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“きみはきみの思うように生きろ”
オープニングナンバーの「冷血」は、このフレーズから歌いだされる。
歌声はリスナーに向けてではなく、自分自身にむけられている。
肯定的ではなく否定的でもない。
からだの中、さまざまな感情が、どろどろと溶け合いマグマが、形成されはじめていく。
誰しもが抱く内向的な感情や、ネガティブな体験。
このアルバムを聴き、共感することで、それらをきっとポジティブな体験へと変えてくれる。
Release:1997.01.29
表現される感情
冷血 / 悲観的
「マグマ」を象徴する曲。
冷血とは、心の冷たい男、 薄情、といった意味をもつ。
他人を変えることはできないし、自分が成長することもない。
その事実に、絶望しているというわけではないが、正面から向き合うことはしない。
“だれにも怒らず だれからも好印象”
このフレーズは、他人を思いやれない自分をいい人のように見せる、そんな生き方を悲観的に受け入れている。
くちびる / 神経が高ぶる
この曲に、キスという言葉が出てこないのは、相手に愛情を求めているのではないからだろう。
そのくちびるに求めるのは、聴いたことのないささやきや、身をほろぼすような快楽なのかもしれない。
“僕のハダカを今宵のぞかせてくれ”
あいての裸ではなく、自分の「ハダカ」をのぞきたい。
「偽りではない自分をさらけ出したときのあいての反応」を、「僕のハダカ」というフレーズで表現している。
そんな神経の高ぶりが歌われている。
そのswitchを押せ / 精力的
人は失敗したり落ち込んだりしたときには、誰かになぐさめてほしいし、わたしはこんなに傷ついている!といって、周りにアナウンスしたくなってしまうときがある。
それは感情の整理には必要なことだし、周りには助けてくれる人がいる。
だけど、いつまでもそのままじゃいられないこと。なぐさめてくれたり、助けてくれた人のためにも前を向いていかなくてはいけない。
“そして勇気がたまったところで
そのSwitchを押してみたらどう?”
というフレーズで、精力的な感情が歌われている。
波 / ふさぎこむ
“僕がおぼれてるのは
よけいなものの海なんだろうか”
この曲で表現される「海」は、ポジティブなものではないだろう。
その「海」から発生する「波」はけっして静まることなく、いつまでもゆらゆらと揺れている。
“君がすぐに どこかに
行かないように 手を握ろう”
すぐに、というフレーズは、たとえ手を握っていても、いつかは離れてしまうという状況をあらわしている。
そして海から上がろうとしなければ、おぼれることもない。
無限の海を、もっと奥へと潜っていく。
そんなふさぎこんだ感情が、しずかにやさしく歌われている。
眠れないのは誰のせい / イライラする
誰にでも眠れない夜があって、ネガティブな感情がぐるぐるかけめぐるときがある。
かなわなかった欲求や、あのときの間違った言動や行動を思い出しては、夜中のうちに腐りはじめる。
“ああ いやだな 他人の幸せを
満面の笑顔見せて 喜んでるボクがいる”
というフレーズでは、嫌いな人、関心のない人など、喜ぶ必要のない人に対して、「満面の」笑顔と強調することで、自分の弱さに対する苛立ちをより強くあらわしている。
それは大人として、社会の中で当たり前の行動なのだろう。
ただ、その気持ち悪さが消化できない息苦しさを、ジャジーなサウンド、稲葉さんの枯れたシャウトで見事に表現している。
Soul Station / 孤独
このままではダメなことは分かっている。
現状をより良くするためには「なにか」行動が必要だ。この曲では、その「なにか」のメタファーとして「電車」が用いられている。
だが、出発したいと願いながらも電車に乗ることはなく、線路の向こうに沈みゆく希望を眺めているだけ。
“この心に 火はつけられないままで
そしてまた 陽が暮れてゆく”
このフレーズでは、そんな惰性的な日常が歌われている。
ではなぜ、電車に乗らないのか。それは行き先がわからないからだろう。
ここが「Soul Station」ではないと気づきながらも。
“誰の言葉も届かない”
この曲は、このフレーズをくり返しながら、ゆっくりとフェードアウトしていく。
arizona / うろたえる
この曲は、稲葉さんがアメリカ、アリゾナの大自然を一人、旅した体験を基にしている。
“耳にうるさいほどの静けさ”
どんな悩みだって小さく思えるはずの圧倒的な大自然。
しかし、その夜によみがえるのは、ともに過ごしたあなたとの胸を締め付ける思い出。
喉の渇き、生と死、ひ弱な心。
“あなたが ただで 僕にくれた
くちづけは星のように輝きつづける”
風船 / 穏やか
ピアノバラードの名曲。
この曲では、ふたりの関係のメタファーとして「風船」が用いられている。
いっぱいの愛情をふきこめば、風船は膨らみ、より遠くまで飛んでいけただろう。
そうと分かっていても、それだけで風船を膨らませることはできない。
かなしい言葉で、しぼんでしまうこともある。ちょっと尖った感情でつつけば、すぐに割れてしまう風船。
“ほんの少しだけのわかりあえること
そんなもろいものたちがつまっている”
そんなふたりの風船。
“はなれることは終わることじゃない”
このフレーズで締めくくられたふたりの風船を見送るように、穏やかなピアノの音だけが響いていく。
台風でもくりゃいい / 衝撃的
このアルバムのなかで、最高潮に温度が高まったロックチューン。
