新曲と27年分の名曲が交差した最終夜

ステージの上に吊られたサイコロが、その目を「6」に変える。

2024年6月16日、Zepp Haneda(TOKYO)。6日間のレジデンシー公演『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜』、その最終夜の記録が、この『en-Zepp 6』だ。

このレジデンシーは、1stアルバム『マグマ』から最新作『只者』まで、稲葉浩志のソロ6作品を、一夜にひとつずつ旅していく前代未聞の企画だった。

そして最終夜のテーマは、6thアルバム『只者』。生まれたての新曲たちが、本人の生の歌声で届けられていく。

かと思えばセットリストには、『遠くまで』『CHAIN』『Okay』『羽』──ファンに愛され続けてきたシングルの名曲たちが並ぶ。新曲と、四半世紀歌い込まれてきた曲が、同じ夜に、同じ熱量で鳴る。全19曲。

歌われていたことは、なんでもない日々をありがたく思うこと。揺れながらでも歩き続けること。終わりを受け入れて、今日を強く抱きしめること。──『只者』というタイトルどおり、何者でもない自分のまま生きるための言葉が、19曲かけて積み上がっていく。

そしてこの映像の最大の贅沢は、Zeppという距離だ。ステージの先端にしゃがみ込んで観客と目の高さを合わせ、ギターを客席に触れさせ、マイクを離れた生の声がフロアの奥まで届く。アリーナでは決して撮れない近さが、全編に焼きついている。

この記事では、その19曲をすべて、1曲ずつレビューしていく。『只者』を聴き込んでから観たい人にも、チケットに届かなかった人にも、どの形態を買うか迷っている人にも──この最終夜が「買い」である理由を、順番にお伝えしたい。

Release:2025.09.24

メンバー
ドラム:シェーン・ガラース
ベース:徳永暁人
ギター:Duran
キーボード:サム・ポマンティ

ツアースケジュール:2024年
2024年6月にZepp Haneda(TOKYO)で6日間にわたり開催された、同一会場で連続上演するレジデンシー形式の公演『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp〜』

各公演日が、ひとつのソロ・アルバムを“テーマ”に据え、そのアルバムを軸とした選曲で構成されている。

6.8(土)『マグマ』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 1〜

6.9(日)『志庵』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 2〜

6.11(火)『Peace Of Mind』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 3〜

6.13(木)『Hadou』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 4〜

6.15(土)『Singing Bird』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 5〜

6.16(日)『只者』
Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜

※本記事では、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜』について、各楽曲の歌詞の一部を引用しながら、映像(カメラワーク・編集・照明・ステージング等)の表現やメッセージも考察します。引用にあたっては、著作権法第32条に基づき、正当な範囲での引用を行っております。演出の核心に触れる詳細な記述は避け、体験の質に焦点を当てて紹介しています。

01. ブラックホール|暗闇の独唱から轟音へ、もどかしさが興奮に変わる開幕

ステージ上に吊られたサイコロ型のLEDが、その目を「6」に変える。ただそれだけで、客席から拍手が湧き上がる。

6夜目の、6枚目のアルバムの夜。数字がひとつ変わるだけで物語が伝わるのだから、この企画が6日間で、どれだけ観客とともに育ってきたのかがわかる。

薄暗い緑色の光に沈むステージへ、バンドメンバーが姿を現す。サムのキーボードが静かに鳴り始め、稲葉浩志が登場すると、拍手はひときわ大きくなる。

マイクスタンドの前に立つシルエットに、スポットライトが当たる。そして、独唱が始まる。

『ブラックホール』は、『只者』の幕開けを飾る曲。別の人生をあれこれ妄想しては、結局いつもの結論に戻ってくる。自意識という名のブラックホールの内側を巡る歌。

その暗闇を見つめる独白が、静まり返ったZeppに響き渡る。誰もがまだ、この曲の行き先を知らない。歌声が途切れた、その瞬間。バンドの轟音が雪崩れ込んできて、フロアの温度を一気に引き上げる。

尼介なパズルを
解き明かすように生きて
曖昧な悲しみに
惑わされてゆく
よじれるこころ

悲しみの理由がひとつでもはっきりしていれば、まだ闘いようがある。でも実際は、何に沈んでいるのか自分でもわからないまま、今日が終わっていく。

このサビが歌っているのは、そういう誰にでも覚えのある、行き場のないもどかしさだ。

ライブでは、心のよじれを歌うくだりで、稲葉浩志が言葉のとおりに全身をうねらせて、このもどかしさを体現してみせる。

表情、生の歌声、迫力のサウンド。音源では決して味わえない、立体的な吸引力がそこにある。

そして、特筆すべきはアウトロ。シェーン・ガラスと徳永暁人が固めるリズムの土台の上で、Duranのギターが荒ぶる。そこにメロディはもうない。ノイズと呼びたくなるほど攻撃的な音。

それに呼応する稲葉浩志のシャウト。激しく明滅する照明。最終夜の1曲目にして、最高純度のロックサウンドが鳴り響く。主人公が抱えていたもどかしさが、音圧で沸点を超えて、興奮に変わっていく。

きっと誰にでも、別の人生をふと想像してしまう夜がある。この夜の『ブラックホール』は、そのもどかしさを、前へ進む燃料に変えてしまう。その瞬間を、ぜひライブ映像で体感してほしい。

ビズくん
ビズくん
再生ボタンを押したが最後、吸い込まれて出てこれません。ちなみに今3周目です😇

02. Chateau Blanc|二人に密室が、満員の城に変わる

シェーンのドラムが、勢いよくリズムを刻み始める。照明がそのビートに合わせて点滅し、サムのキーボードがスリリングなリフを重ねる。

そこへDuranのギターと徳永暁人のベースが合流すると、一体となったサウンドが会場を埋め尽くしていく。1曲目の余韻を引きずる間も与えないロックナンバーだ。

『Chateau Blanc』は、フランス語で「白い城」。といっても、舞台は豪華な城ではない。鍵をかけたキッチンだ。時間の区別をなくし、服も躊躇いも記憶も捨てて、二人で世界を締め出していく。

生活のいちばん生活らしい場所が、その瞬間だけ城になる。

稲葉浩志は、この曲を踊るように歌う。音に乗って揺れるその姿から、音源では感じることのできない、生々しく、生き生きとした「白い城」が浮かび上がってくる。

僕ら今
世界から切り離され
宇宙の果てを漂って
光と闇に飲み込まれ
真理の渦へとダイヴ

世界から切り離された二人が、宇宙の果てを漂っている。キッチンという小さなスペースが、最大の空間へと反転する。この曲でいちばん美しい仕掛けだ。

そしてライブでは、サビの最後の「ダイヴ」が、音源よりも力強い声で歌われる。躊躇いも記憶も捨てた二人が、最後に体ごと渦へ飛び込んでいく。その落下の勢いまで伝わってくるような歌声だ。

稲葉浩志がリズムを刻みながら、頭の上で手を鳴らす。観客もそれに応えて、手拍子が会場中に広がっていく。

二人きりの密室を歌っていたはずの曲が、いつのまにかZeppまるごとを飲み込んでいる。会場全体が、ひとつの「城」に変わっていくようだ。

誰かと遠慮なくぶつかり合う時間が、人をここまで自由にする。

うまくやることばかり覚えて、誰かと本気で向き合う時間をずいぶん持っていない――そんな心当たりがあるなら、このライブ映像はきっと効く。観ているあいだだけでも、遠慮を忘れて音に乗る楽しさを思い出させてくれる。ぜひライブ映像で体感してほしい。

キッチンで待ち合わせかぁ、いいなぁ。今夜も私は、冷蔵庫のプリンと待ち合わせです!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

