B’z 8th Album『LOOSE』全曲レビュー|頑張りすぎて疲れた人のための“肩の力が抜ける一枚”
UnsplashのRoberto Nicksonが撮影した写真のRoberto Nicksonが撮影したイラスト素材
「ちゃんとしなきゃ」と、力みすぎていた人へ。こわばった心を、音がほどいてくれるアルバム。
ちゃんとしなきゃ。急がなきゃ。弱音なんて、吐いていられない。
気づけば、そうやって自分をきつく締めつけてはいないだろうか。
1995年11月22日に発売された、B’zの8作目のオリジナルアルバム『LOOSE』。
制作集団「B+U+M」を解き、松本孝弘と稲葉浩志の2人が、制作の中心に戻ってつくった最初の1枚だ。B’zで初めて、累計300万枚を超えた作品でもある。
けれど、歌の中にいるのは、胸を張れる主人公ばかりではない。
決断を、つい先延ばしにする。終電に揺られて、ため息をつく。傷つくのが怖くて、深入りを避ける。酒場でぼやいて、明日こそと強がる。
誰にでも覚えのある、格好のつかない姿だ。
このアルバムは、その格好のつかなさを、いちばん気持ちいいロックで鳴らしてみせる。ブラスが弾け、ギターが唸り、情けない言葉ほど、身体の奥まで届いてくる。
タイトルの「LOOSE」には、こわばりを「ほどく」という意味と、だらしない「ルーズ」という意味がある。
力を抜いていい。少しルーズなままでも、人はちゃんと前へ進める。13曲を聴き終えるころには、上がりきっていた肩が、すとんと落ちている。
だからこの一枚は、こんな人にこそ、まっすぐ刺さる。
周りのペースに急かされて、自分の答えを出せずにいる人。
悲しいことを、誰にも言わずに飲み込んできた人。
いつのまにか毎日が、小さくまとまってしまった人。
この記事では、『LOOSE』全13曲を、一曲ずつ、感情を切り口にレビューしていく。
張りつめた心を、そっとゆるめてくれる一曲が、きっとこの中に見つかるはずだ。
Release:1995.11.22
※本記事では、B’zのアルバム『LOOSE』に収録された各楽曲について、歌詞の一部を引用しながら、その表現やメッセージについて考察しています。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。
表現される感情
- 【精力的】×『spirit loose』
- 【遊び心のある】×『ザ・ルーズ』
- 【やる気がある】×『ねがい (“BUZZ!!” STYLE)』
- 【思いにふける】×『夢見が丘』
- 【ぞくぞくする】×『BAD COMMUNICATION (000-18)』
- 【希望に満ちた】×『消えない虹』
- 【楽観的】×『love me, I love you (with G Bass)』
- 【熱狂的】×『LOVE PHANTOM』
- 【愉快】×『敵がいなけりゃ』
- 【もどかしい】×『砂の花びら』
- 【落ち着かない】×『キレイな愛じゃなくても』
- 【疲れている】×『BIG』
- 【触発された】×『drive to MY WORLD』
- このアルバムを通して感じたこと
【精力的】×『spirit loose』
ギターが鳴る。
「oh yeah」というハスキーな稲葉浩志の声を合図に、粗く、ソリッドなカッティングが刻まれはじめる。
演奏時間は、わずか1分4秒。
鳴っているのは、松本孝弘のエレクトリックギターと、稲葉浩志のシャウトだけ。ベースもドラムも入っていない。
それでも、熱を帯びたブルージーなギターに、シャウトが応酬していくうちに、聴いているこちらのテンションは、ぐんぐんと上がっていく。
ギターとボーカルだけとは思えないほどの熱量と、まるで目の前でその景色が繰り広げられているかのような、生々しい臨場感。
『LOOSE』は、それまでB’zのサウンドを裏で組み立てていた制作集団「B+U+M」を解いて、松本孝弘と稲葉浩志の2人が制作の中心に戻ってつくられた、最初のアルバムだ。
その1曲目に、2人の音しか入っていない曲を置いた。つまりこれは、演奏であると同時に、宣言でもある。
「B’zは2人」という言葉を、説明ではなく、音で言い切ってしまった1分間。
アルバムの扉としてこれ以上ないほど、リアルで、ざらついたロックナンバーだ。
「Let’s get loose」の一声で、こわばりがほどけ、血が巡り出す
この曲には、歌詞カードに載っていない歌詞がある。ブックレットには「作詞:稲葉浩志」とクレジットされているのに、言葉そのものは印刷されていない。
耳を澄ませると、シャウトの合間から、こんな英語が聴こえてくる。
Let’s get loose
(さあ、ゆるめていこう)
everything is alright
(すべて、うまくいってる)
意味を追いかけるための歌詞ではない。メロディに乗せて「歌う」というより、掛け声として、身体に届く言葉だ。
だから、ここでの「loose」は、だらしなさではなく、こわばりを「ほどく」ことだと受け取りたい。
その言葉を、アルバムのいちばん最初に、叫んでしまう。
粗いカッティングが走り出すやいなや、「Let’s get loose」が、意味より先に、音として飛び込んでくる。
読み解こうと構える必要がない。肩の力が抜けたぶんだけ、血が前へ巡っていく。
気づけば、身体が音のほうへ、前のめりになっている。
そして、その「ほどく」という言葉が、このアルバムの成り立ちそのものと重なっている。
B+U+Mは「B’z Unreal Music」の頭文字で、1990年の4thシングル『BE THERE』からクレジットされていた制作チームだ。
明石昌夫らを中心に、当時の緻密で打ち込み主体のB’zサウンドを、2人の外側から支えていた。
その体制は、1994年11月の15thシングル『MOTEL』を最後に解かれる。
理由について松本孝弘は、B’zは2人であるというメリットを有効活用するため、という趣旨を語っている。
B.U.Mという名前は、同じ頃に設立されていたマネジメント事務所に残り、2001年に「VERMILLION」へと発展していく。音づくりの主導権は、この時点で2人の手に戻った。
翌1995年の16thシングル『ねがい』からは、稲葉浩志も編曲に名を連ねるようになる。『LOOSE』は、その新しい体制で最初に完成した1枚だ。
だからこの曲には、飾りがない。制作にまつわる逸話として、当初はレコーディングブースの中に10か所ほどラジカセを置いて録音を試みたが、音が悪くて断念した、という話が残っている。
わざわざ音を粗くしようとしたところに、この曲が目指した「生々しさ」が透けて見える。
ギターは、ブルース進行を土台にした、乾いた金属音を叩きつけるようなカッティング。そこに、稲葉浩志の声が重なっていく。
決まった旋律をなぞるのではなく、その場で崩し、跳ね上げ、叫ぶ。合いの手のように、ときに挑発するように。
最後のシャウトは、まさに圧巻だ。稲葉浩志のボーカリストとしての力量と、ロックのエネルギーが、ここに凝縮されている。
そして、その余韻を断ち切るように、次の『ザ・ルーズ』へ切れ目なくなだれ込む。
ライブで演奏されたのは、1996年のツアー「B’z LIVE-GYM ’96 “Spirit LOOSE”」だけ。ツアーの名前そのものにこの曲の題が刻まれたのだから、当時の2人にとって、この1分間がどれだけ大きな意味を持っていたかがわかる。
『spirit loose』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、何かを新しく始めるとき、余計なものを削ぎ落として身軽になりたいと感じている人だ。
『spirit loose』は、たった1分4秒で、B’zが「2人」であることを、音だけで証明してみせる。
歌詞カードに載らない英語の掛け声と、粗く鳴らされるギター。そこにあるのは、装飾ではなく体温だ。
再生して最初の1分、まだ何も始まっていないようでいて、じつは、いちばん大事なことがもう言い終わっている。
魂を、ゆるめる。縛っていたものを解いて、むき出しのまま鳴らす。曲名は、そのままこの音の説明になっている。
最初の一声で胸の奥の火が煽られたなら、あなたはもう、『LOOSE』という旅の入口に立っている。
【遊び心のある】×『ザ・ルーズ』
『spirit loose』の叫びが消えるか消えないかのうちに、ロックなサウンドが飛び込んでくる。
エッジの立ったギターリフが切り込み、重くうねるベースが地面を揺らし、ドラムがそれを力強く打ち据える。
ロックの土台が固まったところへ、ブラスが一段遅れて差し込まれ、ポップで華やかな色が一気に広がる。
歌い出しは、いきなりサビから。華やかなサウンドと、心地良いメロディと、力強い歌声。一瞬で心を鷲掴みにされるほどの吸引力だ。
ところが、歌われているのは、なんとも締まらない毎日である。就職活動、家庭教師のバイト、足りない単位、家賃、銀行残高、ファミコン。モデルになっているのは、稲葉浩志自身の大学時代だ。
1曲目の『spirit loose』で、「loose」は、こわばりをほどくことだと書いた。
この曲で歌われるのは、その言葉のもうひとつの顔。だらしなさと、先延ばしのほうの「ルーズ」だ。
ほどく「loose」の直後に、だらける「ルーズ」を鳴らす。締まらない毎日を、これ以上ないほど派手な音で歌う。そのギャップを楽しんでいるのが、この曲だ。
「まだちょっとルーズにやらして」は、決められない自分を、前に進ませるための助走だ
頭が痛い、何も決まらない。冒頭のサビは、そんな弱音から始まる。
OH YEAH あたまがいたい何も決まらない
誰かが僕をせかすよ
でなんで今すぐ決めないといけないの
まだちょっとルーズにやらして
最初の不調は、悩みではなく頭痛だ。考えより先に、身体が音を上げている。急かすのは、顔の見えない「誰か」。就職の時期という空気そのものかもしれない。
主人公は、決めない、とは言わない。なぜ今すぐなのか、と聞き返し、まだ、ちょっと、と二つ前置きして、ゆるめてくれと頼む。宣言ではなく、交渉だ。
その弱気な交渉を、曲の冒頭に、いちばん強い歌声で置く。弱音が、応援歌のように聞こえてしまう。その仕掛けが、この曲の入口だ。
Aメロに入ると、歌声は急に気だるい表情を見せる。
みな就職活動そわそわはじめ僕はいまだに家庭教師
かわいい娘ひとり いかついヤツ1
問題のある態度こらえてレッスン
周りが動き出したことは、わかっている。自分が遅れていることも、わかっている。
それでも動けない。だから今日も、自分の進路は棚に上げて、他人の子どもに勉強を教えている。
教え子の態度は悪い。でも、黙ってこらえる。何も決められていない自分に、人を叱る資格はない。苛立ちの矛先は、教え子ではなく、自分に向いている。
エッジの効いたカッティングと、重くうねるベースが、その情景を粗く描き出していく。
Bメロでは、声が二層になる。
ハヤクオワリタイ ヤッテランナイベイベ
ハラモヘッタヨ メシハマダカ
表では、家庭教師が生徒に向かって、先生の顔で話し続けている。その裏で、カタカナで綴られた本音が、コーラスになって漏れている。
カタカナで書かれているのは、感情を乗せない声だからだ。先生の顔をしている間、頭の奥で、平坦に、機械的に、退屈と空腹が繰り返されている。
その中身が、教え子と変わらないのがいい。早く帰りたい、腹が減った。「センセイ」と呼ばれている側も、中身はまだ子どもなのだろう。
なお、表の台詞のほうは、歌詞カードには載っていない。曲の中には、載っていない台詞が2か所と、ラップが1か所あり、どれも稲葉浩志が家庭教師を演じている。
そしてそのまま、流れるようにサビへ入っていく。
OH YEAH あたまがいたいあの単位もたりない
将来のヴィジョンはインザダーク
おかあさん聞かないで僕の夢なんて
いやなんだってば考えたくない
こんな僕でもここじゃセンセイ
単位は足りない。将来は真っ暗。夢を聞かれても、考えたくない、と返すしかない。
そのすぐあとに、こんな自分でも、ここでは「センセイ」と呼ばれている、と続く。自嘲だが、それだけではない。
将来のどこにも居場所がない中で、ここだけは自分を必要としてくれる。ルーズなままでいられる場所が、ひとつだけある。それがこの一行の意味だろう。
力強く歌われるのは、後ろ向きな言葉だ。それなのに、晴れやかなサウンドとメロディが、その状況の中で主人公の内に湧き上がる、沸々としたエネルギーを、より鮮やかに感じさせてくれる。
ここに、稲葉浩志の実体験が重なる。横浜国立大学教育学部の、中学校教員養成課程(数学)。在学中は家庭教師のほか、サンドイッチ屋や惣菜屋でもアルバイトをしていた。教育実習では、髪を切ることを拒んで実習を辞めた、という話も残っている。
だらしないのではない。決められたレールに、まだ乗りたくないのだ。
2番では、彼女といたい、残高が寂しい、ファミコンもしたい、と愚痴が続く。ガス欠気味の自分を、仕方ない、と引きずるようにして仕事に向かう。
3回目のサビでは、相手が父親に変わる。リビングでゴルフの素振りをしている父は、会社勤めの大人の世界そのものだ。
接待、付き合い、休日のゴルフの練習。その背中が、無言で「早くこっちへ来い」と言っているように感じられる。
主人公は、まだそっちにはついていけない、と、くだけた調子でかわす。拒否ではなく、猶予の申し込みだ。
母には夢を聞かないでと言い、父には急かさないでと言う。両親を一人ずつかわしながら、同じ頼みを繰り返していく。
その言葉のあとに「yeah」と囁かれた直後、伸びのあるギターの音が飛び込んでくる。
ここまで主人公は、母をかわし、父をかわし、教え子の態度もこらえてきた。誰にも本気で怒っていない。
その飲み込んできたものが、言葉ではなく、ギターから出てくる。
最初の一音の伸びは、ずっと止めていた息を吐くようで、そこからソロは一気に攻撃的になる。不安と焦りを、口では「ルーズにやらして」としか言えなかった主人公が、ギターの上でだけ、声を荒らげているようだ。
続いて、タイトなドラムのビートに乗せて、ラップパートが始まる。
