青い光の中で確かめる“いま”の歌──『志庵』が息づく夜

ソロ2ndアルバム『志庵』を核に据えた『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』。

ハードロックからしっとりとしたバラード、肩の力がふっと抜けるアコースティックまで、感情の振れ幅を大きく揺らし続けるセットリストが、この夜の物語を丁寧に編み上げていく。

その構成は、『志庵』という作品が元々持っていた陰影の深さをあらためて照らし出し、そこに2024年の稲葉浩志の声が重なることで、“いま鳴っている音楽”としての説得力をより強く放つ。

20年以上前に紡がれた言葉が、成熟した声に乗ることで新しい温度を帯び、響き直していく。若さの勢いではなく、積み重ねてきた時間や、何度も転びながら歩んできた軌跡が、フレーズひとつひとつに厚みをもたらしている。

その“変化の物語”を一本のライブ映像としてじっくり味わえることこそ、この作品の大きな魅力だ。

サポートメンバーの存在感も圧倒的で、ライブ全体の温度を決定づけている。シェーンのタイトでパワフルなドラム、徳永暁人のうねるベース、デュランの切れ味鋭いギター、サムの空間を彩るキーボード──それぞれの音が互いを照らし合いながらひとつの物語を描き上げ、「ひとりのボーカリストのライブ」という枠を超えた“バンドの夜”が自然と立ち上がっていく。

特に印象深いのは、完璧さだけを追い求めていないところだ。MCで思わずこぼれる笑い声や、アドリブ気味に変化していくフレーズ。そうした“その瞬間にしか生まれない温度”がそのまま残されていて、観るたびに「この夜の中に自分もいたかった」と思わせてくれる。

そして何度観ても、心に残る場面は少しずつ変わっていく。ある日は勢いに飲み込まれるハードなナンバーに惹かれ、また別の日には静かなバラードで不意に胸を射抜かれる。同じ映像なのに、その時々の自分の心の位置によって、刺さる表情や言葉がまるで違って見える。

迷いながらも、それでも“いま”を選び続けるための音楽がほしい人。あの頃の自分と、今の自分のあいだにそっと橋をかけてくれる1本を探している人。

そんな誰かにとって、『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』の Blu-ray / DVDは、きっと長く手元に置いておきたくなる一枚になるはずだ。

Release:2025.09.24

メンバー
ドラム:シェーン・ガラース
ベース:徳永暁人
ギター:Duran
キーボード:サム・ポマンティ

ツアースケジュール:2024年
2024年6月にZepp Haneda(TOKYO)で6日間にわたり開催された、同一会場で連続上演するレジデンシー形式の公演『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜』

各公演日が、ひとつのソロ・アルバムを“テーマ”に据え、そのアルバムを軸とした選曲で構成されている。

6.8(土)『マグマ』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜

6.9(日)『志庵』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜

6.11(火)『Peace Of Mind』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜

6.13(木)『Hadou』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 4〜

6.15(土)『Singing Bird』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜

6.16(日)『只者』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜

※本記事では、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』について、各楽曲の歌詞の一部を引用しながら、映像(カメラワーク・編集・照明・ステージング等)の表現やメッセージも考察します。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。演出の核心に触れる詳細な記述は避け、体験の質に焦点を当てて紹介しています。

『O.NO.RE』レビュー|青く燃える決意

サイコロ型のLEDが「2」を示し、青く光った瞬間、Zepp Hanedaの空気が一変する。歓声と拍手が波のように押し寄せる中、ステージに稲葉浩志が、ただひとり姿を現す。

ブルースハープを口にあて、ゆっくりと息を吹き込む。 笑みと吐息がまじる穏やかな空気の中、柔らかな音が会場を包み込む。

やがて、左手でハープを吹き続けながら、右手で静かにメンバーを呼び込む。その合図とともに仲間がステージへと歩み出す。ハープがイントロを吹きおえると、シェーンのハイハットによるカウントが鳴り響き、サウンドが一気に弾ける。青い照明が点滅し、会場の体温が跳ね上がっていく。

この瞬間、青に染まった“志庵”の夜が動き出した。

『O.NO.RE』は2002年のソロ作『志庵』の冒頭を飾った曲。約20年を経て、再びステージの先頭に立った。シェーンのドラムは鋭く、Duranのギターは切れ味を増し、徳永暁人のベースが地を支え、サムのキーボードが空間を広げる。5人の音が重なり、かつての荒々しさが“いまの鋭さ”へと姿を変える。

サビで響く「オノレを知れ」は、自分を見つめ直すための言葉だ。

オノレを知れ そんで強くなれ
I can’t get away そうオレは静かに燃える
身のほどを知れ 力を抜け
You can’t get away やりたきゃやりゃええんじゃやりゃええんじゃ
やらずに悔やむよりゃええ

力を抜いて、自分の“いま”を見つめること。そのうえで強く進めという、まっすぐなメッセージがここにある。

とりわけ「やりたきゃやりゃええんじゃ」という一節は、音源よりもはるかに生々しい。稲葉浩志の声が会場の空気を震わせ、その一言が波紋のように広がる。会場の熱が一気に高まり、誰もがその声に引き込まれていく。

