稲葉浩志『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜』全曲レビュー|頑張り疲れた心に、生の歌声と熱がまっすぐ届くライブ映像
『Singing Bird』の夜が教えてくれる、生きることの手ざわり
2024年6月、稲葉浩志がZepp Haneda(TOKYO)で開催した、6夜連続のレジデンシー公演「Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜」。
1stアルバム『マグマ』から最新作『只者』まで、一夜にひとつのアルバムを軸に据えて、ソロ25年のキャリアをまるごと辿るという、前例のない企画だった。
本作『en-Zepp 5』に収められたのは、その5日目、2024年6月15日の公演。5thアルバム『Singing Bird』(2014年)を軸にした一夜だ。
Singing Bird』は、孤独や迷い、自由や愛、そして命——”生きること”そのものと向き合ったアルバムだった。その曲たちが、10年の時を経て、ライブハウスの生の音でふたたび鳴らされる。この映像に詰まっているのは、そんな特別な一夜のドキュメントだ。
バンドは、Shane Gaalaas(Dr)、徳永暁人(Ba)、Duran(Gt)、Sam Pomanti(Key)。疾走するロックナンバーから、アコギ一本の静けさ、弓弾きのウッドベースが低く唸る幻想的な音世界まで、曲ごとにまったく違う景色を作り上げていく。
そして、この映像のいちばんの魅力は、Zeppという距離の近さだ。目の前で歌う稲葉浩志の表情、汗、息づかい。誓いの言葉とともに、自分の胸を叩く左手。
サビの歌詞どおりに、客席へ伸びていく手。歌っている言葉と、目の前の仕草が、ぴたりと重なる——そんな瞬間が、この一本には何度もある。
静と動の振れ幅も、この夜ならではだ。金色の応援歌に沸き、静かな誓いに息を詰め、故郷の夏にゆっくりほどけて、最後は”今”へと帰ってくる。観終わる頃には、孤独も迷いも、不思議と、前へ進むための力に変わっている。
『Singing Bird』を聴き込んできたファンはもちろん、稲葉浩志のソロに初めて触れる人への入り口としても、自信を持っておすすめできる作品だ。
Release:2025.09.24
メンバー
ドラム:シェーン・ガラース
ベース:徳永暁人
ギター:Duran
キーボード:サム・ポマンティ
ツアースケジュール:2024年
2024年6月にZepp Haneda(TOKYO)で6日間にわたり開催された、同一会場で連続上演するレジデンシー形式の公演『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜』
各公演日が、ひとつのソロ・アルバムを“テーマ”に据え、そのアルバムを軸とした選曲で構成されている。
6.8(土)『マグマ』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜
6.9(日)『志庵』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜
6.11(火)『Peace Of Mind』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜
6.13(木)『Hadou』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 4〜
6.15(土)『Singing Bird』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜
6.16(日)『只者』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜
※本記事では、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜』について、各楽曲の歌詞の一部を引用しながら、映像(カメラワーク・編集・照明・ステージング等)の表現やメッセージも考察します。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。演出の核心に触れる詳細な記述は避け、体験の質に焦点を当てて紹介しています。
表現される感情
- 『Cross Creek』レビュー|高揚感の奥に切実さが響く、Day5の鮮烈な幕開け
- 『孤独のススメ』レビュー|ひとりで考え、歩き出す強さを鳴らす1曲
- 『Golden Road』レビュー|「好き」を、まだ諦めたくない人へ
- 『BLEED』レビュー|抱えた哀しみを、強さに変えたいあなたへ
