングである。
どこまで走っても、「あなたとの歓び」だけが追いかけてくる
夜の荒野を、車で走っている。歌は、そんな場面から始まる。
ヘッドライトを消して走ろう 冷えた地面にねころがろう
何かが遠くで吠えている それでも僕は怖くない
ヘッドライトを消して走る。街灯も、建物の明かりも、なにひとつない土地でそれをすれば、あたりは本物の闇になる。
そのかわり、空が明るくなる。フロントガラスいっぱいに星が降り、月あかりが、道の輪郭をうっすらと浮かばせる——地上の明かりを消したぶんだけ、天の明かりが見えてくるのだろう。
冷えた地面に寝ころべば、遠くで何かが吠えている。コヨーテだろうか。それでも、怖くない。
「耳にうるさいほどの静けさ」の中で、主人公は、ふるさとを離れたリアルさを、全身で確かめている。
外の世界は、もう怖くない。なのに——
痛いよ痛いよ だれかそこをなでておくれ
ともに 過ごした あなたとの 歓びだけがよみがえり痛いよ
「痛いよ痛いよ」「なでておくれ」——痛みを説明する言葉が、ここにはひとつもない。
ただ痛いと繰り返して、だれかの手が来てくれるのを待っている。取り繕いも、比喩もない、剥き出しの訴えだ。
しかも「だれかそこを」——どこが痛いのか、自分でも指させていない。胸なのか、記憶なのか。場所さえ曖昧な痛みが、荒野のまん中で、無防備なまま漏れている。
本当に痛いとき、人は、飾る言葉から失っていくのかもしれない。
そして、痛みの正体に、はっとさせられる。よみがえるのは、つらい記憶ではない。「あなたとの歓び」——幸せだった記憶だけが戻ってきて、痛いのだ。
楽しかった日々こそが、いちばんの凶器になる。失恋の痛みの本質を、これほど正確に言い当てた歌詞は、そう多くない。
そしてこの曲、「シャラララ……」の優しいコーラスが、イントロ、間奏、アウトロと、何度も戻ってくる。
シャラララは、荒野の風だ。雄大で穏やかな景色が広がるたび、その中から「痛いよ」が噴き出してくる——どんなに大きな景色も、個人的な痛みまでは消してくれない。この曲の構造そのものが、そう歌っている。
2番では、旅の視界がさらに広がる。
高くそびえる岩影。しげみを踊らせる風。数百万年の時間が流れる土地では、「時の単位は大きく変わり」、悩める旅人の痛みも、少しだけ小さく見えてくる。
その視界の中で、主人公は、終わった関係をこう振り返る。
水のない河を泳ぐように 僕らは必死にもがいてた
結ばれること 離れることで 人の絆は強くなってゆく
アリゾナには、水の涸れた河が実在する。
水のない河で、泳ごうとしていた——もう流れていない関係の中で、それでも必死にもがいていたふたり。荒野の地形が、そのまま恋の比喩になっている。実際に旅をした人にしか、書けない一節だと思う。
そして、「離れることで」も人の絆は強くなる——そう歌えるところまで、主人公は来ている。
2番のサビのあと、稲葉浩志自身が吹くブルースハープが、乾いたループドラムの上で鳴り響く。
ポケットに入れて、ひとりで吹ける楽器。ひとり旅の音色が、渇いた喉と、水のない河の乾きを、そのまま音にしていく。
それでも、強がりは最後まで続かない。「もはやひとりでは生きられぬ ひ弱な心がさまよう」——旅の結論は、”強くなった”ではなかった。ひとりでは生きられない自分を、認めることだった。
そして、ラスサビ。この曲でいちばん美しい二行が歌われる。
夢だろう 夢でしょう どこまでも 眠りつづけよう
あなたが ただで 僕にくれた くちづけは星のように 輝きつづける
「ただで」——無償で、という一語が刺さる。
見返りも条件もなく与えられていたものの値打ちを、人は、失ってから知る。
そして、星の比喩の正確さ。いま見えている星の光は、何年も前に放たれた光だ。もう終わった関係のくちづけが、いまも輝いて見える——砂漠の星空の下で、これ以上ふさわしい比喩はない。
「輝きつづけるー」と、歌声が伸びやかに響いていく。
アウトロでは、シャラララの優しいコーラスと、荒々しいギターソロが、同時に鳴っている。
穏やかな景色と、生々しい痛み。どちらかが勝つのではなく、ふたつが同居したまま、曲はフェードアウトしていく。
痛みは消えない。でも、景色は美しい。その両方を抱えたまま、旅は続いていく——そんな終わり方だ。
『arizona』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、楽しかった記憶ほど、思い出すと苦しくなる人だと思う。
写真を消しても、通る道を変えても、幸せだった場面ばかりが、ふいに戻ってくる。あの日々が良いものだったと、心がちゃんと知っているからだ。
『arizona』は、その痛みを無理に消させようとしない。ただ、視界だけを大きく広げてくれる。数百万年の岩、うるさいほどの静けさ、ただでもらったくちづけの星——痛みは小さくならないけれど、痛みを置いておける場所が、少しだけ広くなる。
大切な記憶に苦しくなった夜は、この曲で、荒野の風に当たってみてほしい。
【穏やか】×『風船』
ピアノの音だけが、しずかに、優しく鳴っている。
その音のあいまに、稲葉浩志のやわらかな歌声が、すぐ隣で話しかけてくるような近さで入ってくる。
実はこの曲、『マグマ』で唯一、バンドがまったく入っていない。ドラムも、ベースも、ギターもなし。
ピアノとチェロとホルン——たった3つの音色と歌だけで、最後まで進んでいく。
ロックアルバムのまん中で、ここだけ、空気の質が違う。張りつめてきた耳が、ふっとほどける場所だ。
歌われるのは、ふたりのあいだに浮かぶ、一個の風船のこと。
大切な人がいる人に——そして、大切な人とうまくやれない日がある人にこそ、聴いてほしいバラードだ。
風船をふくらませるのも、しぼませるのも、ふたりの「言葉」
歌は、ふしぎな一枚の絵から始まる。
風船が 浮かんでいる
二人の間に浮かんでいる
ちくちくいじめてみたり
ときどき いとおしく見つめてみたり
ふたりのあいだに、風船がひとつ、浮かんでいる。
ふたりの関係、と言ってしまえば早いけれど、この曲はそれを、実体のある”一個の風船”として描いていく。
