稲葉浩志『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』全曲レビュー|頑張りすぎた心を静かにほどいていく
心を整えなくていい夜のために
『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』は、ベスト盤的な派手さで押し切る作品ではない。
むしろZeppという距離感を最大の武器に、稲葉浩志の「声」と「息づかい」と「表情」で、観る側の心へ静かに踏み込んでくるライブだ。
オープニングから伝わってくるのは、盛り上がりではなく、感情の入口にそっと立たされるような感覚だ。アコースティックの温度を残したまま、バンドの音が少しずつ重なっていく構成が、“今この瞬間だけ”の説得力を生んでいく。
徳永暁人の太い低音、シェーンの芯のあるビート、Duranの鋭さと色気、サムのやさしい包容力が加わり、楽曲は「懐かしい」ではなく「いま聴く音」として立ち上がってくる。
中盤にかけて、軽やかさと危うさが交互に差し込まれていく。ふっと力が抜ける瞬間があるからこそ、そのあとに訪れる孤独や焦燥が、より生々しく刺さる。
ここで描かれているのは、強さだけを描いた物語ではない。正しさや理性だけでは持ちこたえられない夜を、それでも抱えながら生きていく人の体温だ。観ているこちらの“抱えたままの感情”が、いつのまにか映像の中で言葉になっていく。
そして終盤、この作品は決して希望を押しつけないまま、“いま”へ着地する。迷いも後悔も抱えたままでいい。
ただ、手を伸ばせる瞬間がここにある──そんなメッセージが、白い光とともに残っていく。観終わったあとに胸に残るのは、元気になったという単純な高揚ではなく、「自分の感じ方が少し変わった」という静かな変化だ。
『en-Zepp 3』は、自分の中の“言葉にできなかった気持ち”を、もう一度見つけ直したいときのための1枚になる。
誰かを支えようとして空回りした日、ひとりで踏ん張ったのに報われなかった日、理由もなく心がざわついて眠れない日。そんな夜にこの映像を観ると、感情を無理に整えなくてもいいことだけが、静かに分かってくる。
もし最近、気持ちの置き場所が分からない夜があるなら、この映像を再生してほしい。ここには、無理に前を向かせる言葉ではなく、今の自分をそのまま受け止められる時間が映っている。
Blu-ray / DVDとして手元に置けば、必要なタイミングで何度でも“あの距離感”に帰ってこられる。あなたの生活の片隅に、そっと効く1枚になるはずだ。
Release:2025.09.24
メンバー
ドラム:シェーン・ガラース
ベース:徳永暁人
ギター:Duran
キーボード:サム・ポマンティ
ツアースケジュール:2024年
2024年6月にZepp Haneda(TOKYO)で6日間にわたり開催された、同一会場で連続上演するレジデンシー形式の公演『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜』
各公演日が、ひとつのソロ・アルバムを“テーマ”に据え、そのアルバムを軸とした選曲で構成されている。
6.8(土)『マグマ』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜
6.9(日)『志庵』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜
6.11(火)『Peace Of Mind』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜
6.13(木)『Hadou』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 4〜
6.15(土)『Singing Bird』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜
6.16(日)『只者』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜
※本記事では、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』について、各楽曲の歌詞の一部を引用しながら、映像(カメラワーク・編集・照明・ステージング等)の表現やメッセージも考察します。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。演出の核心に触れる詳細な記述は避け、体験の質に焦点を当てて紹介しています。
表現される感情
- 『Wonderland』レビュー|救おうとしていたはずの“僕”が、救われていく
- 『 I AM YOUR BABY』レビュー|走り出した衝動を、今夜だけは愛と呼ぶ
- 『SAIHATE HOTEL』レビュー|眩しさに息を殺す夜を、ライブで体感する