- 『念書』レビュー|決めきれないまま、立ち止まっているあなたへ
- 『ルート53』レビュー|ノスタルジーが、”今の希望”に変わるまで
- 『ジミーの朝』レビュー|生きている。明日が来る。
- 『Stay Free』レビュー|自分の色がまだ、決まらない人へ
- 『oh my love』レビュー|想いを言葉にできない人に、そっと効くラブソング
- 『NOW』レビュー|まだ遅くはない——目の前に光る”今”のフィナーレ
- この映像が伝えてくれた体験と思い
『Cross Creek』レビュー|高揚感の奥に切実さが響く、Day5の鮮烈な幕開け
『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜』のオープニングナンバー。
ステージ中央上部のサイコロLEDに“5”の目が浮かび、赤く染まった空間に稲葉浩志とバンドメンバーが現れた瞬間、会場を包む大歓声に、こちらのテンションも一気に高まっていく。
稲葉浩志がテレキャスターでイントロをかき鳴らす姿の新鮮さ。鋭いリフとともに走り出す疾走感あふれるサウンド。そこへ明るく点滅する照明が重なり、会場の空気は一気に加速していく。
観る側の気持ちまで勢いよく引っ張り上げ、身体ごとライブの世界へ連れ込んでくれる。その高揚感がたまらない。
『Cross Creek』は、抜けのいい疾走感が魅力のロックチューンだ。ライブ映像では、Zeppの空間に響く重低音と生々しいバンドの熱量が加わることで、その魅力がさらに大きく膨らんでいる。
稲葉浩志の歌声も、オープニングから圧倒的だ。冒頭からエネルギー全開で、まっすぐ会場を突き抜けていくボーカルに、気持ちは否応なく引き込まれていく。さらに後半では、原曲にはないDuranの荒々しいギターソロが炸裂し、楽曲のスピード感と興奮をいっそう加速させていく。
観ているうちに自然と胸が躍り、純粋に「楽しい」と感じる気持ちがどんどんふくらんでいく。ライブならではのアレンジが、楽曲の魅力をこんなにも鮮やかに引き立ててくれるのかと、嬉しくなる。
一方で、この曲の魅力は、それだけでは終わらない。疾走感のあるサウンドに心を引っ張られながらも、人を愛することで、かえって自分の欠けた部分や寂しさまで浮かび上がってしまう。そんなひりつくような切実さも、ライブではいっそう鮮明に響いてくる。
眩しいほど愛に溢れるけど
哀しいほど愛に飢えてもいる
そんな人をこんな僕が
力の限り抱きしめたりしても
許されるかな
勢いよく駆け抜けていく演奏の中に、どうしても満たされきらない感情の揺らぎが滲むからこそ『Cross Creek』はただ爽快なだけのロックでは終わらない。
高揚感の奥に、ふと胸を締めつけるような余韻を残していくところが、この曲の大きな魅力だ。
誰かを強く求めながらも、その想いをそのまま押し通していいのか迷ってしまう危うさ。愛しさだけでは済まされない感情や、踏み込めば何かを壊してしまうかもしれない緊張感が、前へ走るようなライブアレンジの中で鳴らされることで、その切実さはいっそう胸に迫ってくる。
鮮やかで、熱くて、心を奪う「Cross Creek」のライブ映像を、ぜひその目で確かめてほしい。
『孤独のススメ』レビュー|ひとりで考え、歩き出す強さを鳴らす1曲
『孤独のススメ』は、タイトルから想像するような沈んだ曲ではない。
このライブ映像で伝わってくるのは、孤独を抱え込んでうつむく姿ではなく、孤独を引き受けながらも前へ進んでいく強さだ。
1曲目『Cross Creek』から、ほとんど息つく間もなくなだれ込む流れがまずいい。空気を切り替えるのではなく、温まりはじめた会場の熱をそのまま引き継ぎながら始まることで、ライブは2曲目にしてさらにギアを上げていく。
導入で耳を引くのは、徳永暁人のベースだ。重低音を効かせたイントロは、ややダークな音色をまといながら、締まった低音で楽曲をぐいぐい前へ押し出していく。
そのベースとシェーンのドラムが刻むリズムの上で、稲葉浩志は、みんなと一緒なら大丈夫だと思い込み、流れに身を任せてしまう危うさを、鋭く、それでいてリズミカルに歌い上げていく。
さらに、サムのキーボードとDuranのギターがサウンドに陰影を加え、曲に緊張感をにじませる。
その空気を引き裂くように、サビでは音圧と低音の迫力が重なり、バンド全体の熱量が一気に高まっていく。
たまにはひとりで
寂しく強く考えてみてよ
これでダメならばしょうがないと
晴れやかに歩き出せ
孤独を耐えるものではなく、自分を取り戻すための時間として肯定しているのが、この曲の大きな魅力だ。
周囲に流されず、自分で考え、自分で決めて進んでいく。その芯の強さが、楽曲の熱と重なることで、より前向きな力に変わっていく。