気になるのは、「ちくちくいじめてみたり」だ。
風船に、ちくちく——いちばんやってはいけないことである。われないでほしいと願っているくせに、つい、針のような言葉でつついてしまう。
恋人たちは、いちばん壊れやすいものに、いちばん無造作に触れてしまう。冒頭の4行だけで、その危うさと愛おしさの、両方が描かれている。
「ちくちくいじめてみたり」と歌うあたりから、チェロの音が鳴りはじめて、情景がすっと深くなる。
サビでは、「どうかわれないように どうかいつまでも」という祈りが、優しい歌声で届けられる。
晴れの日も、雨の日も、どうか割れずに浮かんでいてほしい——ささやかで、切実な祈りだ。
祈りというより、自分たちに言い聞かせているような、ふたりの小さな約束に近いのかもしれない。
そして、「大きな風を待って」のところ。囁くような声のまま、「待って〜」と音を伸ばしていく。
風船をそっと持つような歌い方だ。壊れやすいものの扱い方が、そのまま歌唱になっているように感じられる。
2番からは、ホルンの音が加わって、景色がさらに鮮やかになる。
ピアノだけで始まった曲に、チェロが加わり、ホルンが加わり——楽器が、ひと息ずつ増えていく。風船がゆっくりふくらんでいくように、曲そのものが、少しずつふくらんでいくのだ。
そして2番で、風船の仕組みが明かされる。
風船が ふくらむのは
二人のきもち やさしいきもち
さみしげにしぼんでいるのは
かなしい言葉を ふきこんだから
風船は、息でふくらむ。そして、ふたりの言葉こそが、その息なのだ。
やさしい気持ちを吹き込めば、ふくらむ。かなしい言葉を吹き込めば、しぼむ。
関係とは、ふたりが毎日たがいに吹き込んでいる言葉でできている——風船の比喩が、ここまで精密に組み上がっている歌を、他に知らない。
「さみしげにしぼんでいるのは」——この一節だけ、何かの痛みを思い出すような、切実な声で歌われる。
しぼませたことが、あるのだろう。あのとき自分がどんな言葉を吹き込んでしまったのか、思い出しているような声だ。
どうかわれないように どうかいつまでも
晴れの日も 雨の日もふわりふわり
ほんの少しだけのわかりあえること
そんなもろいものたちがつまっている
二人ではじめたことを みんな
ゆっくり育てよう花が咲くまで
風船の中身は、「ほんの少しだけのわかりあえること」。
完全な理解ではない。長くいっしょにいても、分かり合えるのは、ほんの少しだけ。この正直さが、この歌を信用できるものにしている。
分かり合えた破片は、少なくて、もろい。だからこそ、詰まっているものぜんぶが、かけがえない。
そして「二人ではじめたことを みんな」——この「みんな〜」の一語だけ、声が力強く伸びていく。
ふたりで始めたことを、ぜんぶ。いいことも、そうでなかったことも、ひとつも取りこぼさない——その一語にだけ、この曲でいちばん強い声が使われている。
そのあとの「ゆっくり育てよう」は、また優しい声に戻る。強く抱えて、優しく育てる。歌い方が、そのまま約束の中身になっている。
そして、最後。歌は、ぽつりと一行だけを置いて終わる。
はなれることは終わることじゃない
ここまでの歌詞に、別れの言葉はひとつもなかった。なのに、最後の最後に、この一行が来る。
どうか割れないように、どうかいつまでも——そう願いつづけてきた歌が、最後の一行で、願いのひとつ先にたどり着くのだ。もしも「いつまでも」が叶わない日が来ても、はなれることは、終わることじゃない。
糸が手をはなれて、空へのぼっていく風船の話かもしれない。気持ちが終わらないまま離ればなれになる、ふたりの話かもしれない。どちらにしても——祈りは破られていない。風船は割れないまま、手の届かない高さで、いまも浮かんでいる。
「終わることじゃない」と歌い終えると、3つの楽器の音色が静かに重なり、最後の一音の余韻が空に消えていくのを、手をはなれた風船を見送るように、この曲は最後まで見届けてから終わる。
音が消えても、聴こえていた時間は終わらない。
『風船』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、大切な人にほど、つい尖った言葉を向けてしまう人だと思う。
大事にしたい気持ちは、ほんとうなのに。疲れた日ほど、いちばん近くにいる人の風船を、ちくちくやってしまう。
『風船』は、それを叱らない。ただ、しぼんだ風船のさみしさと、ふくらませ直す方法を、そっと教えてくれる。吹き込むものを、やさしい言葉に変えればいい——それだけのことが、いちばん難しくて、いちばん大切なのだと。
今夜、隣にいる人と交わす言葉から、変えてみてほしい。風船は、何度でもふくらみ直す。
【落胆した】×『台風でもくりゃいい』
再生した瞬間、もう歌っている。軽快なエレキギターのコードに乗って、やや荒ぶった歌声が飛び込んでくる。
歌い出しから、飲んで、騒いで、吐いている——B’zのステージでは決して聴けない、格好のつかない稲葉浩志が、開始数秒でそこに感じられる。
ついてない日の歌である。それも、とびきりついてない日の。
小さな不運を浴びつづけた主人公が、「いっそ台風でも来てくれ」と願う歌——落ち込む代わりに叫び、うなだれる代わりに疾走する、威勢のいい3分間だ。
聴き終わると妙にスカッとしている。
むしゃくしゃした日の帰り道に、音量を上げて聴いてほしい一曲だ。
ついてない日々こそが、「僕のマグマ」の燃料になる
まず、主人公の夜がどれだけ散々か、聞いてほしい。
飲みすぎて吐いて、眠れなくて、夜の街を歩く。自動販売機に吸いたい銘柄が置いてなくて、カッとなって壊して、逃げる。誰かに指をさされて笑われて、うつむいて走り去る。
——お気づきだろうか。半分くらい、自業自得である。
でも本人の中では、それも全部「ついてない」に数えられている。不運と自業自得の区別がつかなくなるくらい、ぐちゃぐちゃの夜なのだ。そして——
サウナで支配人に 丁寧に追いだされ
家に帰れば イオリがいない
白いフェラーリに おもいきりオカマほられた
ちゃらちゃらしたやつに ほられちゃった