- 『横恋慕』レビュー|理性を越えてしまう夜の記録
- 『あの命この命』レビュー|答えのない重さが、胸の奥に残り続ける
- 『ハズムセカイ』レビュー|世界は変わらない。でも、感じ方は弾みだす
- 『正面衝突』レビュー|避けられないなら、突っ込めばいい。ライブ映像がくれる、踏み出す勇気
- 『透明人間』レビュー|名前を呼ばれない夜の“孤独”を可視化する瞬間
- 『NOW』レビュー|白い光の中で、解き放たれる“いま”
- この映像が伝えてくれた体験と思い
『Wonderland』レビュー|救おうとしていたはずの“僕”が、救われていく
サイコロLEDの目が「3」に変わった瞬間、Zepp Haneda の空気が一気に沸騰する。
その期待と歓声の渦の中で、ステージに現れた稲葉浩志が手にしていたのは、一本のアコギだった。暗転気味のステージで、静かに鳴り出すアコースティックギターのイントロ。
1曲目なのに「さあ行くぞ!」と煽る感じは一切ない。むしろ、こちらにそっと歩み寄り、語りかけてくるような、柔らかい入り方をする。
その時点で、この夜が、ただ盛り上がるだけのライブではない、心の奥へ静かに踏み込んでいくライブなのだと伝わってくる。
徳永暁人のベースとシェーンのドラムがずっしりと足元から立ち上がり、Duranのギターがアコギの隙間を縫うように色を差し込み、サムのキーボードが曲全体を淡く包み込む。
歌詞の前半は、“救う側”の思い上がりを容赦なく暴いていくフレーズが続く。それを、稲葉浩志は力任せにぶつけるのではなく、自分自身を振り返るような目線でひとつひとつ噛みしめて歌っていく。
Zeppクラスの距離感だからこそ、表情の細かな揺れや息継ぎの間までが伝わってくる。
その一つひとつが、こちらの胸に静かに刺さってくる。
そして、サビの「OH La La La」で世界が一気にひっくり返る。
OH La La La
うらがえしの世界をごらんなさい
勇気があるなら
しがみつくのも 手を離すのも
あっというまの Wonderland
この日のトレードカラーである白い照明が一気に広がり、ステージを柔らかく照らし出す。
派手な色ではなく、“Peace Of Mind”を思わせるクリーンな白。その光の中で、サビに入った瞬間の声が、会場をまっすぐ突き抜けていく。
「しがみつくのも 手を離すのも あっというまの Wonderland」というフレーズが、どちらを選んでも、その選択ごと肯定してくれるように響く。
それを聴いているうちに、自分の中の「こうあるべき」が、静かにほどけていく。
Duranのギターソロは、一音一音を選び抜くように紡がれ、“うらがえしの世界”の不安定さと、そこに差し込む光をなぞっていく。
やがて照明もサウンドも最小限に絞られ、再び、アコギとその声だけがステージに残る。
僕がいつか捨てた ガラクタを磨いて
ぴかぴかのそいつを抱いて
君はただ笑ってる フツーに笑ってる
稲葉浩志は大げさな表情を見せることなく、淡々と、でも確かな響きで歌い切る。その姿と“フツーに笑ってる”という言葉が重なった瞬間、胸の奥で何かがすっとほどける。
誰かから見たらガラクタに見える過去や弱さを、自分で磨き直して抱きしめて笑うこと。それこそが、この曲が提示している『Wonderland』なのかもしれない。
救われるべき弱い誰かを歌っているようでいて、最後にそっと救われているのは、見当違いの使命感で空回りしていた“僕”の方なのではないか。そして、画面の前でこの曲を観ている、私たち自身でもあるのではないか。
『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』の『Wonderland』は、単なる懐かしのシングルでも、しっとりしたバラードでもない。
ライブの扉を開けながら、いきなり心の裏側へ飛び込んでくる、静かで強烈なオープニング曲だ。
もしまだ『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』のBlu-ray / DVD を持っていないなら、自分の中の“ガラクタ”と向き合いたくなったときの1枚として、迎え入れてみてほしい。
そうすれば、あなたの中の“うらがえしの世界”も、きっと少しだけ形を変えて見えてくるはずだ。
『 I AM YOUR BABY』レビュー|走り出した衝動を、今夜だけは愛と呼ぶ
『Wonderland』で一気に上げた会場の熱で温まったエンジンをそのままに、稲葉浩志はアコギを抱え、『I AM YOUR BABY』のイントロを奏で始める。
その一音目から、もう“走り出す”気配がある。そこへDuranの伸びやかなギターが重なり、サウンドは一気に奥行きを増していく。本来この曲が持つムーディーさを残したまま、ギターのラインが観客の気持ちを前へ前へと押し出していく。
白い照明にも動きが加わり、ステージ全体が躍動し始める瞬間がたまらない。