03. Symphony #9|会場がまるごと交響曲になる

ついにDay6まで来た──短いMCで会場を沸かせたあと、ステージが暗転する。

サイコロLEDの枠だけが緑色に光り、ステージ中央にスポットライトが落ちる。サムのキーボードが響くなか、その光の中に稲葉浩志が現れる。静かな、それでいて力強い歌声が、会場を満たしていく。

『Symphony #9』は、2016年のシングル「羽」に収められたカップリング曲。アルバムには収録されないまま8年が経った、知る人ぞ知る1曲だ。

歌い出しが終わると、シェーンのカウントを合図に、バンドの音が一斉に走り出す。

明るくなったステージに、客席から湧き上がるコーラスが重なる。歌詞のない、メロディだけの大合唱。何百もの声がひとつの旋律にそろったとき、会場はまるごと交響曲になる。稲葉浩志はマイクスタンドごと持ち上げて客席へ向け、その声をさらに引き出していく。

この曲の「あなた」は、恋人のようでいて、どうもそれだけではない。忘れようとすれば歌いかけてきて、捕まえようとすれば消える。囁きは膨らんで、詩になる。

──贅沢になって、平和な日々にも飽きてしまった自分を、いまだに飽きさせてくれない「あなた」。つまりこれは、30年以上付き合ってきた音楽そのものへの告白として聴くこともできる。

止まない symphony
切ない melody
朝な夕な弾けて飛び散る
You are my energy, You are my enemy
You are my elegy, You are my remedy
My history, My victory
My philosophy, My identity…….

エネルギーであり、敵であり、哀歌であり、特効薬であり、歴史であり、勝利であり、哲学であり、アイデンティティ。ひとつの相手にこれだけの顔があるのは、もう「人生そのもの」と呼ぶしかない。

ソロ6作を巡るこの最終夜に、なぜ今もステージに立ち続けるのか──その答えが、ここに詰まっているように思えてならない。

AメロからBメロへ、歌声とテンションは階段を上るように高まり、サビで一気に解放される。冒頭で切々と歌われたメロディが、サビでは重たいストレートなロックになって返ってくる。この構成が、観ていて最高に気持ちがいい。

会場の熱に身を委ねるように、目を閉じ、ときに両手をひろげ、リズムを刻みながら歌う稲葉浩志。アウトロでは再びコーラスが響き渡り、Duranのエモーショナルなギターソロが重なる。2016年の曲が、まるでこの夜のために書かれたかのように鳴っている。

長く続けてきた仕事や趣味に、少し飽きてきた気がする。そんな人にこそ、この曲は効く。飽きっぽい自分を責めるのではなく、それでも自分を惹きつけてやまないものの声に、もう一度耳を澄ませたくなるからだ。

客席の声と交わって完成する『Symphony #9』を、ぜひ映像で目撃してほしい。

ビズくん
ビズくん
僕にとってのenergyでenemyは、深夜のラーメンです。食べてる間はenergyで、体重計でenemyになります🍜

04. マイミライ|リフと手拍子で始まる、痛快な自立宣言

ここでMCが入る。稲葉浩志らしい語り口に、会場の空気がまた一段とほぐれていく。

そしてDuranのギターリフと、会場の手拍子で演奏が始まる。1番は、このサウンドだけで歌い上げられていく。

リフと手拍子と歌声。それだけなのに、いやそれだけだからこそ、ステージと客席の一体感がまっすぐ伝わってくる。観ていて本当に楽しくなる場面だ。

『マイミライ』は、心配性のセンパイに、感謝しつつも「ここらへんでSTOP」を告げる、痛快な自立宣言の歌だ。

アカペラを織り交ぜたライブならではのアレンジが、曲の臨場感をさらに高めていく。

2番からはバンド全体が合流し、疾走感のあるロックサウンドが駆け抜けていく。心配のつもりの暗い予言を「それ言霊の不正使用」と一刀両断するくだりなど、小気味いい言葉が次々とスピードに乗って飛んでいく。

徳永暁人と肩を組んで歌う場面もあり、心から楽しそうなその姿を観ているだけで、こちらのテンションまで上がってくる。

マイミライをしょうのはアナタじゃなく
このアタシ それが常識
ヒヨワなまんまじゃ どこにも行けない
泣けるほどハードにきたえて Hey Hey

未来を背負うのはアナタじゃなく、このアタシ。しかもそれを「常識」とまで言い切ってしまう。この気持ちよさが、曲の芯だ。

そして面白いのは、この主人公が「放っておいて」とは言わないことだ。ヒヨワなままではどこにも行けないから、泣けるほどハードに鍛えてほしい、と頼む。

この歌は、心配してくれる人を突き放して終わるのではない。未来がどんな味でも、全身で味わってみせる。そう宣言した主人公は、最後には、離れたところから見守るその人を抱きしめたくなってしまう。

自立とは、突き放すことではない。心配してくれた人を、今度は自分が抱きしめられるようになることなのだ。

若い頃は「アタシ」の側でこの曲を聴いていた人も、いまは心配する側に回っているかもしれない。

つい暗い予言を口にしていないかと、胸がちくりとする。でも大丈夫。この歌は最後に、心配する側の人まで抱きしめてくれる。

心配されて少し疲れている人にも、気づけば心配ばかり口にしている人にも効く、二段構えのロックナンバーだ。

リフと手拍子だけで始まった、あの一体感ごと、ぜひ映像で浴びてほしい。

実家からお米10kgが届きました。送ってくる心配性のお母さんも、それを全力で喜ぶワタシも、自立のマイミライはまだまだ先みたい!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

05. BANTAM|身の丈のまま、誰よりも熱く

曲は、徳永暁人のパフォーマンスから始まる。お立ち台に上がり、華麗なベースソロを披露。普段はバンドの土台を支える低音が、真っ先にスポットを浴びる。

会場が沸き上がったところで、ベースの重たいイントロのリフが響く。間違いなく、この『BANTAM』の主役はベースだ。

シェーンのドラムを合図に、バンドの音が一斉に走り出し、曲のテンションを一気に引き上げていく。

無骨なロックサウンドが、ライブならではの臨場感で、体温を感じるほどの熱になって押し寄せてくる。

『BANTAM』というタイトルは、稲葉浩志の愛車のカスタムバイクの名前から取られている。「物静かさの中にある力強さ」をイメージして組まれたバイクだという。小さくても、静かでも、強い。この曲の中身そのものだ。

徳永暁人のベースラインと、Duranのエッジの効いたカッティングがグルーヴを支え、その上で、稲葉浩志が静かに歌い始める。

痩せっぽちと
舐められようと
構わないゾクゾクするくらい

無理に自分をデカく見せるのは
つい最近やめたところですわ

痩せっぽちと舐められても構わない。かと思えば、見栄を張るのは「つい最近やめたところ」だという。

ずっと前から、ではなく、つい最近。この正直さが可笑しくて、憎めない。悟りきった達人の言葉ではないからこそ、自分にも真似できる気がしてくる。

Bメロでは、サムの軽やかなキーボードが一瞬だけ視界を開く。そしてサビで、ストレートなロックサウンドが炸裂する。

音源で聴いても素晴らしいサビのメロディに、ライブの熱が重なっていく。音源にはないシャウト、表情、身体の動き。そのすべてが、この曲の歌う「強さ」の説得力になっていく。

そしてサビは、繰り返されるたびに言葉が変わる。まずは、荒れ野に一歩。次は、皆が寝ている間に進め。最後には、千回でも繰り返せ。歌が進むほど、歩幅が伸びていく。

小さく始めて、やめずに続ける。身の丈で戦うとは、こういうことなのだろう。

本当は誰もが、代わりの効かない存在だと思われたい。この曲はその願いを隠さない。

そのうえで、自分を大きく見せることもしない。身の丈のまま、誰も見ていないところで、黙々と進んでいく。

敵わない誰かの顔が浮かんでしまう夜があるなら、この4分間を観てほしい。悔しさが消えるわけではない。でもこの曲は、その悔しさを前へ走るためのエンジンに変えてくれるはずだ。

ビズくん
ビズくん
無理に自分をデカく見せるの、僕もやめました。マッチングアプリの身長の欄、今日から正直に書きます!