サウナで「丁寧に」追い出される——乱暴に追い出されるより、よほど惨めである。
家に帰れば、イオリがいない。ちなみにイオリとは、稲葉浩志が実際に飼っていた猫の名前だ。私生活が、そのまま歌詞に流れ込んでいる。
とどめは、白いフェラーリの追突。「ほられちゃった」の脱力した語尾とその歌声には、もう怒る気力も残っていない。
注目したいのは、この不運たちの”サイズ”だ。
悲しむひまなどない どれもこれもがささいで
冗談ばかりで また 消えてゆくよ
どれも、人生を壊すほどではない。誰かに話せば、笑い話にされてしまう。悲劇にすらなれない不運——それが、いちばんたちが悪い。
大きな不幸なら、堂々と悲しめるし、まわりも同情してくれる。でも、ささいな不運の百連発には、誰も付き合ってくれないのだ。
だから、主人公はこう願う。
台風でもくりゃいい でっかいのでもきてくれりゃ
彼女に会いに出かけてみたい
やな事全部 帳消しにしたい
でっかいのが一発来てくれれば、細かい不幸はぜんぶ帳消しになる——無茶苦茶な理屈だが、覚えがあるはずだ。
台風の夜、明日は休校かもしれないと思った瞬間、宿題もテストも、気の重いことがぜんぶ消えた。あの感じである。
ただし、この願いには続きがある。やな事がぜんぶ吹き飛ばされた、まっさらな一日に、この人がしたいことは、たったひとつ——「彼女に会いに出かけてみたい」。
台風の願いは、破壊の願いに見えて、本音のあぶり出しだった。ぜんぶ飛んだあとに残るものが、「会いたい」だった。
そしてこの曲、サウンドの構造そのものが、台風になっている。
コードだけの入り口にハイハットが加わり、バンドが加わり、雲が発達していく。Bメロで一度、嵐の前の静けさに沈み、サビで暴風。間奏のブルースハープが、さらに風速を上げる。ブリッジでは、ノイズまみれの”台風情報を読み上げる声”まで聞こえてくる。
そして、ラスサビの直前——音が、ふっと止む。台風の目である。
アコースティックギターと歌だけの静けさの中で、この曲でいちばん素直な本音が、爽やかに歌われる。
愛をください ただでください
余りものでいい 寄付してくれ
暴風の中心の、無風の場所でだけ、言えた言葉。
あれだけ騒いで、叫んで、飛ばしてきたこの歌の、いちばん奥にあったのは——結局、この一言だったのだろう。
「寄付してくれ」のシャウトと同時に、バンドの音が押し寄せて、台風は再上陸する。
歌声のエネルギーは最高潮へ。そして、この4行が来る。
泣くな騒ぐな 卑屈にゃなるな
そして僕のマグマは熱くなるよ
時間は余ってない 倍テンでいっちゃうよ
すべてはただ 過ぎ去ってゆくよ
——「僕のマグマ」。
実は、アルバム15曲で「マグマ」という言葉が歌詞に登場するのは、この一節だけである。
6分半の大作でもなく、美しいバラードでもない。アルバムの名前が隠れていたのは——ささいな不運だらけの一日を、疾走で吹き飛ばす、この3分間だった。
しかも、マグマが熱くなる条件を見てほしい。泣かない。騒がない。卑屈にならない。——泣いて騒いで吐き出してしまえば、それで終わり。
飲み込んだものだけが、腹の底に沈んで、熱に変わる。
ついてない一日も、指をさされた恥も、会いたいのに会えない夜も、ただでいいから欲しい愛も。この曲に出てきたぜんぶが、マグマの燃料なのである。
「吹き飛んで」と歌い終えるとバンドの音が止み、伸びていく余韻の中に「GONE….」という呟きが落ちて——曲は、台風一過のように、パッと終わる。
空は、たぶん晴れている。現実の台風は来なかったけれど——この3分の曲が、でっかいのの代わりに、来てくれた。
『台風でもくりゃいい』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、今日という日が、ささいな不運ばかりだった人だと思う。
電車は目の前で行ってしまい、コンビニで小銭をばらまき、余計なひと言に傷ついて帰ってきた。誰かに話すほどでもない、でも確かに削られた一日。
『台風でもくりゃいい』は、その削られた分を、3分の暴風でまとめて吹き飛ばしてくれる。泣くな、騒ぐな、卑屈にゃなるな——むしゃくしゃの正しい燃やし方を、この曲は知っている。
ついてない日の帰り道にこそ、音量を上げて。台風は来なくても、この曲が来てくれる。
【怒り】×『灼熱の人』
ロックなギターリフが、一発で気分を高揚させる。
“yeah”という枯れた呟きを合図にスネアが打ち込まれ、ベースも同じリフをなぞって、分厚い音の塊が転がりはじめる。
それもそのはず、この曲はリフから作られた。「こういう方法を採ると、ツェッペリンみたい。リフさえ出来れば後はどうにかなる」——本人がそう語る、アルバム制作初期のハードロックナンバーである。
歌われるのは、冷めきった街で、熱を捨てずにいる人のこと。
ただしこの応援歌、夢は叶うとも、明日は良くなるとも言わない。言うのは——「したいんなら、しょうがない」。
世間に合わせることに疲れた日、拳を握って聴いてほしい一曲だ。
「灼熱の人よ 今 立ちあがれ」——腹の底の熱を噴火させるロック
この歌に呼びかけられている「君」は、冷めた街に住んでいる。
心当たりのある場所だと思う。会議で新しい案を出せば、場がすっと白ける。夢を語れば、「まだそんなこと言ってるの」と笑われる。頑張っている人の努力より、誰かの失敗のほうが、ずっと盛り上がる。
上を目指すより、目立つ人の揚げ足を取るほうが安全——「命をかける」という言葉が、人の足をすくうことにしか使われていない場所だ。
歌はそこを、「ここらへんは そういうところだよ」と、住み慣れた口調で紹介する。怒ってはいない。もう、慣れてしまっているのだ。
——そして、「だけど」。この一語を力強く言い放って、サビになだれ込む。
灼熱の人よ 今 立ちあがれ
嵐の中で踊り狂え
後悔するヒマもないような人生で
かくしてる 鬼のような面で叫んでごらんよ
灼熱の人——冷めきった街で、まだ熱を捨てていない人のことだ。
そして、「かくしてる 鬼のような面」。鬼の面とは、悪意の顔ではなく、本気の顔のことだと思う。理不尽に怒れば「怖い」と言われ、熱く語れば引かれる。