Aメロで稲葉浩志は流れるように歌い出す。そこにサムのキーボードが、吹き抜ける風に彩りを与えるように響いてくる。
交差点を抜け、線路の下をくぐり、落書きをやり過ごしながら「君のもとへ」向かっていく。その情景が、音になってこちらへ迫ってくる。
Bメロでは徳永暁人のベースとシェーン・ガラースのドラムがさらに躍動し、疾走感をぐっと引き上げる。
そしてサビ。白い照明が明るさを増した瞬間、まるで高架下を抜けて視界がひらけたような開放感がステージを包み込む。
l am your baby どうにでもして 迷うことなき嵐の使者
ぷわぷわの愛が欲しくって まっしぐらに進もう
l am your baby 何が何でも 辿り着きたいと願う心
今夜はそれを愛と呼ばせてください
「まっしぐらに進もう」という言葉が、光と音で“体感”に変わっていく。
1番サビ終わりに飛び込む Duranのギターソロも見逃せない。エモーショナルに胸を締めつけながら、曲のスピードは落とさない。そのまま2番へメロディをつなぎ、物語を途切れさせずに走らせていく。
間奏では主役がサムへ移る。柔らかな輪郭のキーボードソロが、“ぷわぷわの愛”という言葉の手触りを音で描き出していくのが見事だ。強い言葉で突っ走るのに、欲しいのはやわらかい温度――この曲のいちばん愛しい矛盾が、ここでくっきり浮かび上がる。
そしてラスト。暗転したステージにほのかな光が差し込むなか、稲葉浩志のアコギが余韻を残して響いていく。観客の心の風景を横切って、バイクに乗った稲葉浩志が走り去っていくような残像だけが残る。
「どうにでもして」「何が何でも」と言い切る強さの奥には、結局“あなたに受け止めてほしい”という本音がある。その想いが、ステージから生身の声と音になって放たれていく。
正しいかどうかは分からない。それでも「何が何でも」辿り着きたい衝動を、今夜だけは“愛”と呼ばせてほしい――ライブは、その覚悟をはっきりと映し出す。
もし最近、気持ちが立ち上がらない夜があるなら、この映像を再生して、稲葉浩志がアコギを鳴らし、まっすぐ走り出す瞬間に身を預けてほしい。
会場を満たした熱と同じように、あなたの中にももう一度だけアクセルを踏める感覚が、確かに戻ってくるはずだ。
『SAIHATE HOTEL』レビュー|眩しさに息を殺す夜を、ライブで体感する
穏やかなMCに包まれて、空気がふっと緩んだその瞬間に『SAIHATE HOTEL』は始まる。
シェーンのハイハットが、カウントを刻む。そこにサムの妖しげなキーボードが忍び込み、さらにその底で徳永暁人のベースが低く唸る。Duranのダウンミュートがドクドクと脈を打ち始めたとき、ステージには一気に緊張感が張りつめる。
その暗い空気の中で、稲葉浩志は、静かに、それでも確かな強さをもって、情景を描き始める。「待つ」という行為が、ロマンではなく、不安や焦燥を増幅させるものとして、じわじわと胸に染み込んでくる。
Bメロで、サムのキーボードが華やかな音色を奏でると、暗いステージにふっと明るい光が差し込み始める。
サビでは、爽やかなサウンドと照明がステージ全体を包み込み、シェーンのドラムはさらに力強く響き渡る。
ボクハ待ツ じっと待つ 君の手がドアに触れるのを
ショパンのボリュームを慎重に下げよう
恋に落ちるということは 不安まみれで過ごすこと
ろくすっぽ夜も眠れない
みんなライトをともす
ここはSAIHATE HOTEL
まぶしいSAIHATE
歌詞が描くのは、幸福の瞬間そのものではなく、その直前に訪れる、落ち着かない心の揺れだ。
期待しているからこそ不安で、夜も眠れない。どれだけ平静を装っていても、胸の奥では感情だけが、ずっと騒ぎ続けている。
けれどライブでは、その不安が、そのまま“解放”へと転じる。サビに入った瞬間、ステージは一気に明るさを増し、観客の視界がひらける。「まぶしいSAIHATE」という言葉が、比喩ではなく、実感として身体に届く。
稲葉浩志は、全身を大きく使い、エネルギッシュな歌声で観客を引っ張り上げていく。
2番サビのあとに飛び込む、Duranのギターソロ。言葉にならなかった不安や欲望が、音になってこぼれ落ちるような、最高にエモーショナルな瞬間だ。
眩しくて、はかないのに、どこか危うい。その相反する感情を抱えたまま、観客は全員、逃げ場のない“最果て”へと連れていかれる。曲が終わったあとに残るのは、幸福か恐怖かを選びきれないまま、ただ心拍だけが上がり続ける、高揚感だ。
『SAIHATE HOTEL』は、安心を与えてくれる曲ではない。誰かを想って待った夜、スマホを握りしめたまま眠れなかった時間。期待と不安が入り混じった、あの“眩しすぎる感情”を知っている人に、静かに、しかし確実に刺さるロックナンバーだ。
もし今、そんな感情に心当たりがあるなら、このライブ映像は、あなたの中に残っている「言葉にできなかった胸の鼓動」を、音と光で鮮やかに浮かび上がらせてくれるはずだ。
……想像だけど!