立ち止まることを恐れたくない夜、『O.NO.RE』は青い光の中で、静かに心に火をともす。
力を込めるのではなく、力を抜くことで前へ進む。そのメッセージとともにステージから放たれるエネルギーが、この映像に触れるすべての人の“始まり”を、青く照らしていく。

ビズくん
ビズくん
携帯のインカメで自分を撮ると、リアルな“オノレ”が写ってない?」

『Here I am!!』レビュー|辿り着きたい場所は、今このステージだった

シェーンのハイハットがカウントを刻み、続いて飛び込んでくるのは、イントロからテンション全開のバンドサウンド。

リフのリズムに呼応するように点滅するライティングが、Zeppという密な空間を一気に沸騰させていく。

ロックなギターリフは、ライブとの相性の良さが際立っている。そのグルーヴの土台をつくっているのが、徳永暁人のうねるベースと、シェーンの力強いドラムだ。低音が床からせり上がってくるように伝わってきて、映像を観ているこちらの身体まで自然と揺れ始めてしまう。

このテイクならではの大きな聴きどころが、Duranによるギターソロだ。原曲をただなぞるのではなく、気持ちの振り幅をぐっと広げるようなエモーショナルな鳴らし方に変化していて、曲全体の温度をさらに引き上げていく。

Never ever どうにもこうにも満足できない
乾いたハートを抱えて どこまでゆくの?
目覚めればひとりきり 何ひとつ残らない
確かな手ごたえが欲しいなら Here lam!!

華やかであればあるほど、その裏側で孤独が深まっていく人の姿を、歌詞は映し出している。どれだけ騒いで、どれだけ人に囲まれても、目覚めればひとりきり。そうした「乾いたハート」の感覚は、多かれ少なかれ、自分にも覚えがあるものだと思う。

そんな孤独や虚しさを抱えたまま彷徨う心に対して、「あなたの探していた場所は、今ここにある」と語りかけるように、稲葉浩志は頭や身体を大きく揺らし、全身でリズムを刻みながら歌い抜いていく。

そして何より心をつかまれたのが、ラスサビの「Here I am!!」の場面だ。“辿り着きたい場所”を歌うクライマックスで、稲葉浩志はステージをまっすぐ指さし、そのフレーズを力強く放つ。

その一瞬で、歌の中の「居場所」が、抽象的な理想ではなく、目の前のこのステージ、この会場、この時間なのだと視覚的に示される。

虚しさや孤独を繰り返してきた誰かにとっての「ここ」が、今この瞬間のライブそのものなのだと、観ている側にもストレートに伝わってくる。

終盤は、原曲よりもジャムセッション的な広がりを見せる。バンドが自由度を増したアレンジで駆け抜けていく中、稲葉浩志のシャウトが重なり、エネルギーの塊のようなアウトロになっていく。

最近どこか満たされない気持ちを抱えたまま過ごしている人。そんな人にこそ、『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』に収録された「Here I am!!」を観てほしい。

自分の中のどこかが、そっと「ここでいいのかもしれない」とうなずいてくれる。その感覚こそが、このライブ映像を“自分のための一枚”として手元に置いておきたくなる理由だと思う。

ここだな、って思える瞬間があるだけで、なんか救われるね✨️
イカミミちゃん
イカミミちゃん

『Touch』レビュー|音源では届かない“影と息づかい”

ここでMCが入る。「お元気でしたか」と穏やかに問いかける声に、Zepp Hanedaいっぱいの歓声が返ってくる。

そのやさしい空気が残る中、サムのキーボードが静かにイントロを奏でると、フロアに小さなどよめきが広がる。その瞬間、『Touch』への期待が場内の温度を一気に変えていく。

そして稲葉浩志が、息をたっぷり含ませた声で歌い出すと、会場はすっと引き締まり、観る者を曲の世界へと引き込んでいく。

目の前にいるのは、ピュアで手が届きそうにない“汚れなき人”。そのまぶしさに戸惑いながらも、抗えず惹かれていってしまう――。そんな主人公の揺れが、丁寧に言葉を置いていく歌声と、薄暗い紫の照明によって静かに浮かび上がる。

Duranのアコギは余計な主張を一切せず、曲の輪郭をやさしく描き出す。徳永暁人のウッドベースは柔らかな低音でゆっくりとうねりながら、足元をしっかりと支える。バラードでありながら、シェーンのドラムは心臓の鼓動のように力強く響き、そこへサムのピアノが艶と湿度を与え、曲全体に深みを広げていく。

そのサウンドの中心で、稲葉浩志の声がひときわ鮮明なエネルギーを放ち、フロアを包み込む。

音はやわらかく流れているのに、歌だけが真っ直ぐに胸へ飛び込んでくる──。このバランスが、『Touch』という曲の魅力をいっそう際立たせていた。

ステージ照明もまた、主人公の“心がほどけていく過程”をなぞるように変化していく。AメロからBメロ、サビへと進むにつれ、ステージの明るさが少しずつ増していく。

自分の気持ちに正面から向き合うほど、口にできなかった本音が、光に引き寄せられるように静かに滲み出てくる。

言ってしまおう あぁ あなたが欲しい
どんな花よりも僕を魅きよせる
この場所から今飛び立って あなたにあげましょう
濡れるようなTouch

サビ終わりは、この曲でいちばん息をのむ場面だ。照明がぐっと絞られ、ステージはほとんど影だけの世界になる。薄い紫の明かりがかろうじて稲葉浩志の輪郭を浮かび上がらせる中、マイクスタンドにそっと手を添え、「濡れるようなTouch」とささやく。