06. 波|幻想的な海が会場を満たす

稲葉浩志が、アコースティックギターを静かに鳴らし始める。ステージは薄い朱色に染まり、そこに水色の光が差し込んで、幻想的な空間をつくり出す。

──朱い海に、くらげのように溶けてゆく太陽。この曲の冒頭に描かれる情景が、そのまま照明でステージに再現されているようだ。

伸びやかなDuranのギターがイントロを奏でると、観ているこちらの気持ちも、ゆっくりとステージに溶け込んでいく。そして稲葉浩志が、優しく静かに歌い始める。

『波』は、1997年の1stアルバム『マグマ』の収録曲。耳あたりのいい浮遊感のあるメロディに、重く暗い歌詞を沈めたバラードだ。

バンドの音づくりが、また素晴らしい。徳永暁人のウッドベースが曲の深度を深め、シェーンはシェーカーを振り、ドラムはミニマムにリズムを刻む。サムのキーボードは、水面から差し込む光のような音色を、きらりきらりと置いていく。

サビに差しかかると、ステージの朱がさらに濃くなる。歌詞の描く情景と照明がひとつになって、没入感が増していく。

寄せてはかえす波のように いつでもゆらゆら揺れている
安らぎも不安も 消えることはない
他人(だれか)を見つめて みんな生きているから

安らぎも不安も、消えることはない。なぜなら人は、誰かを見つめて生きているから──心が揺れるのは、弱いからではない。誰かと関わって生きている、その証拠なのだ。

今の稲葉浩志の歌声でこの一節が歌われるとき、そこには生きて確かめてきた者の重みが乗っている。

間奏では、Duranのエモーショナルなギターソロが、胸にしみるように響き渡る。

派手なパフォーマンスは何もない。ただ、優しく丁寧に、サウンドと歌声が観客を包み込んでいく。

ブリッジからステージは青く染まり、海の中に射す光のように、スポットライトがゆらめいている。

ひとりきりになってしまいたいと歌っていた主人公は、最後に、なにもかもを愛してみたい、無限の海をもっと奥へ潜っていきたい、と歌う。

心の揺れから逃げるのではなく、その揺れの海のいちばん深いところへ、自分から。

アウトロで、演奏は一転する。セッションのような音のやり取りから、テンポのいいロックサウンドが立ち上がってくる。静かに揺れていた海が、急にうねりを上げたかのようだ。

ゆったり漂っていたはずが、気づけば大きな波に飲み込まれている。ライブ映像でしか体感できない『波』だ。

理由もなく心がざわつく夜。安定しない自分を責めたくなる夜。そんな夜にこそ、この曲を観てほしい。

揺れているのは、ちゃんと誰かを見つめて生きているからだ。そう思えたとき、この幻想的な朱と青の海は、あなたを咎める場所ではなく、休ませてくれる場所になるはずだ。

ちなみに私はポテチを抱えて、ソファでくらげみたいに溶けてます。やる気の波が来たら動きます!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

07. 遠くまで|マイクを離れた歌声が証明する、これまでの歩み

サムのキーボードが奏でる美しい旋律が、静まり返った会場に優しく響く。その音に寄り添うように、稲葉浩志が静かに歌い始める。

ピアノと、歌声と、ふたりをそっと照らす照明。それだけの空間だからこそ、生の歌声の一音一音、一言一言が、鮮明に届いてくる。「遠くまで」と歌う主人公の気持ちが、息遣いまで感じ取れるほどの生々しさで伝わってくる。

『遠くまで』は、1998年発売の1stソロシングルの表題曲。それから26年、いまもソロライブに欠かせない1曲として歌われ続けている。

2番からは、バンド全体のサウンドに変わる。シェーンの力強いドラムと、徳永暁人のベースが、主人公の一歩一歩をはっきりと形づくっていく。

稲葉浩志の歌声も力強さを増し、同じ言葉が、確信の言葉に変わっていく。

そして力強く歩き出したはずの曲は、ブリッジでふいに立ち止まる。

車についた小さなすりキズを気にして
オロオロ生きていくんだろうか これからずっと
自分で自分を責めたりしながら
めくるめくニュースから逃げられずに心を揺らして

この一節が書かれたのは、26年前だ。それなのに、まったく古びていない。

車のすりキズのような些細なことを気に病み、自分で自分を責め、次々と流れてくるニュースに心を揺らす──いまの私たちの毎日、そのものではないだろうか。

壮大な夢の歌に見えて、この曲がまなざしを向けているのは、そういう小さなオロオロを抱えたままの人だ。オロオロしたままで、それでも、遠くまでゆける。だからこの歌は優しい。

ライブアレンジされたアウトロは、歩みを進める主人公を見送るような、力強いバラードロックの演奏が続いていく。

そのなかで繰り返される「遠くまで」の一言から、辿ってきた道のりの重さと、これからも歩み続ける覚悟が、ビシビシと伝わってくる。

失くしても、傷ついても、自分であれ。笑いながら、歌いながら、ただゆけばいい──この言葉には、第一線を歩き続けてきた人が歌うからこその説得力がある。

そして最後は、アカペラだ。「遠くまで」と歌うその声は、どこまでも伸び、マイクから離れてもなお、会場中に響き渡る。

がんばっているつもりなのに、前へ進めている気がしない。そんな日々を送っている人にこそ、この曲を観てほしい。

この曲は、不安のない未来を約束したりしない。悲しんだことも、喜んだことも、ぜんぶ強さに変えながら進めばいい、と歌う。

遠くまで行けるかどうかを決めるのは、才能でも運でもなく、歩き続けるかどうかなのだ。

マイクを離れた生の声がZeppを満たす、あの瞬間を、ぜひその耳で確かめてほしい。

ビズくん
ビズくん
僕の『遠くまで』は、ラーメン屋の新規開拓です!🍜

08. VIVA!|なんでもない夜の祝い方

ここで再び、稲葉浩志らしいMCが会場を沸かせ、フロアが笑いに包まれていく。

シェーンが小刻みなリズムを刻み、手拍子が起こるなか、メンバーたちが「トゥルトゥル…」とコーラスをハモりながら歌い始める。

そしてDuranの「1、2…」という掛け声で、バンド全体の演奏がスタート。稲葉浩志もアコースティックギターを弾きながら、優しく歌い出す。軽やかなロックナンバーだ。

『VIVA!』というタイトルから、派手なお祭りソングを想像するかもしれない。でも歌詞に描かれているのは、レコードに針を落として、陽が沈む前からゆるく踊るような、ささやかな宴だ。