エフェクトのかかったノイズのような音の向こうで、主人公は愚痴をこぼす。世間が決めたペースで進路を選ぶなんて、自分には無理だ。それに縛られているうちに、自分の道を歩き出すのが、また遅くなっていく。
愚痴が聴こえると同時に、ブラスが高らかに鳴り、「Oh」という歌声が徐々に力を増して、ラストのサビへ向かうテンションを引き上げていく。
そしてラストのサビ。冒頭と同じ弱音から始まるのに、ここで初めて、本音が出てくる。
愛しい愛しい僕なりのタイム
まぁ ゆっくり見極めさせて
「愛しい」と、二度重ねる。この曲で、その言葉が向けられるのは、彼女でも教え子でもなく、自分の時間だ。
周りのペースでも、親のペースでもない、僕なりのペース。ここまで愚痴と弱音ばかりだった主人公が、初めて、自分の側にあるものを肯定する。
続く一行は、頼み方が変わっている。決めさせて、ではなく、見極めさせて。
決断から逃げているのではない。まだ見えていないものが、自分の目で見えるようになるまで、待ってほしいと言っている。
「まぁ」と、力を抜いて前置きするのは、急かす相手をなだめる仕草だ。怒鳴り返すのでも、うなだれるのでもない。ゆっくりでいいから、自分で見る。それだけを、静かに譲らない。
ここで「ルーズ」の意味が、ひっくり返る。だらしなさではなく、自分の目で見極めるための時間。
急かされて出した答えより、遅くても自分で出した答えのほうが、愛しい。
そう聴くと、「ルーズにやらして」は、言い訳ではなく、助走に聞こえてくる。
最後の二行で、サビのフレーズが途中で変わる。
まだちょっとルーズにやらして
まだちょっとルーズに I’m on my way
「まだちょっとルーズに」と言いかけて、「やらして」の代わりに、「I’m on my way」が来る。
もう向かっている、今、行くところだ、という意味の言葉だ。頼みが、動きに変わっている。「ルーズに」は、待ってくれという意味から、歩き方の意味に変わった。
急がず、自分のペースで、それでも行く。
それを、しゃがれた声で、力を抜いて歌う。サビであれだけ張り上げていた声が、最後だけ、肩の力が抜けている。もう誰かに向かって頼む必要がないからだ。急かす声に張り合うのをやめた人間の、歩き出す声になっている。
リズムを刻むようにブラスがパッと鳴って、余韻を残さないまま、曲はスパッと終わる。
ライブでの演奏は、1996年の “Spirit LOOSE” ツアーと、2007年の『B’z SHOWCASE 2007 -B’z In Your Town-』のみ。ステージではめったに出会えない曲でもある。
『ザ・ルーズ』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、進路や仕事の決断を急かされて、「もう少しだけ待ってほしい」と心のどこかで思っている人だ。
『ザ・ルーズ』は、締まらない日々を、これ以上ないほど華やかなブラスロックで鳴らしてみせる。後ろ向きな言葉を、前のめりのサウンドで歌う。そのギャップに、先延ばしの中でも消えない、沸々とした熱がある。
歌詞カードに載らない家庭教師の一人芝居も、カタカナで漏れる本音も、全部が遊びだ。けれど、その遊びの奥で、自分なりの時間を愛しいと言い切る声だけは、本気で鳴っている。
何も決めないまま、それでも「I’m on my way」と、力を抜いて歩き出す。
急かされることに疲れた人にこそ、この3分32秒を、自分のペースを取り戻すための助走として、聴いてほしい。
【やる気がある】×『ねがい (“BUZZ!!” STYLE)』
イントロは、静かにピアノの音色だけが鳴っている。どこか物憂げで、哀愁を帯びたメロディ。願いの歌は、明るい場所からは始まらない。
その静けさを、ドラムが破る。ノリのいいリズムが、止まっていた時間を一気に動かし始める。やがてベースが下から重なり、リズムに重心が生まれる。そこへエレキギターのカッティングが切り込んで、鈍かった輪郭に、エッジが立つ。
段々と厚くなっていくサウンドに、テンションが少しずつ上がっていく。そこへロックなギターリフが重ねられ、イントロは、もう目の前で鳴っているような臨場感に仕上がっていく。
これは、1995年5月に出た16thシングル「ねがい」の、アルバム版だ。
サブタイトルの”BUZZ!!”は、同じ年の夏に行われた初のスタジアムツアー『Pleasure ’95 “BUZZ!!”』から来ている。そこで披露したアレンジを、スタジオで録り直したのがこのバージョンだ。ドラムとベースはシングル版から入れ替わり、ロック色が強くなっている。
そして、この曲には、もうひとつ大きな意味がある。
『LOOSE』は「B’zは2人」に立ち返ったアルバムだと、ここまで書いてきた。その一歩目が、この曲だった。
アルバムの3曲目にして、この体制で、いちばん最初に世に出た曲。制作チームB+U+Mを解き、2人だけで方向を決めた最初のレコーディングであり、稲葉浩志の名が編曲に並んだ最初の曲であり、新しいレーベル「VERMILLION」から出た最初の1枚でもある。歌の後ろで鳴り続けるオルガンの伴奏は、稲葉浩志のアイデアだという。
『LOOSE』という物語は、ここから始まっている。その始まりの熱量を、”BUZZ!!”の名で、もう一度鳴らし直したのが、このバージョンだ。
願いを人任せにしていた自分を、立ち上がらせる
ひとつ、ため息をついてから、稲葉浩志はAメロを歌い始める。
最終電車に揺られて
つかまった手すりがベトつく
短い夢の中でも
思いきりオマエは冷たいね
願いの歌が、終電から始まる。
希望を語る場面としては、いちばん似合わない場所だ。一日を使い切って、座る席もなく揺られていて、つかまった手すりは、誰かの手の跡でベトついている。
この感触から入るのがいい。願いの話をする前に、まず、いま立っている場所を、手のひらで確かめさせる。
願いを口にするのは、余裕のある人ではなく、こういう夜を繰り返している人なのだ。この曲は、そこから歌い出す。
エッジの効いたカッティングと、力強いリズム、そして稲葉浩志の声の表情が、そのあまりにも生々しい現実へと、聴き手を引き込んでいく。
短い夢の中でも、というくだりはファルセットで歌われる。夢の中でさえ冷たい相手。その切なさが、裏声の細さで、より鮮明になる。
Bメロ。
「いつのまにか」じゃない
自分で選んで歩いてきたこの迷路
気づいたらこうなっていた、とは言わない。ここまで来たのは、自分が選んだ道だ。
自分の正直な気持ちに向き合うほど、声の力強さが増していく。
言い訳を手放す。願いの話は、そこから始まる。
自分で選んだ道の苦しさが漏れ出すような、「ウゥ」というハスキーな声。それと同時に、サビへ入っていく。
願いよかなえ いつの日か
そうなるように生きてゆけ
僕は僕に 君は君に
拝みたおして 泣けばいい
サビまでは、マイナーキーで、ジャズとロックを融合させたファジーで重たい空気に包まれていた曲が、サビでメジャーキーへと変わる。
その希望を、ストレートなロックサウンドで包み、まっすぐに聴き手の胸を貫いていく。
歌われているのは、願いよ叶え、という言葉だ。ただし、拝み倒す相手が、ふつうと違う。
「拝み倒す」は本来、他人を拝むように頼み込んで、承知させることを言う。この歌は、それを自分に向ける。僕は僕に、君は君に。願いを神様にも他人にも預けず、自分で自分を口説き落とす。
願いは叶えてもらうものではなく、そうなるように生きて、自分で叶えるもの。願いの向きを、外から自分へ変える。これが、この曲の芯だ。
だから、泣けばいい、が暗く聞こえない。自分で選んだ道を歩く途中の涙は、負けた涙ではない。泣いてもいいから、歩き続けろ、と言っている。
2番も、Aメロからサビへ、1番と同じ流れで開けていく。ただ、気持ちは一歩前に出ている。
1番で、自分の道だと認めた。2番では、その道を歩くために、いらないものを捨て始める。
楽しめなくなったものは、手放していい。居心地のいい場所から、出ていく支度をしていい。世の中に文句を言い続けても、自分が古びていくだけだ。
そして最後に、いちばん強い言葉が来る。1番では冷たかった相手に、息ができなくなるほど深く、飛び込みたい。
背を向けるのではなく、まっすぐ向かっていく。
2番のサビ前には、ふっと稲葉浩志のシャウトが挟まれる。このアクセントひとつで、1番のサビよりも、願いに対する熱量が上がっていることが伝わってくる。
2番のサビが終わると、ジャジーな雰囲気のオルガン・ソロが展開されていく。このアルバム版がシングル版と大きく変わるのは、ここからだ。
オルガンで整えられた空気を、ギターが一気に破っていく。願いを口にするだけでは足りない気持ちが、ここで音になって暴れている。
どこでも行ける きっと行ける
赤から黄色 白から黒へ
どこでも行ける、きっと行ける、と言い切ったあとに、色の話が来る。
赤から黄色へ、白から黒へ。どちらも、混ぜて作れる色ではない。つまり、いまの自分からは辿り着けないはずの場所へ、それでも行く、という宣言だ。
この比喩には昔から諸説あるが、直前の「どこでも行ける」と並べて聴けば、不可能を引き受ける言葉として届く。
そしてラストのサビ。力強いサウンドと歌声。願いよかなえ、の部分がシャウトで歌われ、エネルギーは最高潮に達する。
僕は僕に 君は君に
拝みたおして 笑えりゃいい
WOW YEAH かなへたまへ
このねがひ かなえるよ…
WOW YEAH かなへたまへ
このねがひ かなえてよ…
結びが、変わっている。1番と2番では、拝みたおして泣けばいい、だった。最後は、笑えりゃいい。
願いが叶ったわけではない。変わったのは、願っている本人のほうだ。どこでも行ける、と言い切って、自分を拝み倒して歩き続けた先で、笑えていれば、それでいい。願いの中身より、笑える自分でいることのほうが、ゴールになっている。
アウトロでも、一語が変わる。自分で叶える、と言い切ったすぐあとに、叶えてほしい、と漏らす。どちらも、本当の声だ。願いは、いつもこの二つの間で揺れている。
その揺れを繰り返しながら、稲葉浩志のシャウトと松本孝弘のギターソロが、最後の一瞬まで、願いの熱量を上げ続けていく。
そして最後は、「WOW YEAH」という声が響いて、スパッと終わる。
シングル「ねがい」は初動70万枚を超え、これで「愛のままにわがままに」から5作連続の初動70万枚超という、当時オリコン史上初の記録を作った。ファン投票で選曲された『B’z The Best “Treasure”』では3位。B’zの中でも、ずっと歌われ続けてきた曲だ。
2026年の『B’z LIVE-GYM 2026 -FYOP+-』では、各会場2日目の5曲目に置かれ、1日目の「love me, I love you」と枠を分け合った。同じ『LOOSE』の2曲が、30年以上あとのツアーで日替わりの相手になっている。
『ねがい (“BUZZ!!” STYLE)』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、願いを心のどこかで誰かに任せていて、それでいて、自分で決めた道の途中で泣きたくなっている人だ。
『ねがい (“BUZZ!!” STYLE)』は、終電の手すりのベトつきから始まって、自分で自分を拝み倒すところまで、聴き手を連れていく。マイナーの重たい空気が、サビでメジャーに開ける瞬間に、その道筋が音で示される。
叶えてもらうのではなく、そうなるように生きる。最後には、叶えてよ、と弱音も吐く。その両方を抱えたまま、それでも足を前に出す。
『LOOSE』というアルバムが「2人」で始まった、その最初の一歩を、この5分1秒で確かめてほしい。
【思いにふける】×『夢見が丘』
澄んだ音色のエレキギターが、一音ずつ、アルペジオを置いていく。その音の隙間を、どこか憂いを帯びたストリングスが埋め、輪郭の薄かった情景に、奥行きが生まれる。
そこへ、ロックなギターと、重たいリズムが踏み込んでくる。静かだったイントロが、感情の温度を上げる。ここで、稲葉浩志の歌声が入ってくる。
ヘヴィーなロック・バラードの重みと、その上を伸びていく歌声。最初の一節で、曲の世界観の中に、立たされている。
『LOOSE』は、ここまで3曲、高い熱量で走ってきた。叫びの『spirit loose』、遊びの『ザ・ルーズ』、願いの『ねがい』。4曲目で初めてテンポが落ち、初めてストリングスが入る。視線が、足元から空へ上がる。
シングルでもなければ、タイアップもない。それなのに、2008年のベスト盤『B’z The Best “ULTRA Treasure”』のファン投票では、40万票を超える中で6位。香港の人気投票では1位となり、台湾盤・香港盤のベストアルバムにボーナストラックとして収められた。
アルバム曲としては、別格の扱いを受けてきた曲だ。その理由は、歌詞の中にある。
「わずかな時をむさぼりあおう」。いつか終わる時間を、怖がらずに味わうための歌
この曲は、人間の側からではなく、大地の側から始まる。
大地は知らない ヒトのヨロコビカナシミ
愛し合い奪い合い いたずらに心たちは乱れてゆく
喜びも悲しみも、カタカナで書かれている。何万年もそこにある大地から見れば、人がひとりぶん抱えて騒いでいる感情は、遠くで鳴っている、聞き慣れない音でしかないのかもしれない。
その大地の上で、心たちは、愛し合い、奪い合っている。
複数形で書かれているのがいい。無数の心が、同じ場所でぶつかり合って、意味もなく乱れている。
主人公も、その中のひとりだ。ほかの誰かと同じように、人を好きになって、心を乱している。
Aメロで大地の上の無数の心を歌ったあと、Bメロは、その中のひとつ、主人公の胸の中へ入っていく。
ああ、君を思い浮かべるだけで
この胸は子供のように
ただうろたえるばかりの不始末で
会いたい 嗅ぎたい 抱きたいよ
思い浮かべただけで、もう落ち着いていられない。大人としての経験も、分別も、ここでは何の役にも立たない。
会いたい、嗅ぎたい、抱きたい。三つの動詞は、頭から身体へ、だんだん近づいていく。「嗅ぎたい」という言葉を選ぶあたりに、理性ではどうにもならない距離の縮め方がある。