その声に宿る湿度、わずかに震える息づかい、指先のさりげない動き。

どれも決して大げさではないのに、気づけばこちらの心拍数だけが確実に跳ね上がっている。この数秒には、言葉にできない高鳴りが凝縮されている。

音源だけでは決して届かない、“距離”と“視覚”がもたらす色気が、ここには確かに封じ込められている。

踏み出したかったのに踏み出せなかった場面がある人。言えないまま胸にしまった言葉がひとつでもある人。大切な瞬間ほど見送ってしまったように感じている人。

そんな“自分の弱さを知っている人”ほど、この曲が投げかける静かなメッセージに深く揺さぶられるはずだ。

だからこそ、このライブ版『Touch』は、映像だからこそ掬い取れる“息づかい”や“影の揺れ”までも味方につけ、心の奥に眠っていた想いをそっと呼び覚ましてくれる一曲になっている。

ビズくん
ビズくん
オレが歌ったら…たぶんセクハラ扱いされる未来しか見えない😭

『LOVE LETTER』レビュー|“I Thank You”にこめられた、長い時間の重み

『LOVE LETTER』は、2002年のソロ2ndアルバム『志庵』に収録された、“兄に向けたラブレター”として語られてきた曲だと言われている。

仕事に追われる「あなた」のことを思い浮かべながら、近況をぽつぽつと綴り、うまくいかない自分のそばにずっといてくれたことを思い返し、最後にようやく素直な「ありがとう」を渡す──そんな、少し不器用な家族の愛情を閉じ込めたバラードだ。

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』でこの曲が始まるのは、本編4曲目。ステージ中央にアコギを抱えた稲葉浩志が立つ。

ふっと照明が落ち、温かなオレンジ色の光だけが残る。サムのキーボードが、やわらかくて少し切ないメロディを奏で始めると、Zeppの空間が“手紙を書くための小さな部屋”に変わっていくように感じられる。

歌い出しの声は、驚くほど抑えめだ。ややハスキーで、でもどこかリラックスしていて、力みがない。忙しい「あなた」のこと、自分の体調のこと、連絡したいのにサボってしまう「お互いさまですよね?」という照れくささ。そんな何気ない話を、ゆっくりと、確かめるように言葉にしていく。

サビに入ると、空気が一度震える。それまで抑えていた感情を一気に押し出しながら、それでもどこか温もりを残した歌声が、ステージの奥まで伸びていく。

その瞬間を狙ったように、Duranのギターがハウリング気味の音を鳴らす。ノイズを含んだその響きが火種になって、シェーンのドラムが前に出てきて、会場全体のテンションを一段押し上げる。

個人的にいちばん心をつかまれたのは、ブリッジの一瞬だ。個人的にいちばん心をつかまれたのは、ブリッジの一瞬だ。

時が流れても
激しく流れても
僕は忘れない

音源にはない音程で、さらっとメロディを変えて歌うところがある。長く歌い続けてきた人だからこそ出てくる、自然体の一筆書きのようなアレンジ。

2002年の“完成されたメロディ”に、2024年の声が重なる。若い頃の張りのある声とは違う、ハスキーさと深みを帯びたトーンが、歌詞の一行一行に年輪を刻み直していく。同じ言葉なのに、今だからこそ胸に刺さるような感覚がある。

そして最後に、「今なら照れないで言えるよ 心から I Thank Youと歌い切る。

声を必要以上に張り上げることなく、でも曖昧にもせず、しっかりと前を向いて届けるような歌い方。そのあとすぐには終わらず、バンドの演奏がしばらく余韻を引き延ばしてくれる。

この『LOVE LETTER』は、単に“きれいなバラード”ではない。連絡はマメじゃないし、言葉にするのも得意じゃない。それでもずっと支えられてきた相手に、時間をかけて、ようやく感謝を渡すための曲だと思う。

この映像の『LOVE LETTER』はきっと、疲れた夜や、ふと家族の顔が浮かぶ瞬間に、自然と再生したくなる一曲になるはずだ。

観終わったあと、たった一言でもいい。「元気にしてる?」それだけを送る勇気が、静かに胸の奥で灯る。

そんな小さな一歩を、優しく背中から押してくれる──。

これから“ありがとう言うぞ!”って勇気出した瞬間に限って、相手がお風呂入ってたり通話中だったり…ってこと、ありません!?
イカミミちゃん
イカミミちゃん

『AKATSUKI』レビュー|“何度でも舞い上がる”瞬間を刻んだ名演──心に灯る小さな暁

『AKATSUKI』は、2003年のソロ2ndシングル『KI』に収録された、ダークで男臭いハードロックだ。

何度突き落とされても、泥を舐めるような思いをしても、それでも笑って立ち上がる──そんなタフなメンタリティを閉じ込めた一曲として、長く愛されてきた。

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』でこの曲が姿を見せるのは、本編中盤。MCでは、観客の体調を気遣いながら、今日のライブのテーマが志庵であること穏やかに語り、そのあたたかな言葉に会場から大きをな声援が返る。