グラスの氷はいつのまにか溶けて、外の店はもう閉まっていて、「泊まってくだろ」なんて言い合っている。

祝祭の舞台は、スタジアムではなく、ごくありふれた部屋。

人生は短いのだから、特別な日を待つ必要はない。なんでもない夜を、今夜のうちに祝ってしまえばいい──この曲の『VIVA!』は、そういう祝い方なのだろう。

サビでは歌声に力強さが増すものの、爽やかな雰囲気は崩れないまま、風のようなサウンドが会場を駆け抜けていく。

部屋の中の小さな宴を歌った曲が、満員のZeppで鳴った瞬間、会場そのものがひとつの大きな部屋になっていくようだ。

前の曲『遠くまで』には、ニュースから逃げられずに心を揺らす、という26年前の一節があった。この曲はそれに、ろくなニュースがないのは今も昔も同じ、と答えてみせる。

だったら、僕らは僕らの歓びを掴み取るだけ──この曲順は、問いと答えになっているようで感慨深く感じる。

間奏では、アコギを弾きながら笑顔を見せる稲葉浩志がとても素敵だ。そしてブリッジでは、少ししんみりと、温かな歌声でゆっくりと歌い上げていく。

後ろは振り返らない
明日を待ちわびる余裕もない
いつだって今日が
最後の日だと思って
君のこと抱きしめる

いつだって今日が最後の日だと思って、大切な人を抱きしめる。後悔なく生きるって、つまりこういうことなのだと思う。

しかもこの夜は、6日間のレジデンシーの、本当に最後の日。この一節が今夜ほど深く響く日は、他にないのかもしれない。

ラストのサビは再び爽やかなロックサウンドで、「VIVA!」という歓びを存分に浴びせてくれる。

そしてアウトロは、メンバーのコーラスだけが残って、すっと終わる。レコードの針が静かに上がるような、洒落た幕切れだ。

祝うような出来事なんて何もない。そんな毎日を送っている人にこそ、この曲を観てほしい。祝う理由は、待っていても来ない。

今日が最後の日だと思った瞬間に、氷が溶けるだけの夜が、宴に変わる。日常に魔法をかける方法を、この5分間が教えてくれるはずだ。

今日は最後の日だから、VIVA!ってプリンを3つ食べました。次の日、体重までVIVA!してました!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

09. シャッター|写真に写らない想いまで収めた、門出の日のバラード

サムのキーボードが優しいイントロを奏で始めると、一気に曲の空気ができあがっていく。シェーンのドラムは最小限に、Duranのギターはその上でそっと鳴る。

そして稲葉浩志が、静かに歌い始める。目の前にその情景を思い浮かべているような、柔らかな歌声だ。

『シャッター』は、稲葉浩志がある日たまたま通りかかった小さな専門学校の入学式で、校門の前で記念撮影をする母娘を見かけたことから生まれたそうだ。

ただ、歌詞はその場面だけのものになっていない。描かれているのは、誰かの「晴れの日」。わがままだった「私」が、自分で選んだ道の入口に立ち、見守ってくれた「あなた」に改まって想いを伝える──誰の人生にもある、門出の日の歌だ。

やがて徳永暁人のベースが加わり、サウンドに重さが増していく。派手な演出は何もない。

足腰のしっかりした確かなサウンドが、バラードを歌い上げる歌声の魅力を、最大限に引き出していく。マイクスタンドを握って歌う表情、ふとこぼれる笑顔が、たまらなくぐっとくる。

わがままだった私も
ようやく辿り着いた
胸を張りたいよこの晴れの日は
いろいろごめんね、ありがとう

「ごめんね」と「ありがとう」を、同じ一息で言う。普段は照れくさくて言えない二つの言葉が、晴れの日にだけ、するりと口をついて出る。

この一節に自分の「あの日」を重ねる人は、きっと多いはずだ。送り出されたときの自分を思い出す人もいれば、送り出したときのことを思い出す人もいるだろう。

記念写真に写るのは、並んで恥じらう姿だけだ。この胸の内までは、どんなカメラにも写らない。でも、この曲には写っている。

写真に残らないものまで収めた一枚──それがこの歌なのだと思う。

間奏では、Duranのエモーショナルなギターソロが、聴く人の感情をそっと持ち上げていく。

歌の後半で「私」は、もらいっぱなしの愛情をどう返そう、と考え始める。愛されたことに気づくところまでが、門出なのだろう。

最後まで、穏やかなサウンドと歌声が、会場を包み込むように響いていた。

観終わったら、古いアルバムを開いてみてほしい。写りの悪い一枚にこそ、あの日の空気はよく残っている。

自分がどれだけの愛情をもらってここまで来たのか──それを思い出す夜は、明日を少しあたたかくしてくれるはずだ。

ビズくん
ビズくん
僕の晴れの日の写真、だいたい半目です。おかげで家族が集まるたびに笑われて、ある意味これがベストショットです!📸

10. 気分はI am All Yours|会えない夜まで好きになれる、声だけのラブソング

稲葉浩志が、Duranにギターをリクエストする。それに応えて、Duranが曲のフレーズを弾き始める。「最高」と笑って褒める稲葉浩志。仲の良さが伝わってくるやり取りに、観ているこちらの頬もゆるむ。

気持ちのいいギターフレーズと、会場の手拍子。そこに歌声が乗る。ライブならではの生の質感が、この曲の世界を鮮明に浮かび上がらせていく。

『気分はI am All Yours』は、電話の歌だ。「あなた」の姿は最後まで見えない。聞こえるのは、笑い声、漏れる息づかい、髪をいじりながらの鼻歌、水を飲み干す音、小さなあくび。恋人の全部を耳だけで受け取る、会えない夜の長電話。

身も心も捧げます、という大きな言葉を、この曲は「相手の小さな音を喜ぶこと」で歌ってみせる。

完璧な倍音で笑う
電話の向こうのあなた尊いね
退屈な奴のはずのぼくは
もしや話上手かもね

恋人の笑い声を「倍音」で褒める人が、他にいるだろうか。声を使って生きてきた人だからこそ言える、最高の褒め言葉だと思う。

そして、退屈な奴のはずの自分が、あなたが笑ってくれるだけで話上手に思えてくる。

誰かの前でだけ、何者でもない自分が特別になる──『只者』というアルバムの核心が、恋の形でここにあるように感じられる。

サビでは一気にバンド全体のサウンドになり、視界がぱっと開くような爽快なロックが鳴り響く。

歌詞に合わせて髪をいじってみせる稲葉浩志。そのあとに見せる笑顔とリラックスした佇まいが、曲の幸福感をさらに大きくしていく。

そして間奏。シェーンのドラムだけがリズムを刻み、「Hey, wow…」の合唱が会場中に広がっていく。

マイクは、稲葉浩志の楽しそうな笑い声まで拾っている。ステージと客席の境目がなくなって、会場全体が、ひとつの楽しい長電話の中にいるみたいだ。

Duranのギターソロで気分はいよいよ頂点へ。ラストのサビを駆け抜けていく。徳永暁人とサムの笑顔もカメラに映る。どこを切り取ってもハッピーなパフォーマンスだ。

この曲に、大げさな愛の言葉はひとつも出てこない。歌われるのは、笑い声やあくびのような、本人も気づいていないくらい小さな音ばかりだ。

でも、考えてみてほしい。自分のそんな音まで、喜んで聴いてくれる人がいる──それ以上の愛され方が、あるだろうか。

そして、好きな人の声がひとつあれば、会えない夜の長い闇まで好きになれる。この曲は、そこまで歌ってくれる。

会いたい人と、なかなか会えない日々を送っている人にこそ、観てほしい。観終わったあとの電話では、きっと相手の声が、いつもより少しよく聴こえる。距離は、愛情の邪魔ものではなく、耳を澄ます理由になるはずだ。