そして、この映像を特別なものにしているのが、サビで会場いっぱいに響く観客の“Hey!”の掛け声だ。その一声ごとに曲の熱が増していき、会場全体が大きなエネルギーに包まれていく。ライブならではの高揚感が、もっとも鮮やかに表れる場面だ。
誰かに流される安心よりも、自分で考える不安を選べと歌う。その稲葉浩志の言葉は、重低音、疾走感、観客の掛け声、赤い照明と重なり合いながら、孤独を前へ進む力に変えるロックとして力強く響いている。
まわりに合わせることに少し疲れている人、自分の気持ちよりも空気を優先してしまうことが増えている人にこそ、この『孤独のススメ』は深く刺さるはずだ。
ひとりで考えることの寂しさまで引き受けながら、それでも自分の足で歩き出す強さを、これほど熱く鳴らしてくれるライブ映像はそう多くないはずだ。
『Golden Road』レビュー|「好き」を、まだ諦めたくない人へ
短いMCのあと、サムのキーボードがイントロを鳴らし、会場の空気をそっと変えていく。そこへバンドの音が重なって、温度が一気に跳ね上がる。
音源で感じられた”哀愁と熱”が、ライブだと、すぐ目の前で生きて動きはじめる。
そして稲葉浩志が歌い出すと、赤いステージが、ぱっと黄金色に切り替わる。
不思議な匂い漂う金色のトンネル
朽ち輝く銀杏がくるくるまわる
照明が、曲の情景そのものを灯していく。歌詞の中の”金色のトンネル”が、いま、目の前で本当に光っている。
この演出は、正直ずるい。理屈じゃなく、鳥肌が立つ。
Duranのギターも、音源より明らかにエモーショナルなアレンジで、感情の振れ幅がまるで違う。
そして、サビ。立体的に膨らむバンドの音、降りそそぐ照明、稲葉浩志のパフォーマンス。全部がひとつになって、主人公の覚悟が音の塊となって、そのまま胸にぶつかってくる。
信じた道なら行けばいい
震える心を知ったなら
血が滲んでも少々痛くても
行き先を疑うことなかれ
ムリをしたっていいんじゃない
笑われたっていいんじゃない
誰かのものでもない
僕だけのゴールデンロード
ステージの真ん中で歌う稲葉浩志の声に、慰めの色は一切ない。励ますでも、言い聞かせるでもない。もう決めた人間の、確信だけが響き渡っていく。
そして、サビの後半。稲葉が畳みかけ、客席がすかさず応える。
『ムリをしたっていいんじゃない』──「oh yeah!」
『笑われたっていいんじゃない』──「Alright!」
“〜していいんじゃない?”という問いかけに、会場が「いいに決まってる」と即答していく。
本来ならひとりで飲み込むしかない決意を、観客が一緒に引き受けてくれる瞬間。この掛け合いで、稲葉浩志の確信と客席の歓声が溶け合って、ひとりの覚悟だったはずの歌が、みんなの覚悟へと変わっていく。
2番のAメロでは、Duranのキレのあるカッティングに、自然と体が乗っていく。黄金のステージにすっと浮かび上がる稲葉浩志が、もう、ただただかっこいい。
間奏のギターソロで、さらに一段ギアが上がる。音源より深く響くDuranのソロが、聴く者の感情を、ぐっと高ぶらせていく。
前だけをまっすぐ見て、声を振り絞る稲葉浩志。”決意”なんて言葉では軽すぎる。第一線で走り続ける人の”覚悟”が、その表情にくっきりと刻まれている。
『Golden Road』は、無理をすることも、笑われることも全部引き受けて、それでも”僕だけの道”を行こうとする、覚悟の応援歌だ。
そしてこのライブ映像では、”僕だけのゴールデンロード”が、はっとするほど美しい光景として、目の前に立ち上がってくる。
ひとりで信じて歩いてきた道の先には、かならず希望があることを、このライブ映像は、グッとくる熱とともに、まっすぐ届けてくれる。
この曲が本当に刺さるのは、いま何かに挑んでいる人だろう。誰かに笑われても、遠回りに見えても、どうしても手放せない”好き”を抱えている人。
あるいは「そんなに頑張らなくていいよ」と言われるたび、慰められるどころか、なぜか少し寂しくなってしまう人。
そういう人にとって、この曲は、ただの応援歌では終わらない。
何十年も歌い続けてきた稲葉浩志が、いまなお全力で『信じた道を行け』と叫ぶ。その姿そのものが、どんな言葉よりも確かな”証拠”になる。
好きを貫いた先には、こんな顔で立っていられるのだと、目の前で見せてくれるから。
迷っているときほど、正しい言葉より、誰かが本気で生きている姿のほうが胸に届く。
もし今、自分の選んだ道を信じきれずにいるなら——この『Golden Road』の映像を浴びるように観てほしい。きっと観終わるころには、あなただけのゴールデンロードを、もう一歩だけ踏み出したくなっている。
『BLEED』レビュー|抱えた哀しみを、強さに変えたいあなたへ