しばらくして、稲葉浩志は少しおどけたように「つぎはアレ!」と告げる。この一言を合図に、シェーンのドラムが重く鳴り響く。その一発で、Zepp Hanedaの空気が一気に張りつめていく。

そこへ重なるように、Duranのギターがイントロのフレーズを奏で始める。静かなアルペジオがステージに広がった瞬間、客席から歓声が上がる。この曲がどれだけ待たれていたか、その反応だけでもよく分かる。

最初は、暗いステージに、細い光がところどころ落ちているだけ。その中でギターのアルペジオが鳴り、緊張をほどくように揺れていく。

ところが、ギターが歪んだ音を轟かせた瞬間、ステージ全体がぱっと赤く染まった。

暗闇に鋭い赤が差し込む中、稲葉浩志が静かに歌い出す。抑えめで、ややハスキーで、それでも芯のある声。涙も出ない夜のこと、突き放されても責めない強さのことを、感情をこめすぎないギリギリの温度で、ひとつずつ言葉にしていく。

Bメロに入るとバンドの熱がぐっと上がり、サビではその勢いが一気に火柱のように噴き上がる。

傷ついてもいい 抱きしめてもいい
目の覚めるような 火花を散らして
色あせない 魂のplayground
終わらせない I will come around
暁を告げる鐘が鳴り
私はまた舞い上がる RISE

そこでは、傷つくことも裏切られることもすべて抱えたまま、それでも「まだ終わらせない」と突き進む気迫が、稲葉浩志のエネルギッシュな歌声に乗ってまっすぐ胸に届く。

なにより忘れがたいのは、サビ終わりの「RISE」の一声だ。その瞬間、会場全体がひとつになって同じフレーズを叫び、拳が一斉に突き上がる。Zeppという距離の近さもあって、その光景が驚くほど生々しく飛び込んでくる。

歌詞が描いてきた“何度でも舞い上がる”というイメージが、この一瞬、客席の動きによって完全に形を持つ。音と言葉が、観客の身体と同期していく。

映像越しに観ていても、思わず前のめりになる。ただかっこいいだけのハードロックではなく、観る者を巻き込み「もう一度立ち上がれ」と真正面から語りかけてくる曲になっている。

2003年のスタジオ音源では、未来に向かって吠えかかっていくような、若さの勢いが魅力だった。

2024年のこの映像では、何度も転び、何度も立ち上がってきた人が、それでももう一度拳を上げる姿として『AKATSUKI』が鳴っている。

若い頃の張りのある声とは違う、ハスキーさと深みを帯びたトーンが、「絶望なんてない」と言い切るフレーズに、本物の重さを与えている。

何度も同じ場所でつまずき、「もう立ち上がりたくない」と思う夜がある。それでも心のどこかで「もう一回だけ」とつぶやいてしまう――そんな人に、そっと寄り添う一曲だと思う。

DVD/Blu-rayを手元に置いておけば、そうした夜に、Zepp Hanedaのステージで燃え上がるこの曲を、いつでも呼び出せる。

画面の向こうでは、ステージとフロアが一体になって「RISE」と叫んでいる。その光景を見つめているうちに、自分の中にもまだ消えていない火種があることを、ほんの少しだけ信じられるようになってくる。

そんな「何かを成し遂げてやる」という大きな勇気まで持たなくていい。ただ、ほんの少しだけ――「もう一回だけ、やってみるか」と思える地点まで、そっと背中を押してくれる。

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』に刻まれた『AKATSUKI』は、観る人の心に、東の空がゆっくりと朱に染まっていく“暁の光”を静かに灯してくれるライブ映像だ。

ビズくん
ビズくん
この曲みたいに何度でも立ち上がりたいけど、僕が立ち上がると“やめといた方が…”って友達に止められてる。心が勝手にRISEするんだよね!

『炎』レビュー|迷いと未練を抱えるあなたへ──ライブ映像が映し出す“静かな熱”

アルバム『志庵』の中でも、ひときわ妖しく熱を放つ『炎』。

長いあいだライブで演奏されることのなかったこの曲が、ついに『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』で初披露され、その瞬間が丸ごと映像に焼き付けられている。

赤く薄暗い照明の中、シェーンのドラムが静かにビートを刻み始める。右手にはシェーカー。客席のざわめきが一段落ちていくなか、Duranのアコースティックギターがそっと鳴り、Zeppという箱の空気が「これから特別な曲が始まる」と知ったように、じわりと温度を変えていく。

歌い出しの稲葉浩志は、とにかく声を抑えている。ささやき声と地声のあいだを漂うようなトーンで、月やテールランプ、信号やクラクションといった夜の街の断片を、一枚ずつ丁寧に立ち上げていく。