あくびまで『それもまたよき』って言ってもらえる恋、いいなぁ…。私は今夜も、うちの猫のあくびを愛でます。それもまたよき!
イカミミちゃん
イカミミちゃん

11. 空夢|夢を見てしまうのは、想いがまだ生きている証拠

サムのキーボードが、イントロのメロディを奏でる。やがて稲葉浩志が、アコースティックギターを鳴らしながら静かに歌い始める。

薄暗いステージに、青い光が差し込んでいる。

『空夢』では、3つの夢が語られる。崖から飛び降りて歓声の中を舞う夢。すべてを捨てて最前線で仲間を率いる夢。愛するものを守るため、なりふり構わず叫ぶ夢。──そして3回、目が覚める。

夢を見た
高い崖から飛び降り
風の中 空を舞う
人々の歓声が心地よかった
何処でも行けると気付いた

自由な自分。勇敢な自分。闘える自分。夢に出てくるのは、なれなかった自分ばかりだ。

目覚めるたびに突きつけられる現実は容赦がない。羽根はなく、掠り傷ひとつない。残っているのは、涙の痕だけ。

でも、その涙だけは本物だ。行動は何も起きていなくても、そうありたいと願う気持ちが嘘ではなかった証拠が、頬に残っている。

自己嫌悪の歌に聴こえるかもしれない。でも、考えてみれば、飛びたい、守りたい、闘いたいという願いがなければ、そもそもこんな夢は見ない。

夢を見てしまうこと自体が、想いがまだ生きている証拠なのだと思う。

この曲は、構成そのものが歌詞と見事に連動している。序盤は、アコギとキーボードだけの静かな演奏が続く。それが「ため息ひとつも漏らせないまま」の一行を境に、バンド全体のサウンドが一気に押し寄せる。

──ため息ひとつ漏らせないほど抑え込んだ感情は、心の中では、こんなにも大きく鳴っている。その感情の大きさが、音の大きさで描かれていく。

Duranのギターソロが、主人公の声にならない叫びを代弁する。静かに、そして力強く歌う稲葉浩志。生の歌声ならではの揺らぎが、この曲をさらにリアルなものにしていく。

最後のサビでは、シェーンのドラムの手数が増え、歌声はいっそう熱を帯びていく。

壮大な夢を3つ並べた果てに、この曲が口にする願いは「少しずつでいい」という、いちばん小さなものだ。その小さな願いが、ライブでは確かな決意のように響き渡っていく。

アウトロでは、Duranの伸びやかでアグレッシブなソロに、徳永暁人のうねるベースが応える。静かに始まった曲が、ロックバラードの力強さへと変わっていく。

そして最後は、サムのキーボードの音色だけが残って、そっと終わる。まるで、夢から覚める瞬間のように。

理想の自分と、今日の自分。そのギャップにため息をつきたくなる夜は、誰にでもある。そんな夜にこの曲を観てほしい。夢を見て泣けるうちは、想いはまだ死んでいない。

変わり方は、少しずつでいい。壮大なバラードが、その小さな一歩を後押ししてくれるだろう。

ビズくん
ビズくん
夢の中の僕は世界を救う英雄だったのに、目が覚めたら遅刻5分前のただのおっさんでした。世界はさておき、電車には間に合いたい💦

12. Starchaser|燃え残った衝動に、もう一度火が入る応援歌

観客の声援に、稲葉浩志が応える。MCでは、頭上のサイコロLEDの「まばたき」に触れて、会場が笑いと拍手に包まれる。

そしてバンドメンバーの紹介へ。メンバーそれぞれのコメントも面白く、ライブへの想いを語る稲葉浩志の言葉は、ぜひ映像で確かめてほしい。

歓声のなかMCが終わると、ステージが一変する。

澄んだ青に、無数の星が散らばる夜空のようなステージ。サムのキーボードが空間を染め上げ、徳永暁人のベースがリズムを刻み始めると、観客が手拍子で応えていく。その夜空に、Duranの伸びやかなギターがイントロのメロディを流していく。

『Starchaser』は、東京シティ競馬のCMソングとして書かれた1曲。タイトルの意味は「星を追う者」。といっても、夢を叶えろと励ます歌ではない。

この曲の主人公は、夜空に煌めく光を見上げて、あれは燃え尽きてしまった自分の夢だろうか、とまず疑うところから始める。

追うことをとっくにやめて、でも捨てることもできずにいる何か。この曲が手を伸ばすのは、そこだ。

稲葉浩志が、自分の内面に問いかけるように、静かに歌い始める。実際、この曲の前半は問いでできている。

期待に応えられず忘れられるのは
怖いかい
無邪気な衝動みたいなやつは
どこかでまだ燃えてるかい

この問いに、曲は答えを用意していない。ただ、訊かれた瞬間、自分の中に答えが浮かんでしまう。怖い。でも、たぶんまだ燃えている。──胸の中でそう答えたころには、もう体が前のめりになっている。

白く輝くステージ。サビでは、シェーンのドラムが力強く踏み込んでくる。ためらっていた主人公が、ついに最初の一歩を踏み出した──そう聞こえる一打だ。その一打を重ねるごとに足取りは確かになり、高揚感がぐんぐん増していくようだ。

稲葉浩志は、マイクスタンドを離れ、マイクを手に全身で歌い上げる。踏み出した一歩が、そのまま加速していくような躍動感だ。

この曲は、勝利を約束しない。どんな運勢でも、どんなフォームでも、どんなエンディングでも──結果がどうであれ、追いかけている限り「星追う者」であることは失われない、と歌う。

勝てるかどうかなんて、もうどうでもいい。無様でも、遅くても、追い続けるその姿がいちばん熱い。この曲はその姿を、真正面から肯定してくれる。

胸に手をあてて、僕はまだ星追う者のひとり、と歌う稲葉浩志が、最高に輝いて見える。「のひとり」──無数の星追いたちのひとり。この星空のようなステージの下に立つ観客も、全員がそのひとりだ。

ステージの端まで動きながら歌う姿が、曲のエネルギーをさらに広げていく。音源以上にロックな熱を感じられる映像だ。

かつて無邪気に燃えていた衝動を、どこかに置いてきた気がする。そんな人にこそ、この曲を観てほしい。

追いかけることに、資格も、締切も、正しいフォームもいらない。観終わる頃には、燃え残っていた何かが、またちりちりと音を立てているはずだ。

私も星追う者のひとりです!私の星は、稲葉さんのライブのチケット。今回も全力で駆けたけど、届きませんでした。泣くな私、今夜はこのライブDVDがあるんだから!😭
イカミミちゃん
イカミミちゃん

13. Stray Hearts|いちばん近くへいる人への、いちばん長い旅

『Starchaser』の余韻から途切れることなく、Duranのギターがそのままこの曲のイントロを奏で始める。

バンド全体の音が重なり、稲葉浩志はステージ中央で、踊るように体を揺らしている。

赤い光と青い光が混ざり合って、ステージが黄昏色に染まる。──この曲の幕開けの舞台は、黄昏の駅だ。その時刻の色の中で、稲葉浩志が静かに歌い始める。

『Stray Hearts』は、ドラマ『あなたがしてくれなくても』の主題歌として書き下ろされ、のちに『只者』へ収められた曲。タイトルの「stray」は、stray cat(野良猫)のように、帰る場所を見失ってさまようものに使われる言葉だ。