次に何が始まるのか、誰もが息を殺して、最初の一音を待っている。
その張りつめた沈黙の真ん中に、アコースティックギターを抱えた稲葉浩志が立っている。照明を落としたステージで、その輪郭だけが、薄く浮かび上がる。
やがて、シェーンのスティックが、カチ、カチ、と乾いた音を刻み、カウントを始める。
稲葉浩志がかき鳴らすアコギのコードの上に、サムの切ないキーボードと、Duranのギターがそっと重なる。その音色が、こちらの感情を、もっと深いところへと引きずり込んでいく。
一方で、徳永暁人とシェーンのリズム隊は、ゴツくて、乾いていて、骨太だ。揺れる心の真下に、びくともしない地面が敷かれているようだ。
『BLEED』は、派手なロックナンバーじゃない。静かに血を流す曲だ。大きな音でねじ伏せるのではなく、その声だけで、確かな覚悟を突きつけてくる。稲葉浩志という歌い手の凄みが、いちばん静かに牙を剥く一曲だ。
薄緑に沈んだステージで、稲葉が静かに、低く歌い出す。「ありのままの自分を受け入れてほしい」という弱さと、「どんな悲しみを背負ってでも強くありたい」という意地。その狭間で揺れる男の凄みを、稲葉は大きな音ではなく、その歌声で描き切る。
AメロからBメロへと進むほど、主人公はその感情を必死に抑え込もうとする。なのにサウンドは、それに逆らうように、じわじわと熱を上げていく。
抑えれば抑えるほど、腹の底で何かが膨らんでいく。その圧が限界まで張りつめたところで、サビが弾ける。
No Cryin’
誰かを愛したいなら
涙をごくりと飲み込んで
か弱い心肥やしてくれるのは
悔しさとか罪の意識
さらば強くあれ
稲葉浩志が「さらば強くあれ」と喉を振り絞るその瞬間、歪んだ表情ごと、主人公の意地が、生々しく胸に迫ってくる。
きれいごとなんて、一つもない。むき出しの強さだけが、そこにある。
間奏のDuranのギターソロ、これがまた、沁みる。傷口をそっと撫でるような、ヒリヒリとした痛みと、わずかな温もりが同居したメロディ。痛みを消しにいくのではなく、痛みごと抱きしめるような音だ。
そして最後のサビで、ずっと張りつめていたものが、ついに振り切れる。
シェーンのドラムが、鼓動のようにドッ、ドッと打ち込まれ、主人公の感情の輪郭を、力ずくで叩き出していく。徳永暁人のベースも音数を増し、こらえてきたものが、うねりとなって溢れ出す。
すべてを、出し切った。──その熱がまだ冷めきらないうちに、サムのキーボードが、ぽつりと鳴る。そんな余韻だけを残して、曲はそっと幕を閉じる。その静けさが、あまりにも美しく、息を呑む。
『BLEED』は「泣いていいんだよ」なんて、甘い慰めは口にしない。代わりに、もっと厳しくて、もっと不器用な優しさを差し出してくる。──その悔しさは、無駄になんかならない。その哀しみは、いつかあなたのバネになる。だから、飲み込め。そして、立て。何十年も第一線で立ち続けてきた稲葉浩志が歌うからこそ、その圧倒的な説得力に、心を揺さぶられる。
この曲が深く刺さるのは、弱さを人に見せるのが下手な人だ。しんどさを口に出せず、しかも自分のためですらなく、守りたい誰かのために、ぐっとこらえてしまう人。
そんな痛みを歌うのが、傷を隠して強くあろうとすることの、しんどさも誇らしさも知り尽くした稲葉浩志だ。だから、その声に嘘がない。
もし今、誰にも言えない重さをひとりで背負っているなら、この一曲を、ぜひ映像で受け取ってみてほしい。「お前のその強さ、ちゃんと見えてるぞ」と、そっと肩を叩かれたような気持ちになるはずだ。
『念書』レビュー|決めきれないまま、立ち止まっているあなたへ
観客の体調を気づかう、あたたかいMC。稲葉浩志らしい茶目っ気のある言葉に、客席から笑い声と声援が返る。会場が、ふっとほどける。
──その空気を、シェーンの重たいドラムの一打が、一瞬で断ち切る。『念書』。B’zでは決して聴けない、稲葉浩志のいちばん深く、生々しい一面を、いま、ステージにさらけ出していく。
サムのキーボードが、低く沈んだイントロを、そっと鳴らしはじめる。そこへ徳永暁人の重たいベースが重なって、ずしり、と腹の底に響いてくる。
そして稲葉浩志が、静かに歌い出す。「目の前の闇が怖いから立ち止まる」──いきなり、弱音だ。英雄の歌じゃない。怖くて足がすくむ、あの誰もが知ってる感覚から、この曲は始まる。
Bメロに入ると、Duranのギターは、せき止めていた感情が少しづつ溢れ出すようにそっと鳴りはじめる。
そしてサビ。荒々しいギターに、ぐっと迫力を増したバンド全体のサウンドが重なって、一気になだれ込む。抑えこまれていた熱が、天井を突き破る。
その音の渦のなかでも、圧倒的な歌声で、稲葉浩志が、その決意を真っ向から叩きつけてくる。
