心の奥で再び燃え始める、“マグマ”
稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜』は、1stソロアルバム『マグマ』をコンセプトに掲げ、内に眠る熱をもう一度呼び起こす映像作品だ。
小箱ならではの距離感に、照明と映像演出が緻密に呼応し、ステージ全体がひとつの“生命体”のように脈打っている。そのエネルギーは、まさに“マグマ”のように心の奥から静かに沸き立ち、気づけば全身をあたためてくれるような力を放っている。
セットリストには、過去と現在をつなぐ曲が並ぶ。それらが懐かしさとしてではなく、今の言葉として再生されていくのが印象的だ。稲葉浩志の歌声は年を重ねてもなお鋭く、ときにやわらかく、そして人間らしい痛みを抱えて響く。そこにあるのは、「理想の強さ」ではなく、生き続けることのリアルな熱だ。
カメラは近距離でその表情と息づかいを丁寧にとらえる。歌うたびに感情が波打つ瞬間や、ふと見せる微笑みが、まるで手を伸ばせば届くような温度で伝わってくる。
観終えたあとに残るのは、静寂の中に漂うあたたかさ。心の奥でまだ何かが燃えている——その小さな火が、しばらく消えない。
『マグマ』という言葉は、情熱や闘志だけでなく、“生きるための体温”そのものを意味しているのかもしれない。このライブ映像は、忙しさや不安で冷えかけた心を、もう一度、やさしく温めてくれる作品だ。
静かに、しかし確かに。あなたの中にも“マグマ”は、きっとまだ息づいている。
Release:2025.09.24
メンバー
ドラム:シェーン・ガラース
ベース:徳永暁人
ギター:Duran
キーボード:サム・ポマンティ
ツアースケジュール:2024年
2024年6月にZepp Haneda(TOKYO)で6日間にわたり開催された、同一会場で連続上演するレジデンシー形式の公演『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜』
各公演日が、ひとつのソロ・アルバムを“テーマ”に据え、そのアルバムを軸とした選曲で構成されている。
6.8(土)『マグマ』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜
6.9(日)『志庵』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜
6.11(火)『Peace Of Mind』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜
6.13(木)『Hadou』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 4〜
6.15(土)『Singing Bird』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜
6.16(日)『只者』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜
※本記事では、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜』について、各楽曲の歌詞の一部を引用しながら、映像(カメラワーク・編集・照明・ステージング等)の表現やメッセージも考察します。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。演出の核心に触れる詳細な記述は避け、体験の質に焦点を当てて紹介しています。
表現される感情
- 『冷血』レビュー|“赤い冷気”が意識を研ぎ澄ます
- 『arizona』レビュー|地平線が広がり、感情が解き放たれる瞬間