『横恋慕』レビュー|理性を越えてしまう夜の記録
『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』の『横恋慕』は、“背徳の歌”をただ艶っぽく聴かせるだけで終わらない。
曲に入る前、稲葉浩志のMCでこの日のテーマが「Peace Of Mind」だと告げられると、会場は大きな歓声に包まれる。
その余韻を引き継ぐように次の曲へ移る瞬間、シェーンの刻むリズムに観客の手拍子が重なり、サムのキーボードのメロディに合わせて、Duranのギターが“いたずら”を仕掛ける。
客席から笑いが起き、稲葉浩志もマラカスを振りながら満面の笑みを見せる。このユーモアは、観る側の心をふっと緩め、素の状態に戻すための一瞬だ。だからこそ次に鳴る『横恋慕』は、理性をすり抜けるように、ぐっと心の奥へ響いてくる。
Duranがイントロを奏でると、稲葉浩志はハミングで観客を曲の世界へ連れ込む。音が鳴り始めた瞬間、ステージはオレンジと紫の照明に包まれて、視界の奥で色気が立ち上がる。
身体を揺らしながらリズムを取り、マイクスタンドを手にして歌い出す稲葉浩志の声は、成熟した色気をまとっている。
とくに刺さるのが、歌詞に呼応するように左手で首筋をそっと撫でる、その所作だ。言葉を介さずとも、観る側の心の内側に静かに入り込んでくる。映像作品としての強さは、こうした一瞬に宿っている。
サビでは、曲が持つジャジーな匂いが一段濃くなる。サムのキーボードが艶を増幅し、徳永暁人のベースが重心を低く保ちながら、それでも軽やかにグルーヴを前へ運ぶ。
稲葉浩志がサウンドに合わせてステップを踏む姿が、自然と様になる。この曲の色気は、ねっとりと絡みつくものではない。踊れてしまうほど軽やかなのに、気づいたときには、もう戻る場所を失っている。
「分かっているのに止まれない」――そんな感情が、音の揺れとなって身体に残る。
そしてブリッジで、空気は一気にロックへと振り切れる。Duranの硬質なリフと、シェーンの力強いドラム。真っ赤に染まる照明のなか、稲葉浩志のボーカルが跳ね上がり、罪の意識ごと踏み抜いて燃え上がる。
ぬけだしちゃお こんなうるさい店から 映画のように 劇的にyeah
手をとりあって 悲劇の主人公 きどって愛の逃避行
背徳を“嘆く”のではなく、戻れないと知りながらの、それを選んでしまう危うさ。この切り替えによって、曲のドラマが一段深く刻まれていく。
曲の最後に響くファルセットが会場をふわりと包み込み、艶の余韻だけを残していく。それは何かが終わるというより、理性を失ったまま続いてしまう感情の香りが漂い続けるような終わり方だ。
観終わったあと、しばらく気持ちが現実に戻ってこないのは、その余韻がまだ身体に残っているからだと思う。
この『横恋慕』のメッセージが刺さるのは、理性では線を引けるのに、心は勝手に越えたがる人。そして、“正しい選択”を重ねてきたからこそ、ときどき自分の衝動が怖くなる人。きっと、そんな人たちだ。
このライブ映像は、そうした気持ちを無理に整理したり、きれいに浄化したりしない。
ステージ上の声や仕草、照明、そして“間”――そのすべてを通して、「その感情にも確かな体温がある」と示してくる。音源だけでは言葉にならなかった心の揺れが、ライブでは視線や呼吸として立ち上がり、観る側の心に直接触れてくる。
気持ちがざわつく夜ほど、このライブ映像に戻ってほしい。『横恋慕』は、聴いて理解する曲ではなく、目の前で起きてしまう感情を体感する曲だ。DVD/Blu-rayで何度でもその危うい高揚に立ち会えること自体が、この作品のいちばんの価値なのだと思う。
“理性”とか言ってる場合じゃないよね!