稲葉浩志の歌声が、主人公の抱く欲望に、確かな熱を持たせていく。
サビの歌い出しの直前、ギターのチョーキングがテンションを高める。
出逢い 別れ 土に埋もれ
陽が沈むように死んでゆく
わずかな時をむさぼりあおう
夢を見続けるこの丘で
サビで、曲は全音上に持ち上がる。入りは短調のまま、コードは少しずつ明るいほうへ開いていき、いちばん明るくなる瞬間に、死んでゆく、という言葉が乗る。そして、この丘で、と歌うところで、また短調に沈む。
明るくなって、沈む。君といる時間はうれしい。けれど、長くない。この二つが、コードの動きの中で、同時に鳴っている。
人の一生が、出逢い、別れ、土に埋もれる、の三つで言い切られる。死は、陽が沈むように、と描かれる。悲鳴ではなく、夕暮れとして。
冒頭に大地を置いたのは、このためだろう。大地から見れば、人の死は、今日も日が沈むというだけのことなのだ。
だからこそ、わずかな時をむさぼりあおう、と続く。終わりを知っている人だけが、いまの時間を、貪るように惜しむ。力強い歌声が、そのわずかな時間の重みを、聴き手に手渡してくる。
1番のサビが終わると、ギターソロが入る。余韻をさらに深めるエモーショナルなソロが、勢いを落とさないまま2番へつないでいく。
2番は、先生への呼びかけから始まる。
正しいことと間違ったことを教えてくれた人の、優しい目だけは覚えている。何を教わったのかは、思い出せない。
君を前にした途端、教わったことが全部、役に立たなくなった。これが正しいのか間違っているのか、もう分からない。
純粋になればなってゆくほど
君を奪いたくなる
嘘のない言葉は誰かを深く
永遠に傷つけてゆくの
ここが、この曲の急所だ。
純粋と聞けば、ふつうは無垢で、誰も傷つけないものを思い浮かべる。この歌は、その反対を言う。飾りをはがして本心だけになるほど、人は欲深くなり、相手をまるごと自分のものにしたくなる。本心から出た言葉ほど、深く刺さって、抜けない。
純粋であることは、優しいことではない。
「奪う」という言葉は、この曲に二度出てくる。1番では無数の心が奪い合い、2番では主人公自身が、君を奪いたい、と言う。みんなの話だったものが、自分の話になった。
相手が誰なのかは、最後まで書かれない。だから、聴く人の数だけ、この歌の「君」がいる。
2番のサビでは、死んでゆく、が、消えてゆく、に変わる。陽が沈むように、から、雨が止むように、へ。
本当に優しくなれるのは、色褪せた景色を見ている時。失ったあとにしか、人は本当には優しくなれないのかもしれない。
2番のサビが終わると、さらにスピードを増した松本孝弘の速弾きのギターソロが飛び込んでくる。後半はより荒々しく、聴き手の感情を刺激してくる。
ここに登って 世界を見渡せば
僕はいつも自由になれる
生まれた時に誰もが持っている
聖なる心の丘よ
サウンドは、ふっと静けさに包まれる。エレキギターのカッティングと、ストリングスだけ。
ここで初めて、「夢見が丘」が何なのかが語られる。
地図にはない。誰かに与えられるものでもない。生まれたときから、人はみな、自分の中にその丘を持っている。
ふだんは、その存在を忘れている。正しさや常識を気にして、地面の高さで暮らしているからだ。そこから一段上がったとき、人は誰の許可もなく、自由になる。
後半、ドラムがバスドラムを踏み込み、抜けのいいハイハットが、一打ごとに力を込めてリズムを刻む。その一打一打に、胸が高鳴る。聖なる心の丘よ、と歌われるところでサウンドは力強さを増し、ラストのサビへつながっていく。
ラストのサビは、歌声とストリングスだけで始まる。
正しいのか、間違っているのか。主人公は、その問いに答えるのをやめる。ごまかしているのではない。丘の上では、その問いそのものが、意味を失う。誰かの物差しで測る前に、いま隣にいる人と、残された時間のほうが先に来る。
その声が、まっすぐに胸を貫く。
そして1番の「むさぼりあおう」は、ここで「抱き締めあおう」に変わる。欲望が、慈しみに変わっている。同じ時間の短さを歌っているのに、手つきが違う。
緩やかにでも鮮やかに
炎は僕らにちかづいて
君の手を握り歩いてる
夢を見続けるこの丘で
緩やかにでも鮮やかに、から、松本孝弘のギターが歌声と同じメロディをユニゾンで鳴らし、歌に切れ味を足していく。
炎は、ゆっくりと、しかし鮮やかに近づいてくる。それが何であれ、終わりであることは変わらない。
それを知ったうえで、君の手を握って歩いている。この曲の愛情は、終わりを承知したうえのものだ。
この丘で、と稲葉浩志のシャウトが響くなか、アウトロでは感情的なギターソロが鳴り始める。
最後までエネルギーを緩めることなく、その刹那がいつまでも続くかのように響き渡るなかで、ゆっくりとフェードアウトしていく。
ライブでは、1996年のツアーのあと、2001年の台北・香港公演を除いて長く演奏されず、2008年の『ACTION』で日本では約12年ぶりに復活。2013年のホール公演と、2020年の配信ライブ『5 ERAS 8820』のDay2でも歌われた。ステージで聴ける機会は多くないが、2013年の会津公演と2020年のDay2は映像で確かめられる。
『夢見が丘』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、大切な人と過ごす時間が、いつか終わると知ってしまった人だ。
『夢見が丘』は、人の一生を大地の側から眺めることで、死を夕暮れのように描き、そのぶん、いま握っている手のぬくもりを鮮やかにする。純粋さは奪いたい気持ちと同じ場所にあり、正しいか間違いかは、丘の上ではいったん問われない。
むさぼりあおう、が、抱き締めあおう、に変わるまでの4分40秒。
終わりが近づいていることを知りながら、それでも手を離さない。その静かな覚悟に、思いをめぐらせてほしい。
【ぞくぞくする】×『BAD COMMUNICATION (000-18)』
乾いた、木のサウンド。
Martin 000-18のリフが、いきなり飛び込んでくる。低音で押してこない、中音域のはっきりした音。かき鳴らしているのに、コードの一音一音が、ばらけて聴こえる。弦が一本ずつ、そこにあるのが分かる。
そこへ、ベースがずっしりと重さを足す。ギターの音が、下から支えられて、腰を据える。稲葉浩志の、しゃがれた低い「oh yeah」。その一言を合図に、ドラムがリズムを刻み始め、ブルースハープが、こすれた音色で上に乗ってくる。
最初の数小節で、乾いたブルースの空気に引き込まれる。
1989年、B’zがブレイクするきっかけになった曲がある。1stミニアルバムの表題曲「BAD COMMUNICATION」。打ち込みのダンスビートで踊らせる、ロックナンバーだ。富士通のCMに使われ、この曲でB’zは初めてテレビに出た。
それを6年後、松本と稲葉が編曲まで手がけた『LOOSE』で、アコースティック・ブルースとして録り直した。前年の『LIVE-GYM ’94 “The 9th Blues”』後半ツアーで披露した、アコースティック版が元だ。キーは半音上がり、3番は切られ、7分25秒が4分57秒になった。
サブタイトルの「000-18」は、冒頭から鳴っているあのギターの名前だ。読みは、トリプル・オー・エイティーン。1937年製のMartin。松本孝弘が1995年に手に入れ、「これにかなう音はない」と語った一本で、以来、B’zのアコースティックギターは、ほとんどがこれで録られている。
小ぶりなボディに、マホガニーの側板と裏板、短めのスケール。低音で押さない、あの音は、この造りから来ている。歌の伴奏に向き、ブルースにも向く。
替えの効かない一本で、ライブには一度も持ち出されていない。2007年、『ACTION』の録音中に乾燥でボディが割れ、修理のあとは自宅に飾られていた。2011年、CMのために鳴らしてみるといい音が出て、レコーディングに復帰した。
Tak’s Guitar of the Day: “MOTEL”
Martin 1937 000-18#Takmatsumoto#Martin#GuitarPlayer#Bz#Motel pic.twitter.com/iLnygk8RSP
— B'z (@Bz_Official) July 3, 2020
ライブでは聴けない音が、この曲には入っている。
この曲のリフを鳴らしている000-18の、現行モデル。松本孝弘の1937年製とは別物だが、小ぶりなボディにマホガニーの側板と裏板、短めのスケールという造りは同じだ。乾いた木の音の出どころを、手元で確かめたい人に。
迷ったら、商品名に「000-18」と「Standard」の両方が入った新品を。「Authentic 1937」は1937年製を再現した別モデルで値段も大きく違い、中古は個体ごとの状態差がある。
深入りを避けてきた人の胸に、この枯れた声は、いちばん深く入ってくる
「Crazy in my mind」。そう歌い出す稲葉浩志の声に、驚く。
Crazy in my mind ときどき感じてる
Kissは交わしたけど 名前も知らない
Is it love? それとも……
I don’t know wow wow wow wow wow wow
枯れている。ダンサンブルな原曲にはなかった、ざらついた声だ。25歳で歌った詞を、31歳の声で歌い直している。
愛なのか、自由なのか、幸せなのか、大丈夫なのか。曲の中で問いは四つ、どれも一言で答えられるはずのものだ。返ってくるのは、三度の「I don’t know」と、言葉にならない「wow」だけ。
1番の後半で、一度だけ、言い切る。「That’s all それでいい」。ここだけ、結びの言葉が「I don’t know」ではなく「I say」だ。
これが愛かどうかは答えないまま、これで十分だ、身体だけでいい、と自分で決めてしまう。
関係に名前はつけない。相手との距離だけは、先に決めておく。それが、この主人公の生き方だ。
「That’s all」。まだ1番の途中、サビを待たずに、枯れた声が振り切れる。張り上げても、なめらかにはならない。ざらついたまま、耳に擦れてくる。
踊らせる原曲にはなかった荒々しさが、この一声で、痛いほど分かる。
それでいい、と言い聞かせる回数が多いほど、納得していないことが透けて見える。
欲しがってる どこかで
一瞬だけの 快感を
深入りしないで 続けられる Don’t you think so?
サウンドがシンプルなぶん、歌声が、歌詞の言葉をまっすぐに胸へ突きつけてくる。
深入りしないで続けられる。そう言い切ったそばから、「Don’t you think so?」と、こちらに振ってくる。そうだよな、と誰かに言ってほしい。相手は誰でもいい。みんなそうだと思えれば、冷たいのは、自分ひとりではなくなる。
Hey, Hey Give me your body no, no それだけでいい
ホンネ押し殺して 夜が明けるまで
Hey, Hey ワカラナイ any more 君のこと
イミシンな言葉で カクシンにせまらないで
Hey, Hey Speak up We need
wow wow wow wow wow wow wow
Bad Communication
サビで、歌声はいっそう強く、荒ぶる。突き放す言葉より先に、荒れた声が、主人公の本心を伝えてくる。
身体だけでいい。本音は押し殺す。核心には触れるな。そう並べた口で、最後に「Speak up」、話せ、と言う。押し殺せと言ったすぐあとで、話せと求める。
触れられたくないのに、分かってほしい。身体では近づき、言葉では遠ざける。伝わらないように、伝え合う。
下手なのではなく、わざとつながらない。それが「Bad Communication」なのだろう。
そしてサビの最後、「Bad Communication」と、じっくり振り絞るような歌声と、ギターのリフだけになる。音が抜けるこの瞬間が、最高に気持ちいい。曲が進むにつれて、聴き手の鼓動も、曲に同期していく。
1番のサビが終わると、ギターソロが入る。エレキに持ち替えない。冒頭から鳴っている、あの000-18のままだ。
泣かせにも、暴れにも行かない。ジャズの匂いのする、宙に浮いたような音を選ぶ。派手さを捨てたぶん、乾いた空気が薄まらず、曲の世界に、さらに沈んでいく。
2番で、声はさらに表情を増す。
去年の女のbad news TVで楽しんでる
そんな冷たい自由に やさしく飼いならされていたい
人の不幸を楽しむときの、あのゾクゾクする感じを、圧倒的な表現力で歌ってみせる。
冷たい自由に、飼いならされていたい。
かつての相手の不幸を、テレビで面白がって眺めている。深入りしなかったから、痛くない。その冷たさに、慣れきってしまいたい、と言う。しかも、やさしく、傷まないように。
自由がほしいのではない。もう誰にも、心を動かされたくないだけだ。
「Is it free?」。飼いならされていたい、と言った直後に、枯れた声で叫ぶ。これが自由なのか、と自分に問い返している。
低い声からシャウトまで、稲葉浩志の声の幅が、一気に見える。答えは、また「I don’t know」。それでも、問いを叫んだ瞬間に、聴き手の動悸が速まる。
そう 逃げてる
いつかそれを 失うのが怖くて
かけがえのないものを作ることから逃げ出してる
問いも、「I don’t know」も、ここにはない。「そう」と、うなずくところから始まる。分かっていて、逃げている。
怖いのは、失うことだ。だから、失うほどのものを作らない。相手は誰でもいい、と言ってきた理由が、ここで明かされる。かけがえのないものを持たなければ、失う日も来ない。
この曲で、いちばんまっすぐな告白だ。
最後のサビで、一語だけ変わる。「ワカラナイ any more」の相手が、君から僕へ。分からなくなったのは、相手ではなく、自分のほうだった。誰にも触れさせなかった本音は、自分でも触れられなくなる。
最後のサビの終盤、「wow wow wow」で、演奏がスパッと止まる。残るのは、声だけ。ひと呼吸ぶんの間があって、「Bad communication」が、どこまでも伸びていく。