- 『愛なき道』レビュー|“愛という名のルール”を超えて――等身大の愛情と素顔のままで
- 『波』レビュー|静寂の奥で息づく痛みと光
- 『そのswitchを押せ』レビュー|指先ひとつで、世界が動き出す
- 『なにもないまち』レビュー|何もない場所にともる、静かな決意の灯
- 『眠れないのは誰のせい』レビュー|眠れない夜の痛みと熱
- 『灼熱の人』レビュー|惰性を破り、もう一度立ち上がれ。稲葉浩志が歌う“灼熱”の生き方
- 『Soul Station』レビュー|“最大出力の孤独”が会場を静かに震わせた夜
- 『NOW』レビュー|終演の瞬間まで熱は上がり続ける
- この映像が伝えてくれた体験と思い
『冷血』レビュー|“赤い冷気”が意識を研ぎ澄ます
観客の拍手に迎えられ、メンバーがステージへ上がり配置につく。ゆっくりと演奏が始まる中、稲葉浩志が姿を見せると、さらに拍手の音量が一段上がる。
耳馴染みのイントロは、キーボードとベースを核に重く、静かに響き渡る。稲葉浩志のシャウトが合図となり、ステージと観客の呼吸がひとつになる。——熱狂ではなく、集中から始める。ソロ名義のライブらしい幕開けだ。
アコギの硬質なアタック。空間を淡く染めるキーボード。前に出過ぎないのに地面を支えるベースとドラム。その上にある余白を、ギターが静かに飾っていく。土台が欲張らないぶん、歌声がいっそう鋭く刺さる。
中盤では、サムのキーボードソロが静寂を描く。余白の多い旋律が、歌の“冷たさ”を美しく照らし出す。そしてサビのフレーズをもう一度。ライヴならではの“もう一巡”が、言葉の後味を深くしていく。
アウトロでは、Duranのギターが一音ごとに血を通わせるようなサステインを響かせ、
ステージと客席の境界をゆっくりと溶かしていく。
きみはきみの 思うように 生きろ
ぼくはぼくの したいように したい
自由とは 何かを 知りたい人よ
自由とは ぼくだけに 都合いいことでしょう
「君は君で、僕は僕で」——距離を取る冷静な自己防衛。
「自由とは何か」と問いながら、「結局は自分に都合のいいこと」と認めてしまう潔さ。それは理想を語る歌ではなく、人間の正直な矛盾を描いた歌だ。
“冷血”というタイトルは、その自己洞察の温度そのもの。冷たさではなく、嘘のない誠実さがそこにある。
稲葉浩志が歌う“冷血”は、決して無情ではない。むしろ、冷静さの奥にある真実の熱を描いている。
ライブの始まりを「冷たく」することで、むしろ心の芯が熱くなる。重たい空気が、美しく感じられる瞬間。赤い冷気に包まれて、余計なものがすべて剥がれ落ちる。残るのは、まっすぐな言葉と、声の温度だけ。
熱狂ではない、“冷たい始まり”の美しさを体感してほしい。ぜひあなた自身の目と耳で、この『冷血』を味わってみてほしい。
『arizona』レビュー|地平線が広がり、感情が解き放たれる瞬間
2曲目『arizona』は、白いライトアップとコーラスから立ち上がり、この夜の物語の地平を開いて、観客を優しく引き込んでいく。
Aメロは抑制が美しい。サウンドは中域に重心を置き、たっぷりとした余白の中で静かに呼吸している。
ドラムは一歩を踏みしめるように確かな響きを刻み、ベースは低く脈打ちながら土台を支える。鍵盤の音は乾いた風のようにそっと吹き抜け、ギターは歪みを抑えて柔らかく輪郭を添える。すべての音が稲葉浩志の声を中心に静かに溶け合い、歌詞の情景をやさしく手渡すように胸に迫ってくる。
サビに入ると、サウンドは全体的に一段と荒々しさを増し、一気にエネルギーが高まる。解き放たれた感情が、地平線の向こうまで広がる夜空の下にいるような心地よさで満たしてくれる。まるで“旅”の情景が、現実の体感として目前に広がるようだ。