今から自分がやることを
未来において
絶対後悔いたしません
永遠に誓います
って心に彫ってしまえばいい
誓約書みたいに堅い言葉が、ものすごい熱量で飛んでくる。
そして「心に彫ってしまえばいい」と歌うその瞬間、稲葉は左手で、自分の心臓を、トン、トン、とノックする。歌詞のとおり、誓いを、本当に胸へ刻みこむみたいに。
この仕草の説得力は、音だけでは絶対に届かない。映像でしか出会えない、名場面だ。
照明を絞った薄暗いステージには、白く細い光が、何本も突き刺さっている。それはまるで、PVに登場した檻の鉄格子のようだ。光と影だけで、囚われた心の風景が、くっきりと浮かび上がる。
そして、終盤。
どんな結果にも目を背けない
誓ったらただ今を生きるのみ…
この一節が、繰り返されるたびに、熱を帯びていく。
Duranのギターは荒々しさを増し、照明は激しく明滅する。稲葉浩志の歌声もぐんぐん力を増し、最後にはシャウトとなって、その決意を客席に解き放つ。
それが、音の塊となって暴れ回る。──そして最後、すべての音が、一糸乱れず、ぴたりと止まる。この終わり方が、最高に、かっこいい。鳥肌が引かないうちに、もう一度、頭から観たくなる。
『念書』は、稲葉浩志がソロでしか触れられない、心の奥底をさらけ出す一曲だ。
弱さも、自分を哀れむ気持ちも、逆恨みも、人間のいちばん見せたくない部分を、ごまかさずに歌う。それでも曲は、その暗がりの底で、たったひとつの誓いを掴む。
「絶対後悔いたしません」。en-Zepp 5の映像は、その誓いを、うねるバンドサウンド、胸を叩く左手、檻のような光、そして最後のシャウトで、生々しく形にしてみせる。覚悟が、これほどはっきり目に見える瞬間は、そうない。
この曲が刺さるのは、何かを始めたいのに動けずにいる人だ。失敗が怖くて、「いまじゃないかも」と迷っているうちに、時間だけが過ぎていく人。
そんな心を、この映像は、理屈ではなく、剥き出しのエネルギーで揺さぶってくる。
自分の胸を叩き、声を振り絞り、全身で誓いを叫ぶ稲葉浩志。荒れ狂うバンドの音。すべてを出し切る、最後のシャウト。その圧をまともに浴びていると、止まっていたはずの体が、勝手に前のめりになっていく。
「……まあ、やってみるか」。完璧なタイミングを待つ理由なんて、この熱量の前では、あっけなく吹き飛んでしまう。
もし今、決めきれない何かを抱えているなら、ぜひこの一曲を、映像で浴びてみてほしい。画面越しでも、その熱は、確かに伝わってくる。観終わるころには、ずっと先延ばしにしてきた一歩を、今日こそ踏み出したくなっているはずだ。
『ルート53』レビュー|ノスタルジーが、”今の希望”に変わるまで
『念書』の緊張が、まだ手のひらに残っている。そのタイミングで、サムのキーボードが、ふわりとやわらかい音を置いた。
それを合図に、バンドがセッションのような空気で、ゆるやかに音を重ねはじめる。稲葉浩志がそっとハープを吹き、Duranのギターがゆったりとメロディをなぞる。さっきまで張りつめていたZeppの空気が、ゆっくりとほどけて、どこか懐かしい夏の昼下がりへと変わっていく。
演奏がふっと止む。一拍の静けさ。シェーンのカウントが響いて、あらためて『ルート53』のイントロが始まった。この仕切り直しの呼吸がもう、ライブでしか味わえない贅沢だ。
『ルート53』は、稲葉浩志の故郷・津山を貫く国道53号をうたった一曲だ。
横断歩道のない道を駆け抜けた子ども時代。秘密を持ち寄った高架下。そして、大好きな畑への近道で車にはねられてしまった、おじいちゃんの実話。一本の道の上に、家族と時間の記憶が積み重なっていく。
やさしい光が、稲葉浩志をふんわりと包み込む。その光のなかで、静かに歌い出す。淡く照らされて歌うその姿に、バンドの音がそっと寄り添い、ステージの上に、ノスタルジックな世界がゆっくりと立ち上がっていく。気づけば、じわじわと引き込まれている。
不思議なもので、同じ曲なのに、CDで聴くよりずっとあたたかい。生のバンドのサウンドで、歌の中の夏の昼下がりが、目の前に浮かび上がってくる。こういう午後、自分にもあったな——そんな記憶まで、勝手にほどけていく。
誰にでも居場所はあるもんだ
心が透き通ってゆくような
ひんやり深い森に
抱きしめられる
そんな気分になれるという
それは今もそこに
「誰にでも居場所はあるもんだ」——この、肩の力が抜けた言い方がいい。「あるよ」でも「あるはずだ」でもなく、「あるもんだ」。説教でも励ましでもなく、ひとりごとに近い。自分にも言い聞かせているような気安さだから、構えていた心に、すっと入ってくる。