その声を受けて、イントロと同じ000-18のリフが戻り、バンドが鳴り出す。荒々しいブルースハープと、そっと差し込まれるピアノ。アウトロの隅々まで、ブルースの色に染まっていく。
最後はリフを一度だけ鳴らして、バシッと終わる。
稲葉浩志は、このタイトルを「半端じゃない、生半可じゃないコミュニケーション」の意味だと語っている(『B’z TWELVE』祥伝社、2000年)。同じ本で、歌詞はわざと「ありがたくない表現」で書いた、聴いた人が逆に、やっぱりコミュニケーションは必要だと思ってくれたら嬉しい、とも話している。
避け続ける一夜を描いたのは、裏返しを見せるためだ。半端じゃない、と名付けた曲で、半端なままの人間を歌う。歌の中の距離が冷たいほど、聴くほうは、誰かと話したくなる。
その仕掛けまで含めて、この曲は、ぞくりとさせてくれる。
この曲には、5つのバージョンがある。
・原曲(1989年、1stミニアルバム『BAD COMMUNICATION』)。7分25秒。打ち込みのダンスビート。
・JAPANESE SHORT VERSION(1989年)。プロモーション用の7インチ盤だけに収録。CDでは聴けない。
・E.Style(1990年、2ndミニアルバム『WICKED BEAT』)。全編英語詞。
・(000-18)(1995年、『LOOSE』)。アコースティック・ブルース。3番をカットし、4分57秒。
・-ULTRA Pleasure Style-(2008年、ベスト『B’z The Best “ULTRA Pleasure”』)。打ち込みの多くを生の演奏に置き換えた、ハードロック版。
ライブでは、演奏回数が最多クラスの定番曲。近年のステージはハードロックの形で、000-18版そのものが演奏されたのは、1994年の『The 9th Blues』後半ツアーだけだ。1997年の『FIREBALL』では、000-18版から通常版へ移り変わるアレンジで演奏されたと伝わっている。
『BAD COMMUNICATION (000-18)』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、傷つくのが怖くて、誰とも深入りしないと決めている人だ。
『BAD COMMUNICATION (000-18)』は、1989年に踊らせた歌を、乾いた木の音のリフと、枯れた声で歌い直す。それでいい、と言い聞かせるシャウトが、荒々しく耳に擦れるほど、本音が透けて見える。
関係に名前はつけず、距離だけを決める。問われれば、「I don’t know」。この曲は、その逃げ方を責めない。枯れた声で、まっすぐに歌うだけだ。
深入りしない夜を選び続けている人こそ、ライブでは鳴らないこの4分57秒に、自分の鼓動が速くなるのを、確かめてほしい。
【希望に満ちた】×『消えない虹』
最初に聴こえるのは、サビの旋律だ。歌より先に、ピアノが一台、それをゆっくりとなぞる。
そこへ、稲葉浩志の歌声が、そっと乗ってくる。優しく寄り添うような声が、歌詞の情景を、ゆっくり浮かび上がらせていく。
『LOOSE』の6曲目は、このアルバムでいちばん静かな入口だ。
この曲は、ハワイで生まれた。1995年、B’zはハワイでアルバムの下ごしらえをしていて、そこで4曲が作られた。「ザ・ルーズ」「drive to MY WORLD」、そしてこの曲。できたのは、その滞在の終盤だ。
構成も、B’zの中で珍しい。1番は、ピアノと歌だけ。2番の頭で曲全体が半音上がり、そこで初めてストリングス、ドラム、アコースティックギターが入ってくる。エレキギターが鳴るのは、いちばん最後だけだ。
全編英語のデモ版もある。1995年夏の「BUZZ!!」ツアーでは終演後に流れたとされ、映像作品『”BUZZ!!” THE MOVIE』のエンドロールで聴ける。CDにはなっていない。
何も変えられない日に、それでも何かは始まると、隣でささやいてくれるバラード
歌は、雨がやんだあとの話から始まる。いまはまだ降っているのかもしれない。それでも、やんだら、と、その先の景色を話す。
主人公は、まだ何もしてやれない。空を見ろ、とも言わない。君の瞳に、いまどんな色が映っているのか、と聞くだけだ。
自分の目で見た空ではなく、相手の目に映った空。この歌は最初から、そこにしか興味がない。
鳴っているのは、ピアノ一台。声を覆う音がないから、歌はそのままの温度で、まっすぐ届く。
Bメロは、たった一行。「もしも 窓を開けるなら」。
窓の内側に、君がいる。開けろ、とは言わない。開けたら、と言う。開けるのは君の手だ、と決めている。自分にできるのは、その窓の外に虹があるよ、と伝えることだけだ。
寄り添う声に導かれて、視線が部屋の中から外へ、ゆっくり向く。
消えない虹を見つけてくれ
そしてもう泣かないで
何かを変えられなくても
何かは始まるから
サビで頼むのは、二つだけ。虹を見つけてくれ。もう泣かないで。
虹は、雨のあとにしか出ない。そして、すぐ消える。いちばんはかないものに「消えない」と名前をつけて、それを、自分が差し出すのではなく、君が見つけてくれ、と頼む。
主人公の手の中に、虹はない。あるのは、窓を開けたら見えるはずだ、という確信だけだ。
そして、変えられなくても、始まるから、と続く。「変える」は、自分の力で押さないと動かない。「始まる」は、押さなくても動き出す。
何も変えなくていい、それでも何かは始まる。傷ついている人に、頑張れとは言わない。しかも「何か」は二度とも、何かのままだ。大きなことは、約束しない。
サビに入っても、鳴っているのはピアノだけだ。曲の頭でピアノだけが弾いていた旋律を、ここで初めて、稲葉浩志が歌詞をのせて歌う。
その最初の一行、ピアノの響きが、階段を登るように一つずつ高くなる。声にも、どこか熱がこもる。優しいまま、芯だけが熱い。その声が、胸をそっと流れていく。
2番の頭で、曲全体が半音、高いところへ移る。そこへ、ストリングス、ドラム、アコースティックギターが一斉に入ってくる。窓が開いたように、ピアノと声だけだった景色に外の空気が流れ込み、曲の世界が一気に広がる。
ここで、胸の内側が描かれる。
誰かへの想いを、自分から断ち切ろうとしている。けれど、口をついて出るのは哀しい言葉だ。歌詞は「並べてしまう」と書く。そうしたくて、しているのではない。
新しい服を着てみる。服で隠せるものは、隠している。それでも隠せないのが、胸の痛みだ。歌詞は「だけは」と、それ一つに限っている。
壮大になったサウンドが、その痛みを、深く、感情的に伝えてくる。
続くBメロで、主人公は君の香りに包まれている。離れていても、そのくらい近くに、君を感じている。
1番のサビは、頼みだった。見つけてくれ、泣かないで。相手にしてほしいことばかりだ。2番のサビで、言葉が変わる。会おう。ここで、自分も入った言葉になる。
待ち合わせの場所は、消えない虹の下、覚めない夢の中。消えない、覚めない、と、終わらないものを二つ重ねて、そこを約束の場所にした。
季節は冷たく過ぎても
僕はずっとここにいる
そして、この歌で一度だけ、「僕」が出てくる。ここにいる、と。
日本語の歌詞の中で、主人公が自分について語るのは、ここだけだ。あとは全部、君のことだ。相手ばかり見てきた歌が、ただ一度、自分のことを言う。それが、ここにいる、の一言。
季節は、冷たいまま過ぎていくかもしれない。歌は、それを否定しない。温めてあげる、とも言わない。そのかわり、冷たい時間を、隣で一緒に過ごす。ずっと、ここにいる。約束するのは、それだけだ。
ストリングスとバンドを従えて力を増した歌声が、この静かな約束を、前向きな言葉へ押し上げる。1番では慰めだった同じメロディが、ここでは胸を熱くする。
サビの後半は、英語になる。同じメロディが、ここではより優しく聴こえる。
歌われているのは、三つのことだ。君のことを考えている。君をこんなに悲しませたのが誰なのか、分かっている。そして、いつか自分が、君のたどり着く場所になる。
誰が悲しませたのかは、歌は明かさない。ただ、知っている、とだけ言う。約束には「someday」がつく。今じゃなくていい。急がない。待つ側の言葉だ。
君を失くしたくないから
昨日には戻らない
失くしたくはないから
同じ言葉が、二度、歌われる。一度目は、君を失くしたくないから。二度目は、失くしたくはないから。相手に向けていた言葉が、自分への誓いに変わる。
昨日には戻らない。昨日とは、君が悲しんでいたころのことだ。そこへ戻れば、君をまた失う。だから、戻らない。過去をやり直すのではなく、ここから先だけを見る、という宣言だ。
その歌声が響きわたり、演奏はゆっくりと終わりへ向かう。
ストリングスの音が伸びきったところで、ピアノが鳴る。そこへ、松本孝弘のギターが、初めて聴こえてくる。
クリーンなトーンの旋律を、ストリングスとベースが支える。3分半、ずっと出番を待っていたギターが、最後の最後に、余韻を受け持つ。
ようやく鳴るこの音は、歌の中の「いつか」が本当に来ることを告げる、合図のように聴こえる。
曲は、静かに、温まりながら終わっていく。
ライブでは、長く眠っていた曲だ。1996年の「Spirit LOOSE」ツアーで本編の最後を飾り、次に鳴ったのは22年後、2018年のハワイのファンクラブ公演。2025年の「FYOP」ドームツアーでは、各会場の初日だけの日替わり曲として、29年ぶりにツアーへ戻ってきた。
東京ドームでは、前半を稲葉浩志の歌とピアノだけで進め、松本孝弘たちバンドは後半から加わった、とBARKSが伝えている。B’zのライブで、松本が最初からステージにいない曲は珍しい。ギターが最後にだけ鳴る音源の構造を、ステージでもそのまま再現した形だ。
『消えない虹』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、傷ついたまま、何も変えられない日々を過ごしている人だ。
『消えない虹』の魅力は、まず声にある。ピアノ一台の上で、優しく寄り添うように歌う1番。半音上がってストリングスとバンドが入り、力を増して胸を熱くする2番。同じ旋律が、伴奏の厚みで、慰めから励ましへ表情を変える。急かさない。変えろとも言わない。ここにいる、とだけ言う。
そして、3分半待ってようやく鳴る、松本孝弘のクリーンなギター。ストリングスとベースに寄り添われて、曲の余韻を温めながら、静かに閉じていく。
窓を開ける気になれない夜に、この3分37秒を、急がずに聴いてほしい。
【楽観的】×『love me, I love you (with G Bass)』
ベースも、ギターも、ホーンも。三つの音が一本になって、一気に駆け上がる。
イントロは、そのユニゾンで始まる。ホーンが、華やかなリフを高らかに吹く。そこへエレキギターが躍動しながら重なり、ベースとドラムが、リズムを跳ねさせる。4th Album『RISKY』の『Wonderful Opportunity』を思い出す明るさだ。
『LOOSE』の7曲目は、アルバムでいちばん陽の当たる場所にある。
17thシングルとして世に出たのは、1995年7月7日。前作「ねがい」からわずか1か月、しかも金曜日の発売だった。その日がスタジアムツアー「BUZZ!!」の初日で、発売日を合わせたからだ。
テレビ朝日の木曜ドラマ『外科医柊又三郎』の主題歌になり、オリコンで2週連続1位、累計は約139万枚。B’zの連続ミリオンはこれで10作となり、日本で初めての記録になった。
3分19秒は、2006年の「衝動」まで、B’zでいちばん短いシングル曲だった。
サブタイトルの「with G Bass」の「G」は、このアルバム版でベースを弾いた人の愛称だ。
明石昌夫。1988年からB’zの音を支え、ベースとマニピュレーターを担当し、「3人目のB’zメンバー」と呼ばれた人だ。「G」は、Great と、当時金髪だった明石の Golden hair の両方を指す(『music freak magazine & Es Flash Back B’z XXV Memories I』エムアールエム、2013年)。
同じ本によれば、シングルでは打ち込みだったベースを、アルバムでは「雰囲気を変えたい」と明石の生演奏に差し替え、ギターの音を大きくした。コーラスも一部足されている。
明石は1997年までB’zのサポートを務め、2025年5月19日、68歳でこの世を去った。曲名に愛称を刻まれたこのベースは、アルバムの中で鳴り続けている。
ライブで歌われるコーラスも、この版から生まれたものだ。ステージの上で、音源で、明石の仕事はいまも生き続けている。
自分の弱さと軽やかに向き合っていける歌
『love me, I love you』というタイトルだけを見れば、甘い告白の歌のように思える。
ところが歌い出しに、告白は出てこない。代わりに飛んでくるのは、モヤモヤしている誰かへの注文だ。その誰かが、まさに自分のことで、思わずドキリとする。
モヤモヤしているのがイヤならフトンを噛んで考えて
なんかあいつに期待過剰なんじゃないの
跳ねるリズムに乗って、稲葉浩志の声が飛び込んでくる。一言目から張りのある、出し惜しみのない声だ。その勢いに、聴くほうも一気に曲の中へ連れていかれる。
歌っているのは、慰めではない。期待しすぎなんじゃないの、と聞かれると、返す言葉がない。相手のことは責めない。期待した側の胸に、話を戻してくる。
サウンドの真ん中には、ベースがいる。そのまわりで、躍動するギターと華やかなホーンが鳴り、後ろ向きな言葉に精一杯の光を当てている。
説教を聞かされているはずなのに、少しも重たくならない。自分の心の弱いところにも、軽やかな足取りで向き合っていける気がしてくる。
人の心はどうしても何か足りないけれど
そこんとこ埋めるべきなのは
恋人じゃない 親でもない ねえ、そうでしょう
Bメロに入ると、話が少し広がる。
人の心には、どうしても足りないところがある。まずそれを、誰にでもあることだと認めてしまう。そのうえで、そこを埋めるのは恋人でも親でもない、ねえ、そうでしょう、と肩を組むように言う。
じゃあ誰が埋めるのか。その答えは、最後のサビまで楽しみに取っておく。
