“木星”という唯一無二の白い光が、今いる場所をやさしく照らす

冬の青空に、白い息がふわりと浮かぶ。その白さが消えていくまで見送る、ほんのわずかな間に、思考だけが静かに遠回りを始める。

福山雅治の配信シングル『木星 feat. 稲葉浩志』は、そんな“静かな冬の体温”から始まる。

映画『映画ラストマン -FIRST LOVE-』の公開日である2025年12月24日、この曲は主題歌として世に送り出された。

まず感じさせられるのは、この曲が“二人で作られている”という確かな手応えだ。

作詞:稲葉浩志
作曲・編曲・プロデュース:福山雅治

そして歌は、互いに背中を預け合うように、二人で歌われていく。重なった歌声は寄り添い、溶け合い、ゆっくりと、ひとつの歌になっていく。

曲は「止められない思い」や「打ち明けたいこと」を抱えたまま進む人の胸の奥を、まっすぐに照らす。そしてその光の中、この歌が決して手放さないのは、何度でも抱きしめ直される「愛された記憶」だ。

冬の木星は、12月から3月にかけて、夜空の中でひときわ明るく輝き、遠くにありながらも、その光は確かに私たちの目に届く。

凍えた空気の中で見上げる木星は、はるか遠くにある。それでも、その光は揺らがない。近づけなくても、触れられなくても、見失うことだけはない。

この曲に『木星』というタイトルを選んだ理由は、きっとそこにあると思う。

描かれているのは、そばにいなくなっても、時間が隔たっても、消えずに胸に残るもの。手触りや匂いとして、ふいに戻ってくる“愛された記憶”は、弱さを抱えたまま立ち止まる夜にも、遠くからこちらを照らし続ける光に似ている。

終盤に現れる「渦巻く星」「変わらぬ光」「ただ白く」という白さは、悲しみを強調するためのものではない。それは、冬の空に研ぎ澄まされて残る、確かな明るさだ。

遠くても、今の自分を支えている。木星とは、この曲にとって、そういう“記憶の在り方”そのものなのだろう。

福山雅治のメロディに稲葉浩志の言葉が宿り、息遣いまで包み込むようなバラードの響きが余韻を形づくるとき、心の中にひとつの惑星が浮かぶ。

ここから先は、音で確かめてほしい。二人の声が重なる、その絶妙な距離感と、静かに変わっていく景色を。あなたの心の空に浮かび上がる『木星』を、ぜひ体感してほしい。

Release:2025.12.24

福山雅治『木星 feat. 稲葉浩志』

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¥250

本記事では、福山雅治の楽曲『木星 feat. 稲葉浩志』の歌詞の一部を引用しながら、その表現やメッセージについて考察しています。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。

【満ち足りている】×『木星 feat. 稲葉浩志』

A〜Bメロで描かれるのは、冬の澄んだ空気の中で、吐き出せない言葉を胸に留めたまま、感情だけが巡り続けてしまう瞬間だ。

青空に白い息
儚い言葉 舞うように
滲むのはどんな覚悟
止められない思いは巡る

やり直したいこと打ち明けたいこと
音なく積もる

音のない静けさと、吐いた息が白く浮かぶほどの冷えた世界。

そこで心の中にある思いは確かに存在しているのに、言葉としては定着せず、軽く宙を舞ってはほどけていく。

何かを決めようとする気配だけが、覚悟になりきれず、輪郭を持たないまま内側に滲んでいる。

この繊細な導入を支えているのが、福山雅治の歌声だ。力を振り絞ることも、感情を押しつけることもない。抑えた声の奥に、確かな熱を宿しながら、冬の空気を切り裂くように、静かに聴き手の内側へ届いてくる。

感情を誇張して語るのではなく、胸の内にある重さを、そのまま声に乗せていく。曲が進むにつれて、わずかに増していくその歌声の強度が、言えなさや、決めきれなさを、より生々しく浮かび上がらせていく。