間奏では、稲葉がブルースハープを吹く。その一音が鳴った瞬間、空気が変わる。金属の響きが白い光に溶けるように広がり、曲に新しい息づかいを吹き込んでいく。
夢だろう 夢でしょう どこまでも 眠りつづけよう
あなたが ただで 僕にくれた くちづけは星のように 輝きつづける
ラストのサビで、稲葉浩志はまっすぐ前を見つめ、腕を伸ばして歌う。その声が空気を震わせ、光の中で感情が一気にあふれ出す。表情も仕草も、すべてが歌そのもののエネルギーに変わり、胸の奥を強く揺さぶる。
星のような残光が広がり、会場全体をやさしく包み込んでいくようだ。
アウトロはDuranの荒々しいギターソロが主役。観る者を自然と高揚させるフィニッシュだ。
このライブ映像で描かれる『arizona』は、静けさと情熱のあいだにある“人の強さ”を教えてくれる。光の下で歌う稲葉浩志の姿は、痛みを抱えながらも希望を手放さない人そのもの。
曲と映像がひとつになった瞬間、乾いた風のようにやさしく、そして力強く、この映像はあなたの心に光を残してくれるだろう。
『愛なき道』レビュー|“愛という名のルール”を超えて――等身大の愛情と素顔のままで
MCで場の空気を整えたあと、イントロがふっと駆け出す。シンプルなサウンドと穏やかな歌声にのせて、『愛なき道』は等身大の愛情をやさしく照らし出していく。
Aメロでは、正しさの仮面を外すような告白が、生身のエネルギーで観客に届けられる。
でも おまえの 想像もつかないような 僕がいる
ああ おまえが 知ったら気絶する 間違いない
抑えきれない感情を吐き出すように歌い上げ、続く「間違いない!」の一声で、自らの内側を解き放つ。その瞬間、迷いのない表情を照らすように、照明が稲葉浩志の決意を鮮やかに浮かび上がらせていく。
サビに差しかかると、稲葉浩志はゆっくりとステージの袖へ歩みを進める。ときに機材に肘を預け、肩の力を抜いたまま歌うその姿から、“自分のペースで生きる”という曲のテーマが自然と伝わってくる。
ブリッジでは、安全装置を自ら解除するようなシャウトが響き渡る。
誰がつくった道を走ってるの 精神のリミッター みなのうなしてしまえよ
その叫びに込められたエネルギーは、言葉の意味を越えて胸を打つ。まるで自分自身のリミッターまでも外されていくような、圧倒的な解放の瞬間だ。
終盤、空気がふっとやわらぐ。サムの鍵盤が軽やかにスキップし、稲葉のブルースハープが微笑むように重なっていく。
小さなセッションの余白が、歌詞の描いた“道の少し先の景色”をそっと現実に映し出す。長い道を走り抜けたあとに開ける、ういういしいぬくもりがステージ全体を包み込む。
もしあなたが“いい人の義務感”に少し疲れているなら、このライブ映像は、きっと自分の歩幅を取り戻す手触りが確かに感じられるはずだ。
『波』レビュー|静寂の奥で息づく痛みと光
稲葉浩志のアコギが、その手のぬくもりをそのまま音に変えるように鳴り出す。そこにDuranのギターが、伸びやかなロングトーンで“重力”を加える。
音に宿ったわずかな重さが、感情を静かに、ゆっくりと沈めていく。客席のざわめきが遠のき、視線が一点に吸い寄せられる――そんな幕開けだ。
歌い出しは、歌うというより“語る”。抑えた声なのに、心臓のすぐそばで響くほどの近さがある。その瞬間、心が掴まれ、曲の物語が内側から動き出していく。
サムのキーボードは、水面の反射のように光の粒を散らす。海や群青のイメージを立体化し、空間の上層にそっと光を置く。音数は少ないのに、情景が一気に奥行きを持ち、きらきらとした“呼吸の余白”が生まれる。
ブリッジでは、照明が青に沈み、ボーカルには声が遠のくようなエフェクトがかかる。まるで空間の水圧がゆっくりと上がっていくようだ。サムのキーボードと稲葉浩志のアコギが、息をひそめるように静かに響く。照明は深海に差す光のように揺れ、ステージを幻想的に包み込んでいた。