『あの命この命』レビュー|答えのない重さが、胸の奥に残り続ける
『あの命この命』のライブ映像は、感情を煽ることを選ばず、静けさの中で言葉が心に届く演出が貫かれている。
稲葉浩志がアコギを抱えて静かに歌い始めた瞬間、暗転したステージに残るのは、素朴なスポットライトと声だけだ。
派手さはない。
けれど、その削ぎ落とされた光景が、逆にこちらの意識を一点へと引き寄せる。会場が自然と静まり返り、誰もが稲葉浩志の歌声に耳を澄ませている空気が、映像越しにもはっきりと伝わってくる。
Duranのアコギが、稲葉浩志の声の余白にそっと触れるように、ぬくもりを加えていく。
曲が進むにつれて音は少しずつ足されていくが、空気は熱を帯びるのではなく、重さを帯びていく。1番サビから徳永暁人のベースが加わることで、メッセージに確かな重力が生まれる。弓で奏でられるベースの長い一音一音が、歌詞の言葉を急がせない。
あの命この命 どちらがどれだけ重いんでしょう
いつかあなたとふれあった せめてあのぬくもりよ永遠に
救われる命と、知られずに消えていく命。その対比が、ニュースや遠い世界の出来事ではなく、自分の胸の奥へと静かに沈んでいく感覚。
2番サビ終わりに響くDuranのギターソロは、感情を一気に爆発させるものではない。むしろ、胸の内側へ静かに染み込んでいき、その余韻を深く残していく。
そしてブリッジからは、シェーンの力強いドラム、サムのキーボードが加わり、バンド全体で音が前へ押し出されていく。シンプルでありながら、逃げ場のない強さ。
それは答えを与える音ではなく、分からないまま抱え続けるしかない感情と現実を、静かに受け止めさせる響きだ。
曲の最後にはメンバーそれぞれの頭上に、ひと筋ずつスポットライトが落ちている。全員の音がひとつに重なり、その光が、こちらにもそっと差し込んでくるように感じられる。
世界の出来事を“分かったつもり”で通り過ぎてしまうことへの違和感。そして、世界の残酷さを以前より身近に感じてしまう現実。
救いを声高に叫ぶわけでもない。それでも「せめてあのぬくもりよ永遠に」と願う気持ちと、その感情に触れたときの胸の温かさは、確かに残る。
このライブ映像は、忘れかけていた感情の輪郭を、静かに思い出させてくれるはずだ。
『ハズムセカイ』レビュー|世界は変わらない。でも、感じ方は弾みだす
Duranがワウを効かせたイントロのギターリフを刻むと、観客の手拍子が自然と会場のリズムになっていく。
そこへ飛び込んでくる、まさかの展開。徳永暁人が別の曲を歌い始めるサプライズに、会場は一気に和やかな空気に包まれる。緊張をほどき、「楽しんでいいんだ」と合図を送るような、粋な導入だ。
その空気を引き継ぐように、稲葉浩志が歌い始めた瞬間、歓声が上がる。『ハズムセカイ』という曲が持つや優しさと親密さに、ぴたりと重なる演出だ。
やがてバンド全体の演奏が重なっていき、サビに向かって徐々にテンションが高まっていく。
サビに入った瞬間、オレンジと白の明るい照明がステージを包み込む。
シェーンのドラムが心臓のように鼓動を打ち、サムのキーボードがその世界に色を足す。そして、稲葉浩志のエネルギー全開の歌声が、観客をそのまま『ハズムセカイ』の奥へと連れ込んでいく。
2番では、稲葉浩志がステージの端から端へと歩きながら歌う。ときに中央に立ち、観客へ手を伸ばす。その仕草ひとつで、会場の熱はさらに高まっていく。
ステージ端でアンプにもたれかかり、リラックスした表情で歌う稲葉浩志。そこからこぼれる笑顔を、手を伸ばせば届きそうな距離で見つめる観客の笑顔。
誇張ではなく、会場全体が幸福な空間になっていることが、映像越しにもはっきり伝わってくる。
ラスサビは、ライブならではのアレンジで一気に解放感が広がる。
ハズムセカイ ハズムココロ
キミがいるだけで ボクの世界は変わるよ
ハズムカゼ ハズムタイヨウ
何でもかんでも 優しく感じてしまうよ
これがずっと続くなら それはすごいこと