だから、笑顔の下にしまってきた——いちばん生きている顔を。
その面のままで、叫んでごらんよ。命令形の連打の中で、ここだけ優しく誘う言い方になっているのがいい。
2番の「君」は、もっと切実だ。「良識」を、納得してではなく、薬のように毎日ゴクゴク飲み下している。
しかも、立ちはだかるのは悪人ではなく、波風のない暮らしを望む、君を心配する親戚たち——善意には、怒りで返せない。
フツーがいちばんなのは、本人が誰より知っている。正論に、言い返せる言葉はない。それでも消えずに残る一語——「だけど」。
この「だけど」こそが、灼熱の火種である。
灼熱の人よ 泣きねいるな
疑うことも忘れないで
余力を残せぬ哀しいさだめ
ヤジられてもいい
攻撃の渦にその身をさらけ出せ
この応援には、噓がない。
「泣きねいるな」のあとに続くのは、信じろ、ではなく——「疑うことも忘れないで」。
言われたことをゴクゴク飲み込む癖こそが君を冷やしてきたのだから、疑うことは、熱を守ることなのだ。
さらに、燃える道を「余力を残せぬ哀しいさだめ」とまで言う。格好いいとも、報われるとも言わない。それでも、ヤジられてもいいから、その身をさらけ出せ——。
その叫びの直後、音は、ドラムだけになる。ギターもベースも取り払われた、剥き出しのリズム。
やがて音が戻り、間奏では、稲葉浩志のコーラスが、ギターと同じメロディをなぞっていく。声が、楽器になる。荒々しいギターソロが重なって、テンションはさらに上がっていく。
そして、ブリッジ。
冷静に侑瞰で見るのは
Oh,賢いやつらにまかしときゃいい
はずれてゆく自分のピッチを どうにかしたいんだろう
したいんなら しょうがない
「侑瞰(とおめ)」は、稲葉浩志の造語だという。高いところから冷静に見下ろすことは、賢いやつらに任せておけばいい。君は当事者で、世間の音程からはずれていく自分を、どうにかしたいんだろう——
「したいんなら しょうがない」。
夢を追え、でも、信じれば叶う、でもない。この「しょうがない」は、突き放しではなく、太鼓判だ。
抑えても抑えても消えなかった熱なら、もう本物——それを知っている人だけが言える、いちばん深い肯定の言葉だと思う。
そして、この一言を合図に、曲はラスサビへ全速力で突入する。歌声はここまででいちばんのエネルギーで伸び、最後の「叫んでごらんよ」が、ハスキーな声で耳を貫いていく。
この叫びを浴びるうち、聴いているこちらの体温が上がっていく。再生ボタンを押したときは冷めた街の住人だったのに、聴き終わる頃には、すっかり灼熱の人だ。
アウトロは冒頭のリフに戻り、弾き切った瞬間、バシッと演奏が終わる。言うことは言った、あとはやるだけ——潔い幕切れである。
『灼熱の人』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、いつも周りに合わせて、本気の顔を隠している人だと思う。
言いたいことを飲み込んで、無難な案に頷いて、帰り道にひとりで悔しくなる。そういう日々の底に、まだ熱が残っている人。
『灼熱の人』は、その熱を、綺麗な言葉で飾らない。報われるとは言わない。楽になるとも言わない。ただ、「したいんなら、しょうがない」と——その熱が本物であることだけを、認めてくれる。
たまには、鬼の面のままで、この曲と一緒に叫んでみてほしい。隠したままにしておくには、その熱は、もったいない。
【つまらない】×『なにもないまち』
軽やかに跳ねるパーカッションのリズムに、ウッドベースの深く丸い低音が寄り添う。
そこへ、ワウのかかったマイナー調のギターがゆらりと重なり、シンセの音色がかすかに差し込んで、空間の隅々を淡く彩っていく。
どこの国のものでもない、不思議なボサノバの空間が、これだけの音数で立ち上がる。
その上を、軽快で、それでいてどこか気だるい歌声が、滑っていく。
この曲のモチーフは、B’zのツアー先のホテルで作られたのだという。何万人を沸かせた夜の、ひとりの部屋——そう知って聴くと、この曲の静けさの質が、少し違って聴こえてくる。
3分足らずの小品ながら、B’zでは決して聴けない稲葉浩志が、ここまで詰まった曲もめずらしい。
がんばる気力も、落ち込む元気もない日に——そっと寄り添ってくれる一曲だ。
「なにもないまち」とは、きみのいなくなったまちのこと
歌は、朝の部屋から始まる。
カーテンを閉め忘れ 朝日が僕にたずねる
ひとりで眠るベッドは ちょっと広すぎやしないかい
パンにかじりつきながら コーヒーの湯気を眺める
きみの消えたこの部屋は 静かすぎやしないかい
質問しているのが、主人公ではないことに、注目してほしい。たずねてくるのは、朝日のほうだ。
ふつうなら、これは自分で気づくことだ。ひとりで眠るベッドは広いな、この部屋は静かだな——寂しさは、本人の心に浮かぶものである。
でも、この主人公は、パンをかじって、コーヒーの湯気を眺めているだけ。広いとも、静かだとも、感じられていない。心が、それを感じる力さえ失っているのだろう。
だから、この寂しさは「朝日がたずねてくる質問」というかたちで書かれている。ほんとうは自分の気持ちのはずなのに、他人事のように、外から聞こえてくる——疲れ切った朝の、あの感覚だ。
そして、この曲でいちばん重要な一行が、さらりと歌われる。
いつもどおり 僕以外のなにもかも
——街は、何ひとつ変わっていない。朝日は昇るし、電車は走るし、ラジオは鳴る。ぜんぶ、いつもどおり。
なにもない なにもない なにもない なにもないまちじゃ
あるいても はしっても ないても どこにもたどりつけない
なにもない なにもない なにもない なにもないまちじゃ
あれもない これもない それもない ここにいるイミがない
なのに、なにもない。
つまり「なにもない」は、物の話ではなく、意味の話なのだ。
きみが消えた——それだけで、あれも、これも、それも、指させるものすべてが意味を失った。なにもないまちとは、きみのいなくなったまちのことである。