そして、小さな合図が世界を反転させる。
もっと奥へ…
稲葉浩志のささやきのあと、Duranの軽やかなカッティングが空気を切り替え、徳永暁人のベースが弾むように心拍を押し出す。ドラムは踊るように前へ進み、ステージ全体が呼吸を取り戻していく。
静かなバラードにライブの血が通い、『波』はいつのまにか“無限の海”へと広がっていく。稲葉浩志の笑顔が、音のすべてを包み込み、変化をやわらかく完成させる。静寂から群青へ、そして再び光へ――その一連の流れが、観る者の心を優しく動かす。
まるで、絶えず表情を変える生きた海の中にいるように、音源では感じきれなかった温度や鼓動が、映像を通してじかに伝わってくる。
この『波』は、心の奥に沈む痛みや迷いを抱えたまま、それでも立ち止まっている人に届く曲だと思う。光を掴もうとする歌ではなく、闇の中にある自分の輪郭を見つめる歌だ。
このライブ映像は、その静かな痛みと、それを受け入れて生きようとする力を、確かに映し出している。
『そのswitchを押せ』レビュー|指先ひとつで、世界が動き出す
ここでMCが入る。最初の「ありがとうございます」で空気がやわらぎ、体調を気遣う優しいひと言が客席いっぱいに笑顔を広げていく。
この日のコンセプトが1stソロ『マグマ』であることを告げ、「マグマなんてもう聴いてないでしょ?」と茶目っ気たっぷりに投げかける笑顔が実にいい。客席は即座に「聴いてる!」と応じ、旧譜が“現在形”へ切り替わる準備は万端。
「いってみますか」の合図とともに、シェーンの強靭なドラムが点火し、バンドは小気味よいリフで畳みかける。
そこへ稲葉浩志の力強い歌い出しが差し込まれ、会場の温度は一気に上がっていく。
サビでは、「そのSwitchを押してみたらどう?」の一声に合わせて照明がピカッと瞬き、稲葉浩志が人差し指を高く掲げる。その“押す”仕草が合図になり、言葉より早く心が動く。
ビートが跳ね、光が弾け、会場全体が一斉に前へ踏み出すようなエネルギーに包まれていく。映像越しでも、その瞬間の高揚が肌で感じられる――まさにライブ映像ならではの快感だ。
ブリッジでは、稲葉浩志が全身で歌を突き上げるように、圧倒的なエネルギーを解き放つ。
Wow yeah 小さな無数の分岐点に立ち
見えない無数のボタンを押してきた
自らの選択の軌跡を全身で体現していく。感じるままに声を放ち、最後はシャウトでその想いを解き放っていく。
その姿は、無数の選択を越えて“今”を生きている証のようで、まさに自らのスイッチを押し続ける人間の強さを映し出している。
この曲の根底に流れるのは、どこまでも優しいまなざしだ。弱さを否定せず、「休んでもいい」と受け止めながら、それでも“今”という瞬間に、小さく前へ踏み出してみようと、そっと背中を押してくれる。
迷いが積もった人、完璧を求めすぎて動けない人、理由づけで足踏みしてしまう人にこそ、この曲は届く。大きな決断じゃなくていい——いま、指先をほんの少し動かすだけでいい。その小さな動作が、確かに前へ進む力になると感じさせてくれる。
再生ボタンを押すたびに、自分のスイッチも押せる。ぜひこのライブ映像で、“動き出す瞬間”のエネルギーを体感してほしい。
『なにもないまち』レビュー|何もない場所にともる、静かな決意の灯
『なにもないまち』は、静かな立ち上がりから、心の奥にゆっくりと熱をともしていく一曲だ。
深い赤に包まれたステージの空気が、ジャズバーのような密度を作り出している。
徳永暁人の合図で静かに幕が上がる。ウッドベースの一音が空気を震わせ、その低音が曲全体の呼吸を決めていく。深みのある響きがステージの中心に根を張り、その上を稲葉浩志の声がしなやかに漂う。