後ろでは、サムのキーボードが街の光を思わせるきらめきを添え、徳永暁人のベースが、主人公の重く迷いがちな足取りをそのまま音にしたようなラインを描く。

バンドのサウンドには危うさが確かに漂っているのに、まだ決定的なラインは越えていない。そのギリギリの温度を、しなやかなグルーヴと抑えた音数で巧みに保っている。

このZepp版の『炎』には、生身の息遣いやわずかな“たわみ”が確かに刻まれていて、物語が今まさにステージ上で進行している感覚を強くさせている。

サビに入ると、核心となる“誘いの一言”が真正面から迫ってくる。

燃え盛る炎を飛び越えて ここまでおいでよ
ってあんまりまっすぐ見つめるから
僕はなすすべもない
遠く揺れる星を見てた

相手を炎の向こう側へと呼び寄せる危険な声にも、かつての自分が踏み越えられなかった境界へもう一度誘われているようにも聞こえる。その曖昧さと切実さを抱えた言葉を、稲葉はまっすぐに、しかしどこか諦めきれず抗いきれない響きで歌い上げていく。

このライブテイクの魅力は、その“曖昧な熱”を、歌い方と表情の中に残しているところにある。年齢を重ねた声だからこそ滲む、覚悟の奥に隠れた“かすかな未練の火種”が、『炎』という曲に新しい深さを与えている。

中盤、ブリッジからラストサビに向かうにつれて、サムのキーボードがゆっくりと前景へせり上がってくる。音色の芯がぐっと強まり、鳴らす一音一音に「もう引き返す場所はない」と告げるような意志が宿り始める。

それでも音は常に、ボーカルの背中をそっと押す位置にとどまっていて、最後の高まりを静かに支えている。

歌が終わっても、サムのキーボードは静かに旋律を紡ぎ続ける。まるで心の奥で消えずに残っている記憶にそっと触れるように、“もう戻れない場所”をやわらかく振り返らせる余韻が、静かに広がっていく。

その傍らで稲葉浩志は、時おり小さくハミングを重ねながら、流れていく音に身をゆだねていく。

『炎』は、激しく燃え上がる曲ではない。むしろ、胸の奥に残った想いや、整理しきれない迷いの温度にそっと触れてくる一曲だ。

終わったはずの関係や、踏み越えられなかった境界がふとよみがえる人ほど、このライブテイクの『炎』は静かに心の深部へ入り込んでくる。

迷いと惹かれ合う気持ち、その危うさの中で踏み出してしまう衝動。その揺れを、今の稲葉浩志はまっすぐな声で確かに掬い上げている。

だからこそ、自分の中にまだ“消えない熱”を抱えている人にこそ響く。曲が終わっても、その火種は胸の奥で静かに息をし続け、長い余韻を残していく。

Zeppの赤い照明や息遣い、ほんのわずかに揺れる表情――その一瞬ごとの温度を、ぜひDVD/Blu-rayを手に取って何度でも味わってほしい。

よし決めた。私、いまから炎の向こう側まで行ってくる!ジャンプ力ゼロでも飛ぶ女、それが私!!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

 『GO』レビュー|揺れる心にそっと寄り添う“静かなエール”

テレキャスターを抱え『GO』を歌う稲葉浩志。

その姿を目にした瞬間、この『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』が、彼の音楽の魅力をいっそう身近に感じさせてくれる一枚だと感じた。

『GO』は、ソロ2ndアルバム『志庵』に収められた、切なさを帯びたロックバラードだ。悩みや不安に寄り添うように「気にしすぎないで」と声をかけながら、どこかでは「それでも進め」と静かに背を押す。

やさしさと現実味のある強さが同じ温度で息づく、その独特のまなざしが、この曲の魅力になっている。

はじまりは、シェーンのドラムが刻むビートに客席の手拍子がゆっくりと重なっていくところから。

そこへDuranのワウの効いたギターが入り、夜の空気をかき混ぜるようなイントロを描き出す。その背後で、稲葉浩志のテレキャスターがさりげなく音を重ね、曲の世界がじわりと立ち上がっていく。デュランのリフに稲葉浩志のストロークが重なる、その立ち上がりが心地いい。

ステージを染めるのは、紫と緑が重なり合う照明。不安と希望が同時に揺れる、この曲の気配を静かに映し出している。

フレットに視線を落とし、そっとギターを刻む稲葉浩志の姿。その静かな集中が、『GO』に漂う夜の感情をいっそう深く浮かび上がらせていく。

サビに入ると、Day2のトレードカラーである青いライトがステージを包み込む。この青が、とても『GO』に似合う。熱く煽る赤でも、眩しい白でもなく、少し冷たさを含んだ青。悩みが消えるわけじゃないけれど、それでも歩いていくしかない夜の色だ。

明日という日がどうなろうと かまわないほどに
強く確かに抱いて 抱いて
かすかなぬくもりひとつ残さず
その胸の奥にそっとしまいこんでゆけ

ボーカルもまた、その青い照明と呼応するように落ち着いた色を帯びていく。

ときおりファルセットを織り交ぜた柔らかな声で、決して力任せに押し込もうとはしない。それでも言葉にはしっかりと芯があり、“平熱のままの体温”でそっと前へ導いていく。