サビの直前で、ホーンがリズムを刻む。ファンクのようにキレのいいその音がサビの入口を照らして、そこへ、力強さを増した声が飛び込んでくる。
love me けちってないで
ボクはきっと愛をもっと出せる
I love you おごらせてるだけじゃ
そのうち誰もいなくなるよ
ホーンが刻んだ勢いのまま、声が一段高いところへ飛び上がる。love me。呼びかけは甘いのに、続く言葉は、けちらないで、と迫ってくる。
I love you。その直後には、人に出させてばかりじゃ誰もいなくなるよ、と釘を刺してくる。
それでも重くならないのは、真ん中の一行があるからだ。ボクはきっと、もっと出せる。
自分の中にはまだ愛がある、と言い切るこの一行を、稲葉浩志は力を増した声で、優しいメロディに乗せて歌う。
厳しいことを言われているのに、胸の奥が温まってくる。サビが終わるころには、自分にもまだ出せるものがある、という気になっている。
2番は、もっと痛いところを突いてくる。うまくいかないのを、誰かのせいにしていないか。図星なのに、腹は立たない。それを「癖」と呼んでくれるからだ。癖なら、性格の話ではない。誰にでもつくもので、気づいたところから、少しずつ直していけばいい。
Bメロは、やりたくない日の逃げ道を用意してくれる。消去法でもいい、そのうちなんとかなる。そう言って肩の力を抜かせておいて、ヘイ、そうだろう、とまた笑いかけてくれる。
2番のサビは、怒りの扱い方だ。ぴりぴり、ムッ、グッ、カッ。擬音が四つ並ぶだけで、いらついて、頭に来て、こらえて、それでも爆発する自分が見える。
ここで説教されるかと思ったら、返ってくるのは、baby, let’s dance。愛をはきだして、それでもだめなら踊れ。怒りを消そうとせず、身体の外へ出させてしまう。
2番のサビが終わると、松本孝弘のギターソロが飛び込んでくる。コード進行はマイナーから明るいほうへ、聴き手の心の動きをなぞるように移っていき、その中を、気持ちを鼓舞するようなアグレッシブなソロが駆け抜けていく。let’s dance の一言を受けて、踊るようなギターソロだ。
最後のサビの前では、ホーンのリズムがこれまでの倍の長さで刻まれて、サビへの入りが、曲の中でいちばん大きくなる。
Let’s give it away けなしてないで
たまにゃ海も山も人も誉めろよ
なんちゅうLOVE! 自分の芯から
気持ち良くなりたけりゃ今出して
最後のサビで、話はいちばん大きくなる。love me、I love you、と来た英語が、ここで Let’s give it away に変わる。惜しまずに配ってしまおう、という意味だ。
二人のあいだで受け渡していた愛が、外へ向かって開かれる。だから、けなすな、誉めろ、それも人だけじゃなく、海も山も、と続く。そこへ、なんちゅうLOVE、の一言が来る。愛を出せ、と言い続けてきた歌の、いちばん大きな肯定だ。
そして、Bメロで宙に浮いたままだった答えが、ここで出る。
足りないところを埋めるのは、恋人でも親でもなく、自分自身だ。
この歌は、それまで、そのうちなんとかなる、とのんびり構えていた。それが最後の一行だけ、今出して、と急かす。愛を出すことだけは、先延ばしにするな、ということだろう。
アグレッシブさを増した稲葉浩志の声が、その一行を、心に光を当てるように、まっすぐ響かせる。
アウトロでは、イントロと同じ華やかな音が戻ってきて、最後は楽器のユニゾンで、スパッと終わる。
ライブでは、発売日がツアー初日だった1995年から、ずっと定番だ。演奏回数は約300回にのぼり、B’zの全曲の中でも上位に入る。
2026年の「FYOP+」ツアーでは各会場の初日に5曲目で歌われ、2日目は「ねがい」と入れ替わった。明石昌夫が亡くなったあとのツアーでも、彼の生ベースから生まれたこのアルバム版のコーラスで、歌われ続けている。
『love me, I love you (with G Bass)』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、人間関係にモヤモヤして、その原因を相手のせいにしたくなっている人だ。
『love me, I love you (with G Bass)』は、真ん中に明石昌夫の生ベースを置き、跳ねるリズムとホーンで、耳の痛い話をいちばん明るい音で鳴らしてみせる。
愛はけちらず先に出せ、運の悪さを人になすりつけるな、カッときたら踊れ。言われている中身はきついのに、聴き終わるころには、なぜか気持ちが軽くなっている。
サビで一段上がるキーに、力を増していく稲葉浩志の声、そしてギターソロで踊り出す演奏。最後の「今出して」まで、音が言葉を裏切ることはない。
誰かに期待しすぎて疲れた日こそ、この3分20秒で、先に自分から愛を出してみてほしい。この曲が歌うとおり、きっとまだ、もっと出せるはずだから。
【熱狂的】×『LOVE PHANTOM』
ストリングスと打ち込みのサウンドが、壮大に鳴りはじめる。マイナーの旋律が妖しい空気を連れてきて、そこへエレキギターが絡みつき、何かが始まる予感だけが膨らんでいく。
その予感が膨らみきったところで、音はふっとほどける。残るのは、哀しげなストリングスだ。打ち込みの音がその哀しみに厚みを足し、キーボードの細かく連なるフレーズが、ミステリアスな旋律を描きはじめる。
そこへ、ぞっとするほど不気味な声が、英語で語りかけてくる。哀しい旋律に聴き入っていた耳が、一瞬で物語の中へ引きずり込まれる。声の主は、主人公の怪人だ。
伸びのあるギターが飛び込んでくる。ここで初めて、ビートが刻まれはじめる。脈打つ音が、高揚感をさらに押し上げていく。
そして怪人は、自らを「LOVE PHANTOM」と名乗る。この曲名は、歌詞には一度も出てこない。口にされるのは、この名乗りだけだ。その名を合図に、歌が始まる。ここまでで、約1分20秒だ。
18thシングルとして発売されたのは、1995年10月11日。最初の1週間で95.1万枚を売り上げ、初週の売上として当時の最高記録になった。累計は約186万枚で、B’zのシングルでは2番目に多い。
テレビ朝日系で放送された『X-ファイル』の主題歌として、この曲を知った人も多いはずだ。発売から30年がたった今も、ファンの支持は厚い。ニュースサイト「ねとらぼ」が読者に好きなB’zのシングルを聞いた投票では、2021年も、紅白歌合戦に出た直後の2025年1月も、この曲が1位だった。
生まれたきっかけは、ステージの演出だった。1995年夏のスタジアムツアー「BUZZ!!」には、稲葉浩志がバンパイアの扮装で、数十メートルの高さから飛び降りる場面があった。その場面のために書き下ろされたのが、この曲だ。
歌詞も、フランケンシュタインやドラキュラ伯爵のような、日常的でない主人公の恋をイメージして書かれた(『B’z ウルトラクロニクル』ソニー・マガジンズ、2003年)。仮のタイトルが「LOVE ALIEN」だったことは、2023年の『稲葉浩志作品展 シアン』に展示された直筆の歌詞ノートで明らかになった。
音の作りも、このアルバムでは珍しい。生のバンドサウンドが中心の『LOOSE』で、この曲は、打ち込みのビートに乗って走っていく。
好きになりすぎた苦しさを、熱狂に変えてくれる歌
怪人が名乗りを終えると、Aメロを待たずに、いきなりサビが来る。
1分20秒待たされた耳に、稲葉浩志の第一声が、真正面からぶつかってくる。身構える間もなく、熱の真ん中へ放り込まれる。
いらない何も 捨ててしまおう
君を探し彷徨(さまよ)う MY SOUL
STOP THE TIME, SHOUT IT OUT
がまんできない 僕を全部あげよう
エネルギーの塊のような声と、一度聴いたら離れないメロディに乗って、イントロで高まった熱が、さらに突き抜けていく。聴いているほうの体温まで、一気に引き上げられる。
最初の言葉は「いらない」だ。誰かを求める歌が、捨てるところから始まる。そして君を探して彷徨っているのは、彼の魂だ。
「がまんできない」。剥き出しの言葉を、全力の声で歌う。つられて、こちらの抑えまで効かなくなってしまいそうだ。
Aメロに入ると、曲調がふっと明るくなる。軽やかな声が駆け抜け、松本孝弘のギターが、アクセルを踏み込むように切り込んでくる。
せわしい街のカンジがいやだよ 君はいないから
夢に向かい交差点を渡る「途中の人」はいいね
せわしい街の中で、主人公だけが、どこにも向かっていない。
夢に向かって歩いていく人たちを、歌詞は「途中の人」と呼ぶ。行き先のある人だけが、途中にいられる。君のいない主人公には、その行き先がない。軽やかな声で歌われるぶん、ひとり取り残された感じが、いっそう際立つ。
Bメロを挟まず、Aメロからそのままサビへ突っ込んでいく。この速さがたまらない。
ふたりでひとつになれちゃうことを
気持ちいいと思ううちに
少しのズレも許せない
せこい人間になってたよ
サビのメロディが、勢いを落とさずに戻ってくる。変わるのは、言葉だけだ。
壮大な音の真ん中で、稲葉浩志が全力で歌うのは、「せこい」という小さな言葉だ。サビの熱に乗って叫んでいたら、その勢いのまま、今度は自分の内側を覗き込まされる。
「なってたよ」。過去形で歌うから、本人はもう気づいている。ビートは止まらず、声は張ったままだ。言い訳を挟む隙もなく、その言葉が、胸の奥まで届いてしまう。
サビが終わると、メロディが消える。ハスキーな声が、言葉そのもののリズムで語りはじめる。サビとAメロの往復に、ここで別の景色が差し込まれる。おかげで、最後まで飽きる暇がない。
語りに並ぶのは、君がしてくれることばかりだ。支えるのも、自由にするのも、君のほうで、主人公は受け取るだけだ。
ねえ、2人でひとつでしょ、と念を押し、「yin & yan」とまで言う。陰と陽、二つ合わさって初めてひとつの円になる、あの古い言葉だ。それなのに、自分が君に何をするかは、一言も出てこない。
それでも本人は、それを愛の言葉として語っている。君がいなければ生きられない、というほどの気持ちを、愛だと信じて疑わない。
受け取るばかりのこの気持ちが、いまの彼には、これ以上ないほど深い愛に思えているのかもしれない。
月の光がそうするように
君の背中にすべり落ちよう
(そして私はつぶされる)
メロディを持たせなかったぶん、月の光のように君の背中へすべり落ちよう、という美しい一行が、まっすぐ胸に残る。
そこへ、女性の声が一行だけ返ってくる。つぶされる、と。月の光のつもりで落ちていったものが、受け止める側には、重さだった。
この一声で、物語にもう一人の人間が立ち上がり、曲の臨場感がぐっと増す。
2番のAメロは、出会う前の日々を振り返る。風のない海のように、何も動かない毎日で、花の色さえ褪せて見えていた。君は、その景色に色をくれた人だった。
Aメロのあとは、サビのメロディが二回続く。一回目で、この歌に初めて疑いが混じる。離れずに過ごしたあの時間は、ホントだったのか。君は今、何を思っているのか。相手の胸の内を気にかける言葉は、ここまで一度も出てこなかった。
二回目で、主人公は腹の底から君の名前を叫ぶ。その叫びと一緒に、何かが体からとびだしていく。歌詞は、それを It’s my soul と呼ぶ。冒頭のサビで君を探して彷徨っていた魂が、ここで本当に、体を離れてしまう。
残された体は、カラのままだ。その体が歩いていく街は、はしゃいでいる。にぎやかな街ほど、とぼとぼとした足取りは、重く見える。
イントロで怪人が名乗った「PHANTOM」が、ここで姿を見せる。魂の抜けた体で、街を歩いている。
サビが終わると、ビートの上に、女性のコーラスが立ち上がる。言葉を持たない Ah の声が、高く、遠くまで伸びて、曲の空を一気に押し広げていく。そこへ、ギターソロが飛び込んでくる。後半の速弾きは、曲のスピードと主人公の焦りを、そのまま音にしたようだ。
そして、ドラムが止む。
残るのは、キーボードの繰り返すフレーズと、そっと寄り添うストリングスだ。静まった演奏の真ん中で、稲葉浩志の透き通った声が、くっきりと浮かび上がる。
欲しい気持ちが成長しすぎて
愛することを忘れて
万能の君の幻を
僕の中に作ってた
透き通った声は、少しも細くならない。一語ずつをはっきりと、胸に置いていくように歌う。
歌われるのは、この曲でいちばん痛い告白だ。欲しい気持ちが、成長しすぎた。育ちすぎた欲しさが、愛することを忘れさせた。「欲しい」と「愛する」は、この歌の中では別の言葉で、その境目を、本人がここで初めて口にする。
そして、万能の君。支えてくれて、自由にしてくれて、いなければ生きられない。語りのパートで並べていた君の姿が、そっくりそのまま当てはまる。あれは幻で、作ったのは自分だった。逃げ場のない言葉を、稲葉浩志は、一歩も引かない強さで歌い切る。
音が減ったぶん、この四行は、どのサビよりも大きく迫ってくる。公式YouTubeのライブ映像にも、このくだりを「ものすごい文学」と呼ぶコメントが寄せられ、多くの共感を集めている。
静かな四行で溜めたぶん、最後のサビは、これまでのどのサビよりも強く突き抜ける。歌われるのは、冒頭とまったく同じ言葉だ。幻だと気づいたあとで、それでも、いらない何も、と歌う。「全部あげよう」の声が、どこまでも伸びていく。
そして、結びの二行が来る。歌い手が、ここで替わる。稲葉浩志の声は引き、ソプラノの澄んだ高い声が、この曲の最後の言葉を引き受ける。
幻をいつも愛してる
何もわからずに
言葉は、主人公の告白だ。幻だと、もう分かっている。作ったのが自分だとも、分かっている。それでも、いつも愛してる、と歌う。作ったのは過去のことで、愛しているのは、今のことだ。しかも、何もわからずに、と続ける。
気づいたからといって、気持ちまで消えてくれるわけではない。幻だと知ったあとも、知る前と同じ強さで、愛し続けてしまう。この二行が歌っているのは、その、どうにもならなさだ。
『LOVE PHANTOM』という題名は、イントロで怪人が名乗ったきり、歌詞の中では一度も歌われない。けれど、題名にある二つの言葉、愛と幻は、この結びの一行で初めて、一つの文になる。
幻を、愛してる。それが、LOVE PHANTOM という言葉の正体だろう。