音の設計は徹底してミニマル。ドラムは抑制的で、ギターやキーボードは必要なときだけ淡く色を差す。その余白の中で、ウッドベースの深みとボーカルの息づかいが際立つ。
なにもない なにもない なにもない なにもないまちじゃ
あるいても はしっても ないても どこにもたどりつけない
なにもない なにもない なにもない なにもないまちじゃ
あれもない これもない それもない ここにいるイミがない
サビで繰り返される〈なにもない〉というフレーズを、稲葉浩志は柔らかなファルセットで歌う。
虚無を突きつけるのではなく、そっと撫でるように。その声が、孤独を包み込み、乾いた景色にわずかな温度を戻していく。語尾の抜け方や息づかいまでが、まるで朝の光のように繊細だ。
曲のラストでは、カタカナで刻まれる決意のフレーズがリズミカルに繰り返される。
ヘヤヲデヨウ アシタニナッタラ マチヲデヨウ アシタニナッタラ
ヤッテイケル ヒトリニナッテモ ウマクズルク ヒトリニナッテモ
ヘヤヲデヨウ アシタニナッタラ マチヲデヨウ アシタニナッタラ
ヤッテイケルヒトリニナッテモ ウマクズルク フトクミジカク
マイクスタンドを軽く持ち、体でリズムをとりながら歌う稲葉浩志の姿が印象的だ。笑顔を見せ、肩の力を抜いたその所作に、曲の中に隠された“再出発の意思”がにじむ。
そこにあるのは、激しさではない、静かな躍動。観ている側も、思わず体を揺らしながら、次の一歩を踏み出したくなる。
『なにもないまち』は、何もないことを嘆く歌ではない。何もない場所から、もう一度歩き出すための歌だ。静けさの中に潜む力強さを、稲葉浩志は笑顔とともに示してくれる。
その微笑みの余韻が消えるころ、観る者の心には、きっと小さな灯りがともっている。
『眠れないのは誰のせい』レビュー|眠れない夜の痛みと熱
紫の照明のなか、シェーンのタイトなビートが緊張のフレームを組み、徳永暁人のウッドベースが夜の湿度をぐっと引き上げる。厚く響く胴鳴りが、歌に潜む“内臓の痛み”を触れられるほどの現実へ変えていく。
Duranのカッティングが小気味よく空間を刻み、サムの鍵盤が暗がりに薄い艶を差す。はじめの数小節で、この曲が描く“眠れない夜”の温度と匂いが立ち上がる。
稲葉浩志は左手でボディラインをなぞり、歌詞に描かれた“身体の不調”を艶やかに歌い上げる。語尾の揺れや息づかい、時折のファルセットが、欲と理性の境界をそっと耳に残す。
中盤、デュランのギターソロが苛立ちを噴き上がらせる。角の立ったニュアンスが、どこかが少し“ずれている”心の状態を音像化し、曲全体の温度を一段引き上げる。
稲葉浩志は表情豊かに、吐息まじりの囁きから鋭い視線の突きつけまで、曲が描く病的な感情を細やかに揺らしていく。
曲が描く感情は、聴く者の体内へじわりと侵入してくるような生々しさを帯び、全身を包み込むほどのエネルギーに満ちている。
ねえ もういいだろう 明日にしましょう
街は平和なフリしてるのに
眠れないのは誰のせい
終盤では、あえて“解決しない”ことが余韻を生む。Duranの気だるいギターに白い光が滲み、稲葉浩志は静かにうなだれる。
感情を消化できないまま眠れずに時だけが過ぎ、夜の熱を抱えたまま朝を迎えてしまったような終わりが、胸の奥にかすかな痛みを残す。
この曲は、うまく眠れない夜を抱えている人にそっと刺さる。自分でも整理できない感情や、心の奥に沈んだ焦りや嫉妬。それらを無理に浄化せず、ただ受け止めてくれるような温度がある。
夜が長く感じるとき、このライブ映像が、心の中の揺れにそっと輪郭を描いてくれる。眠れないのは、まだ心が何かを求めているからだ。
『灼熱の人』レビュー|惰性を破り、もう一度立ち上がれ。稲葉浩志が歌う“灼熱”の生き方