このライブ映像で聴けるのは、ライブだけの歌い回しだ。フレーズをゆったり溜めたり、語尾をふっとやわらげたり——その”間”の端々に、稲葉の体温がこもっている。そのたびに変わる表情まで、映像はしっかり見せてくれる。一語ずつ、そっと手渡すように歌うその姿に、この曲をどれだけ大切にしているかが、にじんでいる。
ところが、ブリッジで景色が変わる。ライブならではの大胆なアレンジで、音がぐっと熱を持つのだ。
そのうち一人二人と町から流れ出してゆき
僕もあの道をたどり 何かを追いかけていった
子ども時代の思い出が、ここで”旅立ち”の場面に切り替わる。友達がひとり、またひとりと町を出ていき、自分もあの道をたどって、何かを追いかけていった——。熱を増したバンドの音は、まるで、あの頃の衝動をそのまま鳴らしているかのようだ。
何者かになれる気がして、前だけを見ていた、あの無鉄砲な熱。いま思い返すと、ちょっと胸が痛い。その痛みごと、このアレンジは呼び起こしてくる。音源では聴けない、この夜だけの表情だ。
間奏では、稲葉浩志のブルース・ハープが鳴る。これがもう、理屈抜きに沁みる。乾いた音色が、ひと吹きごとに、夏の高架下へ、砂の山へ、記憶の奥へと連れていってくれる。
そしてラストのサビ。それまでの穏やかさから一転、稲葉は力強く歌い上げる。過去を懐かしむ声ではなく、いまを生きる声で。
ふと見せる笑顔がまた、たまらなくいい。その瞬間、この曲はただのノスタルジーではなくなる。あの道は、思い出の中じゃなく、今もそこにある。だから、いつでも帰れる──そんな”いまの希望”の明かりが、ぽっと灯る。
結果を出さなきゃと走り続けて、ふと「自分の居場所ってどこだっけ」と思ってしまった人。『ルート53』は、そんな人にそっと教えてくれる。居場所は、探して手に入れるものじゃない。あの道の上に、いつかの自分ごと、ちゃんと残っている。
en-Zepp 5の映像は、その道を、生音の体温で照らし出す。観終わる頃には、郷愁が、不思議と前向きな何かに変わっている。明日からまた走るための、深呼吸みたいな時間になるはずだ。
『ジミーの朝』レビュー|生きている。明日が来る。
『ルート53』のあたたかい余韻が、すっと遠のくように、ステージは暗く沈み、深い赤の照明に染め上げられている。
そこへ、シェーンのドラムが鳴りはじめる。ずしん、と腹の底に響く一打。鼓動と呼ぶには少し乾いた、どこか機械じみた音が、規則正しく、重たく、赤い闇の中に刻まれていく。
そのドラムの上に、Duranの不穏なメロディが絡みつく。徳永暁人はウッドベースに弓を当て、低く唸るような音を、長く、長く伸ばす。そこへサムのキーボードが静かに共鳴して、バンド全体の音が、どこかエスニックな、それでいて薄暗い響きをまとう。
明るい朝ではない。ぼんやりと霞んで、まだ夜の気配を引きずった”朝”の輪郭が、ゆっくりと形づくられていく。
『ジミーの朝』は、稲葉浩志がサーフィンを通じて出会った、実在の人物から生まれた曲だ。陽気で、減らず口ばかり叩いて、みんなに愛されているジミー。でも彼の胸には、手術を経て、心臓を支える機械が入っている。
稲葉浩志がギターをかき鳴らすと、ステージは紫と緑の光に塗り替えられていく。朝焼けでも、夜でもない。深い海の底に差し込む光のような、ひんやりとした色だ。その光の中で、稲葉は静かに歌いはじめる。
朝一番の浜。完璧な波を前にして、ジミーは黙って引き返す——歌は、そんな場面から始まる。シェーンと徳永暁人が支える重たいリズムの上を、稲葉の歌声が静かに歩いていく。
淡々と進んでいた歌が、サビでふっと開ける。
心臓の音が聞こえる
機械仕掛けの命の音が
俺はまだ生きている
そして明日は必ずやってくる
ジミーの胸で鳴り続ける”命の音”。ライブの生音は、その鼓動を、観ている側の体にまで届かせてくれる。
生きている。明日が来る。
胸の機械とともに生きるジミーにとって、このふたつは、少しも当たり前じゃない。
『ジミーの朝』は、大げさなことを何ひとつ歌わない。朝、浜に行く。波を見る。帰ってくる。心臓が動いている。それだけの毎日を、それだけのまま歌う。en-Zepp 5の映像も、この曲を無理に盛り上げたりしない。落とした照明と、低く唸るベースと、静かな歌声。そのままの温度で、そっと差し出してくれる。
だからだろうか。観終わったあとに残るのは、興奮というより、「今日もふつうに一日が終わったな」という、あの何でもない夜の感覚に近い。そして、その”何でもない”が、ちょっとだけ大事なものに見えてくる。
観終わった夜は、誰かのくだらない話が、少しだけ愛おしくなる。そして翌朝、目が覚めて、いつも通り鳴っている自分の心臓が、ほんの少し、頼もしく思えるはずだ。
『Stay Free』レビュー|自分の色がまだ、決まらない人へ
Duranがイントロのリフをかき鳴らした瞬間、会場のスピードが一気に上がる。