サビは、ファルセットのような声とコーラスで、囁くように歌われる。空虚を歌っているのに不思議な吸引力があって、聴いているこちらまで、なにもないまちへ誘われていく。
歌詞カードにも、見逃せない仕掛けがある。「あるいても はしっても ないても」——歩く、走る、に続く三つめは、泣いても、だ。
涙がひとしずく、まぎれている。
2番、主人公は車の中にいる。
走っているあいだは、まだいい。でも、信号待ちで車が止まると、隣の静けさが追いついてくる。だから、ラジオのボリュームを上げて、歌う——空元気の、音量だ。
それでも、ふと隣を見てしまう。ぽっかりあいた助手席では、日ざしを受けて、ほこりが舞っている。
ほこりが舞うのは、そこに長いこと、誰も座っていないからだ。見なければよかったものが、きれいな光の中に浮かんでいる——このアルバムでも指折りの、喪失の画だと思う。
2番のサビが終わると、そのまま——あの声が聴こえてくる。
ヘヤヲデヨウ アシタニナッタラ マチヲデヨウ アシタニナッタラ
ヤッテイケル ヒトリニナッテモ ウマクズルク ヒトリニナッテモ
エフェクトのかかった、ロボットのような声。歌詞カードの表記も、ここからカタカナに変わる。
部屋を出よう。街を出よう。——この曲でついに現れた出発の言葉に、しかし、熱がまったくない。淡々と、感情の感じられない声で、機械的に繰り返されるだけ。
決意にはすべて「アシタニナッタラ」の条件が付いていて、明日ほんとうに出るのかどうかも、わからない。
「ウマクズルク」——うまく、ずるく。アルバムの入り口で聴いた処世術の言葉が、ここでは自分に言い聞かせる呪文になって戻ってくる。
でも、この曲の不思議な魅力は、まさにここにあると思う。
出発の歌は、ふつう、感情を燃料にする。希望を抱いて旅立つか、絶望に背中を焼かれて逃げるか。
この曲の出発は、燃料を何も積んでいない。希望も、情熱も、失望も、絶望も——どの感情でもないまま、ふらっと、まちを出ていく。
そして聴いているこちらも、なぜか思うのだ。これなら、出られるかもしれない、と。
感情を用意できない日でも、出発だけはできる。なにもかも意味を失って、心が空になったからこそ、体は軽い——あのロボットのような声は、悲しみの音ではなく、無重力の出発の音なのだと思う。
最後は、歌と同じメロディをなぞるエレキギターだけが残り、「フトクミジカク」の歌声のあと、ポロリと小さな音を鳴らして、曲は静かに終わる。
出ていったあとの部屋に、残っていた音——そんな一音だ。
『なにもないまち』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、悲しみの、その次の段階にいる人だと思う。
泣けるうちは、まだいい。ほんとうにまいっているときは、涙も出ないし、何も感じない。がんばれの歌も、泣ける歌も、どちらも耳に入らない——そういう時期が、人にはある。
『なにもないまち』は、その時期のための曲だ。感情を要求しない。励まさない。ただ、軽やかなボサノバに乗せて、「ヘヤヲデヨウ」とだけ、繰り返してくれる。
何も感じられない朝は、この曲と一緒に、とりあえず部屋を出てみてほしい。感情は、あとから追いついてくる。
【張り詰めた】×『Chopsticks』
ジャンベの乾いた連打が、いきなり視界を民族音楽の色に染める。
そこへエレキギターのリフが乗り、ドラムとベースも加わって、勢いを増したまま——フェードアウトで走り去っていく。2分15秒、『マグマ』で唯一、歌詞のないインストゥルメンタルだ。
かっこいいミクスチャーサウンド。なのだが、正直に言おう——この曲、乗れない。頭を振ろうとすると拍子がすり抜け、手拍子を打とうとするとズレる。
でも、それでいい。これは、翻弄されるための2分間なのだ。
乗れないのは、乗れないように作られているから
前半は、打楽器の群れと、人の掛け声だけ。メロディも和音もない。ここまで11曲、言葉をたっぷり使ってきたアルバムの真ん中に、言葉をひとつも持たない2分間が置かれている。
後半、ディストーションの効いたギターのリフとロックドラムが絡み、密林のリズムとロックが正面からぶつかり合う。
さて——乗れなかった人へ、種明かしをしたい。この曲、4分の7拍子である。
体に染みついた4拍子のつもりで乗ると、小節ごとに一拍ずつ、足場がズレていく。乗れないのは、仕様なのだ。体は「次はどこだ」と構え直しつづける——【張り詰めた】は、この曲では理屈ではなく体感である。
ところで、この曲には面白い話がいくつかある。どれも裏の取れる話ではないので、話半分でどうぞ。
曲名の由来説。レッド・ツェッペリンには、ドラマーのジョン・ボーナムが両手に2本ずつ、計4本のスティックで叩いたことにちなむ『Four Sticks』という曲がある。『Chopsticks』はそのオマージュだという説——お箸も、2本一組の棒である。『灼熱の人』で「ツェッペリンみたい」と語っていた時期の言葉遊びだとしたら、筋が通っている。
もともとは歌詞を書いて、歌モノにする予定だったという話もある。だとすればこの曲は、”言葉を書こうとして、書かれなかった曲”ということになる。
さらに、2年後のB’z「ギリギリchop」の源流ではないか、という説まで。真偽はさておき、聴き比べてみるのも一興だ。
『Chopsticks』レビューまとめ
この曲がいちばん効くのは、言葉に疲れた日だと思う。
一日中、言葉を受け取って、返して、気を遣って帰ってきた夜——『Chopsticks』は、意味をひとつも運んでこない。リズムと勢いだけが、体を通り抜けていく。
考察は、今夜は要らない。乗れない拍子に、ただ翻弄されてみてほしい。
【気が気でない】×『JEALOUS DOG』
犬の鳴き声が、聴こえてくる。
その声が続くなか、歪みの効いたベースが重たいリフを弾きはじめ、ドラムとギターが加わって、ブルースの匂いのするバンドサウンドが転がり出す。なかでも、音と音のあいだをぬるりと滑っていくスライドギターの音色が、たまらなく心地よい。