このまま朝が来るまで一緒にいてよ
そして最後の「一緒にいてよ」を、稲葉浩志は語りかけるように歌う。その一言が放たれた瞬間、会場は大きな歓声に包まれる。
そして最後の「一緒にいてよ」を、稲葉浩志は語りかけるように歌う。飾りのないその声から伝わってくるのは、ただひとつ。
君にそばにいてほしいという、まっすぐな気持ちだけだ。
強く背中を押すでもなく、未来を約束するでもない。ただ、この時間を共有したいと願う——その想いに、会場全体が歓声で応える。
前を向けなくてもいい。答えが出ていなくてもいい。ただ、「まだここにいて」と言われるだけで、救われる夜がある。
このライブ映像は、そんな気持ちを思い出させてくれる。世界は変わらない。それでも、その世界の感じ方を、やさしく変えてくれる瞬間が、ここには確かに残っている。
『ハズムセカイ』は、きっとあなたのそばで、ちゃんと弾んでくれる。
『正面衝突』レビュー|避けられないなら、突っ込めばいい。ライブ映像がくれる、踏み出す勇気
『ハズムセカイ』の余韻を断ち切らず、徳永暁人がステージ中央へ歩み出る。そのまま演奏に入るかと思いきや、ベースを鳴らしながら、ピタッと止まる。
止まるたびに歓声が起こり、会場の熱がじわじわと高まっていく。そして『正面衝突』のベースリフが刻まれた瞬間、会場の歓声は一段跳ね上がる。
観客は自然と大きな手拍子でリズムを刻み、そこへDuranのギターがリフに合流し、シェーンがタムを小刻みに叩いて、サウンドのテンションを押し上げていく。
稲葉浩志のシャウトが合図となり、イントロはバンドのテンション全開で一気に爆発する。
なかでも際立つのが、シェーンのドラムだ。音の芯が太く、前へと押し出してくるビートが、バンド全体を一気に加速させていく。
稲葉浩志はお立ち台に腰掛け、ブルースハープを吹く。照明は激しく点滅し、イントロの段階からロックのエネルギーが容赦なく投げつけられる。
Aメロに入ると、全身をうねらせて歌う稲葉浩志のボーカルが、一気に最高速度まで加速していく。
そこからBメロで、ほんの一瞬だけ視界が開けるような浮遊感が生まれる。スローインでカーブを曲がり、力を溜めたかと思えば、次の瞬間にはサビへファストアウトで突っ込んでいく。
正面衝突 正面衝突
避けられない運命
Show me the way Show me the way
これこそ自ら望んだGoal
サビでは、エネルギー全開の歌声に観客が正面からぶつかり、手を上げ、跳ね、会場全体が揺れる。
ここで響く「Show me the way」は、答えを求める弱音ではない。進む覚悟を決めた者が、次の一歩を自分に言い聞かせる叫びとして、真っ直ぐに刺さる。
2番の入りで、Duranとサムがそれぞれソロを挟みながら、楽曲は一切減速せずに走り続ける。稲葉浩志はお立ち台の上で足を蹴り上げ、飛び降りながらも、全身で勢いをぶつけるように歌い続ける。
ラスサビ直前、Duranのギターがコースアウトしたかのような暴走感を見せるのも最高の演出で、シェーンのカウントでコースに戻ると、曲は最後のストレートを最大速度で駆け抜けていく。
避けられない運命なら、考えすぎて動けなくなる前に、真正面から突っ込んでみてもいい。下手に避けようとして中途半端な姿勢で転ぶほうが、かえって大怪我になることもある。
このライブ映像は、“正面衝突”する勇気を、音と身体で証明する。
もし今、進むか立ち止まるかで迷っているなら、この『正面衝突』を観てほしい。答えは出なくても、踏み出す勇気だけは、確実に残るはずだ。
『透明人間』レビュー|名前を呼ばれない夜の“孤独”を可視化する瞬間
『透明人間』は、この映像作品の中でも異質な重さを放つ一曲だ。
高揚を煽る役割を担うことを拒み、観る側の感情を静かに、しかし確実に追い詰めてくる。だからこそこのライブ映像は、観終えたあとも簡単には消化できない体験として、心に深く残る。