この二行を、本人の声は歌わない。2番でとびだした魂が、体の外から歌っているように聴こえる。囁く女性の声が、そのあとを追う。
英語も、そのままソプラノが引き取る。聴こえるか、これが私の魂だ、欲しいものは何でもあげよう。サビの「全部あげよう」と同じ誓いを、高く伸びる声で、もう一度差し出す。
ギターが同じ旋律をなぞり、ソプラノと並んで伸びていく。疾走感は、最後の一瞬まで落ちない。音が伸びきったところで、スパッと終わる。
ライブで初めて演奏されたのは、1995年の「BUZZ!!」。発売前で、客席の誰も知らない曲だった。イントロが流れても、歓声が起きない。いま見ると、それが新鮮だ。
以来、ライブの定番であり続けている。2020年に公式が発表した演奏回数のランキングでは6位。2023年の「STARS」ツアーではスタジアムとドームの1曲目を飾り、2024年の紅白歌合戦では、サプライズで登場した二人が、この曲から歌い始めた。
発売から30年たっても、あのイントロが鳴る瞬間は、いつもライブの特別な場面になる。
『LOVE PHANTOM』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、誰かを求める気持ちが大きくなりすぎて、自分でも持て余している人だ。
『LOVE PHANTOM』の魅力は、何より、その熱量にある。壮大なストリングスと不気味な語りで空気を張りつめさせた1分20秒のあと、稲葉浩志の第一声が、真正面からぶつかってくる。そこからは、走り続けるビートの上で、全力の声と松本孝弘のギターが、最後の一音まで緩まない。
歌われているのは、怪人の恋の姿を借りた、誰にでも覚えのある気持ちだ。好きになりすぎて、欲しい気持ちが育ちすぎて、相手の幻まで愛してしまう。
この曲は、それを責めない。せこい、と自分で認め、がまんできない、と全力で叫び、幻だと分かったあとも、愛してる、と言い切る。胸の奥に押し込めていたものが、その声に引っぱり出されて、こちらまで叫びたくなる。
抑えてきた熱がある人こそ、イントロを飛ばさずに、この4分40秒を頭から浴びてほしい。
【愉快】×『敵がいなけりゃ』
通信機器の信号のような音が、いきなり飛び込んでくる。
ドラムロールが転がり出し、その上に、号令のようなセリフが響く。ピアノとギターが鳴りはじめたかと思うと、ホーンが一斉に、サビのメロディを高らかに吹き上げる。賑やかで派手な行進曲が、一気に走り出す。
『LOOSE』の9曲目は、3分14秒の短い曲だ。
編曲は、松本孝弘と明石昌夫。7曲目でベースを弾いていた明石が、このアルバムで編曲に加わったのは、この曲だけだ。以後、明石がB’zの編曲に加わった曲は、2000年の『UBU』しかない。
演奏は生のバンドで、ドラムとベースに、ピアノとオルガン、そしてトランペット2本、トロンボーン、サックスの4本のホーンが加わる。短い曲に、音がぎっしり詰まっている。
ライブでは、発売から30年たった今も、一度も演奏されていない。『LOOSE』の中でステージに出たことがないのは、次の『砂の花びら』と、この曲の二つだ。
音楽メディアのMikikiは、2025年の30周年評で、この曲に触れている。1995年のB’zは、シングルを出せば100万枚を超える時期の真ん中にいた。世間の中でのイメージはどんどん肥大化し、巨大な存在になっていた。そのうえで、この曲の歌詞の皮肉は「彼らが置かれた状況と無関係ではないはず」だと書いている。
歌の中で、叩く側の人物は、派手なブームを「ちょうどいい獲物」と呼ぶ。1995年のB’zは、日本でいちばん派手なブームの一つだった。この曲は、獲物にされやすい側にいた二人が、狩る側の口ぶりを借りて書いた歌として聴けるかもしれない。
誰かを叩きたい気持ちを、代わりに叫んでくれる歌
歌の主は、「俺」だ。稲葉浩志は、この曲で、怒ることを商売にしている人物になりきって歌う。
怒りまくらにゃ 居る意味がない
責めて責めないと拍手をいただけない
反骨精神が俺のウリだぜ プロは違うぜ
体制に背を向けたように見せて稼いでる
どういう人物かは、この四行で分かる。仕事は、人前で誰かを責めることだ。
怒って、叩いて、それを記事や番組にして売る。反骨精神は「俺のウリ」で、自分は「プロ」だと言う。
客はその反骨に拍手を送り、見返りに金が入る。週刊誌の記者でも、テレビのコメンテーターでも、今ならSNSで持論を売る人でもいい。批判そのものを商品にしている人だ。
そして四行目で、自分から種を明かす。体制に背を向けた「ように見せて」稼いでいる。反骨は、客を集めるためのポーズだ。
若々しいエネルギーに満ちた声が、この歌詞に負けずに、まっすぐ飛んでくる。その声に、エフェクトのかかったもう一つの声が重なって、言葉のエッジがいっそう立つ。
後半の二行に入ると、サウンドが少しずつ広がり、開いていく。それに合わせて、曲のテンションが一段、また一段と上がる。そして、でも!と力強い声が響いて、サビに突入する。
でも 敵がいなけりゃ手もふるえる
他人のふしあわせも探してる
どんな奴でもとりあえず叩く
あのコもきっとソコにまいってるはず
攻撃的な言葉を、力強い声が正面から叩きつける。華やかなホーンと、勢いのあるメロディが、そのメッセージをさらに前へ押し出してくる。
歌われているのは、禁断症状だ。敵がいないと、手がふるえる。だから他人の不幸を探し、どんな奴でも、とりあえず叩く。相手は誰でもいい。
最後の一行の「あのコ」は、叩かれている相手だ。派手に売れている若い誰か、といったところだろう。どんな奴でも叩く、あのコも例外ではない。叩かれたところが、きっと痛くてまいっているはずだ、と想像している。相手の痛みを、叩いた手応えとして確かめている。
サビの終わり、「まいってるはず」のメロディがブルージーに傾く。2番へ向かう間奏では、ピアノがその色を引き継ぐ。行進曲の中に、ブルースの匂いが混じる。
軽いでっち上げならかまわない
派手なブームなんかはちょうどいい獲物よ
せせら笑いを浮かべながら鋭くえぐる
血の味にずっと飢えてる兵隊みたい
2番で、手口が見えてくる。
でっち上げは、軽いものなら構わない。本当かどうかは、この人物には二の次だ。どこまでが軽いのかを決めるのも、自分だ。
狙うのは、派手なブームだ。「なんか」と見下し、「ちょうどいい」と値踏みする。相手が悪いことをしたから、叩くわけではない。目立っているものほど、叩いたときの拍手が大きい。それだけの理由で、獲物に選ばれる。
叩くときの顔は、せせら笑いだ。1番で「ウリ」だと言っていた怒りは、ここには無い。あるのは、鋭くえぐる腕前と、それを楽しむ笑いだ。客には正義の怒りに見えているものが、本人の中では、遊びになっている。
そして本人が、自分を「血の味にずっと飢えてる兵隊みたい」だと言う。兵隊は、戦いがあって初めて仕事になる。しかも、その飢えは「ずっと」続く。どれだけ叩いても、満たされない。この曲が行進曲の姿をしているのは、この一語のためだろう。
歌の合間にギターのフレーズが差し込まれ、コーラスのシャウトとピアノが加わって、2番は1番より躍動感を増していく。
続くサビでは、敵がいないときの自分を歌う。兵隊みたい、と言った口で、今度はミミズだと言う。手も足もなく、あてもなく、床をのろのろ這うだけ。敵がいなければ、何も「はじまらない」。強さは全部、敵から借りていたものだった。
そして、そんな平和じゃメシの食い上げだ、と言う。誰もが望む平和が、この人物には何よりの困りごとだ。この曲でいちばん鋭い言葉だ。「俺たちゃ」と複数で歌うから、一人の話ではない。同じ商売の、全員の話だろう。
間奏は、ピアノから始まる。「TAK!」の掛け声で、松本孝弘のギターソロが飛び込んでくる。歌詞の攻撃性に負けないアグレッシブなフレーズが駆け抜けて、聴くほうの熱を、さらに上げていく。
最後のサビの直前、演奏が止まる。「だれか」という声だけが、一瞬、宙に響く。
そこから、威勢のよさが崩れる。ここまで威張っていた人物が、誰か、と呼びかけ、お願い、と頼み、俺のカタキになってよ、と泣きつく。
なぜそうなるかも、自分で言う。敵が、この人物の道しるべだ。どこへ向かえばいいかを、決めてくれる。敵を失えば、向かう先も、怒る理由も、拍手も消えて、何も持っていない自分だけが残る。それがつらいから、敵を探す。この人物が叩き続けるのは、敵がいないと立っていられないからだ。
そして、振り絞るようなハスキーな声で、誰でもいい、とつぶやく。敵は、憎い相手でも、正すべき相手でもない。自分を支えてくれるなら、誰でもいい。
そのあと、ブルージーなギターのメロディとピアノが、セッションの終わりのようなライブ感で、曲を締めくくる。行進曲が、ブルースになって終わる。
この歌が最後に見せるのは、叩く側の、空っぽな中身だ。威勢よく誰かを叩いている人ほど、その誰かがいなくなった途端に、立っていられなくなる。陽気な行進曲の下で歌われていたのは、そういう、情けなくて、少し可笑しい人間の姿だ。
この曲は、叩く相手を一度も名指ししない。記者もマスコミも出てこない。叩いて拍手をもらい、それで稼ぐ人なら、誰にでも当てはまる形で書かれている。だから発売から30年たって、SNSの時代に読み替えるファンが増えている。
『敵がいなけりゃ』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、誰かを叩きたい気持ちを、胸の奥に押し込めている人だ。
『敵がいなけりゃ』は、その気持ちを、悪役の口を借りて叫んでくれる。若々しい声が叩きつけ、ホーンが囃し立て、行進曲のビートが背中を押す。「TAK!」の一声からのギターソロまで、勢いは一度も落ちない。
言葉は情けない。音は最高に気持ちいい。だから、悪役のセリフを、思いきり歌える。歌い終わるころには、胸の奥が少し軽い。
ライブで一度も鳴ったことのない曲だ。会えるのは、アルバムの中だけだ。
誰かを叩きたくなった日は、悪役になりきって、3分14秒でストレスを発散してほしい。
【もどかしい】×『砂の花びら』
乾いた、金属の弦が震えるようなアルペジオが、静かに鳴りはじめる。シタールだろうか。その響きが、ひと弾きごとに、アラビアンな異国の空気を運んでくる。
その上を、ベースがメロディを描くように動き、キーボードがうしろから雰囲気を盛り上げていく。やがてドラムが力強くリズムを刻み、切れ味のあるエレキギターのサウンドが、リフを重ねてくる。
アルペジオだけだった静けさに、バンドの推進力が加わって、曲が前へ動き出す。乾いた響きはそのままに、熱だけが上がっていく。
『LOOSE』の10曲目は、3分41秒。編曲は、松本孝弘と稲葉浩志の二人だ。
ライブでは、前の『敵がいなけりゃ』と同じく、一度も演奏されたことがない。アルバムの中でだけ鳴っている曲だ。
歌い出しで、主人公は「honey」と恋人に呼びかける。2番では、よく似た響きの「money」が顔を出す。
恋しい人への想いに、いつのまにか欲が混じる。主人公は、自分が本当は何を求めているのかも分からないまま、深みへ引きずられていく。
手に入らないものほど欲しくなる、あの渇き
honey、と、稲葉浩志の色気のある声が飛び込んでくる。
honey,あなたの肌を触りたくて
僕はついふしあわせなフリをしちゃうよ
冷たく優しく振り回しといて
どういうつもり 何時になったらご褒美をくれるの
同情を引いて、近づこうとする。相手の気まぐれに一喜一憂しながら、自分からは一歩も踏み込めない。この恋の主導権は、最初から相手の手の中にある。
愛情を「ご褒美」と呼ぶところに、この男の甘えが出ている。情けない。けれど、その情けなさに覚えのない人は、たぶんいない。
後半の二行に入ると、声に少しずつ熱がこもり、相手の魅力が、目の前に浮かび上がってくる。
サビの直前、演奏が引いて、あの異国のアルペジオだけが鳴る。バスドラムが、ドン、と重い一発を打つ。それを合図に、伸びのある、枯れた、力強い声が迫ってくる。
いでよ 光る砂の花びら yeah,
咲いてみせておくれ baby,
いじくればこなごなに
崩れ落ちてゆくよ
いでよ、と呼ぶ。砂漠で何かを呼び出すような、古い言い方だ。どこかオリエンタルな響きのメロディに乗って、歌詞の景色が鮮やかに広がっていく。
呼び出すのは、光る砂の花びら。砂でできた花は、眺めているうちは美しい。けれど、いじくれば、こなごなに崩れ落ちる。
咲いてみせておくれ、と頼んだすぐあとで、男は、崩れる結末を自分で口にしている。触れたら壊れると、本人はちゃんと分かっている。分かっていて、それでも、この手で咲かせてみたい。
欲しがるほど、遠ざかる。手に入れようとした瞬間に、壊れる。そんな砂の花びらを、追いかけたことのない人はいないだろう。
2番に入ると、歌の景色が一変する。
m,m,money, 気がつきゃ裸で踊らされてるよ
夜が明けたとしても宴会は続くのです
1番では、恋しい人の気まぐれに振り回されていた。2番では、男を振り回すものに、金と欲が加わっている。
気づいたときには、もう裸同然だ。見栄も余裕も剥がされて、誰かの思うままに踊らされている。自分では止められず、夜が明けても宴は終わらない。「続くのです」の妙に丁寧な言い方に、もう抜け出せない、という諦めがにじむ。
枯れた声が、この景色に、生々しい手触りを与える。サビへ向かうにつれて、コーラスが少しずつ重なっていく。止まることのない欲に蝕まれ、いつまでも満たされない「穴だらけの心」。そう歌う声を、そのコーラスがそっと包み込む。
2番のサビが終わると、演奏がふっと落ちる。鳴っているのは、冒頭のアルペジオと、泣きの余白をたっぷり取ったギターだけだ。そこへベースが重なり、ドラムが徐々に力を増し、ピアノが流れるように差し込まれる。
そして、ギターが歌いはじめる。一音を長く伸ばし、チョーキングで音をじわりと持ち上げて、言葉にならない焦がれを、そのまま音にしていく。弾きすぎない。音と音のあいだの余白まで、泣いているように聴こえる。
最後のサビは、逃げないでよ、と始まる。痛みを伴うような迫力の声が、聴くほうの胸を、ぐっとつかむ。