ちなみにこの鳴き声、当時の稲葉浩志の飼い犬・BUBの声だという。『台風でもくりゃいい』の歌詞には、飼い猫のイオリの名前——愛犬と愛猫まで連れてきて作られたアルバムなのだ。ステージの上のスーパースターではなく、家で犬と猫と暮らしている、ひとりの人。
歌われるのは、想いを寄せる相手の視線が、自分ではない男に向いている——その、みっともないほうの嫉妬だ。なのに、この主人公は、どこか憎めない。
好きな人のSNSを、また見てしまった夜——この曲が、あなたの代わりに吠えてくれる。
「かくしてはおけない」——このアルバムで、いちばん正直な男
主人公の願いは、ささやかで、切実で、すこし情けない。
もっとボクに 優しく笑いかけてほしい なるべくボク一人だけに
「なるべく」——この一語が、切ない。ボクだけに笑って、とは言い切れない。なるべくでいい、という遠慮が、もう負けている。
しかも、君の笑顔はあいつに向いていて、目と目だけで会話が通じ合う——ふたりは、どうやら恋人同士である。それでも男は、「たとえ君が だれかのものだろうと」と開き直り、頭の中では「きっとだまされてる、マイダーリン」——現実は認めているのに、妄想では、とっくに自分のものなのだ。
そして、この曲の急所は、「みんな二重三重に ホンネをかくしすましてる」の一節だ。
じつはこの嫉妬、彼女には一度もぶつけられていない。飛びかかるのも、モノにしたいのも、ぜんぶ頭の中——表ではこの男も、みんなと同じようにホンネを隠して、「脈のないコミュニケーション」を続けている。
ただ、隠しきれていない。「みっともないと言われても かくしてはおけない」——抑えこんだ嫉妬は頭の中で燃えつづけて、とうとう、この歌になって溢れ出した。
私たちが聴いているのは、彼女には決して聞こえない、頭の中の大音量。いちばんみっともない内心は、いちばん正直な内心でもあるのだ。
やいちゃう メラメラ 嫉妬が燃えてる 体がアツイ
なりふりかまわず 君をモノにしたい
自分で自分が一体誰だかわからなくなる
気がついたらもう飛びかかってるよ
「やいちゃう」の口語に、「メラメラ」の擬音。深刻に燃えてきたこのアルバムの熱が、ここでは、隠しようのない剥き出しの熱として燃えている。
聴きどころは、「もう飛びかかってるよ」の歌い方だ。じっとりと、しゃがれた抑えた声——飛びかかる歌詞を、自身の気持ちのリードを必死に引っ張るような声で歌っている。
そして、歌詞を追うほど、この男のしぐさは、犬に重なっていく。
気がつけば飛びかかり、傷ついても「なめてりゃなおるぜ」と強がる——傷口を舐める、犬のあの仕草そのままだ。挙句の果てに——
ねぇ…そこのキミ ボクを心配してくれるなら
おいしいオヤツを今すぐ たらふくちょうだいよ
突然、歌の外にいる誰かに向かって、オヤツをねだりはじめる。
彼女の心は、手に入らない。だったらせめて、いますぐ食べられるものを——しかも、ごはんではなく、オヤツを。慰めてほしいのではなく、かわいがってほしい。この情けなさが、なんとも憎めない。
ちなみに英語のスラングで、dogには「モテない人」という意味もある。嫉妬深い犬で、嫉妬深いモテない男——タイトルからして、自虐が二重に効いている。
アレンジは、力強いサビにもマンドリンの高音が響く、軽快な仕立て。
いちばんの聴きどころは「君とアイツの目と目でする会話がくやしい ボクの入りこめない世界」のくだりで、ここだけ、音がマンドリンとコーラスだけになる——ふたりの世界に入れない疎外感が、音の隔離で、そのまま表現されている。
歌い方からも、本心が漏れる。強がりの「興味はない」だけ、囁くように弱く。「わかってるよ 脈のないコミュニケーション」は、なげやりに。わかっていて、やめられないのが、嫉妬である。
そして、最後。
寝ておきて 忘れてれば それでもいい
その結論が、か細い声と、スライドギターの一音と、餌を我慢するような切ない犬の鳴き声とともに、静かに幕を引く……
と思った、次の瞬間。エレキギターのロックなリフが、弾きわたる。
力強いリズム隊が地鳴りのように戻り、荒ぶったブルースハープが吠えるように重なって——まるで打ち合わせの外で始まったような、セッションの大騒ぎが繰り広げられていく。
寝て忘れれば、それでもいい——口では、そう収めてみせた。
でも、収まっていないのだ。布団に入って、目を閉じて、それなのに、あの二人の姿が浮かんできて眠れなくなる——あの再燃が、そのまま音になっている。
歌詞は、もう終わっている。だから再燃は、音だけで起きる。
嫉妬は、ひと晩寝たくらいでは消えない。最後のオチを言葉ではなく音が言って、伸びのあるスライドギターの音色で、幕が下りる。
『JEALOUS DOG』レビューまとめ
この曲に見透かされるのは、嫉妬を「していない顔」で生きている人だと思う。
好きな人の隣にいる誰かを、心の中でこっそり減点する。SNSの楽しそうな写真に、一瞬だけ胸が焦げる。そして、そんな自分を、なかったことにする。
『JEALOUS DOG』は、その熱を責めない。隠せないほど正直に、みっともないほど剥き出しに燃やしてみせてくれる。嫉妬は、恋の不純物ではなく、恋の一部なのだと。
胸の中の犬が騒がしい夜は、この曲で、思いきり吠えさせてやってほしい。
【生き生きとした】×『愛なき道』
タタンッ、とドラムが、ふたりの背中を叩く。その合図で、爽快なバンドサウンドが、一斉に走り出す。
『マグマ』でいちばんキャッチーな曲は?と聞かれたら、この曲を挙げる人は多いと思う。シングルにしても違和感のない、突き抜けた聴き心地——なのに歌われているのは、「愛のない道を、ぶっとばして行こう」。初めて聴けば、どきりとする言葉である。
ただし、これは愛を捨てる歌ではない。捨てるのは、「愛」という言葉のほう——恋人ならこうするべき、周りからこう見られるべき、という、あの言葉にセットでついてくる「べき」の数々だ。
長く付き合って、関係がすこし固くなってきたふたりにこそ、聴いてほしいロックナンバーである。
「愛という名のルール」から、ふたりで降りる
歌は、疲れた宣言から始まる。
十分だろう 僕らは 十分すぎるほど
愛という名のルールに 懸命につくしてきた