ステージ上のLEDサイコロ、その3つの目が静かに瞬きをする。暗転が解け、メンバーに続いて、ツアーTシャツに着替えた稲葉浩志が姿を現す。客席からの声援に応えるように放たれた「ありがとう」の一言に、会場から歓声が上がる。
アンコールの入口は穏やかで、会場の空気は確かに“人がいる場所”の温度を帯びている。
だが、サムのキーボードが静かに鳴り始めると、状況は一変する。照明は徐々に落ち、ステージには最小限の光だけが残る。浮かび上がるのは、サムとLEDサイコロのみ。会場が沈黙する。
そして『透明人間』のイントロ。会場にどよめきが走る。それは期待というより、空気が引き締まり、誰もが身構えるような反応だった。
やがて稲葉浩志が、静かに、そして重く歌い始める。カメラはステージの少し下からその姿を捉え、逆光に浮かぶ輪郭を際立たせる。
「透明人間みたいに どこでもゆける」という言葉が、自由ではなく、周囲から無視され、認識されていない状況として響いてくる。誰にも見られず、誰にも呼ばれない。その歌う姿が、観ているこちらの孤独感まで研ぎ澄ませていく。
1番サビでは、サウンドは引き続き、サムのキーボードと稲葉浩志の声だけに絞られる。照明も最小限で、稲葉浩志だけを強く照らす。演出で感情を盛るのではなく、引き算によって孤独を濃縮する。その静けさが、かえって息苦しいほどリアルだ。
歌詞の「だれかぼくの名前を呼んで」は、願いというより、生きている証明を求める切迫した声として、観客の胸に突きつけられる。
2番Aメロから、バンド全体の音が加わる。シェーンのドラムは、主人公の苛立ちを鼓動に変えるように刻まれ、徳永暁人のベースは暗闇の底で重くうねる。Duranのギターは空間系を薄く鳴らし、音の隙間に余白を残す。
音は増えているのに、居場所は広がらない。照明が少し明るくなっても、稲葉浩志へのスポットは外れない。その不均衡が、この曲の息苦しさをいっそう鮮明にする。
ギターソロでは、感情が音に置き換えられる。完全な絶望ではなく、かすかな希望へと手を伸ばすような響きがある。だが、その先は示されない。
そしてラスサビで稲葉浩志は、孤独と恐怖、そしてわずかな希望を抱えたまま、精一杯の声で歌い上げる。
だれかぼくの名前を呼んで
だれでもかまわないよ 早く
景色はぜんぶ ゆがんでゆくよ
熱にうなされて
おかあさん
僕はあの時 光をめざして
最高の世界を夢に見ながら
せいいっぱいあなたの海を泳いだよ
そしてもうどこかに行きたい
世界よ僕の思い通りになれ
いつか僕の思い通りに
思い通りになれ
「世界よ僕の思い通りになれ」という言葉が、誰かに名前を呼ばれたかったことも、歪んでいく景色に耐えきれなかったことも、母に向けた後悔もすべて抱えたまま、それでもなお“ここにいていい場所”を世界に求める、最後の願いとして張り裂けるように叫ばれる。
最後はサムのキーボードが、静かな音で曲にそっと幕を下ろす。その切なさが、ステージ上に“透明人間”を、くっきりと浮かび上がらせていた。
誰かに必要とされたい気持ちを、うまく言葉にできない人にとって、このライブのメッセージは深く胸に残る。
『透明人間』は、気持ちを前向きに塗り替える曲ではない。ただ、「その苦しさを抱えたままでいい」と、黙って隣に立ってくれる。その感触は静かだが、確かに支えになるはずだ。
このライブ映像を観ることで、言葉にならなかった感情に輪郭が生まれる。そして、自分だけが透明だったわけではないと、静かに気づかされる。
ライブ映像でしか出会えない『透明人間』を、ぜひ体験してほしい。
『NOW』レビュー|白い光の中で、解き放たれる“いま”
「最後は“今”現在の曲で締めたいと思います」——観客への感謝を穏やかに語り終えたあと、稲葉浩志はそう言い切って、『NOW』へと踏み出す。
会場が暗転すると、ステージに浮かび上がるのは、ほのかな白い光。
低音のSEが床から這い上がるように鳴り、サムのキーボードが切ない旋律で空気を染めていく。そこへDuranのカッティングが加わった瞬間、心拍数が一段上がるのがはっきりとわかる。