ここで一度、MCが入る。「この曲はライブで初めて」というMCの瞬間、会場のテンションは、一気に上がっていく。
「一緒に歌おうよ!」――稲葉浩志のその一声を合図に、Duranのギターが空気を切り裂くように鳴り響く。
硬質なリフがスピーカーを震わせ、会場のテンションを一瞬で上げていく。客席からは手拍子が湧き上がり、サムのキーボードがリフを包み込むように響く。シェーンのドラムが正確なビートで全体を牽引し、徳永暁人のベースが低音で床を揺らす。
音が重なるたびに、空気が厚みを増していく。ステージの熱が波のように押し寄せる圧が、映像越しにも伝わってくる。全員が“灼熱”を音に変え、全力で叩きつけているようだ。
音だけでなく、視覚までもが熱を帯びている。稲葉浩志はお立ち台に駆け上がり、ステージの左右を大きく踏み切るように動き回る。ときにDuranと正面からぶつかるように向き合い、手を突き上げながら声を放つ。その一挙手一投足が、曲の鼓動と完全にシンクロしている。
熱の人よ 今すぐ立ちあがれ
嵐の中でもだえ狂え
後悔するヒマもないような人生で
かくしてる鬼のような面で叫んでごらんよ
稲葉浩志は、一拍、深く息を溜める。その瞬間、全身のエネルギーが一点に凝縮されるのがわかる。そして爆ぜるように「叫んでごらんよ」と言い放つ。
その声が鋭く空気を裂き、マイク越しに放たれた熱が客席を貫いていく。まさに、“灼熱”という言葉がそのまま形になったような歌唱だ。
惰性を破り、自分のピッチを取り戻せ。そのメッセージが2024年の空気の中で再び燃え上がる。
『灼熱の人』が照らしているのは、特別な誰かではなく、日々の中で少しずつ冷めていく“熱”をもう一度呼び起こしたいすべての人だ。常識や空気に押されて、自分のテンポを見失いそうになるとき――その背中を押すのが、この曲の叫びだ。
稲葉浩志の声は、怒りでも悲しみでもなく、生きている証としての衝動を歌っている。胸の奥に眠っていた「まだやれる」という熱をゆっくりと起こしてくれる。
このライブ映像が、立ち止まる誰かの中に、もう一度“灼熱”を灯すための、ひとつの火種になってくれるはずだ。
『Soul Station』レビュー|“最大出力の孤独”が会場を静かに震わせた夜
アンコールで披露された『Soul Station』。
その“駅”でサムのキーボードがやさしくイントロを奏でると、シェーンのハイハットがそっと発車を告げ、音の“列車”が静かに動き出した。
色味を抜いたナチュラルな照明がステージをそっと浮かせると、稲葉浩志はアコギを抱え、低い独白のように静かに歌い始める。
この曲の肝は、派手さではなく“余白”だ。Duranのギターが言葉の隙間をやさしく埋め、伸びる音の余韻が、感傷的に胸の奥に静かに滲んでいく。
歌のテーマは停滞から出発への反転だ。小さな街の一室で、ふたりの関係は静かに軋んでいく。主人公の自分の魂を自分で動かす決意、内側で沸き立つ衝動が、ライブではよりいっそう鮮やかに躍動している。
稲葉浩志の歌声は、情景をやさしく語りながら、胸の奥に押し込めていた感情を少しずつ解き放ち、サビで後悔と願いを鋭く吐き出す。穏やかなバラードの中を、主人公の感情が列車のようにゆっくりと行き交い、静かな駅のホームで心が軋む。やがてその痛みが、小さな熱となって胸の奥に灯りはじめるのが伝わってくる。
誰も救えない
どんな神様にも救えない
僕の魂は僕の 君の魂は君の
言うことしか聞かない
目を閉じ、自分の内面へと深く沈み込むように歌うその姿。
けれど、その声は不思議なほどまっすぐに客席へ届き、静かな共鳴を広げていく。
クライマックスでは、「誰の言葉も届かない」という短いフレーズを、声が枯れるほどの力で叫ぶ。
誰の言葉も届かない
誰の言葉も届かない…..