どんな明日が来ても、胸の奥に宿ったあたたかさを抱えたまま歩いていけ──そんな静かな励ましが、青い光に溶けて届く。

Duranのギターソロも強く印象に残る。少し荒々しい音色が、夜の不安を裂くようでもあり、その不安をまるごと包み込むようでもある。その揺らぎが『GO』の切なさを、より立体的に浮かび上がらせていく。

スタンドマイク一本で歌い切る過去ツアーの『GO』にも強い印象がある。けれど、エレキギターを弾き、歌い、リズムを刻みながら最後の「ゆけ」を放つ今の姿には、それとはまた違う温度のかっこよさが宿っている。

不安と希望のあいだで揺れる心を、無理に整えようとはしない。

前へ進む強さを求めるよりも、まず“いまの自分をそっと受け止める余白”がほしい人にこそ、この一曲は深く届くはずだ。

その揺らぎを抱えたまま歩き出す力を、このライブ映像の『GO』は静かに示してくれる。

ビズくん
ビズくん
飲み会の帰りに『GO』聴いてて、“ゆけ”って言われた瞬間、気づいたらラーメン屋の暖簾くぐってた。…いや、そっちじゃないのはわかってるんだけど。

『くちびる』レビュー|欲望と衝動の境界が溶ける夜、その温度を映し出す一曲

『くちびる』は、1stソロ『マグマ』で“アダルトな欲望”が刻まれた曲だ。

官能的で抗いようのない魅力に引き寄せられ、理性と衝動の境界がじわじわ溶けていく──そんな危うい情感をまとった一曲である。

2024年のZeppでは、その官能がさらに成熟し、“いま”の稲葉浩志にしか出せない色気と深み、そしてバンドが生み出す濃密なグルーヴによって塗り替えられ、決定的一瞬として胸に焼きつけられる。

冒頭のMCで稲葉浩志が、「本当は昨日やるはずだったのに、こぼれて今日になった」と、次に何を演奏するのか伏せたまま語ると、客席には驚きと期待が入り混じった笑いと歓声が広がる。

サムのキーボードが響いた瞬間、ステージ上のサイコロLEDの目の数が「2」から「1」へと切り替わる。

暗転した空間には赤紫の灯りだけがほのかに残り、その薄明かりの中で徳永暁人のベースソロが静かに立ち上がる。キーボードの音色に寄り添うように、ベースのフレーズが滑らかに流れ、派手さはなくとも、音と音のあいだには“大人の余白”が深く滲んでいく。

最後のベース音が伸びきる瞬間、キーボードのボリュームがふっと上がり、Duranのギターが合流する。画面にはマラカスを手にした稲葉浩志の姿。シェーンのハイハットがカウントを刻み、「ハイッ!」という一声を合図に、聞き馴染みのイントロが勢いよく弾ける。

ワウとサスティンを効かせたギターのリフは、音源よりも一段階濃く、ねっとりとしたグルーヴでZeppの空間を満たしていく。

真っ赤に染まったステージで、稲葉浩志は囁くように歌い始める。マイクスタンドに体を預け、ゆらりと身を揺らしながら声を紡ぐ。

その歌が描くのは、恋というより“逃れられない魅力に引き寄せられていく感覚”であり、自分が壊れてもいいとさえ思わせる依存だ。

その危うい湿度が、声色に混ざる息づかいだけでなく、揺れる肩のラインや指先のしなる動き、マイクスタンドを扱う仕草にまで滲み出ていて、画面越しにも生々しく伝わってくる。

特に印象的なのが、サビ前の一瞬だ。稲葉浩志がマイクスタンドを持ち上げ、マイクへ吐息を吹き込む。その仕草に呼応するようにバンドのテンションが一気に跳ね上がり、白いライトがステージを鋭く貫く。

まだ踏みとどまっていた感情の一線がふっと切れるような衝撃が、観ている側の身体にも確かに伝わってくる。

ラスサビでは、全身から絞り出すような厚みと熱を帯びた声が、会場を押し出すほどの勢いで響き渡る。

僕のインチキもイカサマも ひとつ残らずあばいて
愚かなウソのアリ地獄から そっと手をとり連れ出してくれ
あなたのくちびるで 綺麗に生まれかわらせて
すべてを写す その鏡で僕のハダカを今宵 のぞかせてくれ

ラストのフレーズでは、あれほどの熱量を放った直後とは思えないほど、声にふっと繊細な震えが宿り、静かに着地していく。激情から微細なニュアンスまで一瞬で切り替えるそのコントロールが、稲葉浩志というボーカリストの凄みを決定的に浮かび上がらせている。

クライマックスを迎えたあと、普通ならここで熱を冷ましていくはずなのに、この夜の『くちびる』はむしろさらに火を強めていく。

徳永暁人のベースが再びうねり、デュランのギターソロが観客を沸かせる。その空気を楽しむように、稲葉浩志はマラカスを振りながらリズムを刻み続ける。音が止まるギリギリまで温度を保とうとするこのアウトロは、音源では絶対に味わえない“熱の残り方”だ。