白く光るLEDサイコロ。白い光に包まれた稲葉浩志が、静かに歌い始める。
一打一打が重く脈打つシェーンのドラムと、その脈に寄り添いながら低音で空間を満たしていく徳永暁人のベースが合流すると、白い『NOW』はゆっくりと体温を帯びはじめる。
点滅する照明に呼応するように、サムのキーボードは音を短く刻み、曲に張りつめた緊張感をもたらしている。まだ爆発しない熱を抱えたまま、“いま”を待ち構えている感覚が、映像越しにもはっきりと伝わってくる。
そして、サビ直前。一度、ステージが暗転する。
次の瞬間、サビに入ると同時に照明が一気に弾け、眼前に飛び込んでくる。光も音もエネルギー全開で、『NOW』は抑え込まれていた熱を一気に解放する。
目の前に光るのがNOW
君に死ぬほど触れたいのはNOW
何かを変えたいのはNOW
そこに手を伸ばせるのはNOW
稲葉浩志はマイクスタンドに体重を預け、脚を大きく前後に広げて歌う。その場に踏みとどまるような立ち姿が、何にも流されることなく“いま”を掴みにいく意志を雄弁に物語っている。
「そこに手を伸ばせるのは NOW」そう歌いながら、白い光に包まれて左手を観客へ伸ばす。
この瞬間こそ、ライブ映像でしか味わえない『NOW』だ。言葉と同時に差し出されたその手が、この曲のメッセージを目の前で体現していく。
曲の中盤、ブリッジパートに入っても、勢いは緩まない。
なぜそうしたんだろ
なぜそうしなかったんだろう
無数の悔いを飲み込んで
記憶の群れを雑ぎ倒して
時は濁流となる
「なぜそうしたんだろ」と静かに始まり、歌詞が進むにつれて、声は次第に強さを増していく。それに呼応するように照明は激しく点滅し、シェーンのドラムが力強くリズムを刻んでいく。
「記憶の群れを薙ぎ倒して 時は濁流となる」
マイクスタンドを握ったままお立ち台に足をかけ、濁流が押し寄せるようなシャウトで、このフレーズを叩きつける。後悔も迷いもすべて飲み込み、時間が一気に流れ出すような、圧倒的な瞬間だ。
そのエネルギーを受け止めるように、Duranのエモーショナルなギターソロが続く。言葉を失った感情を、旋律が代わりに語っていく。声からギターへと自然に受け渡された熱が、胸の奥をさらに揺さぶる。
ラスサビ後のコーラスで観客の声が重なり、会場全体がひとつの『NOW』へと溶け合っていく。
この『NOW』は、前向きさを押しつけない。
自信が揺らぐ日も、選ばなかった過去も、迷いも、すべて抱えたまま歌われる。
だからこそ、立ち止まっている人に。決めきれずにいる人に。「いま」を生きられていない気がしている人に、深く刺さるはずだ。
それでも、手を伸ばせるのは“いま”だということを、このライブ映像は教えてくれる。あなた自身の“NOW”を、ぜひ確かめてみてほしい。
オレのNOW、だいぶキンキンに冷えてます 🍺
この映像が伝えてくれた体験と思い
このライブは、気持ちを奮い立たせたり、前向きな結論へ導いたりはしない。
むしろ、迷っている状態や、割り切れない感情、ちゃんと整理できていない思いを、そのまま置いておける場所をつくってくれる。
稲葉浩志の歌は、同じ目線の高さに立ち、同じ景色を見ているような距離感で届けられる。
だからこそ、このライブは“支え”という言葉より、“居場所”という言葉のほうがしっくりくる。
何度も再生したくなるのは、感動を味わいたいからではなく、自分の感情をそのまま置いておける時間が、ここにあるからだと思う。
※本記事の記述は、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜』の収録映像に基づく参照・必要最小限の引用を含みます。引用は日本国著作権法第32条に基づき、出典を明示した正当な範囲で行います。著作権は各権利者に帰属します。なお、著作権保護の観点から歌詞の全文掲載や大量抜粋、映像の静止画キャプチャ(スクリーンショット)・画像化の掲載は一切行いません。