その一瞬、孤独が絶望ではなく、燃えるような意志に変わる。“最大出力の孤独”が、会場の空気を震わせていく。
それは、届かなさを嘆くのではなく、届かなくても進むという決意を刻む叫びなのかもしれない。
アウトロでは、Duranのギターソロが主人公の心の奥に残った熱をすくい上げるように響き、音の粒が鮮やかな光となってステージを包む。稲葉浩志は楽しそうにアコギをかき鳴らし、徳永暁人は身体を揺らしながら笑う。
その瞬間、曲のテーマの中に人間らしい温もりが灯る。『Soul Station』のホームに、静かな夜明けが訪れたような景色が広がっていくようだ。
この歌は、他人の言葉に救いを求めることをやめたい人に刺さる。落ち込みを力技でねじ伏せる歌ではない。静けさと熱の往復で、心の奥の“出発スイッチ”をそっと押してくれる。
その瞬間、自分の足で踏み出す感覚が、『Soul Station』のステージから確かに伝わってくる。
『NOW』レビュー|終演の瞬間まで熱は上がり続ける
ラストにふさわしい一曲。『NOW』は、演奏と映像のすべてでその理由を証明してみせる。
観客への感謝を伝え、照明が落ちる。静寂の奥でSEが深く鳴りはじめ、サムのピアノが切なさを滲ませ、Duranのカッティングが静けさの中に鼓動を打ち込む。そして稲葉浩志が静かに歌い出す——一歩ずつ、“今”が動き出す。
徳永暁人のベースがうねりをつくり、シェーンが一拍ごとに空気を前へ押し出す。サビ前、号砲のような一打が響いた瞬間、曲は“回想”から“選択”へとギアを上げる。
目の前に光るのがnow
君に死ぬほど触れたいのはnow
何かを変えたいのはnow
そこに手を伸ばせるのはnow
サビでは、稲葉浩志がマイクスタンドを強く握り、重心を落として前へ踏み込む。伸ばした手にライティングが差し込み、言葉の「目の前に光る」がそのまま光景になる。声は鋭く伸び、空気を押し出すようにステージ全体を震わせる。全身から放たれるエネルギーが“今”を実体化させていく。
ブリッジでは、飲み込みきれない悔いと雑然とした記憶、制御不能の“濁流”としての時間が示される。
なぜそうしたんだろ
なぜそうしなかったんだろう
無数の悔いを飲み込んで
記憶の群れを雑ぎ倒して
時は濁流となる yeah
稲葉浩志のロングトーンが空間を貫き、シャウトがその響きをさらに押し上げていく。背筋をのけぞらせ、喉の奥から押し出すように響くその声が、まるで会場の天井を突き破るかのように広がっていく。
終盤の温度は、ラストナンバーとは思えないほど上がり続ける。稲葉は空中を蹴るように身体を弾ませ、むしろここからライブが始まるのではないかと思わせるほどの推進力でステージを駆ける。
最後は、お立ち台に上がった稲葉浩志が、“Nanana…”と声を放つ。その声に導かれるように、観客の声が波のように広がっていく。マイクを離しても、フロア全体が同じリズムで歌い続ける。ステージと客席の境界が溶け、会場がひとつの“NOW”になった瞬間だ。
『NOW』は、立ち止まってしまったすべての人に向けた歌だ。過去を悔やむ夜も、明日が怖い朝も、それでも“いま”を選べと言ってくれる。稲葉浩志の声が突き抜けるたびに、心の奥に溜め込んだ後悔が少しずつほどけていく。
あの夜のステージで鳴った『NOW』は、観客だけでなく、画面の向こうにいるあなたにも“今を生きろ”と手を伸ばしてくる。
明日のために、“いま”という瞬間をもう一度選ぶ——そのための『NOW』がここにある。
この映像が伝えてくれた体験と思い
観終わったあと、心のどこかがぽっと熱を帯びていた。激しい炎じゃない。けれど、確かに内側で何かが溶けていくような温度が残る。
稲葉さんの言葉や声、ステージ全体の空気が、少しずつ心の底を温めていくように広がっていく。まるで、忘れていた“マグマ”が静かに動き出すみたいだった。
派手さの裏にある緻密な演出や、バンドの一体感も圧巻で、Zeppという距離感の中で生まれるリアルな熱が映像から伝わってくる。観客の歓声や息づかいまでが、ひとつの呼吸のように感じられた。
観終えたあと、心の奥で小さな熱が動き出していた。「もう一歩進もう」——その想いが、自然と身体の中に灯っていた。
※本記事の記述は、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜』の収録映像に基づく参照・必要最小限の引用を含みます。引用は日本国著作権法第32条に基づき、出典を明示した正当な範囲で行います。著作権は各権利者に帰属します。なお、著作権保護の観点から歌詞の全文掲載や大量抜粋、映像の静止画キャプチャ(スクリーンショット)・画像化の掲載は一切行いません。