バンドの音が重なったときには、もうトップスピードだ。徳永暁人のうねるベース、サムの華やかなキーボード、シェーンのパワフルなドラム。
照明もリズムに合わせて点滅して、気分をどんどん引き上げてくれる。イントロだけで、体が勝手に乗ってしまう。
『Stay Free』は、”自由”の歌だ。ただ、自由って最高!という歌ではない。
自由ってどんなものでしょ
もう何百回も聞いたコトバでしょ
ぞっとするほど寂しくて
狂おしいほど美しいもの
寂しくて、美しいもの。この曲は、自由を一言で言い切らない。サビが来るたびに言葉を替えながら、その正体をずっと探している。
タイトルも「Be Free」ではなく、『Stay Free』。自由に”なれ”ではなく、自由で”あり続けろ”。寂しさも、ひそひそ話も、全部引き受けたうえでの、覚悟の言葉だ。
ライブの稲葉浩志は、この問いを、疾走するバンドの上で力強く歌い上げていく。息づかいまで聞こえる生の歌声で聴くと、歌詞の情景がぐっとリアルになる。
サビで振り絞るように声を張る稲葉と、その姿に見入る観客の笑顔。会場を吹き抜ける風のようなエネルギーが、画面越しでもしっかり伝わってくる。
そして、ブリッジ。疾走がふっとゆるんで、稲葉が客席に向かって、囁くように問いかける。「自由って……」。
その答えを吐き出すように、Duranの荒々しいギターソロが炸裂する。そのままストラップを掴んで、ギターをぐっと客席へ差し出す。観客が手を伸ばして、弦に触れて、音を鳴らす。
すごい場面だと思う。「自由ってどんなものでしょ」という問いに、体験で答えてしまうのだ。プロの楽器にファンの指が触れて、不揃いな音が鳴る。うまいへたなんて関係ない。自分の手で鳴らした音は、もうその人だけのものだ。
ラスサビも、最高速度のまま一気に駆け抜けて終わる。気持ちいいくらい、まっすぐな走りっぷりだ。自分の色が、まだ決まらない人へ
まわりはどんどん自分の道を決めていくし、SNSを開けば誰かの充実した毎日が流れてくる。あせるよね、ふつうに。そういう夜にこの曲を観ると、少し楽になる。
自由は、逃げることでも、急いで答えを出すことでもない。まだ名前のついていない自分のまま、走っていていいと思わせてくれる。
そして観終わる頃には、たぶん、意味もなく風を切って走りたくなっているはずだ。その気持ちを持ち続けることが、きっと『Stay Free』なんだと思う。
『oh my love』レビュー|想いを言葉にできない人に、そっと効くラブソング
大きな拍手のなか、ツアーTシャツに着替えたメンバーと稲葉浩志が、ステージに戻ってくる。
アンコールの一曲目。短いMCのあと、「ありがとう」という感謝の言葉から、穏やかなイントロが流れはじめる。
本編の張りつめた熱とはまるで違う、ふっと肩の力が抜けた空気。ここから始まるのは、稲葉浩志が書いた、いちばん気長で、いちばん気前のいいラブソングだ。
『oh my love』は、「言葉にするよりも 伝わることがある」と歌い出す曲だ。好きだと叫ばない。無理やり抱きしめたりもしない。想いはいつか届けばいい——季節が進むくらいの、ゆっくりした速さで。
リラックスした表情の稲葉が、優しく歌いはじめる。Bメロでは、my loveのかたちをひとつずつ確かめるように、声に力がこもっていく。そして、サビ。
いつか君に届けばいい
胸いっぱいのmy love
本気で誰かを想う時が来れば
ふと見えるだろうoh my love
いつの日か
サビのあたたかい歌声が、Zeppをゆっくり満たしていく。そして「oh my love」のフレーズでは、会場全体がひとつになって歌う。客席の合唱を受けとめて、稲葉浩志がうれしそうに笑う。
ステージと客席のあいだでは、確かに何かが行き来している。ファンの想いは稲葉浩志にちゃんと届いていて、稲葉も、言葉の代わりに笑顔で応えている。
ところで、この日の彼の足元は、リーボックとのコラボスニーカー「インスタポンプフューリー94 マグマ」。1stアルバムと同じ名前を持つ一足だ。
ツアーTシャツにスニーカーという等身大の姿が、信号待ちの君に呼びかけるようなこの曲の日常感と、驚くほど合っている。かっこいいロックスターではなく、隣を歩く人の距離感で、このラブソングが届いてくる。
間奏では、サムのキーボードソロとDuranのギターソロが、曲に華やかな彩りを添える。
そしてラスサビのあと、満面の笑みで「my love」と歌う稲葉浩志の表情が、もう、幸せそのものだ。アウトロはライブならではのロックなアレンジで、最後の一音まで、あたたかいエネルギーが会場を包み込んでいた。