つまりStray Heartsは、はぐれてしまった心たち。しかもheartsと複数形──迷っているのは、ひとりではない。

BGMが響き渡る黄昏の駅
どこにも欲しいものはない

ここじゃない場所求め旅立つ人の
足音を背に帰ろう

ここじゃない場所を求めて旅立つ人たちの足音を、背中に聞きながら、主人公は帰る。

新しい場所へ踏み出す歌なら、世の中にいくらでもある。この曲は逆だ。

すでに隣にいる人のところへ、帰る。そして、そのすぐそばにいるはずの人にたどり着くまでの距離を「あとどのくらい?」と問い続ける。

いちばん遠い旅は、いちばん近くにいる人への数センチなのかもしれない。

AメロからBメロへ、歌声は徐々に力強さを増していく。そして稲葉浩志が、客席へ指先を伸ばす。

届きそうで、届かない、あの距離。歌の主人公が恋人の背中へ伸ばした指先が、いま客席に向けられているように感じられる。

そしてサビ。黄昏色に沈んでいたステージが、一瞬で真っ白な光に塗り替えられる。まぶしさに目を細めたところへ、歌声がまっすぐ飛び込んでくる。

足元では、徳永暁人のベースとシェーンのドラムが、ずしり、ずしりと鳴っている。迷いながらも前へ進む、その歩みの重さごと、低音を床に刻みつけていくようだ。

ブリッジでは、サムのキーボードだけが静かに響き、ハミングを交えた優しい歌声がそっと重なる。

そして再びバンド全体のロックサウンドへ。「Oh oh…」のコーラスを、会場と一体になって歌い上げていく。

ラストのサビでは、歌声も動きもいっそう熱を帯びて、この曲の描く情景を焼きつけていく。

大切な人と、なんとなくすれ違ったままの日々を過ごしている人にこそ、この曲を観てほしい。距離は、たぶん完全には消えない。それでも、まだ間に合う。きっと間に合う──ステージから客席へまっすぐ伸ばされるあの手は、そう伝えているように見える。

観終わったころには、すれ違ったままの誰かに、自分から近づいてみたくなっているかもしれない。

ビズくん
ビズくん
「ねえあとどのくらい?」──この気持ち、僕もしょっちゅう味わってます!人気ラーメン店の行列で!🍜

14. Sẽno de Revolution|「せーの」は、ひとりでは言えない──声がひとつになる革命

どうもありがとう!という言葉から、MCへ。「声出したいですか?」という稲葉浩志の問いかけに、歓声が巻き起こる。観客の声を聞かせて、というお願いに、声はさらに大きくなって会場を埋め尽くしていく。

会場の気持ちが最高潮に達したところで、Duranのギターがパワーコードをダウンミュートでザクザクと刻み始める。

手拍子が重なり、シェーンがバスドラムを踏み込み、徳永暁人のベースが加わる。サムはエレキギターに持ち替えて、エスニックな響きのイントロを奏でていく。

そして、稲葉浩志の「せーの!」の掛け声で、ステージがカラフルに彩られ、曲が弾け出していく。

『Sẽno de Revolution』は、2002年の2ndアルバム『志庵』の収録曲。革命という勇ましいタイトルを掲げているが、この曲が闘う相手は、政府でも社会でもない。

信号、新聞、みんなが欲しがっているもの──「自分で考えなくても生きていける仕組み」に、いつのまにか判断を明け渡してしまった、自分自身だ。

歌詞でいちばん怖いのは、疑うことが恐くなってしまった、という一節だと思う。流されることに慣れすぎると、立ち止まって考えることのほうが不安になる。

だからこの曲の革命には、デモも旗も要らない。自分の感覚を取り戻す──その一瞬のことを、この曲は革命と呼んでいる。

Aメロでは、Duranのエッジの効いたカッティングがノリを引き上げていく。稲葉浩志はステージの先端までやって来て、しゃがみ込み、観客と同じ目の高さで歌う。

あの稲葉浩志が、手を伸ばせば届きそうな高さにいる──最前列の沸き方は、画面越しにもはっきり伝わってくる。Zeppだからこそ観られる距離だ。

サビは、音源よりキーを上げた歌声で力強く歌い上げていく。

電話で言い争いになって
メシの最中またモメる
キミとボクの胸の中でいつも渦巻いてるJelousy
なんとかしたいね

ステージの右へ左へ駆けながら、全身で歌っていく。ただ、ここで歌われているのは、ずいぶん身近な話だ。惑星のスケールで始まった歌が、いつのまにか、ふたりの暮らしの話になっている。

でも、たぶんここがこの曲の本音だ。世界がひとつになれないのも、もとをたどれば、こういう小さなすれ違いの積み重ねなのかもしれない。

だから「なんとかしたいね」と歌う。革命の歌なのに、口調はあくまで普段のまま。この気負いのなさが、いちばん強い。

ブリッジでは、エネルギーを溜め込むようにサウンドがふっと軽くなり、優しくも芯のある歌声が客席に届けられる。そしてラストのサビで、溜めたすべてが解き放たれる。

ときに稲葉浩志は自分では歌わず、観客の歌声に身を任せるように体を揺らす。──「せーの」は、ひとりでは言えない言葉だ。数百人の声がひとつの掛け声に重なるこの瞬間、ひとつになれないはずの僕らが、この曲の間だけ、確かにひとつになっている。

最後は稲葉浩志のアカペラで、ぱっと気持ちよく締めくくられ、歓声が沸き起こった。

大きな話はいい。まずは、今日モメたあの人と「なんとかしたいね」と言い合えるかどうか。この曲の革命は、そのくらい身近なところから始まる。

そして、その始まりの合図が、あの「せーの!」だ。会場中の声が重なる、あの大合唱。観ていると、必ず一緒に歌いたくなる。部屋でひとりで観ているのに、だ。

この夜でも有数の、幸せな数分間。ぜひライブDVDで体感してほしい。

革命はジワジワじゃなくて、パッと一瞬に!って聞いて、前髪レボリューションを決行。……パッと一瞬で、切りすぎました😭
イカミミちゃん
イカミミちゃん

15. CHAIN|文句ばかりの毎日に、「もういいよ」と笑いかけてくれる歌

サムのキーボードの伸びやかな音色が、オレンジ色の温かい光に染まったステージに、ゆっくりと響きわたる。

稲葉浩志が「Na na na…」と、ゆっくり歌う。すると今度は、観客の「Na na na…」の大合唱が会場を満たしていく。

コール&レスポンスを3回。最後は稲葉浩志の、どこまでも伸びていく「Na na na…」。サンキュー、という声とともにシェーンのドラムが派手なカウントを刻むと、ステージは真っ白に染まり、爽快なロックサウンドが走り出す。

『CHAIN』は、1998年の1stシングル「遠くまで」に収められたカップリング曲。歌の中で見つめられているのは、朝から晩まで文句を並べて、自分から楽しさを見つけようとはしない人──他人にNO、自分にもNOを突きつけるだけで一日が終わっていく人だ。

この曲は、そういう毎日に説教をする。といっても、やり方は、視点をひとつ変えさせるだけだ。いま手元にあるものは、嬉しいことも嫌なことも、ぜんぶ誰かの手を巡って届いたもの。だったら、ありがたく受け取ろう。そして受け取るばかりじゃなく、ちょびっとくらい、誰かを幸せにする側に回ってみようよ──。

文句を言う人生から、ありがたく頂戴して、少しだけ返す人生へ。この曲が勧めているのは、その小さな転換だ。

Aメロでは、Duranのエッジの効いたカッティングが、曲にスピードとキレを与えていく。稲葉浩志はリズムに乗って踊るように体を揺らし、文句だらけの主人公の苛立ちを、身体でも表現していく。この夜でも指折りの、大きく躍動するパフォーマンスだ。

間奏は、音源にはない形に発展していく。Duranのカッティングからギターソロへ、徳永暁人のスラップが唸り、シェーンのタイトなドラムが土台を締める。

ジャムセッションのような自由な流れから、そのままラップパートへ一気に切り替わり、勢いを増してラストのサビへ突入する。

稲葉浩志はお立ち台に上がり、全身と喉を振り絞るように歌う。年齢を感じさせないそのパフォーマンスに、観ているこちらまで、あの頃に戻ったようなエネルギーで満たされていく。