ここで、男と花びらの立場が入れ替わる。はじめは「いでよ」と呼び出す側だった男が、いまはすがりつき、どこまででも引きずられていこうとしている。
崩れると分かっていたはずのものに、とうとう自分から身を任せてしまう。
太陽が僕を焦がしつづける yeah,
微熱にうなされたまま
誰かを忘れてゆく
何かを失くしてく
uh… I’m losing you… wow
太陽に焦がされ、熱にうなされながら、男は「誰か」を忘れ、「何か」を失くしていく。それが誰なのか、何なのか、歌詞ははっきり書かない。熱に浮かされた頭では、自分が何を失っているのかさえ、もう分からないのだろう。
その答えが、最後の英語の一行だ。I’m losing you。君を、失っていく。忘れかけていた「誰か」は、歌い出しで honey と呼びかけた、あの人だった。
追いかければ追いかけるほど、あの人はどこまでも遠ざかっていく。
ふたたび、アルペジオだけが残る。熱に焼かれきったような、ハスキーで色気のある声が、I’m losing you、とゆっくり歌う。弦をスライドさせたオリエンタルな響きに包まれて、曲は静かに終わる。
『砂の花びら』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、手に入らない人を、それでも追いかけてしまう人だ。
『砂の花びら』は、乾いた異国のアルペジオと、枯れて色気のある声で、その渇きを歌う。
振り回され、欲に溺れ、大切な人まで失っていく。それでも、この男を責める気にはなれない。泣きの余白を残したギターも、熱に焼かれた最後の声も、男の弱さを、隠さず、まっすぐに鳴らしている。
欲しがるほど遠ざかるものを追いかけている夜は、灯りを落として、この曲に耳を傾けてほしい。
【落ち着かない】×『キレイな愛じゃなくても』
ベースが、弦をなぞるような一音を鳴らす。それを合図に、穏やかなイントロが静かに始まる。
ギターのフレーズが、夜空をすべり落ちていく光のように鳴る。高いところからすうっと下りてきて、最後の音が、ふっと余韻を残す。
その光を包むように、ピアノが優しく鳴っている。ベースは最小限の音で、サウンドにそっと重みを与える。ドラムは、ときおりタムでアクセントを打つだけだ。
『LOOSE』の11曲目は、4分04秒のバラード。編曲は、松本孝弘と稲葉浩志に、池田大介が加わった三人だ。
ギターの重ね録りには時間がかけられ、歌の後ろで鳴る伴奏のギターだけを、何度も録り直したという(『music freak magazine & Es Flash Back B’z XXV Memories I』エムアールエム、2013年)。
シングルにはなっていない。ベスト盤にも、バラードを集めたアルバムにも、一度も選ばれたことがない。ファンの間では、長く「隠れた名曲」と呼ばれてきた。
2021年、B’zが全曲のサブスク配信を始めたとき、松本孝弘と稲葉浩志は、それぞれ自分で選んだB’zの曲を、Spotifyのプレイリストにして公開した。稲葉浩志のプレイリスト「Relaxing B’z」で、1曲目に置かれたのが、この曲だ。
歌の中で、題名の言葉は「いいからもう君が欲しい」と続く。キレイな愛でなくてもいい。正しい恋かどうかも、人にどう見られるかも、もう構わない。
そう思えてしまうほど誰かを求める心の揺れを、この曲は、最後の一音まで描いていく。
君が欲しい夜に、迷いを焼き尽くしてくれる
歌い出しは、キスをした夜だ。その空を、星がひとつ滑り落ちる。
イントロでギターが描いていた光は、この星だったのかもしれない。
鳴っているのは、ほとんどピアノだけだ。感情のこもった稲葉浩志の声が、その情景をくっきりと浮かび上がらせ、歌の合間を縫うように、ギターのアルペジオが彩りを添えていく。
そのあと、男は一人で夜の町を歩く。町の灯りが、いつもよりまぶしく輝いて見える。気づけば、口笛をふいている。うれしさが、胸の中に収まりきらない。
けれど、さっきキスをした君は、もう隣にいない。口笛の音だけが、通りに響いている。
燃えるよな波のざわめきよ、と歌う声が、長く伸びていく。その声に、少しずつ熱がこもる。
ここで、ドラムがはじめて力強くリズムを刻む。ピアノだけだった静けさに、鼓動のようなビートが加わり、曲の温度が、じわじわと上がっていく。
歌の景色は、夜の町から、胸の中の燃えるような波へと移っていく。その波がいちばん高くなったところで、サビが始まる。
キレイな愛じゃなくても いいからもう君が欲しい
目と目が合ったら迷うことはない
I have nothing, Yeah I’m nothing
何か違うかい…
サビに入ると、エレキギターのディストーションが加わり、音がぐっと厚みを増す。稲葉浩志の声は張り裂けるように高まり、そのうしろで、ストリングスが壮大に広がっていく。
胸の中で波立っていた想いが、ここで一気にあふれ出し、聴く者の心に刻み込まれていく。
「いいから」は、何かを振り払うときの言葉だ。キレイな愛かどうか、正しいかどうか。そうした問いを、男はもう考えない。「もう」の一語には、こらえきれなくなった想いがにじむ。
目と目が合ったら、迷うことはない。考えるより先に、答えが出ている。
続く英語の一行は、僕には何もない、僕は何者でもない、という告白だ。胸を張れるものを何ひとつ持たない男が、それでも、君が欲しいと言う。
そして、何か違うかい…と問いかける。
誰に向けた問いなのかは、歌われない。君にか、世間にか、それとも自分自身にか。迷うことはない、と言い切ったすぐあとなのに、語尾は「…」で弱く消えていく。強がりの奥に、迷いがのぞく。
その最後の音は、すとんと着地しない。コードはサビの頭と同じところへ戻ってくるが、そこに maj9(メジャー・ナインス)の響きが重ねられる。明るいのに、どこか切なく揺らぐ音だ。
その和音の上で、稲葉浩志の声が、最後の一音を長く伸ばす。問いかけは答えを受け取れないまま、ふわりと宙に浮いていく。行き場のない想いが、メロディと歌声になって、そのまま鳴っている。
2番に入ると、ドラムは頭からリズムを刻み、ピアノの響きも一段と強くなる。1番よりも高い温度から、歌が始まる。
激しい恋で手に入るのは 日持ちの悪いミルクなの
相手を全部欲しがることは パーフェクトな愛じゃないって本には書いてる
空を舞う鳥を撃たないで
最初の二行に並ぶのは、恋についての「正解」だ。
激しい恋で手に入るものは、「日持ちの悪いミルク」にたとえられる。
ミルクは甘くて、やさしい。けれど、冷蔵庫に入れておいても、数日で傷んでしまう。一度傷んだら、もう元には戻らない。
燃え上がるような恋も、同じだという。手にした瞬間は、たまらなく甘い。その甘さが、長くはもたない。
このたとえには、ロマンチックな飾りがひとつもない。夢中になるほどの恋を、台所のありふれた飲み物で言い表している。熱に浮かされた心を、一気に現実へ引き戻すような言葉だ。
二行目は、相手を全部欲しがるのは、パーフェクトな愛じゃない、と続く。そう「本には書いてる」。
男は、そのどちらも、ちゃんと分かっている。激しい恋がすぐに傷むことも、相手を丸ごと欲しがる気持ちが、正しい愛とは呼ばれないことも。
分かっているのに、止まれない。サビであれほど「君が欲しい」と歌った男が、ここでは、自分の想いに水を差すような言葉を並べている。欲しい気持ちと、それを戒める言葉が、胸の中でぶつかり合う。
そのすぐあとに、空を舞う鳥を撃たないで、と頼む。その鳥は、舞い上がった男の気持ちだろう。本に書いてある正しさで、それを撃ち落とさないでくれ、と聞こえる。
2番のサビで、男は自分を「悟りを開けない」人間だと言う。
悟りとは、欲や執着から解き放たれた心のことだ。正解を知っていても、そこへはたどり着けない。いくつになっても、君を求める気持ちを手放せない。
英語の一行のあとには、「傷はふえるよ…」と続く。このまま進めば、傷は増えていく。その痛みを、男はもう覚悟している。
2番のサビが終わると、言葉にしきれない想いを引き継ぐように、松本孝弘のギターが鳴り響く。
そのメロディは、きれいに整えられていない。どこか荒々しく、チョーキングを多用して、音を揺らしながら引き上げていく。揺れる心の動きを、そのまま描いているように聴こえる。キレイでなくていい、と歌う曲にふさわしい、整えすぎないソロだ。
ギターの音が伸びきったところで、稲葉浩志の熱い歌声が飛び込んでくる。ギターから歌へ、想いを手渡すようなこの流れは、最高にB’zらしい。
最後のサビは、さらに熱を増していく。強く思えば、君は僕の中で、海のように広がる。1番で胸を騒がせていた「波」が、ここでは「海」になっている。そして男は、さあ、飲み込んでくれ、と身を投げ出す。
キレイな愛は綺麗なの?oh…今しかないから今行こう
Wow oh…誰の言葉もくだらないしいらない
I have nothing, Yeah I’m nothing
何も怖いことない
ここで、題名の言葉が形を変える。「キレイな愛じゃなくても」と歌われてきた一行が、最後に「キレイな愛は綺麗なの?」という問いになる。
カタカナの「キレイ」と、漢字の「綺麗」。同じ言葉が、この一行の中で書き分けられている。
カタカナの「キレイ」は、題名から続いてきた言葉だ。本に書いてあるような、正しくて、パーフェクトな愛。人に見せても恥ずかしくない、整った愛のことだろう。
漢字の「綺麗」は、見た目よりも、もっと深いところにある美しさとして読める。
キレイではない自分の愛を、男はもう恥じていない。むしろ、正しくて整って見える愛のほうに、問いを向けている。それは、本当に美しいのか、と。
今しかないから、今行こう。誰の言葉も、くだらないし、いらない。2番で並べた本の正解も、男はまとめて手放す。
英語の一行のあと、1番では「何か違うかい…」、2番では「傷はふえるよ…」と続いた言葉が、最後は「何も怖いことない」に変わる。
何も持っていないからこそ、差し出せるものは、この想いひとつしかない。僕には何もない、という告白は、君へまっすぐ向かうための強さになる。
何も怖いことない、という声は、張り上げられることなく、静かに響く。もう、叫んで自分を奮い立たせる必要はない。その一言は、穏やかな決意として、そっと宙に置かれる。
最後の響きも、答えを決めつけないまま、やわらかく空気に溶けていく。曲は、その余韻の中で幕を閉じる。
このあと、ふたりがどうなったのかは、歌われない。ただ、君のもとへ歩き出した男の背中が、あの夜の星明かりの中へ、ゆっくりと遠ざかっていく。
『キレイな愛じゃなくても』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、正しい答えを知っていながら、それでも誰かを求めてしまう人だ。
『キレイな愛じゃなくても』は、その想いを、張り裂けるような声と、荒々しく揺れるギターで歌い上げる。
本に書いてある正解も、誰かの忠告も、この曲の中では届かない。キレイかどうかより、今、君が欲しい。その想いを、最後の「何も怖いことない」まで、ごまかさずに歌いきる。
理屈では止められない想いを抱えた夜に、この曲を聴いてほしい。
【疲れている】×『BIG』
アコースティックギターが、ゆったりとアルペジオを鳴らしはじめる。カントリー・ブルースのような素朴な響きに、埃っぽい田舎町と、町はずれの小さな酒場が浮かんでくる。
『LOOSE』の12曲目は、2分53秒。アルバム本編でいちばん短い曲だ。編曲は、松本孝弘と稲葉浩志の二人。
アコースティックギターと打ち込みだけで作られた曲で、アメリカン・ロック調など、いくつかのアレンジも試されていたという(『music freak magazine & Es Flash Back B’z XXV Memories I』エムアールエム、2013年)。
ライブでは、1996年のツアーのあと、長く演奏されなかった。2023年の『B’z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-』のスタジアムとドームの公演で、約27年ぶりに披露されている。ステージの端にバーカウンターが現れ、二人はハイチェアに腰かけて、この曲を始めた。
歌われるのは、仕事に追われる男の、ある夜のぼやきだ。酒場のカウンターでグラスを傾けながら、明日はもっとビッグになるんだと、自分に言い聞かせる。その小さな声を、この曲は飾らずに鳴らしていく。
疲れて情けない夜に、一緒にぼやいて強がってくれる
稲葉浩志が、ゆっくりと歌いはじめる。
どこからかお酒の匂いが漂ってきそうな、少し気だるい歌声だ。
夜も更けた、小さな酒場。薄暗いカウンターの隅で、ネクタイをゆるめた男が、グラスを片手にとぐろを巻いている。
誰に聞かせるでもない独り言が、ぽつりぽつりとこぼれていく。そんな姿が、歌声の向こうに浮かび上がってくる。
勢いだけで何週間も乗りきりゃ疲れもちょっと溜まる
毎晩満員の街で唄うこの胸の中に何がある
鳴っているのは、アコースティックギターと歌声だけだ。ドラムもベースも、まだ入ってこない。
音が少ないぶん、言葉のひとつひとつが、はっきりと耳に届く。歌声の息づかいまで、すぐそばで聴こえてくる。まるで、カウンターの隣の席で、男のつぶやきを聞いているようだ。飾りのない音だからこそ、歌詞の描く世界が、くっきりと見えてくる。
「勢いだけで」の一言に、男の毎日が詰まっている。先のことを考える余裕もなく、目の前の仕事を、気合いひとつでこなしてきたのだろう。気づけば、疲れも溜まっている。
毎晩、人であふれる街で唄う。仕事を終えると、にぎやかな夜の中で声を張り上げる。毎日がそれなりに忙しく、それなりに騒がしい。
けれど、その騒がしさがふと途切れたとき、男は自分に問いかける。この胸の中に、何があるのか。
がむしゃらに働き、夜は飲んで、一日が終わっていく。その繰り返しの中で、自分が何のために走っているのか、何を大事にしたいのかが、見えなくなっている。問いかけのあとに、答えは続かない。
この胸の中に何がある、とゆっくり歌い終えると、ギターの弾き方が変わる。
一本ずつ弦をつま弾いていたアルペジオが、すべての弦をまとめてかき鳴らすストロークになる。ジャカジャカと刻まれるリズムが、静かだった空気を揺らしはじめる。