「やり直したいこと」「打ち明けたいこと」。それらは雪のように音も立てず、胸の中へ積もっていく。

ここでも福山雅治の声は、感情を煽らない。悲しみを強調することもなく、一定の温度で言葉をそっと置いていく。その抑えた歌い方があるからこそ、「積もる」という表現が、静かに、そして切実に響いてくるのだろう。

そしてサビで歌われるのはただ一つ、「愛された記憶」だけを見つめ続けることだ。

愛された記憶だけを
見つめてるよ どんなときも
吸い込まれそうなその手触りだけ
思い出してください

前を見るのでも、過去に戻るのでもない。進めなくても、答えが出なくてもいい。

迷っているときも、立ち止まっているときも、それでも胸の奥で、確かに見失われないものがある。その存在を、もう一度確かめ直す場所が、このサビだ。

そして象徴的なのが、「手触り」という言葉だ。愛を大きな意味や物語としてではなく、もっと近くにあった感覚として思い出させる。

吸い込まれそうなほど近くて、確かにそこにあった感触。

それは気持ちを奮い立たせるためではない。今の自分がここに立っていられる理由を、静かに確かめ直すための時間だ。

そして同時に、その感触を、あなたも同じように覚えていてくれたら——そんな小さな希望が、言葉の奥に、そっと滲んでいる。

ブリッジパートで歌われるのは、目指すべき理想ではない。ここで差し出されるのは、何度も向き合わされてきた弱さと、それでも折れずに残ってきた自分の輪郭だ。

うんざりする自分の弱さを
折れることのない自分らしさを
誰かとぶつけ合ったりしながら
あの声追いかけ
ここまで来たよ

このパートは、稲葉浩志の歌声から始まる。張り詰めた芯を残したまま放たれる声は、弱さを嘆くというより、弱さを引き受けてきた時間の長さを感じさせる。

そこに続くのが、福山雅治の声だ。稲葉浩志のフレーズを受け取るように、少しトーンを落としながら、折れそうになりながらも立て直してきた感覚を、声の奥に静かに宿していく。

二人の声は、フレーズごとに行き交いながら、それぞれが歩いてきた道の違いを、無理に埋めることなく保っている。

そして最後の「ここまで来たよ」で、二人の声が重なる。それはゴールを告げる言葉ではない。

弱さも自分らしさも、衝突や迷いも抱えたまま、それでも今、ここに立っている。その事実を、二人でそっと共有する瞬間だ。

この曲が深く届くのは、前に進めていない自分を、どこかで「間違っている」と感じてしまう人だ。決断できないことも、立ち止まっている時間も、すべて無駄だったのではないかと、夜に一人で考えてしまう人にこそ響く。

『木星』が伝えているのは、それでも、ここまで来たという事実は消えない、ということだ。過去に確かに受け取った温もりは、今も見えないところで、自分を支え続けている。
その感覚をもう一度抱き直すことで、止まっている時間さえも、静かに肯定されていく。

『木星』は、遠くから道を照らす歌だ。無数に瞬く星のひとつではなく、夜空の中でひときわ明るく、位置を変えずに輝き続ける光。

迷って立ち止まる夜にも、見上げれば、変わらずそこにある。この曲は、前へ進めない時間を抱えたままでも、それでも自分がここまで来たという事実を、良し悪しを問わず、そのまま受け止めていいのだと、静かに照らし続けてくれる。

ビズくん
ビズくん
オレの冬のバディは、コンビニの熱々おでんだけです!🍢😭
福山雅治『木星 feat. 稲葉浩志』

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本記事において引用している歌詞は、すべて福山雅治の楽曲『木星 feat. 稲葉浩志』からの一部抜粋です。著作権は各著作権者に帰属しており、当サイトは正当な引用のもとでこれを掲載しています。著作権に配慮して歌詞全文の掲載は行っておりません。