アンコールという場所も、この曲にぴったりだった。「ありがとう」から始まって、みんなで歌って、笑顔で送り出される。ライブの終わりが近づく寂しさごと、ふんわりなだめてくれる数分間。観終わったあとに残るのは、高揚というより、じんわりした幸福感だ。
この曲は、好きな人に気持ちを言えない人や、感謝をなかなか口にできない人に、そっと効く。言葉にするよりも、伝わることがある。焦らなくていいし、無理に形にしなくてもいい。ちゃんと想っていれば、いつか届く——この曲は、そう言い切ってくれる。
かといって、何もしなくていい歌でもない。青い灯が灯ったら、一歩ずつ踏み出そう、とも歌っている。この塩梅が、なんとも稲葉浩志らしい。
観終わったら、たぶん、大切な人の顔がひとつふたつ浮かんでいるはず。よかったら、その人と一緒に観てほしい一曲だ。
『NOW』レビュー|まだ遅くはない——目の前に光る”今”のフィナーレ
ついに、最後の曲。地鳴りのような低いサウンドが、会場を細かく震わせはじめる。音は重たいのに、こちらの鼓動は、どんどん速くなる。
その振動の上に、サムのキーボードが切ないメロディを鳴らし、Duranの鋭いカッティングが刻まれると、空気が一段と張りつめていく。
薄く赤に染まったステージで、稲葉浩志が静かに歌いはじめる。バンド全体の音が重なると、照明がリズムに合わせて点滅し、曲の温度がじわり、じわりと上がっていく。
Bメロで限界まで引き絞られた緊張が——サビで、一気に解き放たれる。
目の前に光るのがNOW
君に死ぬほど触れたいのはNOW
何かを変えたいのはNOW
そこに手を伸ばせるのはNOW
『NOW』は、過去にも未来にもとらわれない、”今”の歌だ。愛に打ちのめされるのも、おびえて戸惑うのも、あっちゅうまに逃げていくのも、ぜんぶNOW。
歓びも痛みもまとめて、いま生きて感じているものを、まるごと肯定していく。
ステージの稲葉浩志は、脚を前後に大きく開き、マイクスタンドをぐっと手前に引き寄せて、身体全部で歌う。
そして「そこに手を伸ばせるのはNOW」——歌詞のとおり、客席へまっすぐ手を伸ばす。この瞬間、”今”という言葉が、目に見えるかたちになる。ライブでしか出会えない光景だ。
最後の曲とは思えない。むしろ、ここが今夜いちばんの熱量だ。弾けるロックサウンドと、限界まで出し切る歌声。
そして、ラスサビ。稲葉浩志が自分の喉を指さしながら、歌い切る。「誰にも絶対奪わせない この声が消え去るまで歌う」。
最新の稲葉浩志の”今”。この声はまだ現役で、”今”はいつだって目の前で光っている——そう告げるように、最後の一曲が幕を下ろす。
観終わったあとに胸に残るのは、寂しさじゃなく、「よし、自分もやるか」という単純で強い衝動だった。
歌詞のなかに、こんな一節がある。「誰か言ってよ まだ遅くはないって」。何かを始めるには遅すぎる気がして、なんとなく毎日を流してしまう——そんな人にこそ、このライブを観てほしい。
35年以上歌い続けてきた人が、それでも喉を指さして「この声が消え去るまで歌う」と誓う。その姿が、もう答えだと思う。遅いかどうかを決めるのは年齢じゃなくて、目の前に光っている”今”に手を伸ばすかどうか。
観終わったら、どうでもいいような今日が、ちょっとだけありがたく見えてくるはずだ。
この映像が伝えてくれた体験と思い
観終わって最初に出てきた感想は、「すごいライブだった」じゃなくて、なぜか「ちゃんと生きよう」だった。
この夜に歌われたのは、孤独とか、覚悟とか、故郷とか、命とか。どれも特別な話じゃなくて、毎日を生きてれば誰でも抱えてるものばかりだ。10年前のアルバムなのに、古さはまったく感じない。むしろ、こっちが年を重ねたぶん、あの頃より沁みる曲が増えていた。
それと、この夜の曲たちは、どれも弱さを責めないのがいい。立ち止まっても、泣きそうでも、ひとりが嫌でも、「そのままでいい」と一回ぜんぶ受け止めてから、そっと背中を押してくる。この距離感が、ずっと心地よかった。
……と、いろいろ書いてきたけど、いちばん正直な感想は、じつはもっと単純だ。稲葉さんが、とにかくかっこよかった。
声も、動きも、佇まいも、ぜんぶ。理屈はあとから付いてきただけで、観ているあいだはずっと、ただただ最高だった
たぶん、それで十分なんだと思う。この”かっこいい”を、ぜひライブ映像で確かめてほしい。
※本記事の記述は、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜』の収録映像に基づく参照・必要最小限の引用を含みます。引用は日本国著作権法第32条に基づき、出典を明示した正当な範囲で行います。著作権は各権利者に帰属します。なお、著作権保護の観点から歌詞の全文掲載や大量抜粋、映像の静止画キャプチャ(スクリーンショット)・画像化の掲載は一切行いません。