ふたりの何が問題だったのか——何も問題がなかったことである。
うしろゆびをさされない。理想にかぎりなく近い。つまりこのふたり、他人から見た成績は、満点だった。
愛という名のルールに尽くすとは、そういうことだ。採点者は、いつも外にいる。
でも、満点の演技を続けるには、見せられない自分を、どこかに隠しておく必要がある。「おまえの想像もつかないような僕がいる」——知ったら気絶する、間違いない、とまで言うのだから、隠してきたものは、ずいぶん大きく育っていたらしい。
ルールに尽くせば尽くすほど、素の自分の置き場所がなくなっていく。理想のカップルの内側で起きていたのは、それだった。
そして、この曲でいちばん鋭い2行が来る。
うそもつかないで やりくりしてたはずだけれど
うそをつかないで すむような 話題に逃げてただけ
僕らは、誠実だった。嘘なんて、ついていない。——嘘をつかずに済む話題だけを、選んでいただけ。
身に覚えのある人は、多いはずだ。地雷を避けて、無難な話題で今日もやり過ごす。それは嘘ではない。でも、正直でもない。
「あるがままの相手じゃない 互いに見ていたのは」——どちらか一方ではなく、ふたりともが、演じていた。この公平さが、この曲の誠実なところだと思う。
愛のない長い長い道を ぶっとばしてゆこう
幻を次から次へと追いやって
もうひとりじゃない まして なあなあになるわけでもない
ういういしい ぬくもりが もっとあざやかに見えるよ
サビでは、爽快なロックと力強い歌声と美しいメロディが、胸を突き抜けていく。
注目してほしいのは、「もうひとりじゃない」——愛なき道を走るのは、ふたりなのだ。
別れる歌ではない。捨てるのは相手ではなく、「愛」という名前と、そのルールのほう。模範カップルの演技をやめて、幻を追い払って、それでも隣にいる——そのとき、「ういういしい ぬくもり」が、もっとあざやかに見えてくる。
名前とルールを捨てた道の先に、本物の温もりだけが残る。愛なき道とは、いちばん愛のある道のことだった。
ブリッジで、音は一度、溜めに入る。
エッジの効いたギターとパーカッションだけになり、歌声は、囁くように抑えられる。エンジンをもっとうならせろ——と煽る歌詞なのに、声はまだ、アクセルを踏まない。
そして、本物の前では、愛の言葉なんて「がらくた」になる。そう言い切ったところでバンドが戻り、ギターソロが重なって、テンションが一気に上がって——
精神のリミッター みな のうなしてしまえよ
このシャウトが、『マグマ』全15曲の中でも最高潮のエネルギーで、響き渡る。
「のうなす」は「無うなす」——なくす、という意味の、稲葉浩志の故郷・岡山の言葉だ。精神のリミッターを、全部なくしてしまえ。
「誰がつくった道を走ってるの」と問うた、その直後。誰かに借りた言葉ではなく、生まれ育った土地の言葉が、アルバムでいちばん強い声で飛び出してくる——いちばん素の言葉に、いちばん強い声。
あるがままをさらけ出す歌の頂点で、歌い手自身の”素”が、最大音量になっている。
どこまでも 楽しんでいける 自分の道ならば
ときにはげしい さみしさと戦いながら
I’ll give you a ride もしも だれかが望むならば
美しい思い出だけを 胸にひめ とびだそう
自分の道なら、どこまでも楽しんでいける。ただし——「ときに はげしい さみしさと戦いながら」。楽園の約束はしない、この一言の噓のなさがいい。
そして、「I’ll give you a ride」——乗っていきなよ、という意味の英語だ。
隣の席には、彼女が乗っている。だからこれは、恋の誘いではない。ルールを降りて、自分の道を楽しむ——この走り方に乗ってみたい人がいるなら、誰でも乗せていくよ、という開かれた誘いなのだろう。
「もしも だれかが望むならば」と、押しつけずに。それでも、ドアは開けてある。
「とびだそう」と、伸びのある歌声が突き抜けていく。
そのあとに聴こえてくるのは——曲とはまるで関係のない、ジャズ風のピアノと、ネコの鳴き声。
ロードムービーの、短いエンドロールのようだ。走り去ったふたりの物語が終わって、場内の明かりがつくまでの、ほんの数十秒——肩の力の抜けた、粋な締めくくりである。
『愛なき道』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、長く一緒にいる相手と、無難な話題ばかり話している人だと思う。
今日の天気、仕事のぐち、夕飯のこと。嘘はついていない。喧嘩もしない。でも、いちばん話したいことは、もうずいぶん話していない。
『愛なき道』は、その静かな行き詰まりに、爽快な出口をくれる。理想のカップルを演じるのをやめても、愛は終わらない。むしろ、名前とルールを捨てた道でこそ、ぬくもりはあざやかになるのだと。
こんど、その人とドライブに出かけるなら、この曲を。エンジンの音と一緒に、無難じゃない話を、ひとつだけしてみてほしい。
【満ち足りている】×『Little Flower』
アコースティックギターの柔らかな音色に、浮遊感のあるエフェクトのかかったギターが重なって、夜の空間を満たしていく。ドラムは、鳴っていない。
その静けさの中へ、囁くような歌声が、そっと入ってくる。ファルセットを巧みに混ぜながら、夜更けの部屋を浮かび上がらせていく。
アルバムの最後に置かれたのは、6分をかけて、夜から朝へ渡っていく静かなバラードである。
派手なサビはない。キャッチーでもない。それなのに、聴くたびに、どこか吸い込まれてしまう。
眠る前の、一日でいちばん静かな時間に——15曲の旅の終わりに、ゆっくり聴いてほしい終曲だ。
感情のぜんぶが、「すき間」を埋めていく
歌は、真夜中のひとりごとから始まる。
夜更けのひとりごと 月も笑って眺めてるよ
今までの僕は ひび割れたグラスだと
ぽっかりあいた穴から なにもかもこぼれてる
本当には うれしくも かなしくもないような このこころ
ひび割れたグラス——この自己診断が、正確で、痛い。
思えばこのアルバムの主人公は、ずっと乞うてきた。愛をください。あばいてくれ。なでておくれ。……なのに、いつまでも満たされなかった。