日常のなかで起こりうる、ちょっとした失敗や不幸に対して、落ち込むのではなく、逆にエネルギッシュになっていく様を歌い上げている。
エレキギターでの弾き語りで歌われる一つめの失敗。「飲み過ぎによる嘔吐」
ドラムのハイハットも加わり歌われる二つめの失敗。「自動販売機を こわして逃げる」
そして激しくなったドラムビートともに歌われる三つ、四つ、五つめの不幸。「サウナで追いだされる」「家に帰れば イオリがいない」「白いフェラーリとの交通事故」
どれもこれもがささいなこととして受け止める、そんなエネルギーに満ち溢れている。
ちなみに余談だが、このアルバム発表の1997年から6年後の2003年、B’zの15周年を締めくくった野外ライブで台風15号が直撃。中心気圧970ヘクトパスカル、最大風速35メートルの台風15号すら凌ぐパワーで、存在感に満ちた圧巻のライブをおこなっている。
“泣くな騒ぐな 卑屈にゃなるな
そして僕のマグマは熱くなるよ”
「マグマ」のタイトルナンバーといってもいいこの曲は、不幸のあとには、けっして幸運が 来るわけではない、むしろ失敗や不幸は続くという状況を、衝撃的にあらわしている。
灼熱の人 / 怒り
常識は、安心を求める人間のための道具なのではないか。そんな心情を、怒りのエネルギーで 激しく歌いあげるロックチューン。
“波風なしで暮らせば
親戚中も安心するし
フツーなことにこしたことはない
そんなの承知してる してるけど だけど”
このフレーズにはかつて、横浜国立大学の教育学部に進学しながらも、伸ばしていた髪を切ることを拒否し教育実習をやめたり、大学の卒業式にひとり革ジャンとジーンズで登校し、そしてミュージシャンの道を志した稲葉さんの姿が重なる。
そんなことは上手くいくはずがないから止めておけ。お前のためを思って言っているんだぞ。 将来を棒に振る気か。こんな言葉をくれる人の本心に、ウソはないだろう。きっと本当にそう思って心配してくれている。
“はずれてゆく自分のピッチを どうにかしたいんだろ
したいんなら しょうがない”
行動に迷ったとき、自分の本当にやりたい道に進んでいくのは、きっと自分にとって、より苦しい選択になることもある。
“灼熱の人よ 今すぐ立ち上がれ
嵐のなかで もだえ狂え”
この曲は、いつだってリスナーの潜在能力を信じてくれている。
なにもないまち / つまらない
ゆったりとしたサウンドのボサノヴァ曲。
ひとりで眠るベッド、静かすぎる部屋、光を受けてほこりが舞う助手席。僕以外のなにもかも、いつもどおりの、なにもないまち。
部屋を出て、まちを出よう。そんな決意が歌われるタイミングで、歌詞はすべてカタカナになり、ヴォーカルにはロボットヴォイスのようなエフェクトがかかる。
“ヘヤヲデヨウ アシタニナッタラ
マチヲデヨウ アシタニナッタラ”
そうくり返し歌われるこのフレーズには、熱意や、希望といった感情は感じとれない。だが、けっして不安や心配にとらわれてはいない。
それでも行動するのか、あるいは明日も同じことを思い続けて、この部屋にとどまるのか。 リスナー次第で、どちらにも解釈できる、絶妙なトラックになっている。
Chopsticks / 張り詰めた
インストゥルメンタル曲。
アフリカ音楽のリズムがつづき、曲の後半からはエレキギターのリフ、ロックドラムが絡みはじめる。
JEALOUS DOG / 気が気でない
シンプルに「嫉妬」がテーマのナンバー。
“君とアイツの目と目でする会話がくやしい
ボクの入りこめない世界”
これほどの事実を目の当たりにしながらも、諦めることができない。
“なりふりかまわず 君をモノにしたい”
サビのフレーズで「モノにしたい」と 表現される愛情。それが、独占欲、プライド、性欲といったもので満ちていることがわかる。
叶わぬ恋というのは、きっと多くの人が 体験しているだろう。自分に自信がないときほど、より強く「アイツ」に嫉妬してしまう。
「嫉妬しない方法」などを Googleで検索するまえに、ぜひこの曲を聴いて、そんな嫉妬に 全力で向き合ってみるのもいい。
愛なき道 / 生き生きとした
そして現状を受け入れ反省し、進みはじめたのは、愛なき道だった。
これまでの曲で歌われた感情に対して、その「続編」としての自身へのアンサーソング。タイトルからは想像もできないほど、生き生きとした表現で埋めつくされている。
“どこまでも楽しんでいける 自分の道ならば
ときに はげしい さみしさと戦いながら”
愛なき道など、進んでも意味がないのではないか。立ち止まったり、ひきかえしたりすれば、もしかしたら、これまでに落としてしまった愛を拾いなおすことができるかもしれない。
が、人生に対してそんな小さな知恵など意味はない。いまのいま、何が起こるかは天に任せて、たとえ愛なき道であっても進むのみである。
少ない荷物と、美しい思い出。
“愛のない長い長い道を ぶっとばしていこう”
Little Flower / 満ち足りている
アルバムのエンディング。 アコースティックギターのコード弾きからはじまるバラード曲。
“目を覚まそう
むなしがりやの夢は もう終わる”
これは、愛なき道の果てにたどり着いた「僕」のエピローグなのか、それとも、その前夜に決意をした「僕」のプロローグなのか。
“小さな花を抱きしめる君を
抱きしめてみたい
今度は僕が”
夜更けのひとりごと。
そう歌いはじめるこの曲は、かすかな温もりをのこして、音が鳴り終わる。そこにはかすかな月光がさし、ふかい夜がリスナーをつつんでいく。
理想と自分の道とのあいだに存在するマグマ