『くちびる』は、欲望や弱さを抱えたまま、それでも惹かれてしまう——そんな止められない感情と向き合う一曲だ。

抗えない何かに心を奪われたことのある人。理性より衝動が先に動いてしまった瞬間を知っている人。忘れたはずの熱が、まだ胸の奥でくすぶっている人。

そんな誰にとっても、このライブ映像の『くちびる』は、胸の奥で押し込めていた欲望を、たしかに解き放ってくれる。

Zeppで刻まれた歌声とグルーヴは、音源では触れられない“危うさの温度”をまとい、観る者の心に火を灯す。

理性では説明できない熱を、もう一度確かめたい人にこそ届く一曲だ。

ちょ、サビ前の吐息は反則ですよ…! 稲葉さん!!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

『ファミレス午前3時』レビュー|夢を語れた夜をもう一度。

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』の『ファミレス午前3時』は、志庵ファンにとって、まず“再会”そのものが胸に来るテイクだ。

アンコールでステージに戻ってきた稲葉浩志は、ツアーTシャツに着替え、アコギを抱える。

「ファミレス歌います、みなさん」

肩肘張った曲紹介ではなく、こんなラフな一言で始まるのがいい。それだけで会場から歓声が湧き上がる。

“深夜に気の置けない仲間と集まって、ちょっと語り合おうか”という親密な温度が、Zeppを満たしていくのが伝わってくる。

編成もまた、“深夜のファミレス”感を漂わせている。稲葉浩志はアコギを抱えて歌い、サムはカホンに腰掛けて穏やかなリズムを刻む。Duranはドラム台座に腰を下ろし、シェーカーを静かに振る。そして徳永暁人とシェーンも、それぞれアコギを手にしている。

まるでメンバーが深夜のファミレスにそのまま席を移し、自然とセッションを始めたかのような、親密で落ち着いた空気が広がっている。

サムのカホンが優しくカウントを刻み、そこに会場の手拍子がふわっと重なっていく。ひとりひとりの力を少し抜いたクラップによる穏やかなリズム。深夜のファミレスで、空調の音や人の話し声がゆるく混ざり合っているあのざわめきが、そのままZeppで再現されているようだ。

「いけね自分にまた嘘ついた」という冒頭のフレーズは、今の稲葉さんの声で聴くと、自分を少し笑い飛ばすような“ゆるい”温度がふわりとにじむ。肩の力を抜ききれない主人公が、「気楽にいきたいよね」と笑いながらも、心のどこかでまだ消えない火を抱えている――その揺らぎを、2024年の歌声は自然体のまま受け止めている。

いろんなものが美しく見えるから
きょろきょろよそ見ばかりしてしまうよ
本当に一番きらきら輝くのは
自分の中 燃えたぎる太陽
我らの中 昇りゆく太陽

サビで歌われるメッセージも、2024年の歌声に乗ると、力まずにそっと差し出される。強く押し出すのではなく、ふっと軽く声を置くだけで温かい余韻が広がり、“そう思えたらいいよね”と語りかけるようなやさしさが宿る。

年齢を重ねたことで生まれた落ち着きと、まだ消えていない小さな衝動。その二つを抱えたまま無理なく歌えるようになった今だからこそ、ひとつひとつの言葉が静かに心へ浸透していく。

この映像のハイライトのひとつが、2番に入るタイミングで、徳永暁人が後ろからそっと近づき、稲葉浩志と同じ1本のマイクに顔を寄せてコーラスを重ねる。その距離の近さに驚いたのか、稲葉浩志は思わず笑ってしまい、一瞬だけ歌声が途切れる。

その空白を、会場の笑い声が柔らかく埋めていく。スタジオ録音であれば絶対に残らないであろう“隙”が、このテイクではちゃんと作品の一部として収められているのが嬉しい。

深夜のファミレスで、真剣な話をしているはずなのに、ふとしたひと言や仕草でテーブル全体が笑いに包まれてしまう瞬間がある。このライブの「歌が笑いで途切れる一瞬」は、まさにその時間の空気をそのまま閉じ込めたようだ。

『ファミレス午前3時』のライブテイクは、完璧さよりも“その場で生まれた空気”をそのまま抱きしめる一曲だ。深夜のファミレスで本音をこぼし合うように、強がりも未練も、そして小さな希望も、そのまま肯定してくれる。

気楽に生きたいと思いながら、つい背負い込みすぎてしまう人。そうした人たちにとって、この映像はただのライブ記録ではなく、“今のままでいいよ”とそっと寄り添ってくれる深夜の一杯のコーヒーのように響くだろう。

Zeppでしか生まれえなかった親密な温度と、2024年の成熟した歌声が重なり合い、『志庵』が描いた夜明け前の景色を、新しい光で照らし直してくれる。

日々の中で少し迷ったり、立ち止まりたくなったときにこそ、この『ファミレス午前3時』は、そっと自分の中の太陽を思い出させてくれるはずだ。

ビズくん
ビズくん
学生のころ、深夜のファミレスでお酒もないのに延々と話し込めたよね。いったい何があんなに楽しかったんだろう。….でも、きっと今また集まったって、あの頃と同じように笑い合えるんだろうな!