あの人もこの人も たいしたもんだけど
たいしたことない
精いっぱい生きている
それだけでもういい
もういいよ yeah…

最後の最後でこの歌は、すごい人も、そうでもない人も、その区別ごと手放して、精いっぱい生きていれば合格、としてしまう。文句ばかり言っていたあの主人公も、もちろん、その中に入っているのだろう。

この結末を、稲葉浩志は一言一言に力を込めて、全身全霊で客席へぶつけていく。「もういいよ」という言葉が、こんなにも温かく聞こえる。

そして最後は再び、「Na na na…」の大合唱が会場を包んでいく。言葉のいらないこの合唱こそ、誰でも繋がれるいちばん簡単な鎖なのかもしれない。

気づけば口癖が文句になっている。そんな自覚のある人にこそ、この曲を観てほしい。観終わったあと、口をついて出る言葉が、文句じゃなくて「まあ、いっか」に変わっていたら──それは、他人と自分に向けていた採点を、少しだけゆるめられたということかもしれない。

ビズくん
ビズくん
僕らはみんなつながってる…わかります。僕は主に、牛丼チェーンとつながってます!✨️

16. 羽|知らないことだらけの世界が、希望に変わる旅立ちの歌

『CHAIN』の演奏が終わると同時に、サムのキーボードが『羽』のイントロを奏で始める。歓声が上がり、「Hey! Hey!…」という声がリズムに乗って会場を埋めていく。

そこへシェーンがバスドラムを踏み込む。胸にズシンとくる低音が、期待をさらに膨らませていく。

『羽』は、2016年の5thシングル表題曲。『名探偵コナン』のオープニングテーマとして知られる、疾走感のあるロックナンバーだ。

歌詞に並ぶ言葉が描いているのは、旅立ちの風景だ。そしてこの曲が伝えようとしているのは、将来に不安を抱えている人への「いま見えているより、ずっと広い世界がある」というメッセージなのだと思う。

リズムに合わせて光が明滅するステージで、稲葉浩志が力強く歌い始める。

飛び立つための羽
ほぼ生え揃い
まだ暗い空を見て
迷いを捨てる

「ほぼ」という一言に、一瞬立ち止まってしまう。全部生え揃ってから飛ぼう、とは歌わないのだ。

考えてみれば、完全に準備が整った旅立ちなんて、誰にもない。足りないものを抱えたまま、それでも季節が来たら飛ぶ。──完璧な羽じゃなくていい。ほぼのままで、大丈夫。整うのを待つより、まず飛んでみる。その背中の押し方が、なんともさりげなくて優しい。

Duranのアルペジオが音の厚みを増し、Bメロでは徳永暁人のベースが、地面を踏み固めるように重く響き始める。

サビに入った瞬間、空へ羽ばたくような解放感のあるロックサウンドが広がっていく。さらに赤を基調にした照明に、動きのある光が差し込んで、視界ごと押し広げていく。

そのサビで歌われているのは、目に映る世界が全てだと言うのなら、違う場所を見てみましょう、という誘いだ。世界は、まるで知らないことだらけ──本来なら、不安をかき立てる言葉だ。でもこの歌では逆に、まだ見ていない景色がそれだけ残っている、という希望に聞こえてくる。

2番のAメロはライブならではのアレンジで、一打一打、一音一音を重く打ち込んでいく。恐れや退屈をひとつずつ越えて行く、と歌うこの曲の歩みが、足跡を刻むようなその音に重なって聴こえる。

間奏では、Duranのアグレッシブなギターソロがテンションをもう一段引き上げる。そしてDuranは、ストラップを掴んでギターを客席へ差し出し、観客に触れさせていく。アリーナでは絶対に起こらない、Zeppの距離だからこその瞬間だ。

ラストのサビでは、さらにエネルギーを増したサウンドが、Zeppを埋め尽くしていく。お立ち台に立ち、手を広げて歌う稲葉浩志。本当に羽が生えてきそうなほどの、気迫に満ちた表情と歌声だ。

そして最後は、「君を忘れない」というシャウトが、会場を突き抜けていった。──どこへでも行っていい、と手を離しておいて、最後にこの一言だけを言い切る。この奥ゆかしい優しさが、なんとも稲葉浩志らしい。

新しい場所へ踏み出す人にも、準備不足を言い訳に足踏みしている人にも、この曲を観てほしい。羽は、ほぼ生え揃っていれば十分だ。飛びながら、仕上がっていけばいい。観終わるころには、きっとそう思えているはずだ。

羽が欲しいとき、いつもは例の”翼をさずける”ドリンクに頼ってます。でもこの曲、あれより効きます!カロリーゼロだし、何回再生しても減りません!👼✨️
イカミミちゃん
イカミミちゃん

17. Okay|終わりを認めた瞬間、今日が眩しくなる

ここでMCが入る。最終日の観客のエネルギーへの感謝を、稲葉浩志が言葉にする。

「幸せだー!ありがとう!」──その声に応えるように、シェーンのハイハットがカウントを刻み、『Okay』の穏やかなイントロが会場に広がっていく。

客席からの熱を全身に浴びるようなパフォーマンスに、歓声が上がる。ちらりと見せる笑顔が、とても素敵だ。

『Okay』は、2010年の4thシングル表題曲。温かく開放的なサウンドに、この曲はとんでもなく重いテーマを乗せている。

いつか自分がいなくなる世界と、いつか大切な人が先にいなくなる世界。人がいちばん考えたくない二つの未来から目をそらさずに、それでも「Okay」とつぶやいてみせる──そういう歌だ。

優しく、けれど力強い歌声で歌い始め、Bメロでさらに熱を増していく。

サビでは視界が開けるような真っ白な照明がステージを包み、手を広げ、遠くを見据えるような表情で歌う。その歌声が、Zeppの奥まで届いていく。

Okay いつかくる ボクのいない世界
真っ暗で静かな無限の空
Okay それならば もう少しだけアナタを
長く強く抱きしめてもいいよね そうだよね

この「Okay」は、悟りでも強がりでもない。いつか終わる。それは変えられない。じゃあ、今日はどうするか──もう少しだけ、長く、強く、抱きしめておこう。

そういう「Okay」だ。終わりを認めた瞬間、逆に、今日できることが眩しく見えてくる。

2番のサビでは、客席へマイクが向けられる。「Okay」という会場中の歌声が、どんどん大きくなっていく。──ひとりでつぶやいていた言葉も、数百人で歌えば、こんなにも温かい。

間奏でも、大合唱は鳴りやまない。サンキュー、と口にしながら、その真ん中で笑う稲葉浩志の笑顔が輝いて見える。

ブリッジを優しく歌い上げ、ラストのサビでも全身全霊で歌う稲葉浩志。アウトロまで、「Okay」の声が会場を包み続けていた。

大切な人との毎日が、当たり前になっている人にこそ、この曲を観てほしい。いま過ごしているなんでもない今日は、いつか「あの頃は良かった」と呼ばれる日だ。

観終わったら、隣にいる人を、いつもより少しだけ長く、強く、抱きしめたくなるはずだ。

ビズくん
ビズくん
抱きしめる相手がいないので、実家の犬を、長く強く抱きしめてます!🐶

18. 我が魂の羅針|もう会えない人が、今も方角を教えてくれる

アンコール。再びライトが灯ったステージに、歓声が起こる。

ツアーTシャツに着替えたメンバーが登場すると歓声はさらに大きくなり、最後に稲葉浩志が現れた瞬間、最高潮に達する。

どうもありがとう──その一言から、静かに曲が始まる。

暗い空間に、照明の描く光の線が浮かぶ。一音一音を丁寧に置いていくような、繊細で、それでいてスケールの大きなイントロ。

長い物語の幕がゆっくり上がっていくようなその音に、観客が静かに引き込まれていく。

『我が魂の羅針』は、『只者』に収められた壮大なバラードだ。注目してほしいのは、歌い出しの数行。ここでは、ふたりの声が交わされている。

私を忘れないで
それがただ一つのhope
あなたの幸せをただ願う

君を忘れはしない
繋がれた記憶のrope
嵐の中もう迷ったりしない

「私を忘れないで」と願う声と、「君を忘れはしない」と誓う声。hopeとropeで韻を踏みながら、別れ際の願いと誓いが取り交わされる。

そして、ここから先の歌詞はすべて、あの誓いの続きだ。季節は変わり、世界も変わり、それでも約束だけは守られ続けた──この曲が歌っているのは、その長い長い物語の、いちばん最後の景色なのだと思う。