その理由が、ここでわかる。注がれていなかったのではない。器が割れていて、ぜんぶこぼれていたのだ。
だから、うれしくもかなしくもない。何を注がれても、たまらない心——
と、歌った直後。「このこころ」の一節だけ、歌声がどこまでも伸びていき、ダダン、ダダンと力強いドラムが打ち込まれる。
無感覚だと言った、その胸の奥で——心臓は、ちゃんと脈打っている。
2番から、ドラムが優しくリズムを刻みはじめる。
真夜中のひとりごとは、本人の頭の中では「めくるめく」壮大さで渦を巻いている。でも、聞いてくれる人は、誰もいない。雲に向かって吠えたところで、雲は流れていくだけ。唯一の同居人である猫は、知らん顔で寝ている。
そこへ、あの人が現れる。
君のわかりやすい笑顔が 意識の底に話しかける
あなたのその胸をさいて どろどろのこころを見せてと
どろどろのこころ——マグマ、である。
15曲かけて地下に溜めてきた、嫉妬も、怒りも、欲望も、諦めも。その煮えたぎる中身を、「見せて」と言ってくれる人が、とうとう現れた。
しかも、「わかりやすい笑顔」の人だ。複雑にこじれた男のところへ、いちばんシンプルな人が来て、いちばん深い場所に話しかける。
そして——「目を覚まそう」。
この一言と同時に、曲のキーがメジャーに変わる。景色がひらけるように、音に朝の色が差して、エレクトリックピアノが彩りを加えていく。
うなされている僕の指を、君がつかんでくれる——強く、しっかりと。
そして、ここで君が握るのは、手ではなく「指」だ。
悪夢は、本人にしか終わらせられない。代わりに見てあげることも、夢の中に入って戦ってあげることもできない。
できるのは、指をつかんでおくことだけ。でも、その感触だけは、夢の中まで届く。どんなにうなされていても、ここに現実がある——と知らせてくれる、たった一点。
目を覚ますのは、あくまで自分だ。ただ、目覚めた先には、ちゃんと誰かの手がある。「目を覚まそう」という優しい誘いは、この握り方に支えられている。
いっしょならば やすらぎや はげしさや 寂しさで
すき間は埋まってゆくよ これからはもう 空っぽじゃない
ここで、よく聴いてほしい。この一節は、マイナー調に戻って歌われる。
すき間を埋めるのは、やすらぎだけではない。はげしさも、寂しさも——快い感情も、そうでない感情も、ぜんぶが、ひび割れの隙間を埋めていく。
目を覚ましたからといって、暗い感情が消えるわけではない。メジャーとマイナーを行き来しながら、その全部で満ちていく——15曲、痛い感情ばかり並べてきたこのアルバムの結論が、ここにある。感情に、いらないものなんて、ひとつもなかったのだ。
2度目の「目を覚まそう」で、曲はまたメジャーへ。ディストーションのかかったギターは、そのまま持ち越される——痛みを知ったうえでの、優しさの音だ。
与えたことばかり 覚えていた僕に おやすみ
小さな花を 抱きしめる君を 抱きしめてみたい
今度は僕が
ここで、キーが一段、高くなる。
「与えたことばかり覚えていた僕」——あれをしてあげた、これもしてあげた、と数えながら愛していた自分。その古い自分を、責めるのではなく、「おやすみ」と寝かしつける。
そして、最後の言葉。小さな花を抱きしめる君を、抱きしめてみたい——今度は、僕が。
愛をください、と乞い続けてきた男の、アルバムの最後の言葉が「今度は僕が」。もらう側から、与える側へ。15曲の旅は、この4文字にたどり着くためにあった。
アウトロでは、すこし荒々しいギターソロが余韻を深めながら、曲はゆっくりとフェードアウトしていく。
朝は、もう近い。
『Little Flower』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、何をもらっても、満たされない気がしている人だと思う。
優しくされても、褒められても、どこかからこぼれていく。うれしいはずの日に、うれしさが残らない——ひび割れたグラスに、心当たりのある人。
『Little Flower』は、割れた器を責めない。接着剤も差し出さない。ただ、やすらぎも、はげしさも、寂しさも、ぜんぶで埋めればいいと歌ってくれる。そして最後に、いちばん確かな満たし方を教えてくれる——今度は、自分が抱きしめる番になることだ。
15曲の夜の、いちばん最後に差す光。どうか、アルバムの順番どおりに、この曲へたどり着いてほしい。
このアルバムを通して感じたこと
『マグマ』は、感情の火を消して生きる男の歌で始まり、「今度は僕が」という言葉で終わる。
だれにも怒らず、いい顔をして、上手に逃げる——1曲目の処世術は、正直、僕たちのものでもある。その男が15曲かけて、火照り、苛立ち、立ち尽くし、叫んで——最後には、誰かを抱きしめる側に回る。
タイトルの「マグマ」が歌詞に現れるのは、ついてない一日を笑い飛ばす、あの3分の曲だけ。その正体は、火山でも情念でもなく、飲み込んで生きる人の、腹の底の熱のことだったのだと思う。
そして終曲——やすらぎも、はげしさも、寂しさも、ぜんぶがひび割れを埋めていく。感情に、いらないものはひとつもない。全曲に感情の名前をつけてきたこのブログにとって、いちばんうれしい結論が、最後に待っていた。
それにしても、このアルバムの稲葉さんは、驚くほど近くにいる。
犬の散歩の途中でメロディを思いつき、飼い猫の名前をそのまま歌詞に書く。ツアー先のホテルの部屋で、ひとり、なにもない街の歌を作る。眠れない夜に天井を見つめ、ついてない日にはやけになり、好きな人の前では、うまく笑えない。
僕たちと同じような夜を過ごしている人が、その夜を、隠さずぜんぶ歌にしてくれた——「勢いまかせで作った」と本人は語るけれど、勢いだけで、ここまで自分をさらけ出せるものだろうか。
※本記事において引用している歌詞は、すべて稲葉浩志のアルバム『マグマ』に収録された楽曲からの一部抜粋です。著作権は各著作権者に帰属しており、当サイトは正当な引用のもとでこれを掲載しています。著作権に配慮して歌詞全文の掲載は行っておりません。