『NOW』レビュー|青い光の中で鳴り響く“いま”という鼓動

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』でラストを飾る曲は『NOW』。

素敵な言葉で観客への感謝を伝える稲葉浩志。その最後のMCに大きな歓声が重なり、やがて照明がすっと暗転していく。次の瞬間、ステージをほのかに照らしたのは、『志庵』を象徴するような深い青のライト。

重く鳴り始めるイントロ。静まり返った会場に、サムの切ないキーボードがそっと滲み出し、静かに、深く響き渡る。そこへDuranのギターのカッティングが少しずつ前に躍り出て、胸の高鳴りをじわじわと煽っていく。

まだ歌は始まっていないのに――そして『NOW』が来ると分かっているはずなのに――このイントロだけで毎回ゾクッとさせられる。

やがて稲葉浩志が静かに歌い出す。リズムに合わせて青い照明が点滅し、サウンドのテンションが一段、二段と上がっていくのとぴたりと同期して、光も細かく脈打ち始める。

サビに入ると、ハイテンションなバンドサウンドと、前へ押し出すような力強いボーカルが、一面、青に染まったフロアへと溶け込んでいく。

“志庵の青”が『NOW』のエネルギーを研ぎ澄ますためのフィルターのように機能している。過去を象徴するその青で、現在を歌う『NOW』を照らし出す。

マイクスタンドを握りしめて歌う姿も忘れがたい。バランスをとるようにスタンドへ体重を預けつつ、足を前後にぐっと広げ、全身で声を押し出していくそのフォーム。その一連の動きは、まるで“NOWを選び続ける意志”をそのまま視覚化したかのように映る。

そして曲は、ブリッジパートへと進んでいく。

忘れたくない瞬間は、あっという間に過去になっていく。

なぜそうしたんだろ
なぜそうしなかったんだろう
無数の悔いを飲み込んで
記憶の群れを薙ぎ倒して
時は濁流となる yeah

「あの時こうしておけば」「なぜああしてしまったのか」という後悔も、いくつも抱えて生きている。その全部を飲み込みながら、なお「いま」を選び直す歌。それが『NOW』だ。

ライブ映像の中の稲葉浩志は、その迷いや重さをなかったことにしているわけではない。

「時は濁流となる」と歌う表情には、ただ爽やかに前向きを装うだけでは済まない重みがにじむ。

一気にテンションが最高潮へ向かうブリッジ〜ギターソロの流れも圧巻だ。徐々に伸びていくボーカル、流れるように光る照明、稲葉浩志のシャウトから、Duranのエモーショナルなギターソロになだれ込む流れ。ステージ全体が光の濁流となって揺れ続ける中で、「濁流」という歌詞が現実の光景として目の前に立ち現れる。

そしてラスサビの最後のフレーズ。

誰にも絶対奪わせない
この声が消え去るまで歌う

カッコいいだけの決め台詞ではなく、ここまでの人生を踏まえた“宣言”として胸に刺さる。

この部分でバンドの音がすっと引き、歌声だけが生々しく浮かび上がる数秒間が訪れる。楽器の気配が消えた空間に、ただその声だけがまっすぐ響き渡る。その一瞬、観ている側も思わず息を呑はずだ。

曲の最後は、会場全体で歌う nanana… のコーラスに包まれる。青い照明の中で揺れる客席とステージが、ふっと境目を失い、ひとつの塊になっていく。

圧倒的な熱量で歌い切ったあとの解放感と、それでもこの夜がどこかで続いていくような静かな余韻が、そっと胸に残る。

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』のBlu-ray / DVDで観る価値は、やはり格別だと感じる。

青い光の中で響く『NOW』は、観るたびに“今日の自分をもう一度選び直せる”と感じさせてくれる一曲だ。

そんな音楽を、好きなときに手に取れる形でそばに置いておけることほど、心強いものはない。

こんな名演が家で観られるなんて…!え、もう絶対ほしいやつじゃん。自分へのごほうびやプレゼントに、ぜひ✨️
イカミミちゃん
イカミミちゃん

この映像が伝えてくれた体験と思い

『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』を通して強く感じたのは、“志庵”というアルバムが20年以上の時を経て、まったく新しい意味を帯びて響き始めているということだった。

収録されている曲たちは、孤独や焦れ、抑えきれない衝動を抱えながら、それでも前へ進もうとする人物像を描いていた。

けれど、このライブで歌われる“志庵”はもう、若さの勢いに任せて突き進む歌ではない。積み重ねてきた現実や迷い、いくつもの後悔、そしてそれでも「いま」を選び続ける強さが、声の奥に静かに息づいている。

青い照明に照らされた稲葉浩志の姿には、かつての張り詰めた鋭さとは異なる、しなやかさと深み、そして優しさが宿っている。

若い頃の自分なら、ただ熱量に引っ張られていたであろう曲が、今では“自分の弱さや揺らぎを肯定してくれる歌”として胸に沁みてくる。

このライブ映像は、過去を懐かしむためのものではなく、“いまの自分”と静かに向き合わせてくれる一枚だ。

※本記事の記述は、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜』の収録映像に基づく参照・必要最小限の引用を含みます。引用は日本国著作権法第32条に基づき、出典を明示した正当な範囲で行います。著作権は各権利者に帰属します。なお、著作権保護の観点から歌詞の全文掲載や大量抜粋、映像の静止画キャプチャ(スクリーンショット)・画像化の掲載は一切行いません。