終盤には、剣は鞘に戻り、永遠の静かな眠りへ、という一節がある。その人にはもう、会えない。

それでも、君は今も魂の羅針であり続ける。忘れないという誓いを守り続けること自体が、進むべき方角を教えてくれるのだ。

戦いの日々は柔らかな陽射しに変わり、温もりは今もこの手に残る。喪失の歌なのに、聴き終えたあとに残るのは、不思議なくらい温かいものだ。

バンドの音は最小限に抑えられ、歌声にそっと寄り添う。ライブで聴くその声は、音源では届かない肌触りで、曲の世界を伝えてくる。

正面をまっすぐ見据えて「今も君は我が魂の羅針」と歌う表情から、揺るぎないものが、びりびりと伝わってくる。

2番からは、シェーンのドラムが力強い8ビートを打ち込み、サウンドが一段と厚くなる。間奏では、Duranの伸びやかでエモーショナルなギターソロが、曲のメッセージを深く彩っていく。

薄暗いステージの中央、光の中で歌う稲葉浩志が、神々しくすら見える。

そしてラスト。Duranのギターの旋律と歌声が重なり合うなか、音源にはない、抑えきれない感情が溢れ出すような叫びが胸を打つ。最後はDuranのギターだけが残って、静かに幕を閉じた。

もう会えない人がいる。遠く離れてしまった人がいる。そんな人にこそ、この曲を観てほしい。忘れないことは、前に進めないことではない。

むしろその記憶が、嵐の夜の方角を教えてくれる。──羅針が何なのかは、人それぞれでいい。誰かの顔かもしれないし、いつかもらった言葉かもしれない。観終わったあと、胸の奥に残る温かさを、ぜひ映像で確かめてみてほしい。

人生に迷ったら、とりあえず甘いものの方角へ。私の魂の羅針は、今日もプリンを指しています🍮✨️
イカミミちゃん
イカミミちゃん

19. NOW|6つの夜の終着点は、いつも「今」だった

最後のMC。Day1から、仲間とともに自分の作品を旅しながらこのDay6までたどり着いた感慨と喜びが、言葉にされていく。そして──「今現在の曲で締めたい」。

『マグマ』から『只者』まで、27年ぶんの作品を巡ってきた旅の締めくくりは、過去のどの名曲でもなく、現在の曲。──過去を誇るより、今を歌う。その変わらない姿勢が、最後の選曲にそのまま表れている。

暗転したステージが、ほのかな緑色に染まる。サムのキーボードが始まりを告げると、ドドド、という鼓動のような音が鳴り始める。

地鳴りのようなその律動の上を、ピアノの音が静かに流れ、Duranのエッジの効いたカッティングが合流していく。

かすかな光の中、マイクスタンドを握りしめて、稲葉浩志が静かに歌い始める。

「灼けるDaylight」──その一節で、バンド全体のサウンドが一気に鳴り響き、照明が明るさを増す。

徳永暁人のベースが、高鳴る胸のようにずしり、ずしりと響き、Bメロではさらに曲のテンションを高めていく。

君に会えてさ
良かったんだとわかる
誰か言ってよ まだ遅くはないって

君に会えて良かったんだと「わかる」──主人公はその大切さに、いまになってようやく気づいている。

大切なものの値打ちに気づくのは、いつだって少し遅い。だから、誰かに言ってほしいのだ。その気づきは手遅れじゃない、と。

そしてサビは、NOWの定義をひとつずつ積み上げていく。触れたいのも、変えたいのも、命そのものも、あっというまに逃げていくのも、おびえて戸惑うのも──全部、NOW。

「今を生きろ」と命令するのではなく、怖さも戸惑いも含めて「それが今だ」と抱きとめるロックナンバーだ。

2番のサビでは、お立ち台に脚をかけ、ステージのいちばん先端で、まっすぐ正面を見据えて歌う。

Duranのエネルギッシュなギターソロが感情を激しく形にして、ラストのサビへ全開で駆け抜けていく。

そして曲の最後。「この声が消え去るまで歌う」──そう歌った刹那、バンドの演奏がぴたりと止まり、稲葉浩志の声だけがZeppに響き渡り、歓声が爆発する。

声が消えるまで歌う、という一節を、本当に声ひとつで歌ってみせる。歌詞と演出が完全に重なる、このライブ屈指の名場面だ。

最後は「Nanana…」のコーラスを、会場全体で歌う。6日間の旅の、いちばん最後の音まで、ステージと客席はひとつだった。

演奏後の挨拶では、思わずにやけてしまう場面もあり、会場から歓声と笑い声が起こる。しんみりではなく、笑顔で終わる。この旅の終わり方として、これ以上のものはないと思う。

どの夜も、どのアルバムの夜も、最後は必ず「今」の曲で終わった。過去は懐かしむためではなく、今日を生きるためにある──6夜かけて証明されたその答えを、この5分間が刻んでいる。

何かを始めるのが遅すぎる気がしている人にこそ、この最終曲を観てほしい。「誰か言ってよ」の”誰か”は、この映像が引き受けてくれる。──まだ遅くはない、と。

ビズくん
ビズくん
『まだ遅くはない』…と思い立って、今夜は腕立てを10回やりました!

この映像が伝えてくれた体験と思い

観終わってまず思ったのは、想像していた「フィナーレ」と、ずいぶん違ったということだった。6日間の最終夜だから、もっと派手で、もっと感傷的な夜を想像していた。

実際にそこにあったのは、配信されたばかりの新曲を「まだあんまり聴いてないでしょ?」と笑いながら手渡していく、驚くほど風通しのいい時間だった。

そして19曲を通して気づく。この夜、特別なことは、ほとんど歌われていない。電話のケンカ、記念写真、文句だらけの一日、夢を見て凹む朝、氷が溶けるだけの夜。

歌われていたのは全部、自分の毎日のどこかにある場面ばかりだった。只者の歌たちが、只者として生きるこちらの日常を、ひとつずつ拾い上げて、これでいいと言ってくれる。

だからこの映像は、観終わったあとの景色が少し変わる。晩ごはんが、通勤の道が、隣にいる人が、ほんの少しだけありがたく見える。

ライブ映像にそんな効き方があるのかと思うけれど、あるのだ、これが。


※本記事の記述は、稲葉浩志のライブDVD/Blu-ray『Koshi Inaba LIVE 2024 〜en-Zepp 6〜』の収録映像に基づく参照・必要最小限の引用を含みます。引用は日本国著作権法第32条に基づき、出典を明示した正当な範囲で行います。著作権は各権利者に帰属します。なお、著作権保護の観点から歌詞の全文掲載や大量抜粋、映像の静止画キャプチャ(スクリーンショット)・画像化の掲載は一切行いません。