グラスのぶつかる音や、客の笑い声まで聞こえてきそうだ。酒場のざわめきが、ぐっと近くなる。
カウンターでは、ジョッキを片手におじさんが騒いでいる。なんだか知らないが、「オリャ百万賭けるぜ」と息巻いている。
休みになりゃ暇だし 仕事は暇なし Woo
ほらまたマスターとママが喧嘩を始めるよ
ここで、シンセのやわらかな音が、ギターのうしろからふわりと浮かび上がってくる。
主張しすぎない、淡い響きだ。薄暗い酒場に、ひとつ、またひとつと小さな灯りがともっていくように、男と、その目の前の景色を、そっと照らしていく。
軽やかに刻まれるギターのストロークに、その音が重なって、曲の空気が、少しだけあたたかくなる。
休みの「暇」と、仕事の「暇なし」。軽い言葉遊びのようでいて、そこには、仕事に振り回される男の暮らしが、そのまま映っている。
毎日は、仕事を中心に回っている。それがなくなったら、何をすればいいのか分からない。さっき自分に問いかけた「この胸の中に何がある」の答えのなさが、ここで少しはっきりしてくる。
ほら、また、マスターとママが喧嘩を始める。「また」の一語で、男がこの店の常連で、この光景を何度も見てきたことが分かる。騒がしいけれど、どこか落ち着く。そんな居場所なのだろう。
こんなことでこんなとこで
俺は悩んでる場合じゃない
もっとビッグにならなきゃ
いけない男だから俺は
サビに入ると、ベースが加わる。足もとから響くその低い音が、男の言葉に、積み重なった日々の重みを、ずしりと乗せていく。
こんなことで、こんなとこで。小さな悩みを振り払うように、男は自分に言い聞かせる。俺は、もっとビッグにならなきゃいけない男なんだ、と。
胸を張ったような言葉の裏に、くたびれた本音が透けて見える。それでも口に出して、自分を奮い立たせる。
その大きな言葉は、カウンターのおじさんの「百万賭けるぜ」と、どこか似ている。酒場のカウンターでは、誰もが少しだけ大きなことを言う。
2番に入ると、深いため息とともに、ドラムがリズムを刻みはじめる。スネアをカツカツと鳴らすだけの、最小限のリズムだ。
ここで明かされるのは、恋人の裏切りだ。合い鍵を渡した自分の部屋に、恋人が男を連れ込んでいた。
男の口からこぼれるのは、後悔の言葉だ。スペアキーなんて、作るんじゃなかった。信じて渡した鍵が、自分を傷つけるものに変わってしまった。ロマンチックな響きは、ガラガラガラと音を立てて崩れる。信じていたものが、一瞬で壊れていく。
どうして、俺の部屋に。その問いに、答えてくれる人はいない。稲葉浩志の歌声が、やり場のない痛みを、生々しく描いていく。
最後のサビの前に、シンバルがシャン、と一度だけ鳴る。
俺は、何をわめいている。ふと我に返った男の口から、チキショー、と小さな囁きがこぼれる。飲み込みきれない悔しさが、そこににじむ。
いじめられても笑い飛ばす
明日の俺は今日よりもビッグ
絶対にビッグ
絶対にビッグ ビッグ
稲葉浩志の歌声は、ふらりと揺れている。声を張り上げることもなく、グラスを握ったまま、自分の胸に向かって一語ずつ確かめるように歌う。
前向きな言葉を口にしながら、まだ半分は、自分でも信じきれていない。お酒の力を借りて、なんとか声にしている。
その危うさがあるからこそ、聴く者は、いつのまにか男の隣の席に座っている。
目指すのは、今日より少しだけ大きな、明日の自分だ。何になりたいのか、どうすればいいのか、具体的なことは何も出てこない。それでも「絶対に」と言い切る。その漠然とした前向きさが、かえってリアルに響く。
最後は、そのまま寝落ちしてしまいそうな声で、絶対にビッグ、と囁く。ギターがストロークをかき鳴らし、曲はそこで潔く終わる。
閉店の時間に、店の灯りがぱちりと落とされるように。
『BIG』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、うまくいかない一日の終わりに、自分で自分を励ますしかない夜を知っている人だ。
『BIG』は、酒場のカウンターのぼやきを、素朴なアコースティックギターと、気だるい歌声で鳴らす。
立派な目標は、ひとつも出てこない。それでも男は、明日の俺は今日よりもビッグ、と言う。
根拠もなければ、計画もない。お酒の勢いを借りた、半分は強がりのような一言だ。けれど、人は案外、そんなささやかな言葉に背中を押されて、明日もまた出かけていける。
くたびれた夜は、グラスを片手に、この曲を聴いてほしい。
【触発された】×『drive to MY WORLD』
どこか哀愁のにじむ、ロックなギターリフが鳴り響く。オルガンが重なり、ドラムとベースが加わって、音は少しずつ熱を帯びていく。
胸の奥でくすぶっていた何かに、火がともっていくように。
『LOOSE』の最後を飾る13曲目は、4分09秒。編曲は、松本孝弘と稲葉浩志の二人だ。
この曲も、アルバムの下ごしらえのために滞在していた、1995年のハワイで生まれた(『Treasure : B’z Chronicle 1988〜1998』ROOMS RECORDS、1998年)。
ライブで演奏されたのは、1996年のツアーだけだ。すべての公演で、序盤の4曲目に置かれていた。それから、およそ30年。一度も、ステージで鳴っていない。
歌われるのは、悲しいことがあっても、ただじっと耐えてきた男だ。気づけば、毎日は小さくまとまり、どこか窮屈になっていた。
そんな男が、ある日、ふと車に乗り込む。行き先は、まだ決めていない。けれど、その先には、見たことのない景色が広がっている。
ささやかな寄り道かもしれない。それでも、自分の手で毎日を変えようとする、確かな決断だ。その決断を、この曲は力強いバンドサウンドで、最後まで後押ししていく。
こらえるだけの毎日とは違う方向へ、ハンドルを切る勇気をくれるロックナンバー
ドラムのフィルが、出発の合図のように打ち鳴らされる。重みのあるリズムがゆっくりと転がりはじめ、その上を、稲葉浩志の歌声がまっすぐに進んでいく。
ドライヴしよう知らない世界へ
道路地図なんかは見ないで
家へと曲がる角を反対に曲がったらいいよ
夕暮れのセブンイレブンから
神社をすぎ 深い森まで
気持ちの続く限り oh,さみしくない 道も続く
歌い出しは、ドライヴへの誘いだ。向かうのは、知らない世界。決められた道ばかりをなぞってきた男が、地図を手放す。
最初にすることは、家へ向かう角を、反対に曲がること。遠い国へ旅立つわけではない。いつもの帰り道を、一本外れる。旅は、そんな小さな一歩から始まる。
出発点は、誰もが立ち寄る、ありふれた店先だ。車はにぎやかな街の灯りを背にして、人の気配のない、静かな場所へと分け入っていく。
バックミラーの中で見慣れた明かりが小さくなるにつれて、男をしばりつけていた毎日も、少しずつ遠のく。
地面をしっかりと踏みしめるようなミドルテンポだからこそ、窓の外を流れていく景色が、ひとつひとつ、くっきりと目に浮かぶ。
日が暮れて、あたりは暗くなっていく。車の中は、たったひとり。ふつうなら、心細くなってもおかしくない。
それでも男は、さみしくない、と歌う。やっと動き出したこの気持ちが続くかぎり、ひとりでも平気だ、と。
本当にさみしかったのは、悲しいことにじっと耐えていた、あの頃のほうなのかもしれない。
道も続く。そう歌い終えるやいなや、曲はギアを一段上げる。ためこんできた思いを一気に解き放つように、バンドの音と歌声が、サビへとなだれこんでいく。
止まらないで どうぞこのまま
キミにもちょっかい出させないよ MY WORLD
悲しいだけの毎日を
じっとこらえる自分にバイバイ
サウンドも歌声も、ためらいなく振り切れる。それでいて、響きはマイナー調のまま、ほのかな陰りを残している。
突き抜けるような熱さと、消えない陰り。その二つが重なって、地に足のついた決意が伝わってくる。現実の重さを知ったうえで、それでもアクセルを踏み込む。
松本孝弘のギターが、力強い鼓動のようにリズムを刻み、サビを前へ前へと押し出していく。飾り気のないシンプルなバンドサウンドだからこそ、その決意が、嘘のない音で響いてくる。
止まらないで、どうぞこのまま。フロントガラスの向こうへ、男は声を振りしぼる。
ここで止まれば、また元の暮らしに引き戻されてしまうかもしれない。走り出した車にも、弾みはじめた自分の心にも、「どうぞ」と、ありったけの願いを込める。
道の先に広がっていくのは、誰にも立ち入らせない、自分だけの世界。いちばん大切な人にさえ、ここだけは譲れない。ようやく見つけたこの場所こそが、MY WORLDだ。
そして、サビの最後に男が別れを告げるのは、これまでの自分だ。悲しい毎日を、うつむいてやり過ごしてきた自分。その姿に向かって、軽く手を振る。
長い別れの言葉はいらない。「バイバイ」のひと言で、十分だ。
2番に入っても、車は止まらない。
手もとにある勇気は、ポケットの小銭くらいの、ほんのわずかなものだ。男は、それを残らず使い切って、あえて回り道を選ぶ。
いつか感じたことのある、わくわくするような高揚。長いあいだ眠らせていたその感覚は、消えてはいなかった。体の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
止まらないで どうぞこのまま
新しい言葉が生まれる MY WORLD
現実を馬鹿にするんじゃない
真実に触っていたいだけ
この場所では、新しい言葉が生まれてくる。
これまでの男は、言いたいことがあっても、ぐっと飲み込んできたのだろう。けれど、誰にも気がねのいらない車の中では、心に浮かんだ思いが、そのまま口をついて出る。
初めて目にする景色が、しまい込んでいた本音を、次々と引き出していく。
知らない道へ車を走らせる姿は、周りから見れば、現実から逃げているように映るかもしれない。けれど、男はきっぱりと言う。現実を馬鹿にするつもりはない、と。
男が求めているのは、本当のことに、この手でじかに触れていられる実感。ただ、それだけだ。
2番のサビが終わると、歌声に代わって、松本孝弘のギターソロが飛び出してくる。
言葉にしきれない気持ちを、今度はギターが歌いはじめる。感情をむき出しにしたフレーズが、夜の道を走る男の高ぶりを、そのまま映し出していく。
ブリッジパートに入っても、曲の勢いは少しも衰えない。
人の群れに混じって、同じ方向へ流されていく必要はない。かといって、わざと背を向けて、ひとりを気取ることもない。誰かに合わせることも、誰かを避けることもやめたとき、男の視界が、すっと開けていく。
見わたすかぎりのものが、自分の味方をしてくれているかのように、きらきらと光りはじめる。
稲葉浩志の歌声は、ハスキーにかすれながら、熱を増していく。歌詞にはないシャウトが夜の空気を切り裂き、曲はラストスパートへと突き進む。
最後のサビに入ると、男の目は、ふと周りへ向けられる。
鍵を握りしめて、何かを探し続けているのは、自分だけではない。誰もが、自分の扉を開ける手がかりを求めている。
ひとりで走り出したこの道の先にも、同じように、どこかを目指している人がいる。そう思えるだけで、車の中が、少しだけあたたかくなる。
ボクだけを待っている
新しい言葉が生まれる MY WORLD
怯えてる心を睨んで
ちっちゃくまとまる世界にバイバイ
ドラムは一打ごとにずしりと重く、ギターはそれに負けじと唸りを上げる。その音に乗って、稲葉浩志が切なさをたたえた旋律を、力いっぱい歌い上げる。
速さに頼らず、ミドルテンポのまま、これだけの迫力を生み出してしまう。まさに、B’zらしい最高のロックナンバーだ。
そして男は、もう一度「バイバイ」と言う。
一度目に手を振った相手は、うつむいていた自分だった。二度目の相手は、もっと大きい。いつのまにか小さくまとまっていた、身のまわりの世界そのものだ。
心の奥には、まだ怯えが残っている。男は、その怯えから目をそらさずに、にらみ返す。今度は、はっきりと手を振る。
アウトロでは、松本孝弘のギターが、メロディなどおかまいなしに、荒々しく弾けまわる。その音は鳴りやまないまま、少しずつ遠ざかっていく。
走り去る男の背中も、音の彼方へ、ゆっくりと消えていく。
『LOOSE』は、この「バイバイ」で幕を閉じる。
『drive to MY WORLD』レビューまとめ
この曲が深く響くのは、悲しいだけの毎日を、じっとこらえてきた人だ。
『drive to MY WORLD』は、その毎日から抜け出す、小さな一歩を鳴らす曲だ。
哀愁のにじむギターリフに、オルガン、ドラム、ベースが重なって、ミドルテンポのバンドサウンドが動き出す。サビで音も歌声も全開になっても、響きはマイナー調のまま。はやる気持ちと、消えない陰り。その両方を抱えたまま、重たいリズムで、確かめるように前へ進んでいく。
聴き終えるころには、自分もハンドルを握って、どこかへ走り出したくなっている。
遠くへ行かなくていい。立派な行き先もいらない。いつもの帰り道を、反対に曲がるだけでいい。
ちっちゃくまとまった毎日に、ほんの少し息苦しさを感じたら、いつもの帰り道で、この曲をかけてほしい。
このアルバムを通して感じたこと
頑張りすぎた日ほど、このアルバムに手が伸びる。
3枚のシングルが、すべて100万枚を超えた1995年。その頂点で、稲葉さんは終電の手すりや酒場のぼやきを書き、松本さんは飾らないギターを鳴らした。
「LOOSE」は、聴く人に向けた言葉であると同時に、2人が自分たちにかけた言葉でもあったのかもしれない。
個人的に、いちばん聴き込んだのは『BAD COMMUNICATION (000-18)』だ。乾いたギターと、枯れた稲葉さんの声。聴いているだけで、自分が少し大人になれた気がした。
いまは、その日の気分で、聴きたい曲を選ぶ。
ちゃんとできない日があってもいい。聴き方だって、少しルーズでいい。
※本記事において引用している歌詞は、すべて松本孝弘/稲葉浩志によるB’zのアルバム『LOOSE』に収録された楽曲からの一部抜粋です。著作権は各著作権者に帰属しており、当サイトは正当な引用のもとでこれを掲載しています。著作権に配慮して歌詞全文の掲